自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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にある送付先へドウゾ。)
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「東北本線/奥中山 D51 三重連」 その2
320.
十三本木峠を登る、吉谷地の大カーブ U
・
御堂
-奥中山
〈0001:国鉄時代、奥中山、縮小033-01〉
『御堂からの急こう配を登り、有名な吉谷地のカーブを行く下り貨物。この高さまで斜面を登って撮影した写真は少ない。』
ここは大塚谷トンネルの上の尾根のひがしがわではなかろうか。
〈0002:040834:夕陽を浴びて峠へ挑む三重連〉
『晩秋の夕陽は“つるべおとし”とは良く云ったものだ。』
〈0003:bO40836:北海道直通の急貨だろうか〉
『何ゆえか、上下線の間は異様に間隔が開いていた。』
〈0004:吉谷地カーブを駆け下りて行く上り急行貨“北たから”〉
『豪雨の中を“シュルシュル”と上り急行貨物が駆け下りて行った。』
〈0005:041165:吉谷地カーブの北にある分水嶺を貫く大塚谷トンネル〉
『この短いトンネルを抜けると奥中山駅は近い。昔、上下線の間に中線の加速線の築堤が残っていたが、今は取り崩されてしまっていた。』
〈0006:bO40824:奥中山駅構内接近〉
『三っのドラクト音をバックに貨車の車輪のジョイント音が長く尾を引いていた。』
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〈紀行文〉
今回も前のサイトに続いて、御堂駅から奥中山駅の間で撮った作品を掲げた。私が訪ねた頃は御堂と奥中山の間だけが複線化されていた。ここで、奥中山駅にに向かって右手の線路が下り線の登り勾配であったから、白い滑り止めの砂でバラストが埋まっていたのに対して、右側の上り線はブレーキの鉄粉が付着しているのであろうか赤味に染まっていた。
ここから撮影メモを記しておこう。冒頭の写真は初めて奥中山を訪問した昭和40年秋に撮った作品である。この奥中山駅寄りには三重連運転でSLブームの1大聖地となった“吉谷地の大カーブ”があって、急勾配を登ってくる長大編成の下り貨物列車の通過を俯瞰(ふかん)できる丘陵があるとのことであった。
現地に到着してみると、国道の架道橋をくぐる手前から右手の山肌へ登れるところがあり、また国道のガードを潜って奥中山方面に進んだ左手に短いトンネルがあって、その尾根の上へも上れそうであった。さんざん迷った結果、下り線のとんねる上の山から俯瞰を試みた。
この旅の最初のショットがなぜか「さくらからー」が入っていた。
到着して最初の列車は下りの後補機付きの三重連であった。
このフイルムはネガカラーなのに発色は未だ確保されているのには驚かされた。すこしブルーがかっているのは色温度のせいであろうか。
最後の手前の作品は昭和43年5月に最後に訪れた時の撮影である。クルマを奥中山の国道沿いのドライブインの駐車場に止めさせてもらって、豪雨の中を国道の坂を徒歩でトボトボと下って吉谷地カーブへ向かう途中で遭遇したシーンである。
急に接近して来た列車を手持ちの「コニカ プレス」であわててショットした。近くを高速で駆け下りて行く三重連も中々の迫力であった。
最後は吉谷地大カーブに入る手前付近でス。一段と低い所から撮りました。ここは御堂と奥中山の間にある二つの国道4号線の架道橋の間の辺りでしょうか。
三台そも揃って白煙なのは、サミットが近ずいて缶圧の見透しがついたのでしょうか。
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・「東北本線/奥中山 D51三重連」シリーズのリンク
198. 鉄道100年記念・SL三重連 (東北本線・好摩〜奥中山)
293. 沼宮内駅/三重連牽引の下り貨物列車の発車・沼宮内→御堂
410. 西岳バックの奥中山三重連・御堂―奥中山
--北上川の源流を訪ねて:西岳山ろく源流説のあれこれ--
319. 十三本木峠を登る、吉谷地の大カーブ T ・御堂−奥中山
281. 奥中山駅界隈(かいわい)・御堂−奥中山−西岳(信)
299. 十三本木峠を登る、中山トンネル前後・奥中山−西岳(信)
291. 十三本木峠を登る三重連・一戸→小鳥谷
280. 十三本木峠を登る小鳥谷の大築堤・小鳥谷→滝見(信)
305. 十三本木峠を登る下平踏切りあたり・滝見(信)→小繋
321. 十三本木峠を登る、西岳信号場あたり・小繋→西岳(信)
185. 冬の奥中山三重連 (東北本線・御堂→奥中山)
171.さよなら沼宮内駅の三重連発車・東北本線
289. 十三本木峠を登るSLアラカルト・沼宮内〜一戸