自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・「東北本線/奥中山 D51 三重連」 付録
289.  十三本木峠を登るSLアラカルト 沼宮内〜一戸

 このシリーズでは三重連をテーマにまとめてきたので、アルバムの中には多くのSLたちの写真が残されていた。その中から数枚を選んでお目に架けたい。
ここでは作品の次にキャプションを記した。何しろ不確かなことがおおかったので、誤りがあれば御教示いただければ幸いです。

〈0001幻となった上り三重連・小繋ぎ付近〉


〈キャプション〉 (昭和43年五月4日撮影)
奥中山D51三重連の最後の訪問として昭和43年5月連休東北本線の奥中山峠(十三本木峠)越えを訪れた。そして、ごごには小繋の付近で本命の三重連をまちかまえた。やって来たのは重連であった。最後の三重連をと狙っていただけに落胆は大きかった。帰りに奥中山の駅で伺ったら、青森の貨車航送岸壁がウヤ(運休)だったと聞いた。そして沼宮内の東側の山道に上って下り後補機付きの三重連の発車を撮って三年にわたった奥中山のフイナーレとなった。

〈0002:2-4-2-4:C61客レ:昭和41年10月16日撮影〉




〈キャプション〉 
この場所は中山トンネルの北側ではなかろうか。蒸気も煙も真っ白でもくもくと激しい。背景は深い山々。
サミットの中山トンネルを目指して急勾配を登ってくるC60牽引の各停列車。
こう云う区間の低速各停仕業ではボイラー容量よりも勾配上での停車の際の再牽き出し粘着性能で牽引定数は決まると云われている。
23.8‰勾配でC形式の最大牽引定数は25、6車程度だったから、オハ、スハ級で現車7両となるであろうか。

〈0003:急客レC60 13+15重連通過〉


〈0004:2-9-5-2:D51重連貨物列車発進〉




〈キャプション〉
あの昭和41年から42年に掛けては、一戸から奥中山の間では複線区間が単線区間に挟まれていて、その複線の始終点では列車交換が頻繁に行われていた。とくに奥中山駅や小鳥谷駅では中線での貨物列車の待避が頻繁に見られた。そのような発車風景ではなかろうか。

〈0005:2-9-3-3:右手の山肌からの俯瞰(ふかん)〉




〈キャプション〉
これはおそらく西岳信号場から小鳥谷までの間のどこかであろうか。山の斜面に登って撮った俯瞰撮影なのだが、何故か、後補機が着いている筈だが未熟のためか写っていないのはご愛敬。

〈0006:2-11-1-3:小繋川橋梁に近づく重連旅客列車〉


〈キャプション〉
この鉄橋は何番目だったろうか。山の斜面に登って待っていると、補機は白煙を、本務機は黒煙をなびかせた重連旅客列車がやってきた。晩秋の午後の陽光が7輛の客車のサイドを照らしてくれていたのに、動輪は盛大なドレーンに隠れてしまったのは計算違いだった。この辺りでは東北本線は小繋川の流れ下るV字かたをした谷合いを何回も鉄橋で渡っている。この小繋駅−西岳信号場 間の複線化は意外に早い1965年(昭和40年)12月であったから、私の訪ねた時には手前の下り線は既に開通していたのだった。本務機だけがヘッドランプを消し忘れていたのは奇妙だ。

〈007:2-9-3-5:額縁の中の下り旅客列車〉


〈キャプション〉
 この跨線橋を越えた国道四号線は西側の山の斜線に取り付いて十三本木峠のサミットを目指して行く。東北本船は相変わらず狭くなって来た小繋川に沿って西岳信号場を目指していた。私の訪れた頃は、下り列車は旧線を使っていて、上り列車は新線を使用していた。
ここでは跨線橋を、額縁に見立ててみたが、余りにの重厚な構造体に力負けしてしまったようだ。

〈0008:2-10-4−6:小繋川の谷間を渡る重連貨物列車〉


〈キャプション〉
近年架け替えられたのか、コンクリート橋脚3本、谷が深くて川の流れが捕らえられなかった。背景は近い山が折り重なっている。この鉄橋は1959年(昭和34年)頃に別線で架け替えられた第7小繋川橋梁ではなかろうか。この橋長は90.3m、プレートガーター桁4連であった。その理由は、あたかも三重連運転に備えるための準備のようにも思われた。ちなみに、この橋の先代は日本鉄道東北線が開通した1891年(明治24年)に開通した鉄橋で、橋長 70m、単純プレートガーター桁3連、石積み橋台であったが、1948年(昭和23年)に桁だけが架け替えられていた。

〈0009:bO21042:上り旅客列車の西岳信号場通過〉

〈キャプション〉
三重連を狙って粘っていると思わぬショットに恵まれた。無心で撮ったのがよかったのか。

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〈紀行文〉
 こうやって沼宮内〜一戸 間の写真を並べてみると、どうしても三重連にめを奪われてしまう。
だがこの区間にC62重連牽引の優等旅客列車が実現するかも知れないと思わせる時期が存在したようである。
1963年(昭和38年)に常磐線の平駅以南の交流電化工事が完成し、尾久機関区配置のC62はEF80へと置き換えられてしまった。そして、それ以後のC62の運用は平駅-仙台駅間のみとなった。
そして、電化の北上により余剰となった尾久機関区の一部である7・8・9・11・19・20号は水戸機関区を経て仙台機関区に転属し、一時は東北本線の仙台駅 -青森駅間の旅客列車を牽引することが検討された。そのような同じ目的で42号は小樽築港機関区から仙台機関区へとわざわざ転属させていた。
しかし、保線部門側からC62形式の入線による軌道への悪影響が懸念されたこと、それにDD51形ディーゼル機関車の配置も近いことなどを理由にして、C62の運用は取りやめとなってしまったと云う。
それ故に、仙台機関区に配置されていたC62は仙台近郊や常磐線での一部の列車を牽引するなどで過ごした後に、1965年中に全車が廃車となってしまった。
これで奥中山での、C60・C61・C62の“ハドソンそろいぶみ”の運用は夢と消えた。
それにしても、もう少しハドソン重連の旅客列車をを真剣に撮っておけばよかったと悔やんでいる。当然のことながら、三重連優先で狙うための撮影ポイントばかりを探していたのだから、今からでは手の打ちようがないのが残念である。

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・「東北本線/奥中山 D51三重連」シリーズのリンク
198. 鉄道100年記念・SL三重連 (東北本線・好摩〜奥中山)
293. 沼宮内駅/三重連牽引の下り貨物列車の発車・沼宮内→御堂
410. 西岳バックの奥中山三重連・御堂―奥中山
--北上川の源流を訪ねて:西岳山ろく源流説のあれこれ--
319. 十三本木峠を登る、吉谷地の大カーブ T ・御堂−奥中山
320. 十三本木峠を登る、吉谷地の大カーブ U ・御堂 -奥中山
281. 奥中山駅界隈(かいわい)・御堂−奥中山−西岳(信)
299. 十三本木峠を登る、中山トンネル前後・奥中山−西岳(信)
291. 十三本木峠を登る三重連・一戸→小鳥谷
280. 十三本木峠を登る小鳥谷の大築堤・小鳥谷→滝見(信)
305. 十三本木峠を登る下平踏切りあたり・滝見(信)→小繋
321. 十三本木峠を登る、西岳信号場あたり・小繋→西岳(信)
185. 冬の奥中山三重連 (東北本線・御堂→奥中山)
171.さよなら沼宮内駅の三重連発車・東北本線