自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・「会津のけむり、(磐越西線/会津線/只見線)」
258.  素晴らしきアーチ鉄橋の第一只見川橋梁 ・只見線 /檜原−西方

〈0001:31-5-1:国道252号の下の河原からの仰ぎ見るアーチ鉄橋〉
夏の川面からの朝霧がヤット消えてくれた。 取れて

〈0002:24-2-6:断崖直下の国道からのサイドびユー 1〉
今は、この旧国道にアプローチするのは危険

〈0003:24-2-7:断崖直下の国道からのサイドビユー 2〉
こ今では、この旧国道へは立ち入りできな

〈0004:只見川左岸の山からの俯瞰〉
バックには国道252号(旧道)が写ってい

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〈紀行文〉
 只見線への二度目の訪問は前日の夜明け頃に山王峠を越えて南会津に入って、「塔のへつり」の奇観と「大内宿の街並み」を訪れて家族孝行を済ましてから、会津線の桑原付近から上三寄の間で列車を撮ってから柳津(やないず)の温泉町に泊まった。翌朝の只見川の水もには朝霧がただよっていて、アーチ鉄橋の撮影があやぶまれたのであったが、陽がでれば消えるだろうと考えて出掛けることにした。宿の前の国道沿いの菓子屋の店先では、朝早くから柳津名物の「あわまんじゅう」を蒸(ふか)している蒸籠(せいろ)からの蒸気が道へ流れていたのに誘われて、買ってから出発した。国道252号を4km余りほど南下すると、右側から流れ下ってきて只見川に注いでいる滝谷川の深い谷を渡って、左に大きく蛇行する只見川に沿ってさかのぼると、右手の緩やかに傾斜する丘の上に散在する檜原の集落が見えてきて、その手前を原谷トンネルを出た只見線の線路が近づいてきた。やがて、その持寄川鉄橋の下をくぐって坂を登ると家並みの中を通って、小さな檜原駅前にでた。この辺が集落のほぼ中央部らしかった。この集落は、かっての桧原村と滝谷村とが合わさってできた原谷村の中信であって、この村の名は滝谷と檜原間のトンネルに、その名を残しているだけとなっていた。この村は永禄年間(1558〜)には既に開かれていたと云う会津若松と群馬県の沼田を結んでいた沼田街道が通っている集落であって、会津側からは米や酒、上州側からは油や塩・日用雑貨などが運ばれていたと云う古い道筋であった。この道脇に軒を並べる家並みは、そんな歴史を感じさせてくれていた。すぐに集落は途切れてしまった。
この沼田街道は只見川沿いを通る緩やかなルートなのだが、檜原から次の川井に至る途中には駒啼瀬峠(こまなかせとうげ)と云う名の通りの難所があった。明治になって、福島県知事で道路県令と呼ばれた三島通庸の進めた会津三方道路の開削に刺激されて、この沼田街道にも馬車の通れる道への改修への機運が遅まきながらやってきた。しかし、このけわしい峠道に車道を通すことは難しく、さりとて長大なトンネルの掘削する技術もなかったので、只見川が削った垂直の断崖に新道を通すことになったのであった。難工事の末に明治24年(1891年)に「川井新道」として開通した。ここは脆い岩質のため、絶えず落石がある危険な区間であったが、やがて県道となり、昭和38年には二級国道252号会津若松柏崎線へと昇格して、増え続ける交通量への対応として拡幅によって改良しつつ一般国道252号となって使われ続けていた。私の訪れた頃は未だ未舗装の砂利道が高い崖の下をかろうじて只見川の淵に沿って細々と通っていたのであった。しかし、この道筋からは只見川を一跨ぎしている只見線の第一只見川橋梁のアーチの偉容がサイドから眺められ、その魅力には引きつけられて何度も通うことになった。(やがて、昭和46年(1971年)になると、檜原集落を通らずに二つの長いトンネル、駒啼瀬トンネル(535m)+川井トンネル(75m)が川井新道の下を貫いて開通すると、この断崖の中腹を通る国土道は旧道となり、その後の断崖の崩落が重なり現在は廃道となってしまっている。)
 ところで列車の方は、滝谷駅を発車すると直ぐにに深い滝谷川に架かるアンダートラス橋の滝谷川橋梁を渡って、爆煙を吐きながら原谷トンネルを抜けると只見川の右岸に広がる丘の斜面に開かれた檜原集落に入った。この檜原駅をでて下り勾配を1kmほど進んだところで巨大なアーチ橋の第1只見川橋梁を渡って、 名入トンネル(長さ 325m)をぬけると会津西方駅までは緩やかな下り勾配を走って行くことになる。
この只見川本流を渡る第1只見川橋梁はどっから見ても絵になる美しいアーチ橋であった。国道が只見川の断崖の下を通過する辺りからは、川原から見上げたり、サイドからアーチ鉄橋が良く眺められたし、桧原駅の先の踏切を渡って川岸に行けば逆のサイドからも眺めることが出来たのだった。
 ここで、お目に掛けた写真の撮影メモを紹介しておこう。最初の写真は、檜原から国道を南下して河原に降りて、鉄橋を見上げたもので、幸いにも朝霧は消えてしまっていた。
その後の二枚は、国道を更に進んで高い絶壁の中腹を通る国道からのショットである。(現在は廃道となって接近は大変に危険であると云う。)
最期は、周辺の山の上からの俯瞰(くかん)撮影をしたくて場所探しを試みて撮った一枚である。これは只見川を下流に向かって左側の高所からの俯瞰である。ここへ行くには、只見川の左岸へは国道252号を柳津の町から4kmほど只見方面に走ると右側に吊り橋の麻生大橋が現れるので、ここを左折して渡り、直ぐに右折して県道(?)を2.5kmほと進んと、右手の山腹への登山路が現れる。これは高圧線の保守巡回路のようであった。ここを我慢強く登り詰めて、第只見川鉄橋のバックに、駒啼瀬の断崖絶壁とその中腹をつうかする国道(今や廃道になってしまっているが)が一望できるアングルを何とか探し当てて撮った。山を下りて、道を先へ進んて交差点で左折して会津西方駅前へでた。右へ行けば杉峠(標高 441m)を越えて阿賀川流域の野沢(西会津町)へ通じていたようであった。
 ここから第一只見川橋梁に付いての話題に入ろう。
この第一只見川橋梁は橋長 174.2mで、形式は鋼上路2ヒンジトラスドバランスドアーチ橋であって、「張り出し工法」(片持ち架設法)で掛けられた。これは会津線の会津柳津駅 - 会津宮下駅間の延伸工事に伴って昭和13年(1938年)に完成し、昭和16年(1941年)に開通した。只見川に架かる只見線の鉄道橋の中で、唯一のトラス構造アーチ橋であって、歴史的建造物とも云えるアーチ橋なのである。今は地元の三島町 特産の桐の花と同じ薄紫色に塗装されている。また、只見川を一跨ぎするアーチ橋が水鏡となって川面に写る姿や、只見川の水面から川霧が立ち込めて、アーチ橋を包む幻想的な景観も素晴らしい。
この橋の形式は、単線上路式2ヒンジスパンドレルブレーストバランストアーチである。そして、この橋は以下の構造を組み合わせた鉄道用アーチ橋であると云われる。
・開腹式上路アーチ橋 
・2ヒンジアーチ 
・ブレースドリブアーチ(Braced-rib arch) 
・バランスドアーチ橋(Balanced Arch Bridge) 
そして、支間長(スパン長)は32m + 112m + 32mである。
鋼重 815.85tf
上部工は汽車製製造である。
下部工/橋台 鉄筋コンクリート、下部工/橋脚 鉄筋コンクリート
基礎工/橋台 直接,岩盤、基礎工/橋脚 直接,岩盤
〈このデータは土木学会編の歴史的鋼橋要覧から引用させてもらった。〉
このような形式の鉄道橋の元祖は、大正12年 
(1923年)に開通した現在の蘇鉄道(旧国鉄高森線)の第一白川橋梁であって、国内初の鋼製バランスドアーチ橋であった。この両側の橋は谷の斜面に組まれた足場上で架設して、中央部は足場を用いずに、両側から釣り竿を伸ばすように跳ね出していき、中央で結合する方法であった。この工法は現在では「張り出し工法」とよばれている。その後の昭和7年(1932年)には、近くの会津線田島方の上三寄−舟子間の闇川(くらがわ)を渡る闇川鉄橋に「はね出し付き単純上路プラットトラス橋」が片側だけですが同様の工法で掛けられている。その後の昭和13年に先の白河橋梁より一回り大きい第一只見川橋梁が掛けられた訳なのであった。これらは鉄道省大臣官房研究所の「第四科橋梁」の設計した傑作であると云われている。

〈紀行文の中で引用した「張り出し工法」で架設された橋梁の例のサイトのリンク〉
68.★ 阿蘇白川渓谷を渡るミクスト(貨客混合列車)・高森線/立野−長陽
217.★葉の闇川(くらかわ)橋梁・会津線(上三寄-桑原)

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・「会津のけむり、(磐越西線/会津線/只見線)」シリーズのリンク
153. 奥会津の「一の戸川橋梁」 磐越西線・山都付近
143. 会津線 滝谷川橋梁の初夏 (只見線・滝谷〜会津檜原)
033. 只見川に架かるアンダートラス鉄橋たち・只見線/会津西川〜会津川口
169. カラー習作 「紅葉の会津線」 (会津線・湯の上→弥五島)
167. 大川ダムニ沈んだ二つの橋梁 (会津線・会津桑原→湯の上)
217.紅葉の闇川(くらかわ)橋梁・会津線(上三寄-桑原)
218.裏那須の紅葉、第6大河橋梁・会津線(楢原-会津落合)
165. モダンな南会津のアーチ橋 (会津線・糸沢→会津滝ノ原)