自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役
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SL写真展 ( INJEX )
にある送付先へドウゾ。)
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・「根室本線旧線の“狩勝峠”を訪ねて」
338.
上り貨物の緩急車に添乗して
・新得→新内
間
〈0001:bO31212:連写2枚目から展示します。〉
〈撮影メモ〉
上り貨物列車の緩急車に添乗させてもらって、新得から新内までの間で先頭方向を撮影しています。この区間では新得を出て直線が6q続き、その後山間部へ入って行きます。列車の中間部に131Kのキロポスト(滝川起点)が写っています。
ちなみに、この峠越えの大半の行程が25‰の急勾配だから、D51型2両で660tの牽引定数が与えられており、Ω(オメガ)カーブの辺りでは時速は20〜30q程度となっているものと思われる。貨物列車の長さは300mに達している。
〈0002:bO31213:連写3枚目です。〉
〈撮影メモ〉
続いて連写しています。
〈0003:bO31215:連写4枚目です。
〈撮影メモ〉
後ろから見る本務機の吐き出すドレーンがものすごいのには驚かされた。右側に白樺の樹木が員像的だった。列車の最後部は滝川起点 129K200M付近を走っています。
〈0004:bO31216:連写5枚目です。〉
〈撮影メモ〉
走行地点は129K150M付近です。25‰から15.2‰に変る勾配標が写っています。
〈0005:bO31221:連写はこれで終わりです。〉
〈撮影メモ〉
緩急車から後ろを撮影しました。後補機の煙がダイナミックに写っています。後方に過ぎ去った線路にはハイタタキが写っています。この列車の後補機は信得機関区のD51 136号でした。
〈謝辞〉このサイトの画像と解説は、「狩勝高原エコトロッコ鉄道」の増田さまのご援助の賜物です。厚く御礼を申し上げます。
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〈紀行文〉
北海道の狩勝峠へ向かう列車の急行列車の中で幸いにも旅行中の国鉄広島に勤められておられる方と知り合いとなり、勧められて、その夜は新得機関区に泊めてもらい、翌朝の貨物列車で新内まで添乗させて下さると云う便に甘えたのだった。
この新得駅は1907年(明治40年)9月8日に官設鉄道の十勝線が狩勝トンネルの開通により旭川〜帯広間が開通した時に同時に開業している。ここは狩勝峠越えの十勝側の補機の置き換え氏点として給水設備などが設けられていた。
確か、1917年(大正6年)になって新得機関区と新得保線区が落合から新得駅の裏に移転設置された。そこには転車台、10本の収容線を持つ扇形庫、クレーンを備えた給炭パンカーなどが揃った。そのすぐ横に機関区の大きな建物が駅の裏手に並んでいた。2年前の1964年4月の機関車配置表を見ると、9600型が(2両、D51型が16両が所属していた。新得には機関区、保線区の他に列車のブレーキが手動であった時代の昭和4年まで車掌区も置かれていたから鉄道の街であった。
さて、この新得云う町は、北海道の脊梁をなす日高山脈、大雪火山群、十勝岳火山群などの東側の山ふところ深い地域にあり、十勝川最上流に位置していて、中心街は標高188mである。この町の大半は高山地帯で、北部は2,000 m級の山岳を多く有する森林地帯であり、町南部は丘陵地帯で、ソバ畑が広がる。南東部の平野中央に佐幌高台が南北に横たわり、西部に新得市街がある町面積は全国の町村で4番目に広い。それに北海道の断面一次モーメント上の重心に位置することで知られていて、駅前に“やじろべい”をデザインしたモニュメントが立っている。
そのような地形から開かれたのは比較的遅かったようである。それは、この辺りの最も古い「五万分の一」(明治29年版)を見ると、町はおろか、道路の一本も見当たら
ず、全てが原野であったからである。この「新得(しんとく)」なる地名はアイヌ語の「シリ・トク→シントク(山の突起)」に由来していることが北海道旅客鉄道釧路支社の駅名語源に記されているから、道央や十勝のアイヌの人々が往来する踏み跡が通過していた。その後の1898年(明治31年)10月には石狩道路が太平洋岸の大津港から新得地内を経て落合まで開削された。そして翌年には新得地内の広内地区にパンケシントク駅逓所が設置されて、交通、郵便、行政の中心となって行き、続く鉄道の開通により市街地への発展が始まったと云う。現在は国道38号線が町域南西部を南北に走るほか、JR根室本線・石勝線があり交通の要所であることに変りはない。
私は、新得到着が日暮れてからとなり、翌朝は早々に貨物列車に添乗してしまったので、駅やい機関区を撮影するチャンスがなかったのは残念であった。
撮影:昭和41年(1966年)7月4日早朝。
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・「根室本線旧線の“狩勝峠”を訪ねて」シリーズのリンク
335. プロローグ:狩勝峠からの大俯瞰(ふかん)・新得−狩勝(信)
-- (「日本三大車窓風景・新日本八景(平原)--
336. 狩勝峠、新内沢大築堤を登る
・
新内-狩勝(信)
332. 狩勝峠、オメガカーブを登る T・新内−狩勝(信)
334. 狩勝峠、大カーブヲ登ル U ・狩勝(信)−新内
333. スイッチバックの狩勝信号場・落合〜新内 間
331. 狩勝峠のDC優等列車たち・新内〜狩勝信号
場
337.狩勝峠スナップ アラカルト・新内−狩勝信号場