古典棋譜鑑賞室  棋譜並べのポイント

昔から棋譜並べが上達に大きな効果があると言われています。私も、たくさん、棋譜並べをしました。自分の経験から、どんな効果があったのか考えてみました。

1.解説無しで棋譜並べ(或は鑑賞)した場合
  きれいな石の形を体で自然に覚えられることにあります。
  プロの碁は、アマチュアにとってみればどれもお手本になりますし、初心者で一手一手の意味が全くわからなくても
  順番どおりに並べるだけで知らず知らずのうちに良い石の形を吸収していけます。
  パソコンの碁盤ですでに入力済みの棋譜をクリックしながら再生していくのはいわゆる「棋譜並べ」ではありませんが、
  次の一手を表示させる前に、自分で次の一手を予想し、次の一手と比較すれば、棋譜並べと同等の効果があります。
  尚、付録みたいなものですが、碁盤で並べれば手つきが良くなります。

2.解説を見ながら棋譜並べを行う
  碁は感覚的に形だけ見て打つものでもありません。
  例えば、「強い石に近づくな」という鉄則(棋理)があります。これは、単に、並べているだけでは、理解出来ません。
  この様な「鉄則(棋理)の理解を助長するための解説」は、鉄則(棋理)を理解促進させます。

3.読みを入れて棋譜並べを行う
  読みの訓練に効果があります。ただし、この効果は死活問題に取組むなどの方法でも得られますので、2次的なものではあります。

皆さんの上達を願うsmile_aceとしては、棋譜鑑賞(棋譜並べ)が「効果があると言う」だけでは、十分だとは思えなくて、棋譜並べで自分が感じたことを、少しでもお伝えしたいと思いました。 上の第2項の内容を私のコメントから理解して貰いたいと思います。
また、掲示板で皆さんの意見を聞いて、自分の不十分な点を補いたいと思いました。見る方たちの棋力、嗜好、考え方など非常に多様だと思いますので、個々の方から疑問点やご意見を頂いて、棋譜鑑賞のページの内容の充実を図っていきたいと思います。

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古典棋譜鑑賞室  丈和の棋譜 全32局

丈和のプロフィール
江戸時代前期、元禄時代に前聖と呼ばれた道策に対し、江戸時代の末期、文化文政時代に活躍した丈和は後聖と呼ばれた。丈和は大器晩成型の棋士で、棋譜は20歳を過ぎたものしか残っていない。
1787年生まれとのことで、20歳から53歳の棋譜を掲載することになる。
名人碁所を争碁でなく、権謀術数で手に入れているので、人間的な魅力に乏しいことになっているが、「剛腕丈和」のニックネームがついている様に強引さを貫き通すのが特徴と言われていて、並べるのが楽しい碁である。特に、史上有名な「赤星因徹吐血の局」は、丈和の後半生の唯一の勝負碁で、対局の2ケ月後に因徹は死亡している。
藤沢秀行九段、高木祥一九段がその著書で、もう少し、細かく特徴を書いているので参考にして下さい。

丈和は1787年〜1847年、ベートーヴェンは1770年〜1827年、専門も生きた場所も違うけど、ほぼ、同じ時代に生きたのに気がつきました。今なら地球の裏側で何が起こっているのか、誰が活躍しているのか直ぐ分かりますが、当時は、お互いの存在さえ全く知らない。そして、今でも、クラシック音楽と囲碁の両方が好きな僅かの人間だけが両者がほぼ同時期に生きたと認識するのみなのでしょう。お二人さん、感動を有難う。

丈和の訓戒一条
 それ、?碁(えきご)に三法あり、石立て、分かれ、堅めなり。この3つよろしき時は、その業大功なり。3つのうち1を得ば凡ならす。およそ30手、あるいは50手、100手にして勝負を知るを修行の第一とす。修行に正邪2つあり。正道に志せば上達し、邪道に志せば下達す。
 邪道とは欲心強きをいう。欲心は見えぬ手を見出ださんとして、調子長くなって起きる手筋をいう。知らざれば、考えてもなかなか見えぬものなり。故に打つほど下達す。正道は欲心深からざるをいう。その術早打ちにして、手筋を心掛くるにあり、早きときは、欲心出づる隙なし、欲心出でざればも手筋好く、しだいに上達す。これ初心第一の心意なり。
 また地取り、石取り、敵地へ深入りし、石を逃ぐる、皆悪し。それ地取りは隙なり。石取りは無理なり。深入りは欲心なり。故に地と石とを取らず、深入りせば石を捨て、打つべし。地を取らざれば堅固、石を取らざるは素直、深入りせざるは無欲なり。石を捨つるはするどきなり。とにかく我が石備え堅むるを第一とし、次に敵の透き間を打つべし。かくのごとくするときは、手筋素直にして上達すみやかなり。初心の業、正道に入りやすく、上達しやすからんことを示すのみ。

参考図書(下表の最右欄の文字を示します)
丈和 藤沢秀行九段 日本囲碁大系10 jowa.jpg (200789 バイト)
剛腕丈和 高木祥一九段 囲碁古典名局選集
No対局(開始)日西暦対局者 対局者 碁のコメント 勝敗
01文化4年9月14日 1807 先 葛野松之助 長坂 猪之助 長坂猪之助との21番碁の第12局 黒中押勝
02文化6年6月17日 1809 2子 葛野丈和 本因坊 元丈 丈和の師元丈が本因坊を継いだ直後の対局 黒中押勝
03文化7年6月 1810 先 桜井知達 葛野 丈和 10歳年下の13歳の少年との稽古碁 白5目勝
04文化9年5月15日 1812 二子 服部立徹 葛野 丈和 11歳年下の恐るべき後輩(後の幻庵因碩)との対局 白8目勝
05文化9年7月19日 1812 先 葛野丈和 奥貫 智策 1歳年長の才能は丈和を超える兄弟子との対局 黒中押勝
06文化10年2月12日 1813 先 服部立徹 葛野 丈和 恐るべき後輩に定先に打込まれ、しかも初戦負けての2局目 黒6目勝
07文化11年7月15日 1814 先 葛野丈和 本因坊 元丈 本因坊後継者は丈和と誰もが認めていた時期の師弟対局 打掛
08文化11年9月11日 1814 先 服部立徹 葛野 丈和 立徹との先相先の黒番でやぶれた直後の負けるわけには
いかない必死の思いの一局
白11目勝
09文化12年1月10日 1815 先 服部立徹 葛野 丈和 「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と白番丈和が立徹の穴
に入った碁
白9目勝
10文化12年2月14日 1815 先 服部立徹 葛野 丈和 立徹の快進撃にやっと待ったをかけられた時期の碁 持碁
11文化12年3月27日 1815 先 葛野丈和 本因坊 元丈 油の乗り切った41歳打ち盛りの八段元丈、29歳五段丈和
の対局
黒4目勝
12文化13年1月24日 1816 先 葛野丈和 服部 因淑 丈和より16歳年長、当時の長老格で実力派の因淑との
先相先の先番の碁
打掛
13文化13年8月27日 1816 先 葛野丈和 互先 山本道佐 本因坊跡目と見られた奥貫智策と互先11局を打ち分け
にした浜松出身山本道佐との対局
黒中押勝
14文化14年4月12日 1817 先 葛野丈和 本因坊 元丈 丈和31歳、本因坊跡目となる2年前の対局。関山仙太夫
の評に「白の打ち方、大いに妙なり。かくの如く打たれて
負けざりしは、黒もまた妙なり。」とある。黒1目勝ちの白の名局。
黒1目勝
15文政元年6月29日 1818 先 服部立徹 葛野 丈和 丈和32歳、立徹21歳。両者の対局は、世間の耳目を集め、
気楽に打てなくなって対局が激減している。
黒中押勝
16文政2年11月17日 1819 先 本因坊丈和 安井仙知 元丈跡目として本因坊を名乗り、初めて打った御城碁 黒5目勝 AB
17文政3年11月17日 1820 先 本因坊丈和 服部因淑 2回目の御城碁、相手は昔の鬼因徹、対局時点では因淑60歳 黒中押勝
18文政3年11月28日 1820 2子 四宮米蔵 本因坊丈和 史上アマナンバーワン、天下二目を自負する米蔵との十0番碁第1局 白9目勝
19文政4年1月25日 1821 2子 四宮米蔵 本因坊丈和 丈和米蔵十番碁、これまで3勝3敗の第7局、 持碁
20文政4年2月2日 1821 2子 四宮米蔵 本因坊丈和 丈和米蔵十番碁の第8局 白6目勝
21文政4年11月17日 1821 先 井上安節 本因坊丈和 宿敵幻庵因碩(服部立徹、井上安節、井上因碩)が安節と号していた時の御城碁。随所に丈和の妙手があり、白の名局。 白12目勝
22文政5年1月3日 1822 先 井上安節 本因坊丈和 因碩との丈和黒番の碁。上辺の1線のワタリの形が有名で、丈和の著書「国技観光」にこの碁を掲載したのを因碩が怒ったという曰くつきの碁。 黒中押勝 AB
23文政5年3月5日 1822 先 外山算節 本因坊丈和 本因坊算砂200回忌の寄進碁で、兄弟子の算節と京都寂光寺で打たれた。寄進碁は1日で打掛になるのが慣わしだが、熱戦、打ち継ぎされた。 打掛 AB
24文政5年11月15日 1822 先番 本因坊丈和 互先 井上因碩 井上家10世、因砂因碩と呼ばれるが、丈和に対して、白番の御城碁は荷が重いという藤沢九段の言がある。 黒中押勝
25文政6年3月7日 1823 先 片山知的 本因坊丈和 武家三強の一人、知的との対局それまでは知的善戦しているが、本局は手合い違いと言われるほどの碁だった。 黒中押勝
26文政10年1月20日 1827 2子 関山虎之助 本因坊丈和 文武百般に通ずるアマチュアの鑑、後の関山仙太夫との2子局 黒5目勝
27文政10年11月17日 1827 先 本因坊丈和 林元美 林家に於いて、一頭地を抜く存在の林元美との互先の丈和先番の碁である。元美は丈和の名人碁所就任に大きな役割を果たしている。 黒中押勝
28文政11年8月9日 1828 先 服部雄節 本因坊丈和 名門服部家の跡目の雄節との碁。雄節先では分が悪く3連敗しているらしい。もっと熱戦の碁をみたいけど、ないのであろう。 白中押勝
29文政12年11月17日 1829 2子 安井俊哲 本因坊 丈和 俊哲は後年の安井算知で、文政8年安井家の跡目となった。俊哲も碁史に残る豪腕で、すざましいねじりあいが見もの。 白1目勝
30天保2年1月6日 1831 先 木谷琢順 本因坊丈和 名人碁所を許される直前の兄弟弟子琢順との対局 白10目勝
31天保6年7月19日 1835 先 赤星因徹 名人本因坊丈和 囲碁史上有名な因徹吐血の局 白中押勝 AB
32天保11年11月1日 1840 先 本因坊秀和 本因坊丈和 幻庵因碩の名人碁所就任を阻止する使命を担った本因坊家跡目・秀和との対局 白中押勝

弘化4年2月13日 1847 2子 桑原秀策 本因坊丈和 丈和の現存する棋譜最後の碁が秀策戦、smile_aceもスムーズに秀策の碁に目が行く 白中押勝

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