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・「中央西線の風物詩を訪ねて」(木曽川に沿って)

210.  「やまぶき」の花咲く木曽谷  ・中央西線/藪原〜上松


〈0001:木曽義仲の里を行く〉
山吹山トンネルへ向かうD51重連貨物、 中央西線・

〈00002:木曽の桟(かけはし)付近を登る〉
晩春の木曽谷を彩る、中央西線・

〈0003:bT442:桃丘の徳音寺の境内からの遠望〉

大阪発 8812レ、臨急“彩雲”(ス


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〈紀行文〉
 北海道から九州までSLのある風景を追い掛けていると、どこにでも晩春の 陽の当たる 野山で明るいオレンジ色に近い濃い黄色の花 沢山 咲かせている「やまぶき」 が群生しているのを良く見かけたものだ。その度に、子供の頃に遊んだ山吹鉄砲のことを思い出すから不思議なものだ。 「やまぶき」 は樹木なのに茎は細く、柔らかく、その茎の中心部分を占める髄(ずい)が、昔は行灯 (あんどん)などの灯心に利用されたというが、その髄を取り出して、細い竹筒の先端に詰め、他端にも髄を詰めて棒で勢いよく突き入れると、ぽんと音を発して、先端に詰めた髄が飛び出すと云う「オモチャ」が山吹鉄砲なのであった。
「やまぶき」 と云えば戦国の武蔵野無精 太田道灌ゆかりの八高線の越生(おごせ)駅近くの「やまぶきの里」と云いたいところだが、ここでは私にとって鉄道写真のトレーニング場でもあった中央西線沿いの木曽谷に咲く 「やまぶき」 の花を前景にした二題 の作品を お目に掛けた。
 最初の作品は宮ノ越から薮原の間にあって、この辺りは,木曽街道のなかで一番谷が狭い所なのだそうだ。この東側に連なる木曽山脈(中央アルプス) 茶臼山(2658m)から張り出した支尾根が山吹山となって木曽かわに落ち込む谷間を形つくっており、ここを国道19号線、中央西線、木曽街道(旧国道)、それに木曽川などががひしめき合って通り抜けている所であり、それ故に山の姿・川の流れが美しい。その上流は木曽川の源流に近く中京の人々にスキー場として昔かラ知られている薮原(やぶはら)高原が開けている。
ここを貫く山吹トンネルに向かって登って来たD51重連の貨物列車は朝の中津川駅を発車してから約65kmもの距離で標高差 約700mを登りつめて来たことになる。この先は鷲鳥トンネルを抜けて登って薮原を過ぎると木曽山脈の山腹を桟橋風のコンクリート橋梁で登り詰めて鳥居トンネルのサミットを抜ければ、あとは終点の塩尻までの一騎の下り勾配が残っているだけだった。この険しい宮ノ越−薮原間は木曽谷で最も早い時期の昭和43年(1968)には複線化が完成してしまっていたから、私は単線時代の奥ゆかしい情景を撮り逃がしてしまっていた。
ここで頻出する「やまぶき」の語源は山振りが転訛したものといわれ、枝がそよ風に揺れる様子を表しているとされており、まさに「やまぶき」の名所で知られる山吹山の斜面に群生する黄色の波が風で揺れるさまが見て取れたのであった。所で、ここの「やまぶき」にはみがなるときいたのだが、一般に「やまぶき」には実がならないと想われているのは、あの太田道灌と山吹伝説から来ているように想うのだが。良く聞けば太田道灌の受け取った「やまぶき」は八重咲きの「やまぶき」で、雄しべが花弁に添加したと云う八重咲きの栽培品種では実がならないのであって、山野に群生する一重咲きの鮮黄色の5弁の花を開く「やまぶき」には小さい黒い実がなるとのことだったのには眼からうろこが落ちた思いだった。
 この日の撮影行は、先ず宮ノ越駅を偵察して、駅から直進して寺橋で木曽川を渡って木曾義仲ゆかりの徳音字へ向かった。ここの山門を入り、境内に生い茂る杉の巨木の隙間から宮ノ越駅を通過して木曽谷を登って来るD51の姿を遠望するアングルを試みた。しかし、いささか構図にこだわり過ぎたきらいがあった。このフイルムが見つかったので〈0003〉に展示して置いた。やって来た列車は大阪発のスキー臨時急行「彩雲」であって、本務機はものすごい白煙を上げていた。(この写真を撮ったのは42年1月3日であって、やまぶきの季節ではありません。)
そう云えば、木曽義仲が平家追討の旗挙げをした八万神社が対岸の山に祭られており、この宮ノ越の地名は、この神社から町を眺めると、町が腰の辺りにあるので、「神社の腰あたり」→「宮ノ越」になったと云うのが起源だとあった。そして、木曽川の右岸に出て、木曽街道を北上すると、やがて徳音字集落を過ぎることになる。道の真っ正面に標高 1090mと云われる山吹山が行く手をさえぎるように東側に連なる木曽山脈から張り出しているのが目に入った。この辺りが既に標高 860mを越えているから、約200mの山であって、 急峻な木曽谷の中にあって、比較的緩斜面が多い宮ノ越一帯を見通すことができるので昔から頂に見張りの砦が設けられていたと云う。ここをさらに1kmほど進むと幅の狭い巴橋(ともえばし)が木曽川に架かっていた。この橋の周辺は「巴ケ淵(ともえがふち)」の石碑がある小公園となっており、東屋(あずまや)などもあり、自然の風光の素晴らしい所だ。そこは山吹山の麓[ふもと]のすぐ下を蛇行する木曽川が深い淵をつくっているのだった。釣り人が数人川に入っていたし、あちこちに三脚を据えたカメラマンの姿もみえた。山吹山のトンネルから出てきた中央西線は鉄橋を渡り高見を通って宮ノ越へ向かっている。
解説によれば、ここの川面は“巴状(ともえじょう”に渦巻いていたので「巴ヶ淵」と名づけられたとも云う。昭和の初め頃までは、木曽川が形づくる深い淵に、神秘的な渦が巻いていたというのだが、中央西線の山吹トンネルに向かって渡る鉄橋が架けられてから、土砂が堆積して水の流れが変わり、大きな渦はなくなったとのことである。それとは別の話だが、義仲とともに幼少期を過ごし、義仲と生涯をともにした巴御前の名にちなんでいるのだが、伝説には、ここに棲む竜神が化身となって中原兼遠の娘となり、女将軍 巴御前となり、義仲とともに戦って、守り続けたという伝説もある。
 所で、宮ノ越から北上して薮原へ向かっていた木曽街道の巴橋から先は目の前をさえぎる山吹山を巻くように川沿っいの断崖を伝って通っていたのだったが、今は鉄道線路に遮られて消えてしまった。その代わりに、巴橋を渡ってから鉄道線路の下を潜って国道19号線を川素意に300mほど北へのぼるとヤマブキトンネル(長さ 300m)sの入り口となる。その手前をみぎに狭いフエンスの間を通って旧国道の廃道を約 400mが山吹山の中腹を木曽川の清流を見ながら断崖を迂回して通じている。この旧道沿いを俗に「山吹横手」と呼び、春には「やまぶき」が一面に咲く。やがて山吹トンネルを抜けて来た中央西線の線路が現れるが、その下も、上にも「やまぶき」が咲き乱れて、黄色に彩られている。この山吹山にはケヤキが多く群生しており紅葉の名所でもあると云う。やがて静かな旧道を歩き終えることになり国道19号に再会することになる。
 さて、次の作品は木曽福島−上松間の木曽川東岸の高い崖の上を北上するどこかで撮ったものと想われる。この辺りの木曽たには西からは御岳のに連なるやまが、東からは木曽駒ヶ岳の前山に挟まれて深い谷をつくっている所で、あの難所で知られる「木曽の桟(かけはし)」もここにあった。おそらく木曽駒高原として売り出している木曽駒ヶ岳の前山である赤林山(2177m)の辺りから流れ出た川の作る谷が木曽谷へ落ちる所に開いた谷間を渡る鉄橋の一つであろうか。
宮ノ越から国道19号線を下ってきて、右折する谷間の車道を分け入ると、直ぐに立派な市の屎尿処理場があったのには驚いた。振り返って見ると左手の崖には「やまぶき」の群落が満開の花を咲かせていたのだった。
 南北に長い木曽の地は4月も半ばを過ぎると北に位置する楢川村や木祖村に桜が咲く。山の樹木の芽吹きは遅く春と冬との情景が混在する。里には梅、桃、巴旦杏、やまぶき、水仙が風に揺れ、木曽路深く香りが満ちる。訪ねた中央西線のD51最後の春となった昭和48ねんの木曽路では、あちこちで、遅咲きの八重桜や桃の花が咲いていたり、リンゴや梨の花が咲き始めていたが、私には「やまぶき」や、「れんぎょう」の黄色の花ばかりが気になって仕方がなかったのだった。

撮影:「やまぶき」は昭和48年5月、「徳音寺から」は昭和42年1月3日。

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・「中央西線の風物詩を訪ねて」シリーズのリンク
330.プロローグ:桔梗が腹から木曽谷へ・塩尻〜日出塩
024. 梨の花咲く本山宿(中山道) (中央西線・洗馬−日出塩)
151. 習作:厳冬の鳥居峠へ向かうSLたち・中央西線/日出塩〜薮原 間
027.冬の贄川(にえがわ)鉄橋(JR東海・中央西線)
178. 冬の木曽平沢にてD51に会う (中央西線・平沢−奈良井)
405. 塩沢の谷尾鳥居峠へ登る・中央西線/薮原→奈良井
209. 「木曽の桟(かけはし)」を行く (中央本線・上松−木曽福島)
162. 早春の木曽駒ヶ岳遠望 (中央西線・倉本−上松)
157. 木曽谷の石屋根のある風景 (中央西線・上松〜大桑)
092. 「ひのき(檜)」の木曽谷を登る・中央西線/上松〜野尻
009. 木曽川の春  「 ねこやなぎ 」・ 中央西線 /南木曾