自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・「会津のけむり、(磐越西線/会津線/只見線)」

217. 紅葉の闇川(くらがわ)橋梁 ・会津線/上三寄-舟子


〈0001:33-2:紅葉の闇川鉄橋を行く〉
33-2:闇川橋梁・会津線(上三寄-桑

0002:闇川鉄の図面・歴史的はがね橋要覧より借用〉
闇川橋梁一般図面(歴史的はがね橋要

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〈紀行文〉
 随分足しげく通った会津線でのSLの終焉(しゅうえん)も間近い昭和48年の秋に、やっと手に入れたばかりのローライフレックス SL66 と云う一眼レフを携えて会津線の紅葉を撮りに出かけたことがあった。その時に撮った「闇川(くらかわ)鉄橋」のカラーネガを最近になって、やっと発見したので、遅ればせながらお目に掛けたい。
東京方面から会津線沿線へのドライブは、日光街道で今市へ出て、鬼怒川沿いをさかのぼって、山王峠を越えて南会津に入るルートで出かけることが多かったから、どうしても上流にある撮影ポイントに眼を奪われてしまって、会津若松方に近い有名撮影ポイントである「闇川鉄橋」を訪れることは希であった。それ故に満足なショットは得られていなかったのも無理はない。その理由のひとつには、会津線と国道121号線が通じている大川の谷の中程に昭和41年頃から巨大ダムの建設計画が持ち上がっており、国道の改良工事は県境の山王峠から順次北上する形で進められていたものの、長さ4kmにおよぶダム湖の予定地点では、将来の国道の付け替え工事が行われることを念頭にして、昔ながらの曲がりくねった山峡の道が取り残されていたから、会津若松方へと通り抜けるのはおっくうであった。それでも、国道4号線で小売山経由デ会津盆地に入って只見線を訪れる時には、帰りの駄賃に“闇川鉄橋”に足を伸ばすこともあったようだった。
 ここで、ダムに沈む前の会津線と国道121号旧道(今は会津若松市道芦の牧線)の沿線風景をスケッチしておこう。会津若松を出た会津線は盆地を東南に大川に沿って田園風景の中を進むが、やがて上三寄(かみみより)地区に近づくと、南会津の会津高原の北縁を守るようにそびえる小野岳や大戸岳の山々が迫って来て、いよいよ大川(阿賀野川本流の上流の別名)の谷間に突入することになる。この上三寄駅(今は芦の牧温泉駅)を出た列車は間もなく国道121号線を踏切で横切り、旧道(昔の会津中街道でもある)と並行しながら、南会津の山間部へ分け入って行くようで、段々と見通しがきかなくなり、カーブも多くなり、勾配も急になってきた。ここからしばらくは旧道は今まで通り蛇行する大川沿いの右岸を南下するが、川沿いに突出する山すそを小さな峠で越えて南下して行く。間もなく線路は、わずかな直線区間で長さ 52mほどの鉄橋を渡った。ここは撮影名所で有名な闇川橋梁であった。この深くけわしい闇川の谷を渡り切った列車は築堤上に出て、快いドラフトの響きを静かな山合にこだまさせながら登って行く。目の前に大きな山容が迫ってきて、大川からいささか離れて、山すそをはうように登り続ける。やがて舟子峠の下を長い舟子トンネルで抜けて下れば桑原駅が近ずいてくる。右手には大川の蛇行する水面がチラリとかいま見えた。
ところで、鉄道に沿っていた旧道の方も、闇川を美しい姿を見せる鋼製のアーチ橋の「闇川橋」を渡って昔の会津中街道の小塩宿のあった集落を抜けて舟子峠に向かっていたのだった。
 この会津線田島方がこの闇川橋梁の難工事を完成して湯野上駅(今の湯野上温泉駅)まで開通したのが昭和7年(1932)であった。この橋が、橋梁、鉄道や、街道などの世界で有名な橋梁として知られているのは、景観の素晴らしさからだけではなく、当時唯一の“はね出し桁付き単純上路プラットトラス橋”と云う特殊な形式のトラス橋梁だったからであった。
そこで先ず、この橋が架けられている「闇川(くらかわ)」のことだが、この川は会津若松市の最高峰で知られる大戸岳(標高 1416m)のブナの原生林に源を発して高低差約 900mを深い谷渓流から谷間を刻んで大川に合流している大きな支流で、名の示す通り、渓流の流れには陽射しが差し込まないほど天上は樹木に覆われていて、昼間も闇(やみ)のような感じのする深い谷間を作って流れ下っているのである。このような闇川に鉄道橋を架けることになり、深い峡谷を横断する橋梁として足場を必要としない架橋方法として試験的に考案されたのが、この形式で、「はね出し桁付き単純上路プラットトラス)」であった。
ご覧に入れた写真のように、その橋横からの景観は周りに繁茂している樹木などに妨げられて橋の全体を観察することが難しいのが困りものである。そこで、土木学会の手になる歴史的鋼橋:闇川橋梁に所載のスケッチ図面とその記事の一部をお借りして参考に供してみた。
このホームページには、
・橋長x幅員: 51m 線数 単線
・形式: 単線上路曲弦プラットトラス(跳ね出し桁付)
・径間数x支間:1×(38.4+12.8)m 設計活荷重 KS15
・記事:端部にカウンターウエイトを吊した跳ね出し桁をアンカーとしてカンチレバー架設した。峡谷を横断する橋梁として試験的に考案された形式である。
・一般的な図面(二枚目の写真)
などであった。(引用終わり)
 ここで、私なりに架橋の様子を描写してみた。先ず左側の崖が北岸(上三寄方)の川岸であり、そこに橋台を、川幅の北岸寄りに中間支点となる橋脚、そして南岸に橋台を構築した。次いで、北の橋台と中間支点の橋脚との間に足場などを設けて、「はね出し桁」を組み立てて架設した。そして「はね出し桁」にカウンターウエイトとしてのバラストを吊下げて、これをアンカーとして南側にトラスをかんちればー(片持ち梁)工法で延長しながら架橋したものと推察した。
それ故に「はね出汁桁」と南側に架橋したトラスとは連続した一体構造となっているものと思われる。この架橋方法は「おもちゃ」の「やじろべえ」に似ており、1本の橋脚の左右でバランスをとりながら、橋桁を順次 橋脚から張り出して行く方法で「やじろべい工法」とも呼ばれている。それは架橋資材の搬入が谷が広くて、深いと云う地形的な制約のためで北岸からしかできなかったこと、それに中間支点となる橋脚が北岸に寄った場所にしか構築出来なかったことなどが理由でカンチレバー方式で架設せざるを得ない状況にあったと推察するのだが、どうであろうか。
その完成した橋桁の形態の表現には、
ある人は『斜材が一定の方向を向いた、バランスドアーチ橋を半分に切ったような奇妙な形状だ。』、またある人は『北側と南側が、ご覧のように、左右非対称の珍しい鉄橋なのである。』
また、鉄道土木の記事には、
『連続トラスは昭和4年に会津線闇川橋りょうに架設上、非対称の2径間とした上路トラスがあったが,本格的な連続トラスとしては昭和10年(1935年)の高徳線の吉野川橋りょうにスパン71.2m の3径間連続トラスが架設されたのが初めてである。』とあった。
この橋の周辺は鬱蒼と茂った樹木に遮られてアンダートラスの全景を撮ることは難しいが、前景となる旧道のきれいなアーチ橋と小さな滝との取り合わせの妙が好ましかった。(しかし、残念ながら、この鋼アーチ橋は近年、道路拡幅の際にコンクリート製の一般桁橋に架け替えられてしまっているようだ。)
それに、写真の右下に写っている小さな滝壺の水の渦は、闇川橋から50mくらい南にある下小塩集落のはずれに湧き出している「大戸山清水」から流れ出るみずの闇川への落ち口の小さな滝のものであった。これは大戸岳からの伏流水で大変おいしい水として昔から知られており、近くには市水道の水源として利用されているようだ。
やってきたC11はいつもより煙が少なかったのは愛嬌といえよう。紅葉と白いアーチ橋のコントラストに免じてお許し頂きたい。
なお、この闇川橋梁は土木学会福島支部により近代化土木遺産としてCランク指定を受けている。

参考文献リンク:
1)歴史的鋼橋: T5-129 闇川橋梁  
http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/T5-129.htm
2)「福島の街道」・「街道web〜」/闇川橋:  
http://wing2.jp/~kaido/hasi/kura.htm
3)橋の散歩径 プラットトラス から「闇川橋梁」
http://www.geocities.jp/pintruss/bridge/platf.htm
4)闇川橋梁 会津線
 鉄道土木(1972)、 14−02、 116p.

撮影:昭和48年
アップロード:2011−02月

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・「会津のけむり、磐越西線/会津線/只見線)」シリーズのリンク
153. 奥会津の「一の戸川橋梁」 磐越西線・山都付近
143. 会津線 滝谷川橋梁の初夏 (只見線・滝谷〜会津檜原)
258.素晴らしきアーチ鉄橋の第一只見川橋梁・只見線/会津檜原−会津西方
033. 只見川に架かるアンダートラス鉄橋たち・只見線/会津西川〜会津川口
169. カラー習作 「紅葉の会津線」 (会津線・湯の上→弥五島)
167. 大川ダムニ沈んだ二つの橋梁 (会津線・会津桑原→湯の上)
218.裏那須の紅葉、第6大河橋梁・会津線(楢原-会津落合)
165. モダンな南会津のアーチ橋 (会津線・糸沢→会津滝ノ原)