岩波少年文庫全作品読破に挑戦! 「さ」行の作品



最後のひと葉 オー・ヘンリー 作/金原 瑞人 訳

オー・ヘンリーによる14の短編が収められている。「最後の一葉」「賢者の贈り物」が泣けるいい話として有名なので、そういう作品ばかりなのかなと思っていたが、決して心温まる話ばかりというわけではなく、バッド・エンドやブラック・ジョークみたいなものもある。しかしどの作品も意外な結末へと連れて行かれるというところは共通しており、さすが短編の名手といわれるだけのことはある。「最後の一葉」「賢者の贈り物」の2編以外は初めて読んだが、どこかで見たことがあるようなストーリーばかりだ。要するに、小説、漫画、ドラマ等でパクられまくっているのだろう。

アイデアだけでなく、テンポの良い軽妙な語り口も本書の魅力である。「よみがえった良心」では、一度足を洗った金庫破りが、閉じ込められた子供を救うために、身元がばれる危険を冒して金庫に挑むが、その際の、花を髪に挿して口笛を吹きながら仕事に当たる様子の軽やかなこと。また、映画「スティング」のような切れ味鮮やかな「ジェフ・ピーターズの話」も痛快だ。

それにしても有名な2編の凄さといったら!「賢者の贈り物」の高ぶり。「最後の一葉」の密度の濃さ。ラストへ至る展開は分かっているのに、あるいは分かっている故か、ついつい目頭が熱くなってきて、悔しいというか何というか。スピード感が凄く、どうしても持っていかれてしまう。やはりこの2編は名作ですね。

こういう物語作りの手本、あるいは雛形になっているような作品集は、出来るだけ若いうちに読んでおくべきだと思う。子供向けのプレゼントとしては最適の一冊。もちろん大人の読者にとっても楽しい読み物ですよ。

(20081130)


西遊記 〔全3冊〕 呉承恩 作/伊藤 貴麿 訳

本で読んだのは今回が初めてなのだが、いやもうビックリ。とんでもない出鱈目話のオンパレードなのだ。そしてこの出鱈目話が結構面白かったりするんだなぁ。荒唐無稽という言葉がピッタリな、ハチャメチャで楽しい物語だった。

印象深かったのは、孫行者(三蔵と出会ってからは「孫悟空」ではなく「孫行者」と呼ばれるようになる)と戦う妖怪達が、元々は天上界に住む神(釈迦やら菩薩やら沢山いる)だったり、神に仕える従者や動物だったりするところ。 逆に神の中にも意地悪なやつや俗物っぽい奴が多くいる。西洋のように「神vs悪魔」というシンプルな二元論ではなく、神妖入り乱れた混沌とした世界を形成しているところは、非常に東洋的であると感じた。

「経を取りに行く過程でたまたま妖怪に出会ってしまった」のではなく、「尊い経を取る為には敢えて厳しい苦難に耐えなければならないので妖怪が遣わされた」と解釈できるところなども興味深い。孫行者もそれを承知しているからこそ、三蔵を筋斗雲に乗せて飛んでいけば天竺までアッという間に辿り着けるにも拘わらず、わざわざ苦労してテクテク歩いて行くのだ。

三蔵一行が困った時には、孫行者が気軽に天上界の神々に助けを請いに行くし、三蔵の難と知ると、すぐに様々な神様が助けに来る。三蔵は過保護すぎるんじゃないかと思うくらいに手厚く保護されている。多くの妖怪の正体が、元は天上界の者だという事を考え合わせると、結局全ては「釈迦の掌の上」ということか。

気になったのは、三蔵がやたら弱虫で情けないところ。孫行者の進言にも耳を貸さず、失敗ばかりしている。お人好しだが、ちょっと愚かで、経を取りに行くのを任命されるような徳の高い偉い僧侶にはとても見えない。これは、当時の中国では、その人自身の能力や徳の高さより「生まれ」が重視されており、だからこそ(生まれの良い)三蔵を経を取るに相応しい者にする為に、みんなでよってたかって試練を与えたのだろうと解釈した。

後に、その様な生まれを重視する風土から起こる悪弊を断ち切る為に、科挙のような実力主義的な制度が発達したのだろうかと深読みしてみたりなんかしたが、どうなんだろ?

ちなみに日本のテレビや漫画の西遊記では、沙和尚(沙悟浄)が河童の化け物として描かれているが、本書では単に川に住む醜悪な妖怪としか書かれていない。河童は日本流のアレンジらしい。でもこれは上手いよね。

西遊記に関しては、何となく良く知っているような積もりになっていたが(夏目雅子のアレのせいだろう)、やはり原作に接しないと本当の所は分からない物だと痛感した。

(20011008)


三国志 〔全3冊〕 羅 貫中 作/小川 環樹,武部 利男 編訳

三国志はこれが3度目の挑戦にして初の読了なのだった。 最初は中学校の頃に吉川英治版を3分1くらいまで読んだのだが、登場人物が多い上に筋が入り組んでいるため、試験か何かで2週間ほど間を空けたら、何が何だか分からなくなって諦めてしまった。2回目は高校の頃、横山光輝の漫画版に挑戦したが、やはり3分の1くらいで挫折してしまった。面白くて夢中になったのに、最後まで読み通せなかったのは、物語の長さと複雑さ故だろうか。というわけで、今回は以前の反省を踏まえて一気に3冊を読み切ったが、この面白さは比類が無い。2度も頓挫したぼくが言うのは説得力が無いけど、社会に出るまでに読んでおきたい作品の一つだ。

この岩波少年文庫版は、羅貫中の「三国志通俗演義」を書き改めたものだが、大筋に関係無いエピソードや人物を省いただけで、その他は原書に忠実な逐語訳であり、分量も原書の2分の1強ということで、少年向けとは言えかなりの重量感がある。 この3冊を読み通せば、一応「三国志」の世界を把握できたと言っても差し支えないのではないかと思う。

上巻は、劉備、関羽、張飛の3人の桃園の誓いから始まり、呂布、袁紹の没落を経て、劉備が三顧の礼で諸葛亮孔明を軍師として招くところまで。中巻は、前半が孔明(劉備軍)、周癒(孫権軍)が手を組み曹操軍を破る「赤壁の戦い」。 後半は、劉備が蜀の劉璋を倒し、自ら蜀の国王となるところまで。下巻は、関羽、曹操、張飛、劉備と初期の主要な登場人物が次々に死に、孔明、姜維(以上、蜀)、曹丕、曹叡、司馬懿(以上、魏)、孫権、孫亮、陸遜(以上、呉)、へと代替わりして行く。やがて蜀、呉が滅び、魏の司馬炎が晋の皇帝となって、この壮大な物語は幕を閉じる。

上巻は、展開が急で、しばしば数ページ前に戻って読み直さなければならなかったが、細かいところまで濃厚なドラマが詰まっており、とても読み応えがあった。そして中巻で、各参謀が智謀を巡らして戦うあたりから抜群に面白くなってくるわけだが、昔のぼくは本格的に面白くなるあたりで本を置いてしまったのが悔やまれるな。下巻では、冒頭から主要な登場人物が次々に死んでいき、代が変わり、大きな歴史のうねりを感じる。しかし孔明と南蛮王猛獲とのやり取りや、城攻めの際のユニークな道具、果てはカラクリ仕掛けの牛馬まで飛び出して、まるでマンガのようで現実感が欠けてくる。 中巻の終わりから下巻にかけて、オカルト的な雰囲気も濃厚になるが、歴史物と思って読んでいたので、正直、あれれ?という感じがしてしまった。上中下巻と、それぞれ別の物語かというくらいガラリと印象が異なる。

昔読んだ時と違う印象を受けたのは曹操だ。ここでは悪役として描かれているが、大きな魅力を感じた。彼を主人公にした物語の作り方も面白いんじゃないかな。それ以外の登場人物も、個性豊かで印象に残る者がたくさんいるのだが、戦国時代に覇を唱えるような人物は、やはり皆それぞれに求心力と言うか独特の魅力を持っているんだな。

権謀術数渦巻く世界で、時と場合によっては敵と手を組んだり応援を頼んだりもするし、敵の大将が忠実な配下になるかと思えば、忠臣が裏切ったりもする。それこそが三国志の醍醐味であり複雑なところでもあるのだが、政治や経済界の動きや、会社内での人間関係になぞらえてみたら、スッキリと理解できるようになってしまうのが面白い。 同じようなことが現代の社会でも毎日のように繰り返されているし、自分の身の回りでも起こり得るわけで。ビジネス書でやたらと三国志を引合に出す人がよくいるが、なるほど肯けるなあ。

いつも書いてしつこいが、巻頭にある地図は大雑把であまり役に立たないので、もっと丁寧な地図が欲しい。上巻は国の興亡や登場人物の移動が激しいし、中巻以降の合戦の描写でも、耳慣れない地名で説明されても位置関係がさっぱり分からない。章ごとに詳細な地図をつけたり、もうちょっと工夫してくれると嬉しいのだけど。

巻頭の登場人物紹介も不完全な上に不親切。上中下巻で登場人物がごっそり入れ替わるにもかかわらず、三冊とも同じ紹介文を使い回しているし、これを読むと後の展開が分かってしまう。本書で初めて三国志の世界に触れる人も多いはずだが、巻頭の人物紹介で「後に〜に寝返る」などとネタバラシされていては、読む楽しみも半減しやしないか? いくら有名な物語とはいえ、その辺の配慮は必要でしょう。更に欲を言えば、巻末に簡単な年表をつけて、それまでの動きをまとめてくれると助かるのだけど、流石にそこまでは要求し過ぎかな(笑)。

蛇足ながら昔話をすこし。 中学校の頃、PC-8801というパソコンが家にあった。グラフィックとサウンドに問題がある機種で、まともに楽しめる唯一のゲームが「三国志」というシミュレーションゲームだった。そもそも吉川英治版を読もうと思ったのも、切っ掛けはこのゲームだ。今でも武将の名前は、我ながら驚くほど良く覚えていて、本書を読み進む際にとても役立った。

(20030629)


三銃士 上下 アレクサンドル・デュマ 作/生島 遼一 訳

本作は、長大な「ダルタニャン物語」のうち、ごく初期の冒険を抄訳したものだ。1844〜1850年の作。ぼくは小学6年の頃、講談社文庫の「ダルタニャン物語」にチャレンジしたが、小学生にとってはあまりに長大で、結局1巻の「友を選ばば三銃士」しか読まなかったな。昔NHKで「アニメ三銃士」というのも放映していて、これもお気に入りだった。なんだかんだと馴染みの有る物語ではある。

上巻は、ガスコーニュの田舎からパリに出てきたダルタニャンが、三銃士(アトス、ポルトス、アラミス)や王妃付きの侍女ボナシゥ夫人(コンスタンス)と出会い、フランス王妃が恋仲のイギリスのバッキンガム公に贈った首飾りを取り戻す密命を帯びてイギリスに渡り、使命を果たして帰還するまでを描く。

下巻は、フランスとイギリスが激突したラ・ロシェルの戦いを背景に、ダルタニャンと三銃士の活躍、妖女ミレディーの暗躍と彼女によるボナシゥ夫人の毒殺、そしてミレディの処刑と、一連の事件の功によりダルタニャンが銃士副隊長に昇進するまでを描く。

ダルタニャン始め、登場する人物は多くが実在する。また実際に起こった事件を上手く脚色して小説化しているわけだが、感情的で恋多き者ばかりなところなど、いかにもフランス文学的な肌触りになっている。ダルタニャンが恋する相手が人妻だったり、史実ではプロテスタントとカトリックの対決であったラ・ロシェルの戦いが、お互い王妃に恋心を抱く枢機卿とバッキンガム公の対決という風に描かれていたり、要所要所で艶っぽい話がでてくるのは、まあとにかくフランスだなあと。

本作の影の主人公はミレディーで、読みようによっては、彼女の登場で始まり、死で終わる物語だとも言えなくもない。ことに幽閉された城から脱出する場面など、長沢節による挿絵が美麗なこともあって印象的。ミレディーの、優しさなど微塵も見せぬ稀代の悪女振りも読み物だ。

(20071118)


山椒魚 しびれ池のカモ 井伏 鱒二 作

中編「しびれ池のカモ」と、短編「おコマさん」「山椒魚」「屋根の上のサワン」の合計4編が収められている。それぞれの作品で筆致がかなり異なっており、寄せ集めの感はあるが、どれも面白い物語だ。

ドリトル先生シリーズをこよなく愛するぼくとしては、なんといっても「しびれ池のカモ」の、平易かつ飄々とした語り口にワクワクさせられてしまう。登場人物たちもそれぞれに魅力的で、賢明で優しい剥製作り名人、陽気で子供のようなサーカス団長、カモ語を操る老人(!)等々、そこかしこにドリトル先生の影を感じてしまうのはぼくだけではないだろう。名人が作った剥製のカモを池に浮かべて、カモたちのリーダーに仕立てるというストーリーがユニークなのもさることながら、主人公の少年と大人たちとのやりとりがそこはかとなく面白い。

甲州の悪徳バス会社で働くバスガールを主人公にした「オコマさん」も何とも言えない複雑な味わいがあり面白い作品だし、国語の教科書でおなじみの「山椒魚」、傷ついた雁を助ける「屋根の上のサワン」も印象的。どの作品も、直接的な表現をしない言外に滲む情感がとても豊かで素晴らしい。

巻末の解説で、中川李枝子氏が「オコマさん」に向けて「世の中は善良な人によって成り立っているのですから」という言葉を寄せていた。何気ない一言だが、ちょっといいな、と思った。

(20100919)


ジーキル博士とハイド氏 スティーヴンスン 作/海保 真夫 訳

小学校4年の時だったかな、この作品を読んだときの衝撃は今でもよく覚えている。あかね書房の少年向け推理小説全集に、このジーキル博士とハイド氏も入っていたのだった。今でこそジキルとハイドといえば二重人格の代名詞となっており、読んだことが無い人でも大抵ネタは知ってるわけだが、まっさらな状態で読んで、ビックリすることが出来た自分はとても幸せだった。

で、この岩波少年文庫版なわけだが、実にけしからん! 背表紙のストーリー紹介で、思いっきりネタ晴らししちゃってるじゃん。大人相手ならばそういう紹介の仕方でも良いのかも知れないが、まっさらな状態の子供に対して最初からネタ晴らしして、オドロキを奪ってしまうようなことをしていいのかなあ。子供に対して新鮮な驚きや発見を提供するということは、少年向けの文庫の重要な役目なんじゃないかなあ。ちょっと無神経でガッカリですねえ。

改めて再読して気付かされるのは、本書はあくまでミステリーとしての体裁をそなえているということだ。ホラーとしても大変優れていて、全編に漲る緊張感がすごいし、霧深いロンドンの陰鬱な街並みの描写も素晴らしい。ネタを知った上で読んでも面白い物語であるのは間違いないが、巧みに最後まで謎を明かさないような構成がとられているのだから、やっぱりネタバレはいけません。

ジーキル博士は、苦しみの中で自ら善への道を選択し、ハイド氏と決別する決意をする。ところがそれにもかかわらずハイド氏に支配されるという結末が含蓄深い。

背表紙のストーリー紹介があまりにヒドイので、かわりにぼくが同じ字数で書き直してみました。なかなか難しいもんですな。

(原文)
人々から信頼されている医師ジーキル博士は、暗い欲望にとらえられ、自ら発明した秘薬によって別の人物に変身する。が、くり返し変身を試みるうちに恐ろしい破局が……。人間の善と悪をみごとに描き、二重人格の代名詞にもなった古典。

(ようすけによる修正Ver.)
人々から信頼されている医師ジーキル博士が、なぜ悪党のハイド氏をまもるのか、親友のアタスン弁護士は理解できないでいた。やがてハイド氏による殺人事件が起こる。その裏に隠されたおそるべき秘密とは…。人間の心の闇をえぐる古典。

(20080413)


ジェーン・アダムスの生涯 ジャッドソン 作/村岡 花子 訳

19世紀末から20世紀初めにかけて活動したアメリカの女性社会運動家の伝記。ジェーンは、シカゴで「ハル・ハウス」という貧しい人々のための社会福祉施設を作り、1931年にはノーベル平和賞も受賞している。ぼくは本書を読むまでは名前を聞いたこともなかったが、本国アメリカでは国民の尊敬を集める非常に有名な人ということだ。

裕福な家庭に生まれながら、キリスト教徒として慈愛の心をもって貧しい人々に救いの手を伸ばし、最初は看護婦を志し、やがては社会運動家として手腕を発揮するなど、かなりナイチンゲールと重なる部分がある(もっともジェーン・アダムスは病気のため看護婦にはなれなかったが)。女性の社会進出がまだ少なかった時代の、女子の理想像のひとつだったのだろう。

ジェーンが「ハル・ハウス」をつくる直接のきっかけになったのは、ヨーロッパ旅行の際に、ロンドンの貧民窟を見たことなのだが、当時、金持ちが貧民窟を見物するという悪趣味なツアーが行われていたことが驚きだ。また急成長と遂げたアメリカ社会の影の部分も分かりやすく描かれており、色々と興味深い。

ジェーンと友人たちは、スラムの中心に設立した「ハル・ハウス」に自ら住み込み、最初は託児所としてスタートする。「貧困を撃滅する」などという大それた建前ではなく、隣の困っている人に手を差し伸べるという、身近なことから地道に活動を広げていくのは、とても素敵なことだと思う。また、反対を受けながらも美術館を併設し、貧しい人々も一流の絵画を見られることにこだわったというエピソードは、ジェーンが心の貧困をも重視していたことがよくわかる。

原書が1951年、岩波少年文庫では1953年に出版された古い伝記ではあるが、貧困は解決されるどころか、現代の日本においては拡大しつつある深刻な問題であるところが恐ろしい。単に一個人の伝記という事を超えて、今もって読まれるべき本であると言える。

(20110522)


シェイクスピア物語 ラム 作/野上 弥生子 訳

本書はシェイクスピアの有名な戯曲13編を、要点だけかいつまんで1冊にまとめたもの。チャールズ・ラム、メアリ・ラムの姉弟が1807年に著したものを、この岩波版では更に平易に改めたということだが、シェイクスピアの著作集を大雑把に俯瞰するには、手軽で最適な書ではないかと思う。

四大悲劇と「ロミオとジュリエット」「ヴェニスの商人」以外は初めて読んだが、魔法や妖精が活躍する素朴で牧歌的なストーリーが多い。「十二日節の宵祭り(十二夜)」は完訳版を読んでもいいかなと思った。女が男に化けるというモチーフもこのころからありふれたものだったんだな。完訳版を読んだことがある作品については、やはりスカスカ感が否めなかったが、初読の作品は結構面白かった。あと「リア王」「マクベス」を読んでいる間は、黒沢映画の映像がまぶたに浮かびっぱなしだった。

備忘に書いておくが、シェイクスピアで「悲劇」というのは最後に主人公が死ぬもの、「喜劇」は最後に結婚したり誤解が解けたりするもの。喜劇といっても、ラスト以外はやたらと災難にあいまくるシリアスな作品が多い。

ところで、ぼくは大学は英文科を出たのだけど、入学しても間もない頃の講義(「イギリス文学概論」とかそんなやつ)で、教授に「ハムレットを読んだことがある人は?」と問いかけられ、200人くらいの中で挙手したのはぼくも含めて数えるほど。たいした学校じゃなかったこともあるだろうが、ぼくはてっきり英文科というのは英文学が大好きな本の虫が集まるところだと勘違いしていたので意外だった。

きょうび英文科の学生もほとんど読んでないようだし、シェイクスピアといっても時代遅れなのかもしれないけれど、欧米の文学を読む際に、素養として知っておいた方が良い知識というのがあって、キリスト教(聖書)、欧州の近代史(特にナポレオンは重要)、それからギリシア・ローマ神話に次いでシェイクスピアという感じかな。欧米の文学、映画、音楽などでは、様々な作品でシェイクスピアに関して言及されていたり、引用やパロディー的な表現があったりするので、本書のようなダイジェストで大まかな知識を持っておくのは悪くないと思う。独特の語り口があるので、「ハムレット」くらいはしっかりしたのを読んでおいたほうが良いのだろうけど。

大学時代、おもしろ半分にとってみたシェイクスピアの講義はムチャクチャ難解だったなあ。原典見せられても、綴りも文法も今と全然違うんだもん。暗号かと思ったよ。2回くらい出席したけど、こりゃアカンわとすぐ諦めた(笑)。外国人に源氏物語みせてもちんぷんかんぷんだろうのと同じですな。

(20070105)


シャーロック・ホウムズ まだらのひも コナン・ドイル 作/林 克己 訳
(旧題 シャーロック・ホウムズの冒険)

まず気になるのは「ホームズ」じゃなくて「ホウムズ」とある点か(笑)。ちなみにこの文庫では、「ワトソン」も「ウォトスン」になっている。ホームズ、ワトソンの方が馴染み深くて好きだなあ。

思い起こせば、ぼくも多くのミステリーファンと同じく、小学校の3〜4年生の頃に、ホームズ物を読んだのがきっかけで推理小説にはまってしまったのだった。当時は友達と競争するように、推理小説のジュブナイル物(「少年探偵ブラウン」とか「マガーク探偵団」とか色々あったなぁ)を熱心に読み込んだもんだ。その後はポプラ社の乱歩やらルパンなどを経て、クリスティ、クイーンと読み進んでいったのだった。

この短編集には、「赤毛連盟」「口のまがった男」「青い紅玉」「まだらのひも」「技師の親指」「名馬シルバー・ブレイズ」の7編が納められている。とりあえずホームズ物初期の名作を揃えましたという感じだ。しかし、なぜか「シルバー・ブレイズ」だけは「回想」から採られている。この短編集は、2001年の新装に際して、「シャーロック・ホウムズの冒険」から「シャーロック・ホウムズ まだらのひも」と改題されたが、収録作品が「冒険」とは異なるので、マニアックなファンからクレームが付いたのかもしれない。個人的に割と気に入っている「ぶなの木立ち」が割愛されているのがちょっと残念。 まぁ人によってベストな作品は異なるからね。

収められている作品群については、勿論申し分ない。手元の創元文庫版(阿部知二訳)と読み比べてみたが、少年モノにありがちな抄訳ではなく、キッチリとした完訳だった。巻頭にロンドン地図が載っているのも有り難い(実はこの地図は中途半端だと思っていたら、巻末で訳者が、自分でちゃんとした地図を調べなさいと書いていた。骨惜しみはするなということか。参ったなぁ)。

今回この文章を書くにあたって、改めてキチンと読み返してみたが、やはり面白かった。有名な作品についてはネタもしっかりと記憶しているので、ホームズ物の面白さが、単に謎解きだけに依存しているのではないということが良く分かる。以前読んだ時は気付かなかったが、少年向けの読みやすい文章だったせいか、作品によっては案外ユーモラスな味があるのが分かったのは収穫だった(「青い紅玉」とか)。

(20010815)


シャーロック・ホウムズ 最後の事件 コナン・ドイル 作/林 克己 訳
(旧題 シャーロック・ホウムズの回想)

ここに収められているのは「グロリア・スコット号」「マスグレイヴ家の式詞」「せむし男」「海軍条約事件」「最後の事件」の5編。上の「まだらのひも」の所感で、シルバー・ブレイズだけが「回想」から採られている事に言及しているが、本書の解説に、もともとホームズ物の続きを出版する予定が無かった為に、敢えてそうしたという経緯が書かれている。なるほど、合点がいった。

昔読んだ時は、華々しい事件が連続する「冒険」と比べると、やや地味な印象が否めないので、イマイチ面白くないように感じていたが、改めて読んでみるとなかなか良い。子供の頃は、ショッキングな殺人や派手なトリックにばかりに関心がいっていたが、年をとるに従って、作品の持つ雰囲気や世界そのものを楽しむようになったり、当時の歴史や風俗、情景などが鮮やかに描写されているような作品が好きになってきたということもある。

「グロリア・スコット号」「マスグレイヴ家の式詞」は、ホームズがワトソンと出会う前に手がけた最初期の事件なのだが、ホームズがワトソンに向かって語り掛けた昔話を、更にワトソンがぼくらに向かって語り掛けるという、よく考えてみたら回りくどい変な構成となっている。違和感が無いのは、ホームズが実在の人物かのような現実感があるからだろうな。

ホームズが失踪する「最後の事件」は言うまでも無く、全体に後味の悪い陰気なエピソードが多い。ドイルも少々疲れていたような気配も感じるが、物語のヴァリエーションが豊富なところは流石だ。

(20030209)


シャーロック・ホウムズ 空き家の冒険 コナン・ドイル 作/林 克己 訳
(旧題 シャーロック・ホウムズ 帰る)

ホームズ物はどれも好きなんだけど、とりわけ「復活」には強い思い入れがある。小学生の頃、親戚の叔父さんと本屋に行ってハヤカワミステリ文庫版を買ってもらったのだが、たぶんあれがぼくにとって初めての文庫本だったんじゃなかったかな。当時のぼくには晦渋だったが、ちょっぴり大人になったような気分で、何度も読み返した記憶がある。

ここに収められているのは「空き家の冒険」「ノーウッドの建築業者」「六つのナポレオン像」「三人の学生」「金ぶちの鼻めがね」の5編。個人的なお気に入りの「孤独な自転車乗り」が割愛されているのがちょっと残念だが、まあこれは仕方ない。

小学校の頃、これは傑作だと思った「ノーウッドの建築業者」が、やはり良く出来ていると思った。また「金ぶちの鼻めがね」の、陰鬱とした雰囲気や当時の歴史背景を窺わせるストーリーもなかなか。少々意外なのは「六つのナポレオン像」で、鮮やかに謎を解いて喝采されたホームズが、照れて頬を赤らめるところ。クールな印象が強いキャラクターだし、こういう人間味を感じさせてくれるような場面は、今まであまり無かったような気がする。

解説で、シャーロッキアンの世界に触れてくれているのも嬉しい。収録されている作品の矛盾点がこまごまと羅列されているのは、ちょっとどうかとも思うが、ぼく自身も、小林司・東山あかねが子供向けにシャーロッキアンを紹介した書籍がきっかけで、評論や作品世界を深く味わうことの面白さを知ったのだった。

(20030815)


シャーロック・ホウムズ バスカーヴィル家の犬 コナン・ドイル 作/林 克己 訳

子供の頃はカーや横溝正史のような怪奇趣味の推理小説が好きだったので、当然本作はホームズ物の中でもお気に入りのひとつだったが、読み返してみるとおどろおどろしい雰囲気はそれほど感じられなかった。ぼくの記憶ではとにかく魔犬の印象が強かったのに、犬なんて最後の方でちょびっと出てくるだけだ。子供時代の記憶なんていい加減なもんですなあ。

犬や伝説云々も良いが、荒涼としたダートムアの厳しい自然の描写が素晴らしい。落ち葉の舞う中、ヘンリー卿とワトソンの乗る馬車がバスカーヴィル家に到着するシーンからしてもうムード満点。本を読んでいるだけで、荒野を渡る冷たい空気が頬を掠めそうだ。荒地での夜の捕物が多いところも印象的。大昔に読んだときは、この情景描写が退屈だったと記憶しているのだが、今ではそれが逆に大きな魅力と感じる。特に名作とされているような作品については、子供の頃の印象だけで判断するのはいけないなとつくづく思った。

登場人物が少ないこともあってかなり早い段階で犯人の予想がついてしまうものの、素晴らしい自然描写はもちろんのこと、ワトソンの手紙や日記を使った凝った構成や、最後の最後まで魔犬を見せずに引っ張る演出で、おしまいまで全く飽きさせない。

個人的に、ホームズの長編では「緋色の研究」が一番好きなので、これも岩波少年文庫に入ってくれたら嬉しいんだけどなあ。

(20040321)


シュトッフェルの飛行船 エーリカ・マン 作/若松 宣子 訳

1932年ドイツの作品。作者はトーマス・マンの娘だそうな。トーマス・マンの「魔の山」は学生時代に読んだが、重厚でありながら読みやすく、当時色々読み漁った歴史的な文学作品のなかでもかなり面白い作品だった。娘による本作も、児童文学史に残る傑作だと思う。

10歳のシュトッフェル少年は、ボート漕ぎをして家計を助けているが、両親の仕事が上手く行っていないことを知り、飛行船に乗ってアメリカの伯父さんに助けを求めに行くことを思いついた。両親には行き先を告げず、小さなボートで湖を渡り、航空郵便の袋に潜り込み密航に成功する。しばらく貨物室に隠れていたが、嵐でワイヤーが挟まった昇降舵を船外に出て直したことがきっかけで乗組員として認められ、コックとして働くことになった。やがてアメリカに到着すると、電報でシュトッフェルの活躍を知った人々の間では大変なさわぎに…。

全体に高揚感があり、ちりばめられたユーモアも楽しい。1932年といえばドイツにとっては厳しい時代だったのだろうが、同時代のケストナーにも共通するような底抜けに明るい雰囲気がする。シュトッフェルが隣家の少女アギーに向けて「シュトーライ」という電報を送るくだりは感動的だし、ニューヨークで新聞売りをしているジャッキー少年との出会いもさわやか。飛行船の船長さんをはじめ、いい人ばかりで実に気持ちのよい作品だ。

禁酒法の時代なので飛行船がアメリカにつく前に最後のワインを飲むエピソードがあったり、当時のニューヨークの目を見張るような煌びやかな描写も興味深い。また巻末に天沼春樹氏の「もうひとつの飛行船ものがたり」という一文が添えられており、図版付きで飛行船の歴史や構造などについて詳しく解説されている。これも短いながら読み物として面白かった。

(20110327)


ジュンとひみつの友だち 佐藤 さとる 作/村上 勉 画

傑作です。 以上! …って、これだけで終わっちゃうのもあれなんで、もうちょっと書くけど、とにかく好きな作品だ。まず書き出しが良い。 機械いじり好きのミサオねえちゃんが登場し、さあどんな物語が展開するんだ?と期待が膨らむが、これは単なる序章に過ぎず、一転してジュンの物語が始まる。続くジュンの幼年期のエピソードや詳細な町並みの描写が巧みで、一気に物語の世界へと引き込まれてゆく。

遠くに見える鉄塔というのも良い。子どもにとって、こういうシンボリックな建造物は、特別な存在になることがある。 かく言うぼくも、小学校低学年の頃、真夜中に、家の2階の窓から、遠くに見えるネオンの点いた塔を何時間も飽きること無く眺めていたのを思い出した。すっかり忘れていた記憶を呼び覚まされたこともあって、この物語には他人事ではないような親近感を感じる。

また、小屋を作るという楽しさ(秘密基地!)、ひとりで隣り町へ行くという冒険、間近に見る巨大な鉄塔などなど、あらゆる物がツボにはまってしまった。古き良き昭和の雰囲気が漂っているのも、今となっては懐かしくも切ない。川村さんとミサオねえちゃんの、ちょっとはにかんだ感じのやりとりも良いなあ。

どっぷりと作品世界に浸かった後の、作者あとがきが、これまた気が利いている。唐突に魔鏡についてのエピソードが始まり、一瞬ビックリしてしまったが、この作品はぼくの遠い記憶を鮮やかに照らし出す、まさに魔鏡であったわけだ。

佐藤さとるは小学3〜4年の頃に夢中になった作家だったので、作品を読むのは20年ぶりくらいになるか。当時、これほどしっかりした作家の作品を読んでいたことが分かって感激した。他のも読み返してみよう。村上勉の独特の絵も、なんとも懐かしい香りがして良い。

(20030713)


小公子 バーネット 作/吉田 甲子太郎 訳

とても有名な作品だが、少年時代にはどうも食指が伸びず、とうとうこの年まで読まずに来てしまった作品のひとつである。どうして食指が伸びなかったかというと、生まれが高貴だの貴族がどうのこうのといった話は、女の読むものだと思っていたから。まあ単なる子供の偏見なので、これ読んで怒った女性がおられたら申し訳ないけど、でもお姫さまに憧れる女の子はいるかもしれないけど、王子さまに憧れる男の子なんていないと思う。やっぱりこういうのは女の子の世界のような気がするな。

しかし流石に名作として長い間読み継がれて来た作品というのは面白いもんだ。もしも少年時代に読んでいたなら、自分をセドリックに重ね合わせたのだろうが、知らず知らずのうちに老伯爵の方に身を入れてしまっていることに気付いて驚かされた。セドリックがあまりに良い子過ぎて何処かリアリティーを失っている一方で、老伯爵の心理描写が非常に丹念だということもあるのだろうが、とにかく老伯爵の独白が生々しく、冷酷な老伯爵の心に芽生えた愛情が、却って新たな嫉妬心や憎しみを生むところまでもリアルに描いている。

これが書かれた当時のアメリカとイギリスの関係や、貴族の生活なども窺われて面白い。これを読むと、アメリカ人もイギリス人もお互いを蔑んでいるのが良く分かる(笑)。こういう微妙な感情を子供の頃に物語の形で知っておけば、後々歴史を勉強する時に面白いんだよね。

表現がくどい上に文体が古めかしいのだが(翻訳のせいもあるが、そもそも原文がそういう調子なんだろう)、少なくともこの作品では、物語の時代背景を含め、古風な文体が却って趣きを添えている。またそういう古風な文章を読むのも、古い名作を読む時の醍醐味のひとつだよね。

(20020909)


少年の魔法のつのぶえ −ドイツのわらべうた−
ブレンターノ、アルニム 編/矢川澄子,池田香代子 訳

副題の通り、ドイツの民謡集である。 表題作の「少年の魔法のつのぶえ」が、タイトル共々ファンタジックな内容なので、てっきりワグナーの楽劇的な詩物語が収められているのかと思っていたが、ほとんどがマザーグース的な素朴な童歌だった。ちなみに編者達はグリム兄弟とも親交があり、原本の中にはグリム兄弟が収集した民謡も収められているそうだ。

やっぱり童歌というものは、その国の言葉で読んだり聞いたりしないことには、本当の良さは分からないのかもしれないけれど、ここに収められている歌は、生活に密着した身近な題材を扱っているので、昔のドイツの庶民の暮し振りが窺われて興味深い。

マザーグースや日本の「かごめかごめ」などもそうだが、童歌って意味がよく分からなかったり、簡単に人が死ぬような奇妙な詩が多くて実に不思議だ。なぜだか子供ってそういう歌が好きなんだよな。 ぼくも幼い頃は「かごめかごめ」とかを何の疑問も持たずに歌っていた記憶があるが、ここに収録されている歌も、そういう感じで自然に歌い継がれてきたものなのかな。

駒形克哉氏の切り絵によるアートが美しい。どのような技術なのかわからないが、基本的な図柄は左右対称となっているのだが、完全な左右対称ではなく微妙に異なっているところが面白い。左右対称の絵とは不思議なもので、まるで合せ鏡や万華鏡を覗き込んだ時のような幻惑感を感じる。

(20020728)


白いオオカミ ベヒシュタイン童話集 ベヒシュタイン 作/上田 真而子 訳

グリムより少しあとに発表されたドイツの昔話集。こちらも伝承をベースにしているので、グリムとの類似点は多いが、自由に再話されているということで、どの作品もそつなくまとめられており、安心して気軽に楽しめる童話集となっている。

本書に収められている10編は以下の通り。「白いオオカミ」「もてなしのいい子牛のあたま」「ねがい小枝をもった灰かぶり」「魔法をならいたかった男の子」「おふろにはいった王さま」「ウサギ番と王女」「魔法使いのたたかい」「ウサギとキツネ」「七枚の皮」「明月」

印象深かったのは、ゆりかごの中から子牛の頭が話しかけてくるというシチュエーション(と挿絵)がインパクトのある「もてなしのいい子牛のあたま」と、男が月夜の晩に飼い猫に化かされる「明月」の2編。シンデレラのヴァリエーションである「ねがい小枝をもった灰かぶり」も興味深い。

たとえば身近な子供へのプレゼント用としては、「グリム童話集」ではボリュームが大きすぎてとっつきにくいかもしれないので、代わりに本書を贈るというのも良いんじゃないでしょうか。

(20110718)


白い盾の少年騎士 上下 トンケ・ドラフト 作/西村由美 訳

「王への手紙」の続編である。物語の背景や登場人物について知っておくため、あらかじめ前作を読んでおくのは必須。前作は、少年が王に手紙を届けるというシンプルな話であったが、本作は、ストーリーも人間関係も政治的背景も複雑になり、かなり肌触りが違う作品となっている。しかし面白さは前作に勝るとも劣らず、児童向けの冒険ファンタジーとしては本作もまた最高峰のひとつだと言っていい。物語の複雑さゆえ要約するのが困難だが、とにかく書いておかなきゃ忘れてしまうので(トホホ…)、以下にあらすじを記す。ネタバレ御免。

上巻のあらすじ。前作の冒険から半年後、騎士ティウリと盾持ちピアックは、リストリディン騎士の城へ赴くが彼は行方不明になっていた。ティウリは他の騎士たちとともに、リストリディンが最後に立ち寄ったイスラン城へ向かい、そこで美貌のイサドーロ姫に出会い心を乱される。偶然再会した「森のマヌケ」の情報を信じ、他の騎士と別れて森を捜索し、リストリディンが木に刻み残したメッセージを発見するが、みどりの男と赤い騎兵たちに捕えられた。難を逃れたピアックは、森を抜け、石の町から修道院へ行き、近隣のミストリナウト城に助けを求める。応じてやって来たのは城主と男装したラヴィニア姫だった。一方、ティウリとマヌケは森の中にある黒い騎士の城に連行される。ティウリは黒い騎士とチェスの勝負をし、その正体がエヴィラン王であること、そして隣国へ奇襲する計画があることを知る。ティウリたちは前作で命を救ったヤロの手引きで城を脱出することができた。

下巻のあらすじ。城から脱出したティウリたちは、みどりの男たちに捕えられたが、争いを望まぬみどりの男たちは黒い騎士とは対立していた。ティウリは、ミストリナウト城から救援にやってきた城主とラヴィニア姫、ピアックと再会し事情を説明する。再び密命を帯びたティウリとピアックは、秘密の道を抜け隣国ウナーヴェンへと急ぐ。ティウリは見張りを二人殺め、自分も重い矢傷を負ってしまうが、合図の銅鑼を轟かせ、緊急事態を知らせることに成功する。他方、長らくイスラン城に幽閉されていたリストリディン騎士は解放され、騎士仲間と共に戦争準備に入る。やがて全面的な戦争が始まり、奇襲作戦が失敗したエヴィラン王の軍は守勢に回り、野生の森へ追い込まれた。エヴィラン王は皇太子に決闘を申し込む。皇太子は決闘に勝ったが、エヴィラン王の剣の毒に侵され、双方が死亡する。戦争が終わった。騎士たちはそれぞれの居場所へと帰ってゆく。

以上、大雑把に要約したが、ストーリーが複雑になっただけでなく、登場人物たちの心の葛藤なども、より繊細に描写されているため、対象年齢がぐっと上がった感じがする。正義とは何か根本的な問いかけがあったり、美貌の姫を前にしたティウリの揺れる心情や、エヴィラン王とのチェス対決での精神的な駆け引きなども、なかなか読ませるものがある。しかし小難しいことは抜きに、とにかくストーリーの面白いこと! 前作の様々なエピソードが伏線となり、本作で活きてくる構成もニクイ。印象的な場面も多く、エヴィラン王とのチェスの続きを皇太子相手にするところなどメチャクチャ格好いい。いい歳したおっさんであるぼくも、久々に冒険小説を読んで胸がウズウズするようなときめきを感じた。

もうひとつ、言っておきたいのは、巻頭の地図! 前作は基本的に一本道だったので、地図の重要性はそれほど高くなかったが(それでもぼくは何度も見返したが)、本作では登場人物の軌跡や位置関係を確かめるためにたびたび地図を確認することになった。地図がストーリーのネタばらしになっている部分もあるので、そこは善し悪しだが、大いに想像力を刺激され楽しませてもらった。

(20110306)


水滸伝 〔全3巻〕 施 耐庵/松枝 茂夫 編訳

小学校4〜5年生の時以来の再読。当時はかなり熱中したものだが、改めて読むと、登場人物はやたら多いし、振り仮名はあるものの難しい漢字や表現がたくさんあるし、よくこんなの小学生が読めたなあと。まあ子供にとってもそれだけ面白い物語だということで、一度ハマるとぐんぐん読み進められる。正直、内容は哀しいくらい忘れてしまっていたが、林沖という豪傑がお気に入りだったことだけはかろうじて憶えていた。

ストーリーは単純明快。豪傑たちが梁山泊にあつまり、ひたすらチャンチャンバラバラを繰り広げてゆく。つぎつぎに凄い奴が現れては戦ったり仲間になったりするのは、「ドラゴンボール」とか「魁!男塾」とかそんな感じでしょうか。九紋竜史進だの青面獣楊志だの赤髪鬼劉唐だのいかにも怖そうな名前の奴はわらわら出てくるし、やたらと虎が出たり、仙人やら人肉饅頭やら妖術やら、数万の軍勢で官軍と戦争したり、最終的には自らが官軍となり外国や反乱軍と戦うところまでいって、もうハチャメチャの少年漫画ノリだ。

「三国志」「西遊記」などとちがい、よそに引用されるような有名なエピソードみたいなのは特に無いのだが、備忘までに、主要登場人物名と物語の大まかな流れを書いておく。このメモが何かで役立つことがあればいいが…。

上巻は、伏魔殿から108の妖魔が逃げ出す印象的な場面から始まる。武芸師範の王進は、敵対する高キュウ(※人偏に求)が上司になったことから都を逃れ、その道中で史進という青年を鍛えた。のちに史進は山賊の計略により故郷をすてることとなり、師匠の王進を追う。軍官の魯達は、身売りされた娘父を救うため肉屋を殴り殺し、魯智深と名を改め僧になり旅に出る。軍の槍棒師範林沖は、高キュウの計略にかかり罪人として都を追われ、山賊王倫が支配する 梁山泊に逃げ込む。役人の楊志は過って人をあやめるが、軍事司令官の梁中書に気に入られ軍官として重く用いられる。地方の名主、晁蓋は豪傑を好む侠客で、呉用(呉学究)、公孫勝、劉唐、阮氏兄弟を率いて、楊志が運搬する政府の財宝の略奪に成功。財宝を失ったため逃亡した楊志は魯智深と合流し、二竜山を乗っ取る。略奪がバレた晁蓋一行は、役人宋江の忠告で危ういところを逃れて梁山泊に逃げ込み、林沖と合流、王倫を殺して晁蓋が梁山泊の新たな頭領となる。閻婆惜(若い女である)に梁山泊との関係を悟られた宋江は、彼女を殺し、故郷を捨て紫進の元に身を寄せる。紫進の家で宋江と共に世話になっていた武松は、故郷に帰る途中で虎を退治し、そのことが元で県の役人(上級兵士?)として取り立てられる。

中巻は、いよいよ宋江が物語の中心となってくる。虎殺しの武松は、兄を殺害した兄嫁とその不倫相手を殺し自首するが、投獄された先で、典獄の持つ盛り場の抗争に手を貸し、更に大量の人殺しをしたため、僧に身をやつし二竜山を目指す。宋江は、司令官で弓の名人花栄の家を訪ねる途中、山賊に捕らわれるが、名を名乗ると歓待される。そこで捕らわれの司令官夫人を助けたのち、花栄の元へ向かうが、助けたはずの夫人に濡れ衣を着せられ、花栄ともども捕らえられる。脱出した宋江と花栄は、清風山に篭り、討伐のために来た黄信、秦明らを仲間に引き込み、とうとう政府と対峙することとなる。政府の討伐を恐れた花栄らは、梁山泊へ逃れて晁蓋らと合流、一方宋江は、父の訃報を聞き故郷に帰る。父親は実は生きていたのだが、宋江は捕らえられ流刑に。様々な豪傑と出会いながら江州に流され、牢営で事務をするようになり、神行法で一日五百里を行く院長の戴宗、荒くれ者で牢番の李逵と出会うが、酒に酔って酒楼で反逆詩を書いたため死刑囚になる。これを知った梁山泊の豪傑は、変装して死刑執行の間際に刑場に乗り込み宋江を奪取。そして宋江、戴宗、李逵らも梁山泊に合流することとなる。宋江は再び父に会いに行く時に寄った廟で、夢の中で神女から天書を授かる。人殺しをしてしまった石秀、楊林は、戴宗を頼って梁山泊へ行く途中、祝家荘で騒ぎを起こし、梁山泊に助けを求める。梁山泊と祝家荘は全面戦争に入り、祝家荘の女将軍扈三娘を生け捕りにするが、苦戦を強いられる。

下巻は、梁山泊に集結した豪傑たちの最期までを描く。梁山泊は、呉用の姦計で祝家荘を打ち破り、更に仲間を増やしてゆく。紫進は、叔父の屋敷を乗っ取ろうとする役人と衝突し、とらわれの身となる。梁山泊は全軍をあげ紫進を救いに駆けつけるが、高廉の妖術に苦戦する。そこで修行中の公孫勝を呼び戻し、妖術対決を征し、紫進を救助。都は、いよいよ強大な勢力となった梁山泊を征伐するため呼延灼を派遣するが失敗。呼延灼は、落ちのびた先で桃花山、二竜山の征伐を頼まれるが、呉用の姦計で捕らえられ、二竜山の魯智深、楊志、武松ともども梁山泊に入る。序盤登場した史進は投獄されていたが、魯智深の勧めで救われ梁山泊へ。晁蓋が史文恭の放った毒矢に斃れたため、宋江が梁山泊の統領となる。宋江らは、北京の大金持ち盧俊儀を仲間に入れるため梁山泊に誘い出すが固辞される。しかし留守中に部下の裏切りに会った盧俊儀は死刑囚として捕らわれの身になり、宋江らに救い出されたのちは、腹心の燕青とともに梁山泊へ加わる。こうして豪傑が集結し、席次も決まったところで、地中から豪傑108人の名前が彫られた石書がでてくる。とうとう梁山泊に歯が立たなくなった朝廷は、逆に彼らに帰順するように勧め、一悶着の末、108人は皇帝に従い朝廷の下で働くようになる。そうして宋江らは官軍として遼国、田虎の反乱軍、王慶の反乱軍、方臘を次々に破るが、大尉の高キュウらの謀略で出世を阻まれ、そして度重なる激しい戦いや病により豪傑は次々に命を落としてゆく。最後に宋江、盧俊儀は高キュウに毒を盛られ死亡、呉用、花栄は宋江の後を追って自殺。突然入滅した魯智深のような例外もあるが、豪傑のほとんどが非業の最期を遂げ、この物語は終結する。

豪傑の中で実在のモデルもいる主役が、色黒小柄で役人上がりの宋江なのだが、本書を読む限りでは、どうもそのカリスマ性がピンとこない。強いやつをどんどん梁山泊の仲間に引き込んでゆくわけだが、その手段が家族を人質にとったり無理やり犯罪に巻き込んだりと、どれもこれも卑劣きわまる。そして梁山泊に集まった豪傑たちは、どうみても好漢というより悪漢ばかりである。女子供でも平気で殺す。特に李逵という奴など相当酷い。正直、良識ある大人の読者には、道徳や倫理感の無さが目に付くところはあるでしょう。まあその辺は頭をカラッポにして、単純に血沸き肉踊る冒険談として楽しめば良いのかな。

下巻末の解説が詳しいのはとても良いのだが、注釈が無いのは困りますな。大人のぼくが読んでも分からない難しい表現がちょこちょこ出てくるし、特に役職名などは、辞書を調べても載っていないので非常に分かりにくいところがある。しかし煩わしい注釈が無いからこそ、すいすいと読み進められたという面もある。いちいち注釈を見てると、読書のテンポが乱れて、ストーリに没頭できないことがあるからね。でもやっぱり最低限の注釈は欲しい。あといつも書いてしつこいが、簡単な地図があると良いと思うんだけどなあ。

おっと、最後にこれも書いておかねば。「水滸伝」とは、水のほとりの物語という意味。

(20070408)


せむしの小馬 エルショーフ作/網野 菊 訳

ロシアの民話を題材にとったファンタスティックな詩物語である。詩の体裁をとっているので、言葉のリズム等にかなり気を配って訳しているようだ。個人的には、日本語として美しい文章を心がけるようにしてくれた方が嬉しいんだけど、原文を知っている訳者としては、出来る限り原文の雰囲気を伝えようとするもの分かる。本書では、それほど不自然な感じはないものの、それでもかなり苦労した跡が伺われる。

この「せむしの小馬」は、ロシア的な題材や、様々な伝説を、一つの物語に収斂させてしまったというものらしいが、それにしては散漫な感じなど微塵も無く、非常に力強い美しい物語となっている。原文で読むことができれば、きっと言葉の響きやリズムも美しいのだろうな。

愚か者のイワンが幸福を手に入れるというストーリーだが、そのような物語が作られる背景には、ロシアの厳しい圧政があったからだという説はなるほどと思わされる。そういえばトルストイの「イワンの馬鹿」も、馬鹿なイワンが悪魔(政治家)を打ち負かすといったストーリーだったな。

火の鳥や、火の鳥の羽など、いかにもロシア的なモチーフが散りばめられているが、驚いたのは生きたクジラが橋にされて、背中に村が作られたり、クジラの唇で農夫が畑を耕したりするという描写だ。なんともダイナミックで度肝を抜かれた。不勉強のため知らなかったが、ロシア民話では良く出てくるモチーフらしい。クジラの出てくるダイナミックな物語といえば、ロバート・ヤングの「ジョナサンと宇宙クジラ」なんてのがあったが、あのイメージはロシア民話からとってたりして。

V.プレスニャコフの挿絵も非常に趣き深いというか、ロシア的な雰囲気が良く出ていてる。ノルシュテインの「ケルジェネツの戦い」のも、こんな雰囲気だったように思う。それにしても、ロシアといえば自然が厳しく政治的にもああいう国ではあったわけだけど、文学や音楽など芸術的な分野では、非常に優れた作品が培われる土壌があるようだ。現代の作家の作品も、もっと読んでみたい。

(20020721)


セロ弾きのゴーシュ 宮沢 賢治 作

本書の初版は1957年で、岩波少年文庫の宮沢賢治選集として最初のものであり、現在は絶版となっている。次の10編が収録されている。

「セロ弾きのゴーシュ」「カリの童子」「ドングリと山ネコ」「風の又三郎」「狼森と笊森、盗森」「なめとこ山のクマ」「鹿踊りのはじまり」「オッペルとゾウ」「注文の多い料理店」「グスコーブドリの伝記」

通常は表題作とされるような人気作が多く収録されている充実した一冊である。のちに上記の作品は同文庫の「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「風の又三郎」に分散して収録され、本書は賢治の代表作を紹介する最初の選集としての役目を終え、絶版となった。

今から敢えて本書を手に取る人は少ないとは思うが、由良玲吉による貼り絵のような挿絵は素朴で独特の味があるし、瀬田貞二による解説が充実しており、賢治の経歴を紹介してる他、収録されている一作一作についてコメントが付されている。岩波少年文庫が初めて世に問う賢治選集であるという意気込みが伝わるような一冊である。

気になる点がいくつかある。ひとつは、これだけ節操無く代表作を網羅していながら「銀河鉄道の夜」が抜けている。紙数の問題だったのだろうか。また本書収録の「グスコーブドリの伝記」は、のちの選集では漏れたため、今のところ岩浪少年文庫では読めなくなってしまっている。グスコーブドリは、子供の頃、一番大好きな作品だったので、これは極めて残念な事態である。ちなみに数年振りにグスコーブドリを再読したが、潮汐発電ということに言及されておりびっくりした(今は福島の原発事故でエネルギー問題が話題になっているので)。

あと、細かいところまで照合したわけではないが、すぐに気付くような現行版との違いがある。「カリの童子」「オッペルとゾウ」の題名がカタカナだったり、「風の又三郎」の冒頭のうたが、「ドッドド」と、カタカナで表記されていることなど。特に後者のうたは、ひらがなとカタカナではかなり印象が違ってくる。個人的には、ひらがな表記の現行版の方が、柔らかくて土着的な感じがするので好きだ。

(20110424)


草原の子マレディ ムパシェーレ 作/土屋 哲 訳

アパルトヘイト政策下の南アフリカを舞台に、白人の作った法律がアフリカの人々を翻弄する様や、その中での少年の葛藤や成長を克明に描いたシリアスな作品だ。もちろんぼくらはアパルトヘイトに付いて学校で教わるし、それなりに知っている積もりになっている。しかし単に白人から差別されるだけではなく、価値観や生活様式が一変し、さらには家族が崩壊するさまを読むと、アパルトヘイトが如何に冷酷な仕打ちであったかまざまざと思い知らされる。

素晴らしいと思ったのは、部族の中での会話や、人々の生活振りが、実に活き活きと描かれているところだ。作者は都市部で生まれたようだけど、このようなリアルな描写は、やはり実際に南アフリカで育った人でないと書けないだろう。また、どのような法律によって、黒人たちが虐げられてきたのかということも、丁寧に説明されているので、立体的にアパルトヘイトに付いて理解が深められる。ただ、人々の生活の描写をしている途中で、唐突に法律や歴史に関する説明が挟み込まれるので、小説としては構造上難があるというか、読みづらくなってしまっていることは否めない。

それにしてもキリスト教のパワーには頭が下がる。映画「ミッション」のような布教活動が全世界で展開されたんだろうが、結局差別を解決する何の役にも立たないどころか、支配のための道具となっているところは空しい。印象深いのは、部族の賢人と、キリスト教の牧師が、人々に向けてお互いの宗教(世界観)について語る場面だ。ここでは牧師の言葉が空虚に響く。結局それぞれの歴史や環境に見合った宗教があるということなんだろう。この物語に登場する家族もクリスチャンなのだが、しかし先祖や森を敬うアニミズム的な宗教感もしっかりと息づいている。仏教も神道もごっちゃになっている日本人と似たような感じなのかな?

訳について、アフリカ特有の言い回しも敢えて直訳して、あとで解説を付けるという形にしているのは素晴らしいが、情景描写心理描写など全てにわたって直訳調なのはいただけない。子供に読ませることを考えるなら、もっと日本語としてこなれた文章にするべきだと思う。

(20021006)


空とぶベッドと魔法のほうき メアリー・ノートン 作/猪熊 葉子 訳

「床下の小人たち」の作者によるファンタジーで「魔法のベッド南の島へ(1945)」と「魔法のベッド過去の国へ(1947)」の2編が収められている。とても軽妙で楽しく、エリック・ブレッグヴァッドによる挿絵も素晴らしく、最初の数ページでたちまち引き込まれてしまった。

夏休みをおばさんの家で過ごすケアリイ、チャールズ、ポールの姉弟は、近所のプライスさんが魔法を修行中であることを知ってしまい、それを秘密にすることと引き換えに魔法をかけてもらったベッドで冒険する。

「魔法のベッド南の島へ」では、3人の子供たちとプライスさんが南の島で人食い人種に捕まってしまうが命からがら逃げ出し、最後にプライスさんは魔法使いになることをあきらめる。「魔法のベッド過去の国へ」は、前作から2年後、3人の子供たちが夏休みをプライスさんの家で過ごすことになり、今度は魔法のベッドで過去から気弱な偽魔法使いのエメリウスを現代へと連れてくる。しばらく現代で過ごしたのち過去に戻ったエメリウスは、魔法使いの疑いで火刑に処せられそうになるが、プライスさんと子どもたちの活躍で命をとりとめる。

ノートンの最初の児童書ということだが、気のきいた会話の妙や見事な筋運びは、円熟の味を感じさせられるし、いかにも英国ファンタジー的な風格もある。そして何と言ってもプライスさんのキャラクターがとても魅力的。南の島で原住民に喰われそうになるというストーリーは現代にはそぐわないかもしれないが、2編ともほとんどいじらずにそのまんま映画にできそうなくらい完成度も娯楽性も高い。とにかく楽しい作品なので、子供たちに是非ともお勧めしたい。

(20111106)



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by ようすけ