自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・最後の蒸気特急、常磐線の[ゆうづる]
323.  C62 特急寝台[ゆうづる]:快走 T  ・木戸-広野- 末続

〈0001:bO70111:霧の中のC62[ゆうづる]・広野−末続〉
『個展では全廃縦位置で展示して人気を博した作品です。』


〈0002:bO70252:[ゆうづる]C6223号、広野→末継、S42.7.28〉



〈0003:bO60533:C62快走遠望・木戸→広野/昭和42年5月〉
『白煙が眼にしみる。




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〈紀行文〉
 ここでは先ず、[ゆうづる]のヘッドマークを付けて早暁の常磐路を疾走するC62型蒸気機関車の勇士をお目に掛けたい。その一枚目は個展にも登場させた“霧の[ゆうづる]”と題した作品である。
昭和42年7月23日の夜明け直前に国道6号線を徹夜で北上してきて平の市街に入った頃から私を出迎えてくれていたのは海からの濃い朝霧であった。この初夏の季節には、前日が快晴で夜の陸地の放射冷却が意外に強く、気温が下がり、黒潮の洗う常磐の海は暖かいのか濃い朝霧が湧き出して海から陸へと流れて来ていたのだった。それでも何とかお目当ての広野駅から末続駅へ掛けての築堤を目指して霧の中を早々に到着することが出来た。列車で来ると、広野から末続駅方面へトンネルをいくつか越えて夜明け前の道を歩かなければならないから大変だ。クルマのお陰で、勝手知ったる山すそにある墓地への道の脇に駐車して、築堤に登ってアングル探しに取りかかった。
平の先の四ツ倉駅から北の地形は阿武隈高地から数多くの尾根が太平洋に迫っており、そこをトンネルを抜いて、築堤と鉄橋で谷を渡ることを繰り返して横断していた。この広野から末続へも多くのトンネルト谷を海に接しながら北上していた。そのような谷に架かった築堤の一つを見付けて何度か通っていたのだった。
最初にやって来たのは上り206レ急行「第3 十和田」、次は四ツ倉で待避していた下り247レ仙台行き普通列車が行き過ぎてしばらくすると、いよいよ上り6レ[ゆうづる]の登場である。前照灯を点灯してヘッドマークを付けたC6223号が近づいて来た。この朝は霧で明るかったのも幸であった。晴れていると海側からしか撮れず、正面は影になってしまうからだ。狭い谷間に築かれた高い築堤の両側は田んぼで、谷を流れる用水は暗渠(あんきょ)で築堤の下を抜けていた。ここを疾走するC62を築堤の斜面から見上げて手持ちのアサペンで撮ったのだった。初夏の早朝は、潮風のような海水をたっぷりと含んだ霧状の乳白色の朝もやが谷間に流れていたが、[ゆうづる]の定刻が近づくころになってヤット霧が薄くなったのは幸運であった。その中にC62がヘッドマークを鮮やかに見せて迫って来た。そして疾風のような轟音のあとには軽やかなブルートレインのジョイント音が長々と続いた。それにしても、この辺りでの人を襲ってくる「やぶか(薮蚊)」の群れのもの凄さには閉口したことは思い出されるのに、あのオレンジ色の「[ゆうづる]のヘッドマークを朝焼けの海岸線にきらめかせて走り去って行ったはずなのだが一向に記憶がさっぱり蘇って来ないのは何故だろうか。実は、この場所で撮ったのは二度目で、何を隠そう1週間前の早朝にも霧の中で撮って、早まってシャッターを押してしまったので、再度の挑戦となった次第なのである。この朝霧の季節には同好の士は誰もみかけなかったのにはがっかりであった。
 一枚跳んで、 三枚目は、昭和41年の秋からずっと我慢を重ねていて、やっと夜明けが5時台となった晩春に初めて撮った作品である。その撮影行の旅は上野駅22時24分発の常磐線経由の青森行き夜行鈍行227レに乗り込んことから始まった。何しろC62を見るのが初めての上に、ヘッドマークの付いた特急のSLと云うのだから興奮に寝ることもなく、平駅を3時57分に発車した。そして、5万分の1の地形図で確かめた広野駅に下車し、暗い中を広野駅から築堤)、切り通しと続く地形の中を木戸駅方に向って撮影ポイント探しを始めた。まず、206レ第3 十和田を撮影した。いよいよやって来る6 レ[ゆうづる]の牽引機はC6223だろうか。オレンジ色の[ゆうづる]のヘッドマークを朝焼けの海岸線にきらめかせ、目にしみるような白煙をたなびかせ颯爽と 駆け抜けて行った。
 このC62牽引の上り[ゆうづる]6レが夜明けの常磐路を走るのはかろうじて春分から秋分までに限られていて、最大でも夜ノ森〜4つ倉であった。その後に、3月の下旬には久ノ浜と四ツ倉の間の太平洋に、丁度「日が昇る時刻となり、[ゆうづる] 6レの通過する5時50分頃には、日が太平洋を金色に染めて昇って来ると云う際どい撮影チャンスのアルこともしった。また、青函連絡船の運行が阻害されるような悪天候を狙って行けば「阿武隈川の鉄橋の上で[ゆうづる]6レを撮ることが出来るとの情報もえていた。特に前者は再三試みたが中々難しかった。後年になって、同じような情景を九集の日豊本線の高鍋鉄橋で再三試みることになるのだが、これは洋上に薄い雲がたなびいていて、しかも太陽が顔を見せる直前に列車が通過しなければならないのがベストの条件であった。


撮影:1967年(昭和42年)

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〈関連サイトのリンク〉
・最後の蒸気特急、常磐線の[ゆうづる]
322. C62 特急寝台[ゆうづる]プロローグ
324. C62 特急寝台[ゆうづる]:快走 U ・夜ノ森〜末続間
325. C62 特急寝台[ゆうづる]:ブルートレイン快走・夜ノ森〜末続
326. C62 特急寝台 [ゆうづる] :平駅発着風景
327. C62 特急寝台「ゆうずる:平機関区にて
・常磐線アラカルト
329. 常磐線へのプロローグ・日暮里〜岩沼
―日本鉄道磐城線のシンボル:金山隧道の社紋レリーフ-
300. 常磐線 四ツ倉駅界隈(かいわい)
-住友セメント専用線・明治の古典SL:600号−
295. 波立(はったち)海岸を行く常磐線・四ツ倉-久ノ浜
328. 金山トンネル & 富岡界隈(かいわい)・竜田〜夜ノ森
304. 阿武隈川鉄橋を渡る・常磐線/逢隈〜岩沼

★管理人のメモ
夕鶴のカナ書きの誤りを変更→[ゆうづる](これが正しい)