自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役
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にある送付先へドウゾ。)
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・常磐線アラカルト
230.
平駅での発着情景
・常磐線
〈0001:7-9-23:上り急行「第3 十和田」到着、昭和42年9月〉
〈0002:bO80256(8-2-30):雨中のD5122なめくじ 発車〉
〈0003:bO70853:平機関区のひととき〉
『なぜか、全ての機関車がバックで扇形庫に入線していた。』
〈0004:bO80315、平機関区俯瞰風景〉
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〈写真の撮影メモ〉
一枚目は夜明け直前の上り線の情景である。昨晩青森を出発し早暁に平駅に到着した急行「第3 十和田」の上り列車で、中間に食堂車を連結していた。優等列車はC62の牽引であった。その中線には待避していた下り貨物列車の最後尾が写っている。後は電気機関車 EF80で上野駅まで。
二枚目は激しく降る雨の中を発車して行く下り貨物列車で、牽引するのは「ナメクジ型」のD51であった。常磐線の前身である日本鉄道の海岸線が開通する際には、常磐炭鉱産の「常磐炭を使うこととなり、その炭質が低カロリーであるためより大量の投炭を必要とすることから、アメリカのボールドウイン社に広い火室面積を備えた蒸気機関車を製造させ輸入していることが有名であったが、現在も常磐線の貨物列車を牽引する原ノ町機関区所属のD51にはメカニカルストーカー(自動給炭機)が装備されている。これは、1仕業での投炭量が4〜5トンを超えていた助手の投炭労力軽減のために採られた措置であった。しかし、炭水車からスクリューコンベアで石炭を運んでくる途中で石炭が小さく砕かれてしまい、煙突から吐き出されて来るシンダー(石炭の細かい燃えかす)が多くなると云う欠点が見られることのようだ。ちなみに、常磐線で最長の金山トンネル内の平かたでは余りのシンダーの路盤への堆積の多さに困り果てて、路床をコンクリートにしたと云われている程であったと云う。
最後の1枚は雨に煙る平機関区を水戸方にある国道の跨線橋から撮った俯瞰スナップである。手前は給水じょうであって、特徴的な給水タンクが印象的だった。
撮影:〜昭和42年9月
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〈関連サイトのリンク〉
・常磐線アラカルト
329. 常磐線へのプロローグ・日暮里〜岩沼
―日本鉄道磐城線のシンボル:金山隧道の社紋レリーフ-
300. 常磐線 四ツ倉駅界隈(かいわい)
-住友セメント専用線・明治の古典SL:600号−
295. 波立(はったち)海岸を行く常磐線・四ツ倉-久ノ浜
328. 金山トンネル & 富岡界隈(かいわい)・竜田〜夜ノ森
304. 阿武隈川鉄橋を渡る・常磐線/逢隈〜岩沼
192. 常磐線のどこかで平〜岩沼 間
・最後の蒸気特急、常磐線の「ゆうずる」
322. C62 特急寝台「ゆうずる:プロローグ
323. C62 特急寝台「ゆうずる」:快走 T ・木戸-広野-末続
324. C62 特急寝台「ゆうずる:快走 U ・夜ノ森〜末続間
325. C62 特急寝台「ゆうずる:ブルートレイン快走・夜ノ森〜末続
326. C62 特急寝台「ゆうずる:平駅発着風景
327. C62 特急寝台「ゆうずる:平機関区にて