古典棋譜鑑賞 秀和31

31嘉永4年6月7日 1851 伊藤 松和 本因坊秀和 白3目 気概の坊門最長老との対局
 松和は秀和より19歳年長で、没したのは明治11年(1878年、「方円社」が設立される前年)、1801年生まれだから、数え歳79歳だった。
 秀策の19連勝の中で最も苦戦させたとして、その碁を、日本囲碁大系15秀策では、石田芳夫九段が生涯の一局にしている。
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そして、

「古典名局選集 堅塁秀和 解説 福井正明」

を参考に変化図も加えて 鑑賞ファィル を作ってみました。
左の碁盤では変化図を表示することが出来ないので、変化図や解説者の解説を見る為に、出来るだけPocketGobanで鑑賞ファィルを見ることをお薦めします。

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古典棋譜鑑賞 秀和32

32嘉永4年10月28日 1851 本因坊秀策 本因坊秀和 黒3目 秀和秀策戦最終譜
杉内九段の解説抜粋
 秀和と秀策の生長環境は類似しており、そこに本質的なものを認める訳ではないにしろ、2人の「碁」の共通性は否定できない。強いて違いを言えば、秀和の碁はより明るく透明であり、秀策の碁は読みの深い奥行きがあるということだろうか。

 秀策の死は1862年、本局は1851年だから、本局が最終局と言われてもピンとこない。11年もの間この組み合わせの対局が無かったということなのか、或は記録に残す対局は打てなかったということなのだろうか。将軍家茂は無類の碁好きだったらしいし、大名旗本など碁好きが対局を企画しても良さそうなのだが、そのうちにと思っていて秀策が急死してしまったということだろうか。秀策が白を持った対局など、大変興味がある。
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そして、

「日本囲碁大系 第14巻 秀和 解説 杉内雅男」

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尚、この碁は福井正明九段の秀麗秀策にも掲載されており、その時の福井九段の解説に基づいて作った鑑賞ファィルがあります。

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古典棋譜鑑賞 秀和33

33嘉永5年2月22日 1852 互先コミ3目 算知、松和、雄蔵 秀和、仙得、秀策 黒2目 総段数42段の連碁
杉内九段の解説抜粋
 本局は仙得に問題手が2手あり、それで全てが決した。これほどの高手が揃いながら、なお着手にわずかな断絶が感じられるのは、連碁のなせる業であろうか。

 本33局は古典棋譜鑑賞室秀策第46局で「嘉永オールスター」のコメントをつけて福井九段の解説により鑑賞している6名42段の連碁である。そして、第30局の対戦相手の服部一が6段に昇段した時の祝会で打たれた。当日は3手で打ちかけとし、11日後に打ち継がれているから、かなり真剣な対局なのだろう。杉内九段の解説では一は翌年7段に昇り、正徹と改め御城碁をも打ったとある。正徹という名前は記憶にあるので調べたところ秀策と本局の7年後御城碁を打っている。(古典棋譜鑑賞室秀策第26局)
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「日本囲碁大系 第14巻 秀和 解説 杉内雅男」

を参考に変化図も加えて 鑑賞ファィル を作ってみました。

尚、この碁は福井正明九段の秀麗秀策にも掲載されており、その時の福井九段の解説に基づいて作った鑑賞ファィルがあります。

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古典棋譜鑑賞 秀和34

34嘉永5年11月17日
 御城碁
1852 先相先 先番 本因坊秀和 安井 算知 黒7目 善く敵に勝つものは争わず
 本局は「堅塁秀和」によれば、秀和白番になっている。解説を読んでいる内に秀和黒番ではないかと思ったので木石庵さんのサイトで確認したところ、やはり、秀和黒番で、「堅塁秀和」の誤植のようである。人間のやることだから間違いは仕方ないと言ってしまえばそれまでだが、だけど・・・。

 安井算知との御城碁では最後の対局。先相先と先の間を往復している両者の対局は、御城碁に関しては算知黒番5勝、秀和黒番3勝1敗、通算秀和の3勝6敗である。秀和の御城碁の成績は18勝11敗であるから11敗の半分以上を算知に負かされたことになる。

秀和と算知の棋風についての福井九段のコメント抜粋
 秀和の碁は、相手の碁風に合わせ、相手の力に応じて碁を変える。算知は「形より力において優りたるもののごとく、その細に入り、微をうがつ点は、本因坊秀和すらこれを畏敬せり(座隠談叢)」という辺りから照準を合わせにくかったものか。

瀬越憲作九段の本局のコメント  この碁は厚い碁であって、打ち進むにつれて厚みに地がついてくるのである。この碁を並べてかんずることは秀和が堅く打っている内に勝敗の帰趨を見ていることで、孫子の「善く敵に勝つものは争わず」であって、碁に明るいとはこれを言うのである。
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古典棋譜鑑賞 秀和35

35嘉永6年11月17日
 御城碁
1853 先相先 先番 伊藤 松和 本因坊秀和 白5目 軽快松和との御城碁
杉内九段の解説抜粋
 天保四傑の碁は、算知豪力、雄蔵華麗、仙得堅実、松和軽快といわれる。弘化、嘉永、安政の15年間は秀和の全盛時代で、あった。

 本局は嘉永の碁であるから、その中間期のものということなる。本局の杉内九段の解説で、生まれ育った風土が秀和と秀策は似ており、それが似た棋風を生み出したということが掲載されていたので、その部分は 秀和のプロフィールのところで紹介した。
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「日本囲碁大系 第14巻 秀和 解説 杉内雅男」

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