自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・「東北本線/奥中山D51三重連」:その3
281.  奥中山駅界隈(かいわい ・御堂−奥中山−西岳(信)

〈0001:奥中山えきでの旅客列車交換風景 〉
『「急行 おいらせ」の奥中山駅通過、待避中は黒磯行き普通旅客列車です。』


2〈0002:2-4-6-6:下りD51三重連貨物列車の中線待避〉


〈0003:2−4−6−1:上り旅客列車が杉の防雪林を背景に発車して行く〉




〈0004:国鉄時代、奥中山、縮小032-02 〉
『奥中山を出発する下り三重連。三両目(本務機)がドレーンで隠れたのが残念だった。踏切警手の居た頃の懐かしい光景だ。』


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〈紀行文〉
 私の鉄道写真の原点は東北本線の奥中山駅(現・IGRいわて銀河鉄道の奥中山高原駅)であることはプロローグでも述べた。それは早朝の奥中山駅を通過する上の急行の車窓からであった。そこでちらりと見たのは、奥中山駅の中線に待避して黒煙を噴き上げていた三重連のD51に牽かれた長大な下り貨物列車の姿であった。それが余ほど強く印象に残ったのであろうか、帰京してから大学の同級生の小林信夫さんに電話した。彼は国鉄機関士の経験があり鉄道写真のベテランでもあったからで、奥中山駅での光景を話すと、「それは鉄道フアンの世界では有名な“奥中山のD51三重連だよ」と教えられた。
間もなく、私はそれに魅せられて55mm標準レンズ付きの一眼レフと新たに手に入れた 300o望遠レンズを携えて初めて奥中山駅を訪ねたのはその翌年の晩秋であった。
 奥中山駅のコームに降り立って先ず眼に入ったのは、西側に長く連なる黒々と見事に成長した杉林の鉄道防雪林であった。さぞかし冬の奥中山は北西からの風雪が厳しいのであろう。この駅は明治24年(1891年)9月1日に日本鉄道の奥州線が盛岡-青森間を開通した時に“中山駅”として開業した。そして初めての冬期に入ると強い季節風と多い積雪に見舞われて、連日の雪害によって列車運行は困難を極めたと云う。一方、翌明治25年にドイツ留学を終えて帰国して間もない青年林学者の本多静六博士が日本鉄道の苦難の様を聞きおよんで、知人で日本鉄道の重役を努めていた渋沢栄一さんに「鉄道の防雪には森林を用いて対策するのが最適である。」と進言したと云う。早速、この案がさいようされ、翌年は一斉に東北線の北部沿線から場所が選ばれて博士の指導を得手植林が実施された。その時の日本最初の鉄道防雪林の一つが奥中山駅の杉林なのであった。(記念碑は東北本線の野辺地駅構内に所在)
ここのホームは駅舎側ホーム一千が1番線で沼宮内・盛岡方面で、その先に島式コーム一面があって、二番線の中線は待避線であり、三番線が一戸・八戸方面となっていた。この待避線では旅客列車はそのまま発車することができたが、長大編成となった貨物列車の場合は、駅構外が勾配のため有効長がそれらに対して短いため南北の両方向に折り返し線が設けられていた。特に南側は、下り列車の発進時には直ちに急勾配に掛かるため力不測となるため、発進を助ける加速線が設けられていたと云うが、私の訪ねた頃には取りくずされていたようだった。待避する列車は、ここを使ってスイッチバックして待避線に納まって、優先列車の通過を待ってから発車して行った。それ故に、この一連の列車の扱いの度に行われる3台のD51同士の協調運転のための汽笛合図が聞こえて来て楽しかったことが忘れられない。私が北海道からの帰りに奥中山駅で見かけた停車中の下り三重連の貨物劣者も、このようにして待機線で発車信号の現示を待っていたのであろう。しかし、その翌年の9月には北の西岳(にしだけ)信号場までの複線化が完了してしまい、この下り列車の待避はめっきり減ってしまっていた。
ここで先ず奥中山駅の素描を試みてみよう。ここは、特に
山が奥深いわけでもなく、緩やかに登る開けた高原風の情景の中なのに、“奥”と言う冠が付いた「奥中山」とは、少なからず違和感を覚えた人々も多かったと云われている。この駅の開業から
時が過ぎて、明治後半の鉄道建設ラッシュ、
それに続く鉄道国有化などによる混乱を立て直すために明治41年(1908年)に政府は鉄道院を発足させた。やがて、全国的に重複のために混乱している駅名の整理が試みられた。当時、「中山駅」を名乗る駅は、東北本線、総武本線、横浜線、福知山線にそれぞれ開業していたのを、大正4年(1915年)にそれぞれの駅名を、奥中山駅、下総(しもふさ)中山駅、中山駅、中山寺駅と制定し直したのてあった。
ところで、開業当時は駅付近には人家は全くなかったが、その後四半世紀も経った大正時代には国道4号線から中山駅までの道路に街並みが発達して、昔ながらの奥州街道沿いの小集落であった本家の中山をはるかにしのぐ発展ぶりであった。それなのに“奥”が冠せられた「奥中山駅」に改名してしまったことは、地元の住民にも、また訪れた旅人にも奇異な感じを与えてしまっていた。私も、跡から出来た駅だから昔の本通りの奥州街道の中山集落に敬意を表して「奥」をつけたのであろうと納得していた。所がwebで見掛けた情報によると、役場から送って頂いたJR東日本の「旅もよう」には、『当初改称名は陸奥中山として申請したが、どこでどう間違ったか陸が落ちてしまって奥だけが残ってしまった。』というのであった。いまや、東北本線が第3セクターに移管されて、「奥中山に“高原”の語尾が付けられてイメージアップを果たしているのは喜ばしい。しかし、“お麩中山三重連”はこのままにしておきたい。
そして、ここを通る県道30号葛巻日陰線が国道4号線と十字路で交差するようになった。この道を西へたどると西岳の東麓に広がる温泉・スキー場のある奥中山高原を横断して八幡平や鹿角へ通じており、東へは葛巻を経て三陸海岸へも到達できる交通の要となっているのであった。私が昭和41年に二度目に訪ねた際には、この県道30号線沿いの高原の中に位置して建てられた奥中山ユースホステルに泊めてもらったことからも、その頃からも若者たちの人気の地であったようだ。
 さて、この東北本線は沼宮内駅から御堂駅を経て北上川の支流の吉谷地川の谷を大きなカーブの築堤を連続急勾配でではい登って岩手郡と二戸郡の境となっているおねを短いトンネルで抜けて奥中山の構内へ進入してくる。この奥中山駅の標高は 448mで東北本線での最高駅であった。そこから北へは1,5kmほど先の地点に十三本木峠(鉄道では奥中山峠とも呼んでいた。)があって標高 458mで国道4号線が通り抜けていた。この峠の下を東北本線の中山トンネルが標高 453mで貫いていて、この地点が東北本線の最高地点であった。
このような高原の中に小じんまりした駅舎があって、これは昭和15年(1940年)に建てられた、切り妻屋根に横板張りの外壁の小さな木造駅舎ながら、絵本から飛び出してきたような大きな三角屋根には雪止めがいかにも雪国らしい。駅周辺にはそれなりの集落と商店街があり何となく懐かしくなるような“田舎の風景”である。
さて、最初に掲げた作品は、奥中山駅の御堂方にある吉谷地カーブを登り終わった所の短いトンネルである。この上の尾根はそれほどの高い者ではないが、実際には北上川水系と馬淵川すいけいとのぶんすいれいであって、岩手郡(岩手町)と二戸郡(一戸町)との郡のさかいでもあり、明治になって定められた陸奥国と陸中国との国境でもあったから地誌的には重要な尾根なのであった。ここを抜ければ勾配はゆるくなり、間もなく奥中山駅の構内に進入することになる。このトンネルの名前を失念していたのだったが、やっと“大塚谷トンネル”であるらしいと判った。
 次の二枚目に掲げた〈0001〉の写真はは奥中山駅の御堂方の西側から撮ったものであろう。右手から白煙をなびかせた重連の急行「おいらせ〉が勾配を登って奥中山駅の通過に掛かろうとするところである。その先の一番線には重連の普通旅客列車が停車中である。黒い煙を立ち上らせて発車を待っている。背景は駅前の小さな集落の民家の屋根と近くの山々が見えている。
 三枚目は中線に待避中の下り三重連貨物列車である。
 次の4枚目はD51三重連牽引の長編成の貨物列車が奥中山駅を発車して十三本木峠へ向かってダッシュを架ける。この辺りのレール下部には空転防止のための散砂の堆積がバラストを埋めており、日々の運転の厳しさを物語っていたのが印象に残った。
「最後は昔懐かしい踏切風景である。
「国鉄時代「」(2014年5月号、VOL37)誌に掲載した写真である。

撮影:昭和40年〜43年

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・「東北本線/奥中山 D51三重連」シリーズのリンク
198. 鉄道100年記念・SL三重連 (東北本線・好摩〜奥中山)
319. 十三本木峠を登る、吉谷地の大カーブ T ・御堂−奥中山
320. 十三本木峠を登る、吉谷地の大カーブ U ・御堂 -奥中山
293. 沼宮内駅/三重連牽引の下り貨物列車の発車・沼宮内→御堂
299. 十三本木峠を登る、中山トンネル前後・奥中山−西岳(信)
291. 十三本木峠を登る三重連・一戸→小鳥谷
280. 十三本木峠を登る小鳥谷の大築堤・小鳥谷→滝見(信)
305. 十三本木峠を登る下平踏切りあたり・滝見(信)→小繋
321. 十三本木峠を登る、西岳信号場あたり・小繋→西岳(信)
185. 冬の奥中山三重連 (東北本線・御堂→奥中山)
171.さよなら沼宮内駅の三重連発車・東北本線
289. 十三本木峠を登るSLアラカルト・沼宮内〜一戸