自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役
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SL写真展 ( INJEX )
にある送付先へドウゾ。)
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・最後の蒸気特急、常磐線の[ゆうづる]
322.
C62 特急寝台[ゆうづる]:プロローグ
・平〜夜ノ森
〈0001:bO60523:[ゆうづる] YUZURU」ヘッドマーク〉
『この[ゆうづる]のヘッドマークのデザインには文字の陰陽の二種類があって、夜間走行と昼間走行どの使い分けが行われていたらしかった。』
〈0002:bO50111:C6248号 フロント ビユー:昭和42年5月〉
〈0003:bO50118:C6248号プロフイール:昭和42年5月〉
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〈紀行文〉
私がSL撮りに通い出したのは昭和40年の春の頃からで、最初は近くの八高線の沿線を歩き回っていたのだったが、やがて鉄道趣味誌やSL写真集に啓発されて、当時人気を博していた東北本線の奥中山D51三重連や、常磐線のC62牽引の特急[ゆうづる]への渦中に誘い込まれてしまった。特に魅せられたのは、田沢義郎さん撮影の「[ゆうづる]快走」と題したカラー写真で、先頭を切るC62のフロントに付けられたヘッドマークにピントを合わせて列車全体を流し撮りした作品であった。
ともあれ常磐線の電化が1年足らずと迫っており、また東北本線のD51三重連もあと二年の“風前の灯火(ともしび)”であったから初心者の私にとっては大変な重圧であった。そして、昭和42年の晩春、待ちに待った夜明けの[ゆうづる]が撮れる季節が到来すると、早暁の上り[ゆうづる]を求めて深夜の常磐路を訪ねはじめて、前後9回にも及んだのだった。そこで撮ったフイルムを探し出したので、ここに「最後の蒸気特急[ゆうづる]と題する6回シリーズにまとめてご覧に入れることにしました。それに、常磐線については別に「・常磐線アラカルト」シリーズを設けて、常磐線の建設の歴史や[ゆうづる]以外の写真をまとめてあります。
先ずプロローグとしては蒸気特急[ゆうづる]の誕生の経過から始めよう。
先ずここで、上野−青森間の直通列車の変遷を眺めてみると、C62が東北地方に配備された1950年(昭和25年)頃は上野〜青森間の長距離列車は全て蒸機牽引であった。その東北本線には急勾配区間が多かったのに比べて、常磐線は距離は長かったが平坦線であったから、所要時間はほとんど変わらなかった。それで直通列車のメインルートは常磐線回りとなっていた。ちなみに、1957年(昭和32年)の上野〜青森間の直通列車は5往復の急行(みちのく,北上,十和田,北斗,おいらせ)が設定されていたが、全て常磐線回りとなっていた。その後の1965年(昭和40年)10月になると、上野〜青森間の直通列車のラインナップは特急3往復、急行8往復となっていた。これらのうち,東北本線経由は特急「はくつる」と急行「八甲田」の二往復のみで、残りの特急2往復、急行7往復は常磐線経由であった。
その内訳は:
特急3往復:
「はつかり」(昭和35年にDCキハ81系化、常磐線まわり)
「はくつる」(東北本線回り)
[ゆうづる](常磐線回り)
急行8往復:
「第1・第2 みちのく」(常磐線回り、このうち一応福はDC)
「第1〜第4 十和田」(常磐線回り)
「おいらせ」(常磐回り、不定期)
「八甲田」(東北本線回り)
が設定されていた。
これは昭和40年(1965年)10月のダイヤ改正に際して、上野〜青森を結ぶ2本目の寝台特急列車[ゆうづる]の誕生であった。これは常磐線回りの急行「北斗」が格上げされて、北海道連絡のブルブルートレインとして上野〜青森間を結ぶ軽量客車20系による寝台特急“5・6レ”[ゆうづる]であった。これは東北本線経由の「はくつる」に遅れること1年、今回は常磐線経由で平〜仙台間の牽引はC62となった。
実は、「はくつる」の仙台〜青森間の牽引機がC61からDD51に変わってしまい、もうこれで蒸機牽引の特急列車は見られないと思われていた時だったから、突然の新聞発表を聞いた人々の驚きは大きかったという。
そして、夕陽をバックに飛翔(ひしょう)する鶴を描いたヘッドマークを付けたC62蒸気機関車に牽引されて疾走し始めた。牽引機は上野〜平はEF80、平〜仙台間はC62、仙台〜青森間はDD51、盛岡〜青森はDD51重連であった。この仙台〜盛岡の電化は完成していたのだったがED75の増備が遅れていたために、頭書は仙台以北はDD51が牽引の役を果たしたのである。
そこで、先ず、あの[ゆうづる]の“ヘッドマーク”について語らねばならない。それを間近(まじか)に見られるのは昼間の平機関区であった。その朝の6時5分に平駅に到着した上り特急[ゆうづる]6レを牽引し終えて機関区の留置線で夜の出区まで憩いの最中の[ゆうづる]牽引機」が鎮座しているからである。ここでは常連のC6248号と出会うことが出来たのでお目に掛けたい。
実は、何とか美しい色を撮りたいと、生まれて初めてカラー写真に挑戦したのがこの作品なのである。二年ほど前に発売された小西六の感度 ASA100 の「さくらカラー」と云うカラーネガフイルム12枚撮りを使っている。当時のプリントは見事に変色していたが、フイルム自身は45年を経たのに健在であったのには驚かされた。先ず色の再現を確かめて下さい。
『茜色(あかねいろ)と黄色を混ぜた独特のトレインマークが“とても印象的ですね”』とは友人の志水茂さんの言葉である。
これをみると、その後に世間の評判を聞いて使い始めたコダックのHigh−Speed Ekta Chroe(ASA160)に比べてもそれ程の見劣りをするものではなかったことが判る。
ここではSLのブラックの車体に対して、オレンジ色のヘッドマークが良く映えていた。このヘッドマークに近寄って下から観察すると、夏場には蚊など小さな虫が表面に多く貼り付いており、水拭きをさせてもらったものだった。
この[ゆうづる]の夕日をバックに飛翔する鶴」を描いたヘッドマークは後年「鉄道フアン」、「Rail」誌の編集長をされていた黒岩 保美(くろいわ やすよし、1921年-1998年)さんデザインであることは良く知られている。その背景に、黒岩さんは計画段階で列車重量と経由路線から、この新設列車がC62形牽引となることを推定し、しめたと思い、この列車が最後の寝台特急の蒸気機関車牽引特急となることを念頭に置いて、C62に装着した際に最も映えるように配慮してデザインしたと伝えられている。
実は、私は黒井はさんには最後の個展となってしまったを新宿での個展の会場で初めてお目に掛かったのだったが、黒岩産が「Rail」誌の編集をなされていた時代に私が投稿した「アメリカの保存鉄道訪問記」の添削で大変お世話を頂いた関係にあったからであった。この場を借りて、大先輩のご冥福をお祈り致す次第です。
この特急寝台列車[ゆうづる]は新造の軽量化された20系を基本とした13輛編成であった。頭書の編成内容は:
← 上野 電源車 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 青森 →
カニ21
ナロネ21X2
ナハネ20X2
ナシ20
ナハネ20X6
ナハフ20
であった。
そして、この1・2等寝台特急[ゆうづる]時刻表は、
〈下り〉5レ 〈上り〉6れ
上野 [21:30] [09:25]
水戸 [23:22] [07:35]
平 [00:43] [06:12]
仙台 [03:06] [03:50]
一ノ関 [04:30] [02:19]
盛岡 [05:53] [00:50]
尻内 [07:45] [22:42]
青森 [09:15] [21:00]
〈下り〉 〈上り〉
このように、上野発21:30,青森着9:15、であって、所要時間は11時間45分であった。
そして、1967年(昭和42年)10月には 常磐線全線電化が完成し、平〜仙台間の牽引機はEF80となった。一方複線化計画も昭和47年から「広野ー木戸」、「大野ー双葉」、「原ノ町ー鹿島」が進められたが「広野−木戸」だけが開業した所で終わってしまっている。この頃から東北新幹線計画が具体化するに従い常磐線の長距離輸送ルートとしての役割は次第に低くなりつつあったからである。
このような長い歴史の中で、蒸気機関車の牽引する特急列車の運行は僅かの2年間であって、その時代に巡り会えたことは正に幸運の一語に尽きると思って感謝している次第です。
最後に“C62 48”と「銀河鉄路999」との関係を付記します。
ここにお目に掛けたC6248号機は、松本零士さん原作のアニメ「銀河鉄道 999」の劇場版「銀河超特急999号」のモデルとなった。それは、当時の国鉄当局から実在していた「C6248」のナンバープレートを漫画家の松本零士先生に進呈したことから、そのお礼という意味で「C6248」が採用されたと言う説があります。その後に発表されたTV版ではC62のナンバーは「C6250」にかわりましたが、これは未来を意味してC62のラストナンバーの次の「C6250」が採用されたとのことです。
この写真がテレビで全国放映されました。
NHK総合テレビ「双方向クイズ 天下統一」
2013年9月6日(金)24:10〜25:09 生放送
http://www1.nhk.or.jp/tenka/
(上のサイトにアーカイブスが見られます。)
ここでは、『漫画家の松本零士さんの作品「銀河鉄道999」の「999号」
のモデルになった蒸気機関車は次のうちどれでしょう?』
四択問題として出題し、盛会の写真が私のC6248ぜした。
撮影:1967年(昭和42年)
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〈関連サイトのリンク〉
・最後の蒸気特急、常磐線の[ゆうづる]
323. C62 特急寝台[ゆうづる]:快走 T ・木戸-広野-末続
324. C62 特急寝台
[ゆうづる]
:快走 U ・夜ノ森〜末続間
325. C62 特急寝台[ゆうづる]:ブルートレイン快走・夜ノ森〜末続
326. C62 特急寝台[ゆうづる]:平駅発着風景
327. C62 特急寝台[ゆうづる]:平機関区にて
163. 蒸気特急「ゆうづる」の最後の三連写 ・常磐線/久ノ浜
・常磐線アラカルト
329. 常磐線へのプロローグ・日暮里〜岩沼
―日本鉄道磐城線のシンボル:金山隧道の社紋レリーフ-
300. 常磐線 四ツ倉駅界隈(かいわい)
-住友セメント専用線・明治の古典SL:600号−
295. 波立(はったち)海岸を行く常磐線・四ツ倉-久ノ浜
328. 金山トンネル & 富岡界隈(かいわい)・竜田〜夜ノ森
304. 阿武隈川鉄橋を渡る・常磐線/逢隈〜岩沼
★管理人のメモです。★
「ゆうずる」は→[ゆうづる]