岩波少年文庫全作品読破に挑戦! 「ら・わ」行の作品



羅生門 杜子春 芥川 龍之介 作

ぼくは大学時代に芥川龍之介にハマッたことがあって、主要な作品は大体読んだと思うのだが、およそ10年振りにこの岩波少年文庫で読み返すと、活字は大きく振り仮名も丁寧で、あれっ、芥川龍之介ってこんなに分かりやすかったっけ?、と思うくらい気持ちよく楽しめた。表記変えにより芥川のスマートさ現代性がよくわかる。

収録されているのは表題作の他、蜘蛛の糸、魔術、犬と笛、トロッコ、仙人、鼻、芋粥、幻灯、蜜柑、侏儒の言葉(抜粋)の11編。学生時代に授業で取り上げられ、繰り返し読んだ「トロッコ」と「羅生門」は、我ながら驚くほど細部まで覚えていた。

そもそもどうして大学の頃に芥川龍之介に凝ったかと言えば、かつて教科書で読んだ「トロッコ」を再読したくなったのが切っ掛けなのだが、学生時代には説教臭く鼻についた末尾の数行が、30代半ばとなった今ではなかなか味わい深い。その他の短編についても、若い頃ならば説教臭いと反感を感じたであろうところが、これはこれで良いではないかと思うようになってしまったのは、果たして進化か退化か…(苦笑)。

実は本書を読む前に、「中国怪奇物語神仙編/駒田信二」(講談社文庫)の杜子春を読んでおいた。原典と芥川版で大きな違いがあることを知っていたので、両方読んで、この場でその違いについて述べてやろうと思っていたのだ。ところが本書の解説で、原典との違いについてかなり詳しく触れられているではないか…。ちょっとトホホなぼくでした。

「侏儒の言葉」から、気に入ったのを一つ抜き書き(というか青空文庫からのコピペ)する。

芸術

わたしはいつか東洲斎写楽の似顔画を見たことを覚えている。その画中の人物は緑いろの光琳波を描いた扇面を胸に開いていた。それは全体の色彩の効果を強めているのに違いなかった。が、拡大鏡に覗いて見ると、緑いろをしているのは緑青を生じた金いろだった。わたしはこの一枚の写楽に美しさを感じたのは事実である。けれどもわたしの感じたのは写楽の捉えた美しさと異っていたのも事実である。こう言う変化は文章の上にもやはり起るものと思わなければならぬ。

(20090517)


リビイが見た木の精 ルーシー・M・ボストン 作/長沼登代子 訳

この様な地味ながらも素晴らしい作品に出会えた時は、「全作品読破」などという無謀な企画に取り組んで良かったなぁとしみじみ思う。

それにしても自然描写の素晴らしいこと! 川や木々、草や石に至るまで、全てのものに命が宿り、息づいているという世界観は、ケルト的な感じ方なんだろうか。どうも西洋の物の考え方は、すべて一神教、二元論に根差しているような先入観があるが、やはり西洋と言えど一枚岩ではないし、安易にひと括りにしてしまうのは慎むべきかもしれない。

とりわけドリューアスが姿を現わす幻想的なシーンの鮮烈さが忘れられない。ドリューアスは、なんとも艶めかしく不思議な現実感を持っているが、読み返してみるとその描写が簡潔なことに驚く。

ドリューアスとの出会いの翌朝、リビイは世界がまるで違ったように見える。彼女は命の秘密を知ることによって、ひとつ大人に近づいたのだ。 しかし、これってぼくが知っている西洋的な世界観と全く逆なんですけど・・・(笑)。

この物語を読んでてふと思い出したのが「となりのトトロ」。イギリス人に聞いてみないと実際の所は分からないが、トトロの風景が日本人にとって(たとえ都会育ちの人であっても)、なつかしい故郷の風景であるのと同様に、リビイが過ごす田園もイギリス人にとっても懐かしい故郷の風景ではないのだろうか?

併録されている「よみがえった化石ヘビ」も素晴らしい。ストーリーは、大まかには「のびたの恐竜」と同じなのだけど、テーマが全く異なる。「のびたの恐竜」は、のびたと恐竜との出会いと別れ、仲間との団結や精神的な成長など、情動的な面を扱っているのに対し、「化石ヘビ」は、時を超えるというロマン、自然の神秘にスポットライトを当てている。

ラストの少年とヘビの別離のシーンでの幻想的な光景は、息が詰まりそうなほどの美しさを湛えている。満月と化石ヘビとの間には、未来永劫変わる事の無い、悠久の時の流れがある。化石ヘビは「ラー(太陽神)」という名を与えられた。そう、ここでは月と太陽が対峙しているのだ。

のびたは恐竜を過去に帰した。しかしこの物語の少年は、悠久の時の流れの中に化石ヘビを解き放ったのだと言える。それと同時に、この作品は「リビイ〜」と同じように、石にも生命が宿っているということも暗示している。アニミズム的な世界観を基調にした文学で、これほどシンプルで美しく、且つスケールの大きい作品は稀だと思う。

(20011123)


聊斎志異 蒲 松齢 作/立間 祥介 編訳


リンゴ畑のマーティン・ピピン 〔全2巻〕 エリナー・ファージョン/石井 桃子 訳


ルパン対ホームズ モーリス・ルブラン 作/榊原 晃三 訳

いやあ、こういうヒーロー同士の対決というのは盛り上がりますな。これぞエンターテインメント! 小学生の頃は、どちらかというとルパン物が好きではあったが、能力的にはやっぱりホームズの方が格上だろうと考えていたので、本書でルパンにいいようにあしらわれるホームズの姿に、違和感というか不快感を覚えたことを思い出した。ワトソンもまるで愚鈍のようだし。まあ作者がルブランなんだから仕方ないけど。

「金髪の美女」「ユダヤのランプ」共に、謎解きの面で少々弱く、ミステリーとしては、もうひとつパッとしない事件ではあるのだけど、本書の最大の魅力は、やはり二人の巨人のやり取りに尽きる。双方の会話の端々に毒が含まれていてニヤリとさせられる。ルパンだけではなくホームズにも敵愾心を抱いてしまうガニマール警部の存在や、フランス対イギリスという国のプライドを賭けた対決みたいになっているところも面白い。

しかしルパンは菜食主義者だったんですね。そういう認識は全く無かったが。当時の流行だったんですかね。

(20070924)


レムラインさんの超能力 ティルデ・ミヒェルス 作/上田 真而子 訳

主人公のレムラインさんのトボケた味がとても良い感じで、愉快で心温まる話だ。レムラインさんが、「壁を通り抜ける」という超能力を身につけてしまったところから物語は始まるが、超能力の凄さとか、超能力を使った大冒険ではなく、彼の暖かい人柄にスポットが当てられている。

赤ん坊を拾ってしまった時の奮闘振りは微笑ましいし、子供たちの悩みに真剣にアドバイスする誠実なところもなんとも言えず良い。その上、彼は超能力を、ただの一度も自分の為には使っていないのだ(いや、最初にドアの鍵を掛けるのを面倒くさがって壁を通り抜けたことがあるか…笑)。レムラインさんは、最後にキツツキが言おうとして飲み込んだ言葉、「(超能力があった時よりも、それを失ってしまった)いまのほうが、もっとすごいって思っている」という言葉をそのまま贈ってあげたいような、素晴らしい「凡人」なのだ。

子供たちが、自分の父親を自慢しあうところや、超能力の秘密を友達に喋ってしまったテオ少年が、困りはてて道草をくいながら家に帰るところの描写などもとても良かった。自分が子供のころを思い出してしまった。

作者はドイツ人なのだが、この作品は同じくドイツ人のケストナーに近いような肌触りを感じた。特別な能力や才能を持っている人よりも、たとえ地味であっても真面目でコツコツ努力する人の方が素晴らしいんだ、正直者は報われるんだ、というようなメッセージが感じられるところなどがそうだ。こういう堅実なところは、ドイツ人気質とでもいうのかな。国によって気質の違いというのは確かにあると思うけど、こうして色んな国の児童文学を読んでいると、それが浮かび上がってくるのは面白い。

(20020211)


レ・ミゼラブル 〔全2冊〕 ユーゴー 作/豊島 与志雄 編訳
(旧題 ジャン・バルジャン物語)

日本では古くから「ああ無情」のタイトルで知られる作品。かつて岩波少年文庫では「ジャン・バルジャン物語」として出版されていたが、2001年の改訂で「レ・ミゼラブル」と改題され、その際に挿絵も松野一夫氏から19世紀の木版画に変わった。挿絵の画家は複数いるようだが、ミュージカルのポスターでもお馴染みの表紙のイラストの作者はエミール・バヤール。ちなみにタイトルを直訳すると「悲惨な人々」となる。本書は長大な原作をジャン・バルジャンに焦点を当てて少年向けに抄訳したものだが、大人の読者にとっても読み応えがある。

上巻は、刑務所に19年もいた放免囚徒ジャン・バルジャンの登場に始まる。彼は司祭の銀器を盗むが、司祭の寛大な心に触れ、悔い改める。数年後、商売で成功、出世してマドレーヌ市長として善政を行うようになる。しかし無実の囚人を救うために正体をばらして逃亡。ティナルディエの飲食店で虐待を受けていた孤児コゼットを引き取った彼は、修道院に逃げ込み、そこでコゼットには教育を受けさせ、自分は園丁として働き、ひとまず平穏な生活を得る。

下巻は、9年後の貧民であふれるパリ市街が舞台。若き貧乏弁護士マリユスを中心に物語が進む。彼は、ジャン・バルジャンと共に公園を散歩するコゼットを見て恋に落ち、何度も引き離されそうになりながらも二人は近づいてゆく。マリユスは仲間達と革命を起こそうと決起するが、市民の支持を得られず失敗。マリユスは瀕死の重傷を負うが、ジャン・バルジャンに命を救われる。やがてマリユスとコゼットは結婚。ジャン・バルジャンは過去を告白して彼らのもとから去る。最後はジャン・バルジャンにまつわる全ての誤解は解け、彼は若い夫婦に見守られながら息を引き取る。

脇役ながら印象的なのは警部ジャベールだ。しつこくジャン・バルジャンを追い回していたジャベールが、法と良心の板ばさみになり、最後に川に身を投げる場面はこの作品のクライマックスのひとつだろう。残念なことに、この岩波少年文庫版では、ジャベールが囚人の子供として監獄で生まれ、それゆえ怨念じみた正義感を持つに至ったということについて割愛されている。彼もまた重い運命を背負った男だったのだ。

本書の書かれたのが1862年。革命により身も心も疲弊したフランスの姿が生々しく描写されている。上記のジャベールや、コゼットの母ファンテーヌ、悲恋のエポニーヌ、革命を目指す学生達、そして当然ジャン・バルジャンも、社会に翻弄されながらも必死に生きようとする。タイトルどおり登場する人々は皆悲惨な境遇にあり、報われずに死んでいくものも多いが、そんな中でも魂の気高さを失わない人々に対する作者の優しい視線のようなものを強く感じた。

(20070105)


ロビンソン・クルーソー デフォー 作/海保 眞夫 訳

小学校低学年のときに読んで以来の再読だが、これほど盛りだくさんな物語だとは思わなかった。ぼくが昔読んだやつは随分カットされてたんだな。ロビンソンは財産を成してもそれに安住することなく何度でも冒険に飛び出す。この馬鹿っぷりが気持ちよい。これぞ男の物語だ。

物語は十代の若きロビンソンが、家出同然で船に乗り込むところから始まる。ロンドンへ出た彼は、ギニア貿易商人となり成功を収めるが、アフリカ沿岸で航海中に海賊に襲われ、ムーア人の奴隷となってしまう。2年の奴隷生活の末、隙を見てボートを奪って逃げ出し、ポルトガル人船長に救われてそのままブラジルに渡る。ブラジルでは農園の経営をはじめ、また大成功する。そして、黒人奴隷を手に入れるためにギニアに向かう途中で嵐に遭い、孤島に流れ着くのだ(ロビンソンが奴隷商人になりかかっていたとは知らなかった)。

そうして25年にわたる孤独な生活が始まるが、楽しい無人島ライフを満喫してる風で、悲壮感はあんまりない。やがてフライデイとの邂逅や、原住民との戦い、反乱船での戦いを経て、イギリスに帰り着く。しかしまだ物語は終わらない。リスボンへ行き、財産の整理をしたロビンソンは、今度は陸路を取って、狼や熊と戦いながらピレネー山脈を越え、イギリスへと帰る。最後にふたたび島を訪れるところでようやく物語は幕を閉じるが、いやもうこのボリューム感。読み応え十分ですよ。

最も印象に残ったのは、元々無宗教であったロビンソンが、孤島で病に臥したことをきっかけに宗教に目覚め、それ以降聖書を心の支えにするようになるところだ。島で出会ったフライデイまでキリスト教徒にしちゃうんだからなあ。西洋人の心に対するキリスト教の影響力というのは計り知れないものがあるなと改めて感じさせられた。

「ロビンソン・クルーソー」は、岩波少年文庫が創刊間もない時期に阿部知二訳で出されたが、2004年に改版され、海保眞夫訳(原田範行補訳)で装いも新たになった。今回はこの新版の方を読んだのだが、これが素晴らしいのだ。この本作りの丁寧さには感激させられたので長くなるが言及させてもらう。

まず巻頭に<帆船の構造図>があり、更にイギリス・ヨーロッパ大陸、アフリカ西岸、中南米の地図も、それぞれ1ページずつ大きく載っている。これらが実に適切で分かりやすい。文中にいきなり「ヴェルデ岬」と出てきても、調べるのはなかなか困難だし、流れが分断されてしまうので、大抵は読み流してしまうものだけど、こうして分かりやすく図示されていると、冒険のスケールの大きさや困難さが感覚的に理解でき、物語の面白さが何倍にもなるのが実感される。帆船の用語にしても図解のおかげで実に分かりやすい。

巻末には注釈のほか、度量衡換算表(長さ、面積、容積、重さ)、貨幣一覧表(イギリス系、スペイン・ポルトガル系)、まで載っている。ぼくは大学でイギリス文学をやったが、度量衡や貨幣に関しては、大人でも分かりづらい、というか分からない。こういうのは本当に助かる。まさか岩波書店の編集部がこんなマイナーなサイトまでチェックしてるなんてことはないだろうが、毎度書いている要望が殆ど実現されていて感動した。また今日の価値観には適合しない事柄については、補訳の原田氏が解説で上手くフォローしてくれているし、ウォルター・パジェットの挿絵も良い(特に表紙の毛皮をまとったロビンソンは最高)。

これほどしっかりと作られた本を読める子どもは幸せだ。もし身近に10代前半の子どもがいるなら、本書はプレゼントに最適だ。もちろん贈る前に、自分で読むことも忘れずに。この物語は、冒険を忘れた大人にこそ読まれて欲しい気もする。

(20050410)


ロビン・フッドのゆかいな冒険 1・2 ハワード・パイル 作/村山 知義、村山 亜土 訳

ロビン・フッドは12世紀のイングランドで活躍したとされる伝説的英雄。ハワード・パイルが、全国に散らばるロビン・フッドの活躍を歌った民謡(バラード)や物語の数々をまとめたのが本書だ。パイル自身による挿絵も素晴らしい。初版は1883年。

弓の名手ロビン・フッドは、つまらぬ諍いから王領の鹿を狩った上に森役人を殺め、お尋ね者になりシャーウッドの森にかくれる。そこに棒使いの「小人のジョーン」、ウィル・スタトレイ、吟遊詩人のアラン・ア・デールなど腕に覚えのある野武士が集い、一種の梁山泊が形作られてゆく。

郡長と敵対しながらどんどん勢力を伸ばしていき、最終的に王の家来となった末に、非業の最期を遂げるところなど、水滸伝と非常によく似ている。悪漢が主人公の物語として一つの黄金パターンなのだろうか。但し水滸伝と違って、こちらに登場する野武士達は基本的に善人で、冒頭でロビン・フッドが森役人を殺めてしまったことを除いて、無駄な殺生などはしないし、常に弱い物の味方だ。全体にユーモアが溢れており、血なまぐさいエピソードなどもほとんど無い。

弓や棒の大会に潜入して優勝をかっさらったり、憎き郡長を招いて無理やり御馳走を振る舞った上に大金をふんだくったり、借金で困っている騎士を助けたり、乞食に扮して冒険したり、皇后の命を受け弓の大会に出て王の射手達を負かしたりと、楽しく痛快な話ばかりで、特に小学校低学年くらいのやんちゃな少年たちに是非ともお勧めしたい作品。

(20071223)


若い兵士のとき ハンス・ペーター・リヒター作/上田 真而子 訳

「あのころはフリードリヒがいた」「ぼくたちもそこにいた」につづく作者の自伝的3部作の最後の作品で、第二次世界大戦末期の最も過酷な時期を描いている。前作までは傍観者のようであった作者自身がはっきり加害者側に立っており、暴力的な描写も多いので、衝撃度の大きい作品となっている。

ほんの2ページほどの短いエピソードが積み重ねられていく。それぞれが極めて特異な体験であるにもかかわらず、ひとつひとつが生々しく印象に残る。物語というよりも、記憶の断片を見せられているようだ。

自ら志願して入隊した「ぼく」は戦闘で左手を失うが、士官として再び戦場へ赴く。バタバタと人が死んでいく戦闘の描写もさることながら、日々生き抜いていくのにも必死にならざるをえない戦時下の厳しさが克明に描かれている。極限状況下でのモラルの低下、陰湿ないじめ、レイプ、売春、窃盗、略奪等々、あくまでその混沌の渦中にいた者の視点で容赦なく書き綴っていく。

前作まではユダヤ人の運命が一つの大きな焦点になっていたが、本書にはユダヤ人はほとんど出てこない。敗戦間際に大量のユダヤ人捕虜が収容所から移送される場面だけである(これはこれで大変インパクトが強いシーンだが)。ユダヤ人迫害と離れたところでもこれだけ過酷な状況があったということは、戦争というものがどれほど酷いものなのかをよくあらわしている。かなりハードな内容なので、年少の読者にはお勧めしないが、広く読まれるべき一冊。

(20100117)


わらしべ長者 木下 順二 作/赤羽 末吉 画

日本人には馴染みの深い民話が22編収められている。「かにむかし(さるかに)」「こぶとり」「大工と鬼六」「彦市ばなし」「ききみみずきん」「木竜うるし」などなど。洗練されたやさしい語り口で、テンポが良く、とても読みやすい。子供向けではあるが、あえて大人にもお勧めしたい。

いくつか作品をピックアップしてみると、「瓜コ姫コとアマンジャク」は、機を織る音を真似するアマンジャクがだんだん近付いてくる様子が怪談じみて迫力ある。「豆コばなし」で、鶏を真似しようと「ハア、一ばんどりッ!」と叫ぶじいさんには思わず笑ってしまった。「あとかくしの雪」は、たった2ページながら印象深く後を引く。

おやと思ったのは、「三年寝太郎」。寝てばかりの男が突然起きて灌漑などをする話とばかり思っていたが、ここに収められているのは、ぐうたら男がホラにホラを重ねて大金と嫁をせしめるという話であった。地域等によってヴァリエーションがあるのだろうか。

ひとつ残念なのは、せっかく積極的に方言を取り入れたりしているのだから、どの地方で語り継がれてきた話なのかという情報をどこかに記しておいた方が良かったんじゃないかと。

(20090503)


ワンダ・ブック ホーソン 作/三宅 幾三郎 訳

原題は、"A Wonder Book for Boys and Girls"で、子供のためのギリシャ神話集である。作者は「緋文字」のナサニエル・ホーソン。ギリシア神話から6つのエピソードが収められているが、ユースタス・ブライトという大学生が、子供たちに語って聞かせる、という体裁をとっており、エピソードの前後にユースタスと子供たちのやりとりが挿入される。

紹介されているギリシア神話のエピソードは、「ゴーゴンの首」「何でも金になる話」「子供の楽園」「三つの金のりんご」「不思議の壺」「カイミアラ」の6編。特にギリシア神話について知識が無くても、どこかで聞いたことのある馴染みのある話ばかりである。

本来ならこういう本は、ギリシア神話のエピソードの方が主体であるものだが、本書ではユースタスと子供たちのやり取りに多くの頁数がさかれ、話の最中にユースタスが子供らに語りかけて説明を加えたり、話の終わりには簡単な批評があったりというところが大きな特色となっている。登場人物が造物主(=作者のホーソン)について語るというメタな描写もある。その中で、形を変えながら繰り返し主張されているのは、子供に古典を紹介する時には、上手に脚色したり再話するのが大切だということだ。

大変古い翻訳なので文体は古臭いが、子供のために書かれたものなのでそれほど読みづらいことはない。ただし、人物名が現在一般的に広まっている読み方と異なっており、ヘラクレスがハーキュリーズになったり、キマイラがカイミアラになったり少々紛らわしいところがある。ちなみに本書は「青空文庫」でも全文が読める(但し挿絵は見られないし、文章も少しだけ違う)。

(20110619)


わんぱくきょうだい大作戦 マヤ・ヴォイチェホフスカ 作/清水 真砂子 訳

母親を失った3人兄弟が、新しい母親を手に入れるために奮闘する。年少の読者を対象にしているため、表現は平易で分かりやすいが、3兄弟の性格など細かなところが見事に書き分けられており、大人にとっても読み応えがある。 このようなシンプルで分かりやすい表現で、子供の微妙な心理を鮮やかに浮かび上がらせるというのは、本当に力のある作家でなければ、なかなか出来るもんじゃないと思う。

とにかく3兄弟の性格付けが見事。 ぼくにも弟がいるのでハーレーの気持ちはわかるし、兄弟それぞれの立場や心情もとても良く書けていて、うんうん、そうなんだよなぁと思わされる。とりわけ強く印象に残るのは、やはり末っ子のモットだ。 母親を探す場面は何とも切ない。 更にモットがお兄ちゃんのおもちゃを壊してしまうあたりの描写の凄いこと。 こんなの良く書けるな。一方で、ぼくも年を取ってしまったなと感じてしまったのだけど、ほとんど細かい描写がされていないにもかかわらず、父親の苦悩が伝わってきてしまうというか、父親が悩んだり奮闘する姿がなんとも哀しく映るんだな。

作品全体を通して、家庭に母親がいないということの虚無感がとても強く伝わってくる。最近の文学やドラマ、マスコミでは、「シングルマザー」という言葉がもてはやされたり、片親で子供を育てるということが、どちらかといえばポジティブに受け止められているような気がする。しかし個人的には、やはり父親と母親が揃った上で家族なんだという思いがある。 子供が幼いなら尚更だ。アメリカは離婚の多い国なので、「母親はおらずとも、父と3人兄弟が力を合わせて強く生きて行く」というような結末を予想していたのだが、この作品では、最後に新しい母親がみつかるというハッピーエンドになったので本当に良かった。

(20021208)



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by ようすけ