岩波少年文庫全作品読破に挑戦! 「た」行の作品



隊商 −キャラバン− ハウフ 作/高橋 健二 訳

夭折のドイツ人作家ハウフによる、アラブ世界を舞台とした物語集。当然「アラビアンナイト」の影響は受けているんだろうが、オリジナリティはあるし、エキゾチックなムードが満点な上に、ひねりも利いていて、これが1827年の作品とは思えない。ホントに面白いです。

ある男が砂漠を渡る隊商に加わり、長旅の退屈を紛らせるために、御伽噺や体験談を順番に語ればどうだろうと提案する。そこで語られるのが「コウノトリになったカリフの話」「幽霊船の話」「切り取られた手の話」「ファトメの救い出し」「小さいムクの話」「偽りの王子のおとぎ話」の6編の物語。

どの話も異国情緒溢れる傑作揃いだが、とりわけ強く印象に残ったのは「切り取られた手の話」だ。この妖気漂う緊迫した雰囲気はどうだ! まるで極上のゴシックホラーでも読んでいるようだ。「コウノトリになったカリフの話」のユーモラスさも捨て難いなあ。

最後の最後にあっと驚く展開が用意されているが、こういうケレン味たっぷりの演出は、ぼくは大好き(笑)。全体が巧みに構成されており、よくある昔話集とは一味違う2重3重の面白さがある。

200年前の欧州のアラブ世界に対する憧れや尊敬の念みたいなものが垣間みえるのも興味深い。本書に限らず古典を読む時しばしば思うのだけど、歴史的に様々な対立があったのは間違いないが、結構キリスト教徒もイスラム教徒もユダヤ教徒も、それなりに仲良く(かどうかは分からないけど)共存してきたし、200年くらい前は、案外現在のぼくら以上にお互い異国や異教徒に対する理解が深かったんじゃないかな。本作に登場するような商人達の目から見た世界史と、ぼくらが教科書で勉強する世界史とは、だいぶ異なるのかもしれない。未だに文明の衝突論みたいのでわざわざ対立を煽りあっている状況は、何だかなあと思う。

(20031005)


タイムマシン H.G.ウェルズ 作/金原 瑞人 訳

1896年の作品。タイムマシンという高度の機械を扱っていながら室内の照明は蝋燭だ。登場人物たちも、いかにも19世紀のイギリス紳士といった趣。このねじれた感覚がたまらない。

主人公が冒険する80万年後の地球では、人類は、地上に暮らす優雅なエロイと、地下の醜悪なモーロックに2分されている。当時イギリスで力を持っていた社会主義思想が土台にあり、未来は労働者階級とそれを搾取する階級に分かれるというところまではありがちなアイデアだと思う。しかし、文明が進みすぎて生活が安定した結果、どちらの階級も思考能力を失い(考える必要がなくなったから)、ついには元々支配される側だったモーロックが、地上のエロイを捕食するようになるさままでも描いてしまうとは、ウェルズの想像力はまったくぶっ飛んでますな。

さらにぶっ飛んでいることに、モーロックからタイムマシンを取り戻した主人公は、そのまま自分の時代へと帰らず、更なる超未来へと旅立つのだ。生命体がほとんどいなくなってしまった地球の終末の描写は、現代のわれわれにも十分すぎるインパクトを与えるほど禍々しい。

ぼくは昔SFに非常に凝っていた時期があって、もちろんウェルズの作品も色々と読んで、そのアイデアに驚かされたものだ。しかし本書を改めて読むと、これはただのアイデア勝負の作品ではなく、ホラーにもミステリーにもラブロマンスにも成り得る高いポテンシャルを持つ小説だなと感じた。流石に今の知識からすると変なところがあるのは否めないが、後々まで読み継がれていくべき名作だと思う。

(20071104)


太陽の東 月の西 アスビョルンセン 編/佐藤 俊彦 訳

ノルウェイの民話18編が収められている。デンマークやフィンランド、スウェーデンの昔話、童話など色々読んできたが、ノルウェイの民話というのは初めてだな。こうしてそれぞれに特色のある北欧の物語を読み比べたりするのも楽しいものだ。

冒頭の「北風をたずねていった男の子」からして、グリムの「テーブルよ〜」にソックリで、ヨーロッパで口承により伝えられてきた物語群の力強さを思い知らされる。しかし擬人化された北風が登場するあたり、北欧らしさも感じる( この民話集では、「北風」が強大で畏怖すべき、且つ身近な存在として描かれている)。その他にも、グリムやアンデルセン、ペローなどと似ている話が多いが、全体的な雰囲気はやっぱり「アンデルセン」に最も近い(調べてみるとノルウェイは14世紀から19世紀にかけてデンマークの統治下にあったそうだ)。しかし日本昔話に酷似している話や(「海の水はなぜからい?」)、最近読んだ朝鮮民話「ネギをうえた人」に収録されているものと良く似た物語(「青い山の3人のお姫さま」)などもあるのが面白い。やはり世界中の伝説、伝承は、どこかでつながっているんだと思わされる。

ノルウェイと言えばヴァイキングの末裔ということで、勇ましい海の冒険談みたいなものを期待していたが、そういうものは無く、むしろアンデルセン的なロマンチックな話が多かった。大まかにはアシェラッドという少年の活躍や、トロル退治の話が目立つ。あと、3人兄弟、3人のお姫さま、3匹の動物など、数字の「3」にまつわる話が非常に多いことにも気付かされる。

ちょっと変わっているところでは「結婚したウサギ」「流れにさからうおかみさん」のような、ブラックジョークみたいな作品まで収録されているのがユニーク。 アンデルセンやグリムなら、この手の話を発掘しても童話集には入れなかっただろうな。 その他では、踊らずに入られないヴァイオリンを弾く「ちびのフリックとヴァイオリン」の話や、夫想いのおかみさんが登場する「山腹のグドブランド」などが印象深かった。

(20020721)


宝島 R.L.スティーヴンスン 作/海保 眞夫 訳

いやぁ、懐かしい。20年ぶりくらいに読み返したけど、かなり細部まで覚えていたことに我ながら驚いた。アニメを観てたせいもあるだろうけど。羽田健太郎作曲の主題歌がお気に入りだった。確か、アニメで見るより先に原作をキチンと読んでおかなきゃいけないと思って、慌てて読んだような記憶がある。今でも原作付きの映画やドラマは、先に原作を読んでからじゃないと観る気がしないのだけど、小学校の時からそういう習慣があったんだ。まぁ、そんなことはどうでも良いか。

子供の頃に読んだ時は気付かなかったが、登場人物達が実に個性豊かで、それぞれが欠点も含めて非常に魅力的に描かれている。特に海賊シルバー! 主人公を食ってしまう程の存在感を発揮する悪役が出てくる物語は、何故か大抵面白いと思うんだけど、「宝島」はその好例のひとつだな。

誰が敵で誰が味方か、仲間は信頼出来るのか、そして海賊シルバーの本心は? そう、この物語は、海賊の財宝を巡る冒険というより寧ろ、海賊の財宝を巡る人間ドラマなのだった。海賊が登場する航海記の割には、船上の生活についての描写が殆ど無かったりするし、結局作者のテーマはあくまでも人間なのだろう。昔は「宝島」と「ジキルとハイド」が、同じスティーブンソンによって書かれたということがピンとこなかったが、今にして思えばなるほどという感じだ。

(20020519)


たのしい川べ ケネス・グレアム 作/石井 桃子 訳

冒険に満ちていながらもほのぼのとしている愉快な動物童話。動物たちは、洋服を着て、人間のような文明的な暮らしをしているが、動物としての特徴や習性も多分に残っている。絵本の延長のような世界観だが、それぞれのキャラクターが個性豊かで、大人が読んでも楽しめる童話となっている。

なんといっても素晴らしいのがE.H.シェパードによる挿絵の数々だ。ひとつひとつの絵がとても素敵なうえに、ふんだんに挿入されているため、物語の面白さもさることながら、次の挿絵が見たい!という欲求でどんどん読み進んでしまう。この岩波少年文庫版では、何故か表紙にシェパードのクレジットが無いが、本来なら大書しなければならないところだ。

地上に出てきたモグラは、川や森に住むたくさんの仲間と出会う。親友となる親切な川ネズミや、金持ちで傲慢だがどこか憎めないヒキガエルや、無愛想だが頼りがいのあるアナグマ氏など。みんな長所もあれば短所もあるが、根は善良な仲間たちで、色んな事件に巻き込まれながらもそれぞれが友情を強くしていく。

ぼくが特に好きなのは「なつかしのわが家」というエピソードだ。川ネズミの家で幸せに暮らしていたモグラは、突然自分の家に帰りたくなってしまう。家を懐かしむ感情が溢れだすモグラの様子と、そんなモグラに対する川ネズミの温かな対応がとても印象的だ。他にも、傲慢だったヒキガエルが、おしまいにとうとう改心して、部屋のかぎを閉めて、ひとりでダンスするシーンも好きだ。

(20110429)


小さい牛追い マリー・ハムズン 作/石井 桃子 訳

ノルウェイの農場の4兄妹の、春から夏の終わりにかけての暮らしを描いた1933年の作品。アニメ「アルプスの少女ハイジ」でのハイジとヤギ飼いペーターの山での日々を思わせるような、素朴ながらも温かい暮らしぶりが生き生きと描かれている。

山の上での生活は質素で穏やかだが、子供たちにとっては冒険に満ちた毎日であり、そして一歩間違えば危険と隣り合わせでもある。少年たちが沼で釣りをして遊ぶ様子や、コケモモや木イチゴを摘んでいるうちに森で道に迷ってしまう女の子たちなど、危なっかしくて見てられない。よその農場で働く少女との幼い恋の予感や、その少女が労働で酷使される様子など切ない話もある。さまざまなエピソードのひとつひとつが心にしみる。

長男次男は、まだ幼さが残る少年ながら、牛追いの仕事については責任がある。物語終盤には、いなくなった牛を探して、何十キロも離れた農場へと野宿をしながら歩いていく。出発する子供たちを見送る母親も含めて、現代からは考えられないたくましさだ。この家族の姿から、人が「生きる」というのはどんなことであるのか、シンプルな形で見えてくる。

本書は、率直に言って、最近の魔法や冒険に満ちた児童書とくらべると地味ではある。しかし、現代の子供たちにも是非とも読んでほしいと切に願う作品のひとつだ。そして、こういう地味ながらも良質な作品を次世代に残すことこそ、岩波少年文庫の大切な役目じゃないかと部外者ながら思う。是非改版をつづけてほしい。ちなみに原題は "A Norwegian Farm" 。「小さい牛追い」は素敵な邦題だと思う。

(20110130)


牛追いの冬 マリー・ハムズン 作/石井 桃子 訳

「小さい牛追い」の続編である。前作に登場した家族の、秋から冬にかけての暮らしを描く。解説によると、もともと一冊だった原書を、一部と二部で「小さい牛追い」「牛追いの冬」として分けたのがこの岩波少年文庫版だそうなので、当然この2作は続けて読みたい。

夏が終わり、山の上から村へと戻ってきた4兄妹は学校へ通い始める。やがて冬が訪れ、楽しいクリスマスを迎え、町からやってきた隣家の少年と遊んだり、クリスマスの仮装をしてよその家を訪れたり、充実した幸せな日々を過ごす。春が近づき、幼いマルタが肺炎で病床に臥せるが、家族の看病で徐々に回復する。ある日、夏に山で出会った不幸な少女インゲルが兄妹の家に逃げてきたが、役僧の養女となり学校へ通うようになったところで物語は幕を閉じる。

前作を読んだときにも思ったことだが、子供の心に潜む負の部分をも嫌味なく見事に描写しているところが素晴らしい。長男オーラは次男エイナールを本気で疎ましく思っているし、おとなしいマルタも病気の間ちやほやされたせいで性格がねじ曲がってしまう。もちろん彼らは家族思いの優しい面もふんだんに持っている。ここには子供のありのままの姿が正直に描かれていると思う。

子供たちの遊びは相変わらずあぶなっかしくてハラハラするが楽しいし、クリスマスやクリスマスの仮装の描写はとても高揚感があり感動的だ。夏の間にあれほど可愛がったブタをクリスマスに美味しくいただてしまうところもなんだか可笑しい。この家族の暮らしは現代からみると質素かもしれないが、はたしていまの日本にこれほどまでに生命と喜びにあふれた子供たちがどれだけいるだろうかと思うと、いったい幸せとは何だろうとか、豊かさってなんだろうとか、いろんなことを考えてしまう。

(20110206)


注文の多い料理店 宮沢 賢治 作

童話集「注文の多い料理店」を菊池武雄の挿絵と共に全編と、「永訣の朝」「雨ニモマケズ」など11編の詩が収められている。高橋世織氏による解説も親切で、年少の読者のための賢治入門としては適切な一冊になっているのではないかな。

「銀河鉄道の夜」の所感でも書いたが、ぼくにとって宮沢賢治は思い入れの強い特別の作家で、もちろん本作も子供の頃から何度も繰り返し読んでいる。今回、改めて岩波少年文庫の大きな活字で読み返し、やはり素晴らしいとしみじみ感じたが、賢治作品は思い入れが強すぎるが故に、ここで今更コメントするのは何だか難しいな。

折角再読しておいて、作品について書かないのはどうかとも思うが、とりあえず感想は置いといて、子供たちにも読みやすい形で宮沢賢治の作品が新たに加えられたことが非常に嬉しく思う。

それにしてもこの作品が発表されたのは1924年なのか。人や自然にまつわる描写はどの世代にも変わらない感動を与えつづけるだろうが、はたして現代の子供たちにこの物語たちがどこまで伝わるのか。そこが少し気になるところではある。

(20090720)


ティーパーティーの謎 E.L.カニグズバーグ 作/小島 希里 訳

大変構成の凝った意欲的な作品である。物語の語り手が次々に変わり、時間軸も過去に行ったり現在に戻ったり、自在に動きまくる。ところがあざといばかりに凝りまくっているにもかかわらず、スッキリと分かりやすい上に、滅法面白いんだから参ったなあ、もう。

チーム対抗のクイズ大会を軸にしつつ、四人の少年少女のそれぞれ家庭環境や、指導教官が彼らを見守る様子などが代わる代わる描かれてゆき、さまざまな細かなエピソードがリンクしながらラストに向かって収斂していく。なかなかドラマチックな構成だが、本書の面白さはむしろ細部のちょっとしたちいさなエピソードにあるように思う。描かれているのは、何ということの無い平凡なアメリカ人の生活だったりするのだが、それらのひとつひとつが妙に面白いのだ。いかにもアメリカ的なおおらかな雰囲気を感じると同時に、アメリカの不自由さみたいなものもよく伝わってくる。

それにしてもこの作者は、ちょっとしたことで心が通い合ったり、チームができたりという瞬間を描くのが上手い。本書でも、最初のティーパーティーでの、不思議に緊張感があるような、ちょっとドキドキ浮ついたような雰囲気の中で、さりげなくチームが出来上がってしまうあたりの描写がとても良い。

ちなみに1993年の作だから、カニグズバーグが63歳の時の作品か。スゴイなあ。

(20070617)


天国を出ていく 本の小べや2 エリナー・ファージョン 作/石井 桃子 訳

「ムギと王さま 本の小べや1」の追記で詳しく述べているが、本書には古い版の「ムギと王さま」に収録されていた作品が入っている。本書の13編のうち、4編が旧版の「ムギと王さま」から、9編が今回新たに収録された。新たに収録された物語を赤字で記す。

「天国を出ていく」「小さいお嬢さまのバラ」「むかしむかし」「コマネラのロバ」「ティム一家」「十円ぶん」「《ねんねこはおどる》」「ボタンインコ」「サン・フェアリー・アン」「ガラスのクジャク」「しんせつな地主さん」「「がみがみシアール」と少年」「パニュキス」

旧版「ムギと王さま」に入っていた物語が面白いのはもちろんのこと、新たに加えられた物語も印象深い作品が多い。表題作のようなファンタジーや昔話風の物語もあるが、ひょっとすると本当に起こりうるかもしれないという程度のわりと現実味のある話も多い。ちょっとした善意、ちょっとした偶然が、その人の人生に大きな変化をもたらすといった、ハッピーな作品ばかりでさわやかな読後感が残る。

旧版「ムギと王さま」の所感でも絶賛したが、「十円ぶん」「《ねんねこはおどる》」はやはり特別に好きな作品だ。新たに収録されたなかで気に入ったのは、善人ではないのにただ娘を喜ばすために財産をすべて村人のために使ってしまった「しんせつな地主さん」と、 ロンドンの古い横町での子供たちの交流を描いた「ガラスのクジャク」。

(20100328)


点子ちゃんとアントン エーリヒ・ケストナー 作/池田 香代子 訳


闘牛の影 マヤ・ヴォイチェホフスカ 作/渡辺 茂男 訳

偉大な闘牛士を父に持つ少年の物語。彼は牛も怖いが、それ以上に自分が父と同じような闘牛士ではないことが人々に知れ、落胆させてしまうことを恐れる。恐怖、諦め、自分自身に対する偽りなど、あらゆるネガティブな感情が渦巻きながら、少年の闘牛士としてのデビューの日へと収斂していく。ぴんと張り詰めた緊張感が切れることなく、最後まで一気に読まされてしまった。

解説にもある通り、この作品のテーマは「本当の勇気」「誇り」ということになるのだろうが、それ以上に印象深いのは、闘牛の魔力に囚われてしまった人々の姿だ。ここでは、闘牛はたんなる娯楽などではなく、ほとんど宗教に近いものとして描かれており、闘牛によって人生を狂わされてしまった人々が多数登場する。

とりわけ忘れがたいのは、少年に闘牛に関する教育を施す 6 人の紳士だ。この 6 人は名前を持たないどころか、闘牛狂であるという以外の一切の個性を持たない。しかも 6 人であるにもかかわらず、あたかも一人の人間であるかのような書き方をされている。それにしても、個性を持たないということが、これほどまでに不気味な印象を残すものだとは。

「死」と隣り合うが故に、一層「生」が輝いて感じられるところが、この様な熱狂を生むのだろう。闘牛場の中の「生」があまりに輝いているがために、日常の「生」がくすんで見えてしまい、それが人々を闘牛へと駆り立てる。もちろんスペイン人の全てがそうではないのだろうし、ここに登場する人々は極端な例なのだとは思うが、闘牛の持つ逃れがたい魔力がリアルに感じられた。

主人公のマノロ少年は、最終的に闘牛士ではなく、医者になる道を選ぶのだが、これも闘牛を通して「生」の別なあり方を発見したからなのだろう。しかし、たとえ闘牛士にならなかったとしても、彼もまた闘牛の魔力に翻弄され、人生を決定付けられた人間の一人であることは確かだ。全ての事象が闘牛場を中心に回っているかのような世界観が凄まじい。

数多くの専門用語が出てくるが、巻末の解説のお陰もあって、闘牛の奥深さを知ることができたし、 闘牛士だけではなく殺される側の牛に対しても大きな敬意が払われていることを知ったことで、闘牛というものに対するイメージが大きく変わった。

(20020825)


父さんの犬サウンダー ウィリアム・H.アームストロング 作/曽田 和子 訳

この作品が書かれたのは1969年。公民権運動で黒人差別と戦ったキング牧師が、銃弾に倒れたのが前年の1968年だ。 そんなわけで、この作品は、当時の風潮の中で黒人差別について訴えるべく書かれたんだろうと考えて読み始めた。もちろんそういう意図もあるだろう。しかし、この作品は安易に差別撤廃を訴えるだけのものではない。あくまで文学として物凄い力をもっている。

とにかく作者の筆力が凄い(訳者も、と言っておかなければならないか)。感情的な表現は極力抑えつつ、主人公の目に映る出来事を事細かに、淡々と書き綴っている。しかし、淡々としていながらも、行間から滲み出る情感が実に豊かなのだ。まさか岩波少年文庫で、これほど本格的なハードボイルドを読めるなんて思ってもみなかった。

情景描写が巧みで、まるで自分が物語の中に入り込み、主人公の少年と同じように物を見ているような気にすらさせられるが、私小説のようでありながら、三人称で語られているところも面白い。

あともうひとつ興味深かったところは、主人公の家族と聖書との関わり方だ。貧しい黒人家族の間で、聖書が心の拠り所になっているところなどは、キリスト教の底力を感じさせられた。

アメリカで黒人たちが虐げられていた時代の話で、かなりキツイ表現もあるものの、人種差別に対する怨嗟のようなものは不思議に希薄な気がする。それ以上にこの作品では、家族のあり方、尊さや、学ぶことの大切さに焦点があてられている。人種差別を乗り越える為には、学び、知ることだ、というメッセージが感じられるのが素晴らしい。

(20020126)


遠いむかしのふしぎな話 日本霊異記 水上 勉 編

かつて岩波少年文庫では、「おとぎ草子」「今昔ものがたり」「宇治拾遺ものがたり」「日本霊異記」の4作品を、「遠いむかしのふしぎな話」シリーズとして扱っていた。ところが、前の3作品は改題改版されたが、この「日本霊異記」だけは改版されず、現在(2011年4月)のところ絶版となっている。率直に言えば、本書は前の3作品にくらべると馴染みが薄く、少々とっつきにくいことからラインナップから外れたのだろう。

本書には、41編の物語が収められている。仏教説話集であり、ほとんどの話のしめくくりに説教臭いことばがつけたされる。舞台は近畿、中国、四国、東海、北陸、関東にまでわたるが、書かれている内容はどれも似たり寄ったりで、災難にあったが念仏を唱えたら助かったとか、不幸なことがあったがそれは前世の宿業だというような話が多い。

そもそも編者の水上勉のあとがきに、似た話が多くて退屈なうえ、説教臭くてうんざりする、などと身も蓋もないことが書かれている。確かにそれはその通りで、しかもそっくりな話が連続して収録されていたりするので、あれっと思ったりもする。 しかし、全体を通して読んでみると、どくろが喋ったり、怪力女が登場したり、親が牛に生まれ変わったり、黄泉の国へ行ってきたり、これはこれでヴァリエーションに富んでいる。本書は児童向けなので、有名な口淫の話(唯一ぼくが前から知ってた話)はさすがに収録されていなかったが、男が吉祥天女の仏像に欲情するなんて話はあった。

個人的にはなかなか面白く、楽しませてもらった。なにしろ1000年以上前の物語だというだけでワクワクするし、京都や奈良のような都会ばかりでなく、日本各所にこうした庶民の生活が根付いていたのだという事実は、ただそれだけでロマンを感じる。水上勉も書いているが、こういう古典を読むときのコツは、現代人としての視点や批評眼などは捨て、当時の人々の物事の考え方や感じ方に思いを馳せることだ。

こういう仏教説話の数々も、日本人の気質を形成する礎になっているのは間違いことなのだろうから、たとえ芸術性や娯楽性が低かろうとも、また岩波少年文庫のラインナップに加えたらいいのにと思う。

(20110403)


時の旅人 アリソン・アトリー 作/松野 正子 訳

イギリスの田舎ダービシャーを舞台に、20世紀初頭の素朴な田舎生活と、16世紀のスコットランド女王メアリー・スチュアート救出計画が並んで進行していくタイムスリップ物だ。主人公の少女ペネロピーが2つの時代を行き来しながら成長していく姿を描いている。

特徴的なのは、ペネロピーは何度か過去へタイムスリップするが、決して歴史を改変したり出来ず、あくまで傍観者として人々の奮闘を見守るだけというところだ。ペネロピーは史実として女王の救出が失敗することを知っている。しかし自分ではどうすることも出来ない。そのことが過去の人々との交流に物哀しい翳を投げかけているが、不思議に悲劇的な雰囲気が希薄なのは、彼らが生活している姿が明るく生命力に溢れているからだろう。

本書ではダービシャー(サッカーズ)の暮しそのものが主役だという風にも言える。著者の自伝的な性質もあるので、現代の田舎暮らしがリアルなのはもちろん、16世紀の人々の暮し振りも、微に入り細を穿ち緻密に描かれている。家のつくり、服装、家具、道具、食器、料理、草花、ハーブなど、本書で出てくる物を一つ一つ詳しく紹介したら、それだけで立派なイギリス生活辞典が完成するかもしれない。恐ろしいくらい細部にこだわっているにもかかわらず説明臭さは無く、寧ろ自分も登場人物達と一緒にそこで暮しているかのような気分にさせてくれるような描写力には舌を巻く。訳は丁寧で、巻末の解説も充実しており、本書を読めばイギリスの田舎での生活が身近に感じられるようになる。

ラストの雪が舞うシーンが圧巻。女王を救おうと奮闘する人々も、それを阻止しようとする人々も、全ては雪に、ダービシャーの自然に呑み込まれてしまう。歴史の大きなうねりの中で全く無力だったペネロピーの存在とあいまって、人間の存在が如何にちっぽけなのかを感じさせられてしまう場面だ。

一方で、決して成功しない計画(それを知ってるのはペネロピーだけなのだが)に対して果敢に向かっていく人々の姿、アンソニーの意思、フランシスの若さ、シスリーおばさんの陽気さや逞しさからは、人間の力強さも感じる。彼らの生活は連綿と受け継がれ、数百年後のペネロピー達へと繋がった。平凡でつつましい田舎暮らしの中にも物凄く大きな力があるのだ。この作品は人間のちっぽけさと偉大さを同時に感じさせてくれる。

(20031102)


飛ぶ教室 エーリヒ・ケストナー 作/池田 香代子 訳

本書はケストナーの代表作であるが、岩波書店はだいぶ前からハードカバーで出していたにもかかわらず、岩波少年文庫に入るのは2006年である。随分時間がかかったな。ぼくは講談社文庫の山口四郎訳で読んでいたが、ですます調の、やや古めかしい文体だった。それと比べると、池田香代子の新訳による岩波少年文庫版は、軽やかでテンポ感がよく、会話の言葉づかいも今風になり、少年たちの快活な雰囲気がよくでている。「あったりまえ!」というキメ言葉もハマっているが、これは従来の翻訳では気付かなかったことだ。挿絵はもちろんワルター・トリヤーで、現代の子供たちにふさわしい本に仕上がっている。

思春期の少年たちを扱っていながら、女の子が一人も登場しないということが大きな魅力となっている。男の子ならではの純真さや馬鹿さ、無鉄砲さなどが、女の子の存在が無いことによって、より飾り気のないストレートな形で出ていると思う。

建設現場で二つの学校の生徒が睨みあう中での決闘というシチュエーションは、子供の頃に漫画やドラマで何度も見たことがあるが(笑)、本作においては不思議にさわやか。日本では、優等生は勉強、他校との暴力沙汰は不良、と役割が決まっているが、本作では優等生が率先していっちゃうんだから、しかたないよね。

約20年振りに再読して、しみじみと思ったのは、正義先生や禁煙さんなど、登場する大人たちの姿が何とも良いのだ。ぼくもいつの間にか年をとってしまったが、はたして正義先生のような、賢く包容力のある大人になれているだろうか…。

(20110505)


トムは真夜中の庭で フィリパ・ピアス 作/高杉 一郎 訳

大学の時以来の再読だが、やっぱり面白かった。こんな粋で爽やかな恋愛小説(と言い切ってしまっても構わないだろう)には、滅多にお目にかかれないなぁ。 いかにも児童文学ならではというべきか。

少年が過去へタイムスリップする、という類の物語は数多いが、タイムスリップする度に過去の世界では年月が経っているという、ウラシマ効果を応用したような設定が素晴らしい。

少年を過去へと送りだす古い大時計のイメージが何とも幻想的だ。古い大時計を媒介に過去の世界に旅立つという設定で、ジャック・フィニイの小説を思い出したが、たぶんフィニィは少年時代にこの本を読んだんじゃないかな? ということで、この本が気に入った人には、ジャック・フィニイの「ゲイルズバーグの春を愛す」「ふりだしに戻る」あたりの作品や、クリストファー・リーブ主演の映画「いつかどこかで」はオススメです。

大人には子供の気持ちが分かるけれど(全ての大人は、元々子供だった訳だから)、子供からはなかなか大人の気持ちが分かりづらいところがあるかもしれない。でも子供がこの作品を読めば、大人だとか子供だとか年齢の差だとかそんなものは、結局あまり関係無いんだよ、ってことが分かってもらえるかもしれない。

(20020202)


ドラゴンをさがせ E.L.カニグズバーグ 作/小島 希里 訳

高級住宅地に住む探偵オタクの小学生アンディーと主婦のエディーは、シブイ探偵とその助手となるため訓練を続けているが、やがてホンモノの事件に巻き込まれてしまう。小学生と主婦の探偵コンビだなんて、中学時代に愛読した赤川次郎を思い出してしまったよ。しかしこのふたりの会話がなかなか面白い。エディーの話し方に特徴があるらしく、原語で読んだらもっと面白いのかもしれない。同じく少年時代に探偵を志していた者としては、悪漢に米の袋なんか投げつけちゃいけないというアンディーの美学は良く分かる(笑)。

最後の方でドラゴンとは「謎」のことだとあるが、ちょっと分かりにくいので、「冒険、冒険心」とでも言い換えた方が個人的にはしっくりくるかな。ノーブルな高級住宅地フォックスメドウには冒険はない。冒険を求めていたエディーは、ドラゴンの絵に潜む満たされない冒険心に気付き、アンディーに連絡する。

ある意味アンディーは最初からエディーの掌の上で躍らされていたわけで、どうして異常にプライドの高い彼が、エディーから子供扱いされて怒らないどころか丸くなってしまうのかというところがちょっと分かりにくい。そこで自分なりに次のように解釈してみた。

アンディーは同年代の子供たちとは遊ばない、それどころかどこか友達を見下したようなところすらある、子供らしくない子供だった。彼のドラゴン(冒険心)は内側の世界に向かい、くだらない不毛な探偵修行に熱を上げさせたりしていた。しかし厭人的でネガティブなアンディーの心は、エディーやゲットーの人々との出会いや事件を通して、外側に向けて開いていく。彼の関心は、人との交流や外の世界へと移ってゆくのだ。たとえば教会でエディーを見つけて手を振る場面などは、いかにも子供じみていて、それまでのアンディーらしくないが、彼の心の変化をよく表している。彼のドラゴンは内側から外側へと向けて羽ばたいていったというわけだ。

まあこれは、あくまでぼくの解釈なので、実は作者の意図とはまるっきり違ってしまっているのかもしれないけど。しかし秘密を胸に大人になると説いたクローディアの秘密と、ドラゴンを胸に成長することを描いた本書には、カニグズバーグ節とでも言うんだろうか、やっぱりかなり共通点があると思った。また、こういった物の見方の背後には、大人と子供をキッチリと分け、子供は不完全なものだから大人が正しく導かねばならないというアメリカ(というか欧米全般)の思想があるような気がする。

ちなみに原題は "Dragon in the ghetto" 。アンディー達の暮す高級住宅地と、ブラザー、シスターが暮す猥雑としたゲットーとの対比もテーマの一つで、通りに人がいることや網戸など、さり気ないものを使って見事に描写している。っていうかアメリカの高級住宅地では人は歩かないんですね。そのことにビックリ。

(20040425)


ドン・キホーテ セルバンテス 作/牛島 信明 編訳

あまりに有名なために、読んでないのに良く知ってるような積もりになっている古典がいっぱいある。ぼくにとって本書はその筆頭だったが、今回読み終えて、長く読まれ続けてきた古典はやっぱり面白いものだと感嘆した。この岩波少年文庫版は抄訳で(原作は6倍の分量が有る)、割愛されたエピソードもかなりあるらしいが、長大な古典を読みやすい形でまとめるというのは重要な仕事だと思う。訳の文体は、「〜でござる」「〜でがす」といったまわりくどい喋り方も含め、この時代がかった作品を雰囲気をうまく表現できている。訳者による解説も丁寧。

物語開始早々に有名な風車のエピソードが出てくるので、いきなりクライマックスか?と思ってしまったが、その後も面白いエピソードがどんどん続いていくので、楽しくサクサクと読み進んでいくことが出来る。訳者の力もあるのだろうが、これが本当に400年も前の書物なのだろうかと疑問に思うくらい、古臭さは微塵も感じられない。これは本書に限ったことではなく、古典を読む時にしばしば感じるのだが、週間連載の少年漫画でも読んでいるような感覚に近いかな。教科書に載るような歴史的な文学作品って何となく敷居が高いけれど、実際に読んでみると気楽な娯楽大作だったということが良くある。それにしても多くの騎士道物語は忘れ去られていったというのに、騎士道物語のパロディーである本書だけが力強く生き残ったという事実が面白い。

最初の内は、ドン・キホーテのあまりの狂い振りに、何だかなぁ…などと思っていたのだが、読み進むにつれ段々愛着が湧いてきて、ライオンと対決するあたりになると、もう愛しいとさえ思えるほどになってきた(笑)。この訳ではペダンチックな台詞などをかなり割愛したそうだが、狂気の狭間に博識を覗かせるキャラクターがぼく好み。

また従者のサンチョ・パンサも従順で愚かながらも結構小賢しかったり、領主になったときは見事な采配を振るったり、実に愛すべきキャラクターなんだ。領主としてのエピソードがかなり割愛されてしまったような痕跡があるのだけど、もうちょっとサンチョの活躍を読みたかったかな。

ホセ・セグレーリュスによる挿絵が格調高く、歴史のある作品に相応しい雰囲気を醸し出している。カラーで見られないのが残念。

(20030105)


とんでもない月曜日 ジョーン・エイキン 作/猪熊 葉子 訳

アーミテイジ一家におこる不思議な出来事や幽霊話など、ユーモラスで楽しい短編が8つ収められている。最初はイギリスの平凡な家庭に舞い込むちょっと不思議な出来事くらいに思って読んでいたが、舞台そのものが魔法の世界であることに気付いたのは、かなり読み進んでからだった。でも身近にさりげなく魔法の町があるというような感覚は、いかにもイギリスのファンタジーらしいね。

全体にユーモラスで可笑しな話ばかりで、特に「ロケットで届けられたパイ」など、漫画を読むような感覚だ。というかこれが出版された当時の子供たちは、今の子供が漫画を読むような感覚で読んだんだろうな。成仏できない家庭教師の幽霊の話だとか、仲間を貶めるつもりで「全ての魔女はフクロウになれ!」と言ったら自分までフクロウになっちゃった魔女の話とか、どこかで読んだことがあるような話も多いが、語り口の軽妙さで楽しく読み進められる。

気に入ったのは「幽霊のお茶の会」という話。突然、「実は幽霊と同居してました」と判明する、いい加減な設定は好きだし、目に見えない幽霊を観光に案内するというアイデアも良い。「ハムレット」「クリスマスキャロル」など、イギリス文学に出てくる亡霊には独特の佇まいがあるもんだが、この作品に登場する幽霊は、ちっとも怖くないな。

(20021201)



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by ようすけ