自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・最後の蒸気特急、常磐線の[ゆうづる]
327.  C62 特急寝台[ゆうづる]:平機関区にて

〈0001:bO50724:[ゆうづる]のC6222の出区寸前の情景〉
『待機線には二両のC62が出番を待つ間にも点検に余念がないようだ。もう一両は後発の「第3 十和田」の仕業のようだ。』




〈0002:bO21165:これからいそがしくなる平機関区〉
『出番を待つ[ゆうづる]のヘッドマークを付けたC62の周りには、給炭台に入ろうとする機関車、駅の側線には重連の貨物列車が到着しつつある。』


〈0005:7-2-27:或る日の平機関区〉フイルム番号該当なし。
『[ゆうづる]仕業の多いC6248号が転車台を降りて、車庫へ突っ込もうとする情景』


〈0003:bO20535:DD51の[ゆうづる]・東北本線/盛岡駅〉
『東北本線の奥中山へ遠征した早朝の盛岡駅でであった[ゆうづる]はDD51が牽引していた。まだ常磐線へ通う1年前の昭和40年の秋のことで、初めての[ゆうづる]のヘッドマークとの顔合わせであった。』


〈0004:bO80232:転車台の“ゆうずる”〉



〈撮影メモ〉
プリントではヘッドマークの「ゆうづる」の文字は鮮明なのだが、webの画像はスシャンニングの技量が悪くて良く見えていないのは申し訳ありません。
このカットは「国鉄時代48号」の「ゆうづる物語」の中に掲載されました。


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〈紀行文〉
 この平ら駅のホームの西側の小高い丘陵との間には石炭の黒い煙が絶えない平機関区が設けられていた。
昭和40年当時は常磐線のC62が12輛、磐越東線の9600などの古参蒸気機関車たちも所属しており、仙台からのC60,61や原ノ町のD51、それに郡山のD60などが頻繁に出入りする多忙な機関区であった。
日中の平機関区は盛んに出入りする貨物列車のD51、磐越東線のD60、入換用の9600、8620などで賑やかだが、旅客用のC62、C61、C60のハドソンたちは静かなものだ。昼行では急行「みちのく」の1往復と、数時間に1本の普通列車に使われる以外は扇形庫や留置線で休んでいる機関車が多かった。
そこにはターンテーブル(転車台)を中心に放射状に留置線があり、そして特徴のある瓦葺きの木造建ての巨大な扇型庫があって、収容線は17もあった。この中へは、頭からはいっている機関車がおおいが、中にはバックで入庫している機関車も見受けられた。それにクレーンを従えた巨大なコールバンカー(給炭塔)が線路の上に設けられているのが見えた。その常磐線は平坦線とはいえ、1000t牽引で高速運転を強いられる貨物列車にのD51にはメカニカル ストーカー(自動給炭機)装備のものが多かったと聞いていた。確かほとんどの機関車には高カロリーとは云い難い地元産の常磐炭が積み込まれており、一方では[ゆうづる]仕業に当たるC62には夕張炭を原料をピッチで練り固めた高カロリーに特製された豆炭が積み込まれているとのことだった。それに、鉄骨を組んだやぐらの上にコンクリート水槽を載せた給水塔が異彩を放っていた。
当時の私に取っての機関区と云えば、八高線の高麗川駅構内にある機関車駐泊所くらいしか知らない初心者だったので、おずおずと平機関区の事務所を訪ねた。事務所では、出区に向かう乗務員たちが当直助役から指示を受けていたりしていて、張り詰めた緊張があふれていて、私も身が引きしまる思いであった。許可をもらって、大型蒸気が憩っている構内へ足を踏み出して見ると、「気をくばれ、右と左とうしろにも」との標語が先ず目に入った。当時は自由に撮影が出来たようであったが、私は周辺部で様子を伺って過ごした。
夜が更けるにつれて、次々と出区する機関車たちの動きが活発となり、熱を帯びてて来るのが平機関区の日常のようであった。
 昭和42年1月15日の夜の10時を過ぎた頃に、私はやっと平へたどり着いた。早速、機関区の岩沼型へ行ってみると、0時43分発の下り[ゆうづる]、0時55分発の「第3 十和田」の平駅発車に備たC62たちが重連で出区準備が進行しつつあった。[ゆうづる]のヘッドマークを装着したC6222号とC6223号が重連で給炭を済まして待機線に停車して、最後の点検に忙しいひとときを過ごしていた。
 末尾に掲げた写真はDD51に付けられた[ゆうづる]のヘッドマーク。二つ目玉のフロントは異様な雰囲気を感じさせた。
実は、「特急[ゆうづる]の運転が開始した昭和40年は、東北本線の電化が盛岡まで進んだが、ED75の増備の遅れのため仙台から青森まではDD51の牽引で行なわれたのであった。

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〈関連サイトのリンク〉
・最後の蒸気特急、常磐線の[ゆうづる]
322. C62 特急寝台[ゆうづる]:プロローグ
323. C62 特急寝台[ゆうづる]:快走 T ・木戸-広野-末続
324. C62 特急寝台[ゆうづる]:快走 U ・夜ノ森〜末続間
325. C62 特急寝台[ゆうづる]:ブルートレイン快走・夜ノ森〜末続
326. C62 特急寝台[ゆうづる]:平駅発着風景
163. 蒸気特急「ゆうづる」の最後の三連写 ・常磐線/久ノ浜

・常磐線アラカルト
329. 常磐線へのプロローグ・日暮里〜岩沼
―日本鉄道磐城線のシンボル:金山隧道の社紋レリーフ-
300. 常磐線 四ツ倉駅界隈(かいわい)
-住友セメント専用線・明治の古典SL:600号−
295. 波立(はったち)海岸を行く常磐線・四ツ倉-久ノ浜
328. 金山トンネル & 富岡界隈(かいわい)・竜田〜夜ノ森
304. 阿武隈川鉄橋を渡る・常磐線/逢隈〜岩沼
★管理人のメモです。★
「ゆうずる」は→[ゆうづる]