古典棋譜鑑賞 秀和26

26弘化4年11月17日
 御城碁
1847 先相先 先番 坂口 仙得 本因坊秀和 白3目 秀和流ふんわりの厚み
福井九段の解説抜粋
 本因坊秀和全集の序の秀和像がある。秀和の碁は碁人には分かり易いという。外柔内剛、よく強敵を制し、難局に臨んでよく凌いで砕けず、巧みに土俵を回って、三枚腰の妙味を発揮する。
 秀和は29局の御城碁を打ち、黒番8勝1敗、白番9勝9敗、向2子1勝1敗。対局者は安井算知が一番多く9局、次が仙得の8局である。
 仙得とは黒番3勝、白番3勝2敗、手合い割りは先相先が多かったようである。

 仙得は、伊藤松和、安井算知、太田雄蔵と共に囲碁四傑、あるいは天保四傑と呼ばれる。御城碁での戦績は32局、14勝18敗。秀和、秀策(4敗)以外には好成績(12勝8敗)を残している。御城碁不出場の太田雄蔵には向先相先を維持して互先を許していない。
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そして、

「古典名局選集 堅塁秀和 解説 福井正明」

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左の碁盤では変化図を表示することが出来ないので、変化図や解説者の解説を見る為に、出来るだけPocketGobanで鑑賞ファィルを見ることをお薦めします。

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古典棋譜鑑賞 秀和27

27嘉永元年3月28日 1848 太田 雄蔵 本因坊秀和 白中押 雄蔵のポカ
 右上の黒87は隅の生きを拒否する常識的な手であるが、十分認識していなかった。よく出来る形だからこの碁でそれを常識として認識出来たのは良かった。
 それにしても、右下の雄蔵の見損じはかなり意外である。
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古典棋譜鑑賞 秀和28

28嘉永2年 1849 本因坊秀策 本因坊秀和 黒2目 師としての秀策との対局
秀策は初めは丈和の弟子であったが、丈和が亡くなって秀和が跡目を継いだので秀和の弟子となった。秀策流を完成させるために打った秀和・秀策17連戦が1946-47年、秀策の御城碁出場が1849年であり、本局は1949年に打たれているから、「御城碁の演習という意味があったのだろう」というのが福井九段の解説にある。
 福井九段の解説に、この時、秀和30歳、秀策21歳とあるが、それぞれの生年は1820年、1829年であるから、数えなら秀和31歳、秀策22歳で、対局日不明の本局では満年齢は表示出来ないと思われるから、妙な気がする。

 碁は、白は黒57から左辺を黒に連打させ、下辺を重視した手が面白いと感じた。双方虚虚実実という感じである。
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古典棋譜鑑賞 秀和29

29嘉永3年12月10日 1850 本因坊秀策 本因坊秀和 白1目 秀策も気付かなかった白62の好手
福井九段の解説引用
 秀策は師には黒を持たせなかったとして知られているが、1860年の打ち掛けの碁には秀策が先番と記されている譜もある。「先番」とは先相先の先番で、その後に打つ機会があれば、秀策の黒白の順となる。しかし、その碁が両者の最終譜になってしまった。

 秀和の生没年は1820〜1873年、秀策のは1829〜1862年、福井九段の堅塁秀和の巻末に秀和関連棋士生没年として29名の棋士の生没年が記されているが、smile_ace(2008年現在数え65歳)より長生きしているのは、林元美数え84歳、伊藤松和数え78歳の2名だけである。医学、食糧事情の進歩の結果ということだろう。
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古典棋譜鑑賞 秀和30

30嘉永4年2月19日 1851 先二 先番 服部 一 本因坊秀和 白4目 井上門の俊秀との対局
 秀和より1歳年長の服部一は越後出身である。幻庵因碩に期待され、家元間でも評判が良く、13世井上因碩にという家元間の黙約もあった様だが、所在不明の時期もあって。結局井上家を継ぐことはなかった。御城碁は、服部家の当主として2局打っている。
 座隠談叢に次の話がある。(幻庵)因碩の愛妾が門人と駆け落ちし、裏長屋に住んでいた。それを知った因碩は、下僕に碁盤を担がせて訪問し、「新世帯だから盤石もないだろう。しっかり勉強しなさい。」と碁盤をプレゼントした。後にその門人は7段になった。その門人は一であろうということになっている。
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