古典棋譜鑑賞 秀和41

41万延元11月1日 1860 村瀬 弥吉 本因坊秀和 持碁 改名前の塾頭弥吉(秀甫)との対局
 秀甫は明治15年(1882年)に「方円新法」を刊行した。「方円新法」は、高崎泰之助(秀甫と10番碁を打った、後の方円社6段)によれば、「その評論、至って深切にして反復丁寧なり、予もまた反復反習すること数月数百回にしてほぼその意味を了解し、数人に対し主意と形勢を変更し、是は村瀬流なり、新工夫なりと唱え、試み打ちしに毎局ごとに勝たざるはなし。」本局の福井九段の解説は「方円新法」の引用で代行してある。
 弥吉が秀甫と改名したのは、本局の直後で、秀和は秀甫を7段に進め御城碁に出場させようとしたが、文久2年、3年(1862、1863年)と御城碁は下打ちのみにとどまり、以後復活されることはなかった。
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そして、

「古典名局選集 堅塁秀和 解説 福井正明」

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古典棋譜鑑賞 秀和42

42文久元年11月17日
 御城碁
1861 井上 因碩 本因坊秀和 黒1目 最後の御城碁で秀和無念の1目負け
 碁所を目指す秀和に油断があったという見方もある様であるが、秀和は、力に差があるのだから、一発を受ける可能性が僅かでもある碁より、じっくりした碁(両シマリの布石)で僅少差ではあるが、安全勝ちを目指したのかもしれない。過去の実績を見れば終盤で1目以上間違える可能性が高かったのだから、秀和の読み通りであり、この碁に関しては、秀和は運が悪かったということだろう。
 秀策をして「先生意外の不出来、・・・因碩などは片手打ちにも勝ち申すべき碁に候得共・・・」と切歯扼腕させた碁として有名である。
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そして、

「日本囲碁大系 第14巻 秀和 解説 杉内雅男」

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古典棋譜鑑賞 秀和43

43明治4年5月5日 1871 先相先 先番 本因坊秀和 村瀬 秀甫 黒中押 秀甫に黒を持って打つ
杉内九段の解説抜粋
 明治4年、死の2年前、秀和は秀甫と先相先8番を試みている。秀和52歳8段、秀甫34歳7段であった。  8局のうち、秀甫先番6局は秀甫5勝1敗、秀和先番2局は秀和2勝、通算秀甫5勝3敗である。この時代にはすでに秀甫は名人の域にあるとさえいわれ、技量の点では秀和と肩を並べていたといえよう。  8局の内、秀和の黒番2局はともに有名だが本局はその一つ。秀和が弟子に黒を持ったのはこの2局だけであった。

 本局は日本囲碁大系14秀和の最終譜である。杉内九段は、その著作のしめくくりとして、明治6年7月2日、54歳の生涯を閉じた秀和が死の床で思ったであろう、秀和の棋士人生について記している。それは、対局した相手のことであったり、その時代の囲碁に対する暗い将来の見通しであったり、その為の絶望であったりだった。そして最後に、秀甫や3人の息子のことを想うに、秀和の棋士人生が素晴らしいものであったと確信を持ったであろうと締めくくっている。  smile_aceはこの文章を読んで、秀和が対戦した多くの棋士に対して、親近感を抱き、秀和とともに囲碁の発展に尽力をした彼らに感謝の念を抱いた。そして、杉内九段のきめ細かな解説に、九段の秀和に対する強い想いを改めて感じた。
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「日本囲碁大系 第14巻 秀和 解説 杉内雅男」

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古典棋譜鑑賞 秀和44

44明治4年5月5日 1871 先相先 先番 本因坊秀和 村瀬 秀甫 黒6目 コミ無碁必勝法の黒33
 前局に続き、秀和の黒番のもう一局が本局である。前局は「日本囲碁大系14秀和」、本局は「古典名局選集 堅塁秀和」に収録されている。そして、対局日は同じ日になっている。秀和が上手の先相先だから、同じ日に秀和が2局共黒を持つということは考えられない。どちらかの間違いであろう。念の為、木石庵さんのサイトで確認したが、それも誤まった表示(2008年3月現在2局あるはずの秀和の黒番が1局しかない)になっていた。

福井九段の解説抜粋
 この碁の打たれた時点の秀和関連の人々の年齢は、秀和52歳、秀甫34歳、秀和の長男の跡目秀悦22歳、次男林家13世秀栄20歳、三男秀元18歳である。そして、それぞれが本因坊となった。
 14世 秀和、15世 秀悦、16世 秀元、17世 秀栄、18世 秀甫、19世 秀栄、20世 秀元
そして、21世 秀哉と続く。秀和までは姓であり、秀悦以降は家元としての本因坊である。
(smile_aceコメント 秀和までは養子縁組により戸籍上の姓が本因坊)
 前半生の栄光に比べ、秀和の後半生は失意の連続であった。だが、その3人の子はそれぞれの個性で明治の囲碁史を飾った。
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「古典名局選集 堅塁秀和 解説 福井正明」

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古典棋譜鑑賞 秀和45

45明治4年6月6日 1871 先相先 先番 村瀬 秀甫 本因坊秀和 黒中押
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