古典棋譜鑑賞室  秀和の棋譜 全45局

秀和のプロフィール

<秀和の碁に関する杉内雅男九段のコメント>
 算砂を近世日本囲碁史の開祖とするならば、14世本因坊秀和はその完成者であり、近代碁の鼻祖であると言えます。二百数十年にわたる江戸時代の碁は算砂に始まり、秀和によって幕を閉じたわけで、この2人の棋士は囲碁史の結節点をかたちづくっているのです。
 秀和の碁は一口に、しのぎを基調とするあましの碁と言われています。秀和といえば、すぐしぶいという形容が浮かぶほど、その棋風は特徴的です。これは主に白番の特色であり、秀策にも継承される黒番の堅実さをこれに付け加える人もいます。しかし、しのぎ、あまし、堅実さ、これらの奥には天性の聡明があります。秀和の碁は明るく、読みの上でも、形勢判断の上でも夾雑物がありません。
 この様な基本的な特性に加えて、秀和の碁はさらに多彩です。あらゆる局面に応じて自在に変化する柔らかさは、秀和の碁を魅力的なものにしています。丈和、秀策等と並んで後世高く評価され、愛好されるゆえんもそこにあります。秀和こそはまさに巨匠の名にふさわしい豊饒の棋士であったといえましょう。
 秀和の生家は伊豆土肥町小下田の、駿河湾を見下ろす丘の中央にある。気候は温暖で陽光が溢れ、寒冷を知らない。この様な風土のなかで生を享けた秀和に碁を教えたのは、近くの寺の住職だった。その寺はしばしば近郊の数寄者を集めて碁会を催した。恒太郎少年はその度に住職に招かれ、対局中の大人たちに混じってちょこまかと動き回っていた。小柄で、目から鼻に抜けるような利発なこの少年は、盤上の手段に関して、時に感想を述べ、その鋭さに大人たちは大いに驚いたという。
 生まれ育った風土が、創作家であれ、勝負師であれ、その作品にどの程度の影響をもたらすものであろうか。秀和の碁は明るい。伊豆の陽光が明るく温暖なように、彼の碁もまた抜ける様に明るく、柔らかい。その明るさは、形勢判断の明るさ、ヨミの明るさ、それらを包括する「碁」そのものの明るさでもある。そういえば秀策の生地は因の島外の浦。われわれは秀和と秀策の碁の類似から、その生長した環境の海洋的な類似を感じないわけにはいかない。名人因碩、丈和などの「内陸的」な棋風と、秀和、秀策の海洋的性格の比較に、つい思いが及ぶ。

  小下田付近の海岸
 秀和は常套になずまない「創意の人」である。従って、秀和の手による新工夫はおびただしい。秀和の新工夫は、序盤の星打ち、白を持っての両ジマリ、大斜定石などがある。
 のち、村瀬秀甫は「方円新法」にこう記している。
「秀和師曾て門生に語りしことあり 曰 吾局に対しては敢えて汝曹より強きと謂うにあらず 唯毎局の石立を咸く変化して其布勢を定むる事一として同形の碁なし 是れ即汝曹に異なるのみと」
 後世の人はしばしば碁の強弱と勝敗にのみとらわれる。そのため巨匠の真の姿が十分に評価されないのである。

<秀和の碁に関する福井正明九段のコメント>
 嘉永の頃、安井家に雄蔵、松和、仙得などが集まり、話題が本因坊元丈、安井仙知(知得)、幻庵因碩、秀和など、名人の力を持ちながら名人になれなかった人たち(現在は囲碁4哲と呼ばれる)の芸に及び、その中で最強は秀和ということで意見が一致したと伝えられる。秀和は同時代の人々に、それだけ高い評価を受けていた。

<smile_aceのコメント>
2007年5月にsmile_aceは秀和の生誕地伊豆小下田の秀和顕彰碑を自転車ツアーで見学に行きました。
 杉内雅雄九段の解説は綿密で、さすが「碁の神様」の異名の人という感じである。日本棋院のホームページに、大正9年生まれ、平成16年通算800勝達成とある。私の母より1歳年下で86歳ということだが、3年前現在でも対局があったということである。30年以上前だろうか、NHK杯囲碁トーナメントの解説をされた時に、テレビの画面で何度もお会いしている。まだまだお元気の様で嬉しい。

参考図書
日本囲碁大系14 秀和
古典名局選集 堅塁秀和
解説 杉内雅男九段
解説 福井正明九段
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年代順に表示、最右欄Aは日本囲碁大系14秀和のみに、ABは両書籍に、Bは堅塁秀和のみに掲載されている碁であることを示しました。対局日に当該鑑賞ページへのリンクを張っています。
No 対局日 西暦 手合 対局者 対局者 勝敗 コメント
01天保8年12月7日 1837 先相先 先番 安井 俊哲 土屋 秀和 白2目 序盤の失着を着々と盛り返しついに抜き去った白の好局
02天保9年1月22日 1838 安井 算知 土屋 秀和 黒中押 囲碁史に残る激戦の算知との互先初番 
03天保9年5月18日 1838 先相先 先番 土屋 秀和 坂口虎次郎 黒5目 不明の碁に於ける秀和の終盤の二枚腰
04天保9年8月19日 1838 互先 先番 土屋 秀和 服部 雄節 黒中押 秀和の星打ち
05天保10年1月12日 1839 先二 先番 土屋 秀和 本因坊丈和 黒3目 秀和の出藍秘譜 AB
06天保10年4月4日 1839 土屋 秀和 井上因碩 黒1目 辛勝した因碩との第2局
07天保10年11月2日 1839 先相先 先番 太田 雄蔵 本因坊秀和 白1目 変幻自在の雄蔵を自然流で定先に打ち込んだ碁
08天保11年11月17日
 御城碁
1840 互先 先番 坂口 仙得 本因坊秀和 白1目 初出仕の御城碁、白番で勝利 AB
09天保11年11月29日 1840 先相先 先番 本因坊秀和 井上 因碩 黒4目 秀和が生涯で最も力を傾けた一局 AB
10天保12年2月18日 1841 伊藤松次郎 本因坊秀和 白8目 ポンヌキを許して勝利という大きな驚きをもたらした碁
11天保12年6月30日 1841 太田 雄蔵 本因坊秀和 白5目 天下コウに負けて白5目勝ち
12天保13年5月16日 1842 先相先 先番 本因坊秀和 井上因碩 黒6目 因碩との争碁第2局
13天保13年9月29日 1842 先相先 先番 安井 算知 本因坊秀和 白5目 総ジマリの棋譜
14天保13年11月17日
 御城碁
1842 先相先 先番 林 柏栄 本因坊秀和 白中押 12世林門入との御城碁
15天保13年11月17日
 御城碁
1842 先相先 先番 本因坊秀和 井上 因碩 黒4目 因碩の狙い筋をことごとく未然に、しかも最強に防いでの勝局
16天保13年11月29日 1842 先相先 先番 葛野忠左衛門 本因坊秀和 白中押 秀和の少年時代のライバル
17天保13年12月31日 1842 先相先 先番 太田 雄蔵 本因坊秀和 黒1目 白の石をさんざん取ってやっと一目勝ち
18天保14年4月2日 1843 先相先 先番 太田 雄蔵 本因坊秀和 白2目 常人の及ばない、巨匠の戦慄すべき自信の白38
19天保14年12月13日 1843 互先 先番 安井 算知 本因坊秀和 白2目 平行隅の両ジマリを許した唯一の碁
20天保15年2月15日 1844 桑原 秀策 本因坊秀和 持碁 秀和25歳7段、秀策16歳4段の時の青春譜
21弘化2年3月6日 1845 先相先 先番 伊藤松次郎 本因坊秀和 白中押 坊門の先輩との白番
22弘化2年5月6日 1845 中川 順節 本因坊秀和 白7目 秀策の耳赤の碁の生まれる原因を作った順節との対局
23弘化3年2月14日 1846 本因坊秀和 本因坊丈和 黒中押 師との先番に圧勝
24弘化3年3月9日 1846 本因坊秀和 本因坊丈和 黒10目 丈和の還暦記念対局
25弘化4年9月13日 1847 桑原 秀策 本因坊秀和 白中押 秀策流を完成させた秀和・秀策17連戦の第16局
26弘化4年11月17日
 御城碁
1847 先相先 先番 坂口 仙得 本因坊秀和 白3目 秀和流ふんわりの厚み
27嘉永元年3月28日 1848 太田 雄蔵 本因坊秀和 白中押 雄蔵のポカ
28嘉永2年 1849 本因坊秀策 本因坊秀和 黒2目 師としての秀策との対局
29嘉永3年12月10日 1850 本因坊秀策 本因坊秀和 白1目 秀策も気付かなかった白62の好手
30嘉永4年2月19日 1851 先二 先番 服部 一 本因坊秀和 白4目 井上門の俊秀との対局
31嘉永4年6月7日 1851 伊藤 松和 本因坊秀和 白3目 気概の坊門最長老との対局
32嘉永4年10月28日 1851 本因坊秀策 本因坊秀和 黒3目 秀和秀策戦最終譜
33嘉永5年2月22日 1852 互先コミ3目 算知、松和、雄蔵 秀和、仙得、秀策 黒2目 総段数42段の連碁
34嘉永5年11月17日
 御城碁
1852 先相先 先番 本因坊秀和 安井 算知 黒7目 善く敵に勝つものは争わず
35嘉永6年11月17日
 御城碁
1853 先相先 先番 伊藤 松和 本因坊秀和 白5目 軽快松和との御城碁
36安政3年7月29日 1856 村瀬 弥吉 本因坊秀和 持碁 戦いに次ぐ戦いの後の持碁
37安政4年11月17日
 御城碁
1857 先二 二子番 林 有美 本因坊秀和 黒5目 序盤での機略のヨセの一手
38安政5年3月15日 1858 村瀬 弥吉 本因坊秀和 白2目 大振替りの2目勝ち
39安政5年11月17日
御城碁
1858 井上 因碩 本因坊秀和 白6目 松本因碩との楽勝の御城碁
40安政7年3月 1860 二子 葛野亀三郎 本因坊秀和 黒2目 丈和の息子との2子局
41万延元11月1日 1860 村瀬 弥吉 本因坊秀和 持碁 改名前の塾頭弥吉(秀甫)との対局
42文久元年11月17日
 御城碁
1861 井上 因碩 本因坊秀和 黒1目 最後の御城碁で秀和無念の1目負け
43明治4年5月5日 1871 先相先 先番 本因坊秀和 村瀬 秀甫 黒中押 秀甫に黒を持って打つ
44明治4年5月5日 1871 先相先 先番 村瀬 秀甫 本因坊秀和 黒6目 コミ無碁必勝法の黒33
45明治4年6月6日 1871 先相先 先番 村瀬 秀甫 本因坊秀和 黒中押

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