自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・東北冬の旅(昭和43年)
・「東北本線/奥中山 D51 三重連」 

185.  冬の奥中山三重連  ・東北本線/御堂→奥中山


〈0001:冬の奥中山三重連、前から撮る〉


〈0002:冬の奥中山三重連、追いかけの構図〉


〈0003:31−8−1:三両目の蒸気溜は角型で戦時型のD51のようだ〉


〈0004:初冬の三重連、御堂→奥中山:sl086.0001*から転写〉…


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〈紀行文〉
 偶然に奥中山駅で待避中のD51三重連をみてから、今回の昭和43年正月の東北冬の旅は3回目の訪問であったが、何と三重連最後の冬となってしまったのだった。初心者のくせに、先輩の傑作を見習ってカーブヲ登る三重連を前方斜めから撮ることをやたらに繰り返しては失敗していたのだった。これにこりて、今回は確実に三重連をそれらしく撮れるようにとサイドから狙うことに徹したのであった。そして、何とかものにした何枚かのネガの中から、立ち上る3本の煙がスッキリしているシーンを選んだ二枚をお目に掛けた。当時は鉄の知識が乏しく、列車番号や機関車のナンバーや所属区などを記録する余裕が全く無かったらしく、ただ遠い昔の淡い記憶が蘇って来るだけで、何も申し添える事がないのである。
 この時の旅は、北端の浅虫から野辺地、千曳旧線を撮ってから南下、宮区内の駅前旅館に二泊して御堂〜奥中山の間に集中して撮り続けた。それはこの区間の御堂駅はもともと10パーミルの上に設けられた御堂信号場であったようで、御堂駅をを通過した列車はいきなり9パーミルから23パーミルの勾配に突入し、さらに23.8パーミルの最急勾配を含む7km余りが十三本木峠超えの最もきつい登りであると云われていたからであった。この区間は随分早い1956年(昭和31年)には複線化されており、それに上り線側にだけ電化ホールが立ち並んでしまっていたのだった。
 早朝、沼宮内からタクシーを奮発して御堂の先まで送ってもらって、後は国道に沿って歩きながら撮影ポイントを捜し回った。真冬で雪が深く、ようやく見つけた雪原に三脚を立てた。そこには三両の蒸気機関車が吐き出す激しい煙と蒸気、そして急勾配に激しくあえぐドラフト音のものすごさにしびれたことは忘れてはいない。さすが列車密度が高く、一日目で手応えのあるショットが得られたので、翌日は奥中山駅から吉谷地辺りで狙うことにした。
 冬の奥中山駅は西側に長く連なる黒々とした杉林の鉄道防雪林に守られて、ひっそりと雪の中にただずんでいた。ここから国道へ出て峠をひたすら下って、右手に奥中山へ向かって登って行く列車を撮りながら吉谷地の国道4号線架道橋を目指した。高見のは国道から眺めると、左手先では、左右から山並みが緩やかに落ち込んでいる谷に見えるところに吉谷地の大カーブがあり、その先は御堂に続く低地が望まれた。一方の右手は国道から低い谷を挟んだ対岸を山沿いに奥中山へ向かう線路が眺められた。それ故にこの谷筋は雪まじりの季節風の通り道になっていて、風の流れは複雑のようだった。
やっと架道橋の手前の築堤を登って、上り線と下りの線路の間が異様に離れている所に出た。そこに枕木などを積んだ場所があったのを幸いに、ここを風雪を避けながら列車を待っ拠点とした。おそらく気温も氷点下だったことだろうか、余りの寒さに携えていた大判の時刻表を数ページずつちぎっては丸めて焚き火して身体の凍えるのをしのいだことを思い出す。そこで撮った写真では、積雪を巻き上げながら、吹き出す白い蒸気などを引き連れて早いスピードで下って行く列車を追いかけて撮るのは至難の技(わだ)であった。
さてここで、何故に私の目の前から僅か2年で奥中山から蒸気機関車が消えてしまったのかと、判ってはいるのだが、つい思い起こしてしまうのを繰り返している。云わずと知れた東北本線は、沿線のみならず、北海道との物流の大動脈であり、貨物にしろ旅客にしろ、大変列車密度の高い幹線なのであった。従って、急勾配の続く十三本木峠の難所であっても高速での通過の運転が求められていたから、盛岡〜沼宮内間では本務機関車の前に補機を一台連結、沼宮内〜一戸間はさらに後補機を1台追加連結することになっていた。この時に追加する補機が前前補機となると三重連が出来上がることになる。実際に1958年(昭和33年)10月からは蒸気機関車を三台繋いでこの峠を越える事が本格化している。一方、一戸〜青森間は補機を一台連結し、輸送力の強化を目指していたのだった。それでも、1,000トン牽引の貨物列車ではスピードは遅く、補機の連結・解放、機関車の給水などで列車の到着時分は伸びた。加えて、当時は単線であったから列車の本数には限りがあって需要に応じ切れないでいた。このため東北本線全線の複線化と電化への改良が望まれて、43−10(よんさんとう)の時刻大改正を目指して協力に進められたのであった。そして昭和43年九月末に無煙かが果たされた。私は昭和41年からSL撮影を始めたので、ほとんど初心者の腕の状態で奥中山へ通っていたから、そこで撮った作品への悔恨は尽きることがないのである。

撮影:1968年(昭和43年)一月
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・東北冬の旅(昭和43年)シリーズのリンク
179. 冬の竜が森ハチロク三重連 花輪線・岩手松尾−竜が森
183. 冬の陸奥湾岸“ 浅虫温泉”を行く (東北本線・浅虫→西平内)
182. 冬の千曳(ちびき)旧線のSLたち (東北本線・野辺地→千曳)
203. 電化直前の千曳旧線 (東北本線・野辺地−千曳−石文(信))
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・「東北本線/奥中山 D51三重連」シリーズのリンク
198. 鉄道100年記念・SL三重連 (東北本線・好摩〜奥中山)
293. 沼宮内駅/三重連牽引の下り貨物列車の発車・沼宮内→御堂
410. 西岳バックの奥中山三重連・御堂―奥中山
--北上川の源流を訪ねて:西岳山ろく源流説のあれこれ--
319. 十三本木峠を登る、吉谷地の大カーブ T ・御堂−奥中山
320. 十三本木峠を登る、吉谷地の大カーブ U ・御堂 -奥中山
281. 奥中山駅界隈(かいわい)・御堂−奥中山−西岳(信)
299. 十三本木峠を登る、中山トンネル前後・奥中山−西岳(信)
291. 十三本木峠を登る三重連・一戸→小鳥谷
280. 十三本木峠を登る小鳥谷の大築堤・小鳥谷→滝見(信)
305. 十三本木峠を登る下平踏切りあたり・滝見(信)→小繋
321. 十三本木峠を登る、西岳信号場あたり・小繋→西岳(信)
171.さよなら沼宮内駅の三重連発車・東北本線
289. 十三本木峠を登るSLアラカルト・沼宮内〜一戸