自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・東北冬の旅−昭和43年)

179.  の龍ヶ森   ハチロク三重連 ・花輪線 /岩手松尾−龍ヶ森


〈0001:bP00313:復活した前部3重連の勇姿〉
岩手松尾駅を発車して竜が森を目指してダッシュするハチロク三重連の 389
〈撮影メモ〉昭和43-1-13.撮影。
岩手松尾駅から北へ1q地点。
383列車貨物列車は8620の三重連。
右手奥からヒダリテ手前に。手前は積雪の水田。小さい土手。
黒い煙が上に上がって後ろへ流れる。

〈0002:bP00342:大谷場峠を登る逆向き後補機付重連貨物〉
冬の龍ヶ森 ハチロク 後
〈撮影メモ〉昭和43-1-13.撮影。
県道の峠を越えて少し下った所から俯瞰撮影した。
385貨物列車が大谷場峠の赤坂田側の急勾配を登って来た。後補機は逆向き1両で、貨車は13両と短かった。左手の中ほどの奥から右手前に。土手。後ろも前も白煙が立ち上がってから向こう側に流されている。
手前は雪。背後も近い山と遠い山も積雪。

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〈紀行文〉
 ここにお目に掛けるシリーズは、SLを撮り始めて初めての冬、昭和43年1月中旬に、6X7のコニカプレスを携えて出かけた「冬の東北の旅」と題した花輪線(龍ヶ森)、そして東北本線(奥中山・千曳(ちびき)旧線・浅虫温泉)でのSL撮影記録である。私のような初心者がおこがましくも、このような有名撮影地に出かけたいとの契機を与えてくれたのは本島三郎著の「鉄道」に載っていた写真からの啓発に他ならないと思っている。今から思えば、奥中山三重連の最後の冬だったのであった。
先ず手始めに、夜明け前の盛岡機関区をのぞいてから、盛岡始発の花輪線の一番列車に乗り込んだ。やがて好摩で東北本線に別れると、左前方に岩手山が半逆光に沈んでいたが、大更(おおぶけ)に近づくと代わって八幡平(はちまんたい)の山系が広がり始める。松尾鉱山鉄道のED25形電機機関車が入れ替えに励んでいるのを横目で見てから、しばらくして岩手松尾駅で三重連を狙うために下車した。
この先はサミットの龍ヶ森までの7.2qと、その先の赤坂田までの5.0qが貨物列車に二台の補機の活躍が求められていた区間であった。それは山越えの線路が3‰の急勾配が続くことと、貨物輸送の需要の多さに対応するためであった。しかし、この両端の駅にはターンテーブルがなかったから、補機は下り列車は正向、上り列車は逆向きとなっていた。従って赤坂田から龍ヶ森に登ってくる列車は逆向き補機となっていた。それに、補機連結のパターンは何種類かあって、補機二両が下り列車の前に付くと、見事な前部三重連となるのだった。このパターンが消えて久しかったが、最近になって復活したとの噂を聞きつけて勇んで出動して来た訳であった。
ところで、花輪線が山を越える峠が二箇所会って、手前が八幡平の前森山から七時雨山への鞍部に位置する大場谷地峠(おおばやちとうげ、標高 509m)であり、次が日本海と太平洋との水系を分ける大分水界をなす奥羽山脈の鞍部にある旧鹿角街道の梨ノ木峠(標高 483m)であって、いずれも1,000mを越える山々に挟まれた鞍部であるから、冬の日本海を吹き渡ってくるシベリアからの季節風のもたらす雪雲の通る豪雪地帯でもあった。
この時も岩手松尾駅からの線路は狭い谷間の白銀で覆われた水田の中を北西に向かっていたし、やがて左手の山肌に取り付くようにして33‰ノ急勾配となる線路も積雪に埋もれていた。そこで、駅で三重連の運行を確かめてから、除雪の行き届いていない県道に沿って撮影ポイントを探した。この頃は未だ国道はなく、岩手県道(主要地方道)7号盛岡十和田線が花輪線と並行して山を越えていたのであった。
 何しろゴム長靴だけの装備だったから、山へは登れず、背景が物足りないのが悔やまれたのであった。やがて、三声の汽笛が響いてくると、風がないのか、三本の煙が立ち上り、豪華な三重連が姿を現した。眼前を通り過ぎると、山にさしかかったのであろうか、急にスピードが落ちてきて、列車が見えなくなっても強烈なハチロクのドラフト音がいつまでも聞こえてきていた。なんでも約7kmを通過するのに23分も掛けて登るのだから。この日も、晴れたかと思えば、吹雪いになったりして、目まぐるしく天気が急変して私をヤキモキさせたが、運良く数ショットをこなした。その中には、斜めに、ゆっくりと通り過ぎる貨車の列の後ろから逆向き重連の後補機の煙とブラストの音が聞こえてくるシーンを捕らえた。
 三重連も良いが、龍ヶ森の風情としては、前引き後押し運転のほうがふさわしいように思えたのだった。そして童謡「汽車ポッポ」(作詞作曲:本居長世)の文句が最も似つかわしいように思い出された。
『お山の中行く汽車ぽっぽ
  ポッポッポッポッ黒い煙を吐き
  シュッシュッシュッシュッ白い湯気噴いて
  機関車と機関車が前引き後押し
  なんだ坂こんな坂 なんだ坂こんな坂』
 この8620型機関車はD51型のような排気膨張室を持っていないから、あの唱歌「汽車ぽっぽ」にあるような「ボッ ボッ、ボッ ボッ」と太古をたたくような歯切れの良い響きが三重に押しよせて来て頭をしびれさせた。
このドラフトと呼ばれる音は左右シリンダーからの排蒸気が煙突から吐き出される音である。この「ボッ ボッ」とスタートの時に発生する断続的な腹の底に響くような重低音や、加速走行時に発する「ボッボッボッボッ」連続した勇壮な音は蒸気機関車の魅力の一つであった。この左右シリンダーからの仕事を終えて、なお圧力を持っている排蒸気を煙室内の吐出ノズルから煙突へ排出させることにより、煙室内を負圧状態にして、火室内の空気の通風を確保すする役割の結果生ずるドラフト音である。しかし、この断続的な排気のため通風に強弱が生ずるので、これを均一化して石炭の燃焼効率を高める工夫として、「排気膨張室を吐出ノズルの手前に設けた。これは左右シリンダーからの排蒸気を、一旦この排気膨張室に導き集めた後に、吐出ノズルへ送るためのメカニズムであったから、あの断続的で歯切れのよい響きのドラフトは失なわれてしまった。それ故に昭和9年(1934年)以降に製造された大型機関車のドラフトは8620型やC56型のようには聞こえないのが残念であった。このメカニズムを使っているのは日本だけとの事のようだった。
 この大正生まれ の老雄 ハチロクたちの活躍の舞台である「龍ヶ森超え」に無煙化の波が押し寄せて来てDE10が投入されたのは1971年(昭和46年)10月と云う早さであった。それは硫黄と黄鉄鉱の貨物輸送のパトロンであった松尾鉱山が1969年(昭和44年に入ってから最初の倒産劇を演じたことと関係があるのであろうか。
 最後に、ホームページ上で素晴らしい「ハチロク三重連」のビデオサウンドを発見したので「田辺のリンク集」から紹介しておこう。
039/ ・SL讃歌(蒸気機関車),ブロードバンド,ビデオ 
http://sl-sanka.main.jp/
 現役蒸機を写真、ムービー映像(ブロードバンド)と迫力サウンドで表現している前田茂夫さまのサイトです。
〈BL〉現役8620三重連(花輪線/龍ヶ森の8620三重連)
動画の「龍ヶ森のハチロク三重連」はシビレますよ。

撮影:1968年(昭和43年)1月13日
ロードアップ:2010−04.

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・東北冬の旅(昭和43年)
183. 冬の陸奥湾岸“ 浅虫温泉”を行く (東北本線・浅虫→西平内)
182. 冬の千曳(ちびき)旧線のSLたち (東北本線・野辺地→千曳)
185. 冬の奥中山三重連 (東北本線・御堂→奥中山)


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