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・南九州の日豊本線に沿って/青井岳越えシリーズ 1
029.  夕暮れのいわし雲とC57 ・日豊本線 /田野付近

〈秋空の“いわしぐも”の日向路〉
0001:日豊本線田野駅付近(山住川を渡るC5

〈冬枯れの田野盆地〉
000に:日豊本線田野駅付近(井倉川橋梁を行く

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〈紀行文〉
 日豊本線の南宮崎以南では線路基盤の関係からD51は入線できなかったから、優等列車のDF50を除けば、C57の天下であった。元々、旅客用の高速運転のためのライトパシフィックのC55やC57が苦手な勾配区間を最後の活躍の場としていたのが、この南九州の日豊本線の宮崎〜鹿児島間であって、ここには「青井岳越え」と「霧島越え」の二つの山越えの難所が控えていた。ここのシリーズでは宮崎〜都城間に横たわる青井岳越えの建設の経過と沿線風景をご覧に入れよう。
 先ず、明治25年(1892年)の国が建設すべき鉄道路線を定めた鉄道敷設法には、大まかな予定線区と、最初に建設が着工される一期予定線が定められていた。そこには小倉−大分−宮崎−鹿児島間の鉄道が予定線に掲げられてはいたが、一期予定線には選ばれてはいなかった。その翌年に行われた全国鉄道線路調査の際には宮崎線が採択され、その鹿児島方の起点は開通が予定されていた鹿児島線のいずれかの地点とした上で、@吉松−小林−高岡−宮崎の大淀川ルート、A吉松−小林−都城−田野−宮崎の迂回ルート、B国分−都城−田野−宮崎の最短ルートの三案が比較検討された。そして最も建設が容易な@大淀川ルートに決まった。その後、宮崎県の人々は宮崎線の一期予定線への格上げ運動を続けてきたが、なかなか実現しないうちに、松を通る鹿児島線が明治42年(1909年)に開通した。その翌年になって、やっと宮崎線が明治43年から6箇年継続事業として建設されることに決まった。しかし、ルートから外れてしまっていた昔から開けていた田野町や、宮崎に並ぶ都市である都城町の人々からの迂回線ルートへの変更の請願が強く行われた。そして翌年の実地測量開始のの直前になってルート変更が決定され、明治44年(1911年)から7箇年継続工事として着工した。その昔に採用されなかった迂回ルートに変更できたのは、このけわしい山岳横断ルートでの多くのトンネルや鉄橋を建設する技術的進歩の裏付けがあったからであろう。このルートは大淀川沿いを通らずに、その南側に横たわる鰐塚山地を横断する山岳線であった。この山地は東を日向灘(日南海岸)に面し、南には都城盆地が控え、西には大淀川が流れ、北で宮崎平野に接していると云う直径約40qほどの広がりを持っていた。それは北から次第に高度を上げ、標高500m以上の山稜は山地の中央部に集中しており、その大部分は浸食に強い砂岩から成る山々であって、鰐塚山(1,119m)、一柳岳(968m)を連ねる山稜は北東−南西性であって、多くの支脈が分かれていた。特に南西には青井岳(563.2m)の山系が伸びていた。
そのルートのの中でも清武から田野を経て山之口までは16.7‰(1/60)の勾配と300Rの急カーブが連続しており、そこには数多くのトンネルや築堤と鉄橋などを設けると云う難路であった。特に、青井岳の南面の下を抜けるための延長1,529mの青井岳トンネルを掘らねばならなかった。そして難工事の末に、大正5年(1916年)10月に青井岳−清武間が延伸開通して宮崎線の都城−宮崎間の50qが全通した。
 ここから、沿線の情景を述べてみよう。宮崎駅を出発して大淀川を長い鉄橋で渡ると南宮崎駅となり、ここを発車すると日南線が左へ分かれ、宮崎空港へ向かう列車とはここでお別れとなる。そして、都市郊外の風景の中を加納駅となる。この先で低い丘陵を小さなトンネルで抜けると大淀川水系から清武川流域に入り、やがて長さ134mの下路プラットトラス+プレートガーターの清武川橋梁をわたると直ぐ清武駅に到着した。
この清武川は鰐塚山の南麓を源に山地の西側を北東に29kmほど凪がれ下って日南海岸の北部で日向灘に注いでおり、その河口からは青島が遠望できるという。この流域は濃い森林の茂った丘陵に囲まれており水の清らかなこと、空気も他よりも清澄なことから、それらのクリーンさを求めるエレクトロニクスやバイオなどの企業が集まりつつあるようであった。清武駅を発車してすぐに支流の岡川を渡ると、沿線は徐々にローカル色が濃くなり、左からせり出した丘陵地帯を大きく蛇行しながら谷を登って行く。やがて、その途中に設けられた信号場から昇格した日向沓掛駅に着いた。この先をしばらく登り詰めたあたりで都城へ通じている国道259号(煮矢崎−鹿児島県指宿)をアンダークロスして築堤を下って開けた谷間にでる。この谷には清武川の支流である山住川を「梅谷川橋梁」で、そして井倉川を全長53mの井倉川橋梁で渡って、河岸段丘を登り着ると別府田野(びゅうたの)と呼ばれる台地に出て、やがて住居が密集してくると、上り本線と待避線の存在を示す腕木式信号機がみえると田野駅に進入した。この辺りは南、西、北の三方を鰐塚山地に囲まれた小盆地の中心地であった。田野駅から先は青井岳駅までの9.5kmのほとんどは16.6パーミル(1/60)勾配の連続となっている「青井岳越えの正念場に突入することになる。この田野駅を出ると盆地の底を流れる清武川を全長 158mの別府田野川(びゅうたのがわ)橋梁で渡って、築堤を駆け上るに従い左右からけわしい山々が迫ってきて、清武側の支流の蛇行する松山川の谷を縫うように7つ者鉄橋で左右に渡りながら高度を上げて行く。山の中の門石信号場を過ぎて、やがて4つめのトンネルを抜けると大淀川の支流の境川が現れ、その深い谷を上路プラットトラスを中信にした長さ 133mの鉄橋を渡ると青井岳駅に付く。この境川は鰐塚山の南麓を源に流れ下って大淀川に注いでおり、田野々属している清武郷を領している飫肥(おび)藩と都城を領する薩摩藩との境であることから、その名が付けられていた。青井岳駅をを出ると直ぐにサミットである青井岳トンネル(全長 1,529m)に入った。トンネルを抜けるとこちら側の山々は植林された杉林ではなくて、今では貴重な照葉樹の自然林が広がっていた。やがて、楠ヶ丘信号場をつうかし、谷が開けて都の盆地に入り東岳川を渡って山之口駅を経て水田地帯を南進する内にやがて市街地が広がり都城駅となる。
 二度目の訪問は秋の季節の頃で、レンタカーを駆って、初めて青井岳越えに遠征した。いささか準備が足りなくて地元の地理に疎かったからであろうか、クルマが入り込める最奥の青井岳駅周辺を探し回ったが、線路沿いに峠を越えるルートは見つからず、国道へ戻って迂回してトンネルの先の様子を伺ったが、思わしい成果は得られなかった。そして撮影ロケーションが定まらぬうちに、お目当ての列車の時刻がやって来てしまった。そこで直ぐ戻って、田野で小休止している貨物列車の先周りをして、国道から離れた田舎道を迷いながら走っていた時に、暗くなり掛かった残光の中に見付けたのがこの撮影ポイントであった。やがて、田野の駅を発車した上り貨物列車は、河岸段丘を転がるように軽やかに下って鉄橋を渡る所を捕らえることが出来た。
決して、計画して撮影したものではないことを白状しておく。そして、スライドができあがって初めて、空に「いわし雲」が写って居ることを発見して幸運に感謝したものだった。ここに写っているのは動輪の形からして、C57のようにおもわれるのだが。
時間的には、もう少し早い季節であったなら、太陽の中にSLが入るかも知れなかったとおもうのだが、その後のトライにも幸運は訪れなかった。
その頃に、「鉄道ジャーナル」誌の表紙に、大阪の鉄道ファンが撮った城東貨物線の淀川土手を行くD52の姿が大きな赤い落日の中に捕えた写真が掲載されて、本屋の店頭に並んだときには本当にうらやましかったものだった。望遠を使って居るらしく、機関車の中の日との姿が影絵のように浮かんでいたのを思い出すのである。
 この写真を撮った広い谷の辺りは、鰐図下山地から流れ下って来た井倉川と、その支流の山住川が作り出した谷間で、間もなくこの川は合流してから清武川に注いでいるから、谷底には水田が広がっていて、宮崎平野の南端のはずれに当たると云うのだろうか。
いわし雲の写真はおそらく山住川に架かる長さ39 mの梅谷川橋梁の3連のプレートガーダー桁の上ではなかろうか。また、二枚目は井倉川橋梁近い築堤ではなかろうか。この辺りでは穏やかな流れとなっている井倉川ではあるが、上流では急峻なV字谷となっていて、その上を日南の油津から田野を経て高岡へ向かう県道27号線が蒼雲橋(そううんきょう)を架けて通じていた。この橋の長さは310mで、地上からの高さは40mであって、V脚のPCラーメン橋梁(橋脚と桁が一帯となった鉄筋コンクリート構造)としては日本最大級と云うのであった。

撮影:1968〜1970年
トードアップ:2010−10追加。

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・「南九州の日豊本線に沿って」シリーズのリンク
158. 「宗太郎越え・第1鐙川橋梁」 (日豊本線・市棚→宗太郎)
019.夜明けの日向路(JR九州・日豊本線)
159. 日豊海岸の日向灘沿いを行く (日豊本線・美々津〜日向市の間)
150.SL最後の牙城「大淀川橋梁を行く」・日豊本線/宮崎−南宮崎
032. 南日向の大堂津にて・日南線
・「青井岳越え」シリーズ・日豊本線/宮崎−都城 間
262. 田野駅のC5552発車・日豊本線/田野付近
261. 青井岳駅界隈(かいわい)・日豊本線/石門(信)〜山之口 間
302. 門デフの貴婦人 C57154の発車・日豊本線/日向沓掛付近