自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役

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・蒸気旅客列車 “CHESSIE SEFTY EXPRESS” を追って」S・CSX鉄道網
015.  リマ駅での楽しいひとときのC&O 614号 ・オハイオ州

〈0001:リマ駅にて〉
C&O 614・

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〈紀行文〉
、アメリカでは通勤電車や地下鉄、大都会の駅の一部などを例外として、ほとんどの駅のプラットホームは線路の枕木とほぼ同じ程度の高さで、石畳やアスファルト鋪装がされたり、砂利を敷いたままの事も珍しくはない。希には火災を心配しながらも昔ながらの板張りでしつらえていることも古さを好む保存鉄道で見かけることもあった。
この高さのないプラットホームは、ひとの往来に時間を競うことがなければ、乗り降りに多少の不便はあるにしても、極めて実用的で、経済的であったし、もともと馬車という乗り物から発展してきた客車であるから、利用者には何の抵抗もなかったのであろうか。
そのおかげで、駅に入って来たSLの写真を撮るのには足回りがよく見えて至極好都合であったのである。希に催されるSL牽引の特別旅客列車の運転会では、それでも老人や年少者が乗り降りする際には踏み台が用意され、ボランテアーを買って出ている人々が手を添えて解除している姿を見かけるのが常であった。
何と云っても、このようなツアー旅人ととなって興味をそそられるのは、目的地に到着してから参加者達が過ごす二、三時間の自由時間の行動パターンであった。アメリカでは、どうも職場関係から出来る人の集まりよりも、主義主張を同じくする人々の集りが多いように思われた。列車が目的地の広場に到着するのを待ちかねていた人々は先を争うようにトラックサイド(線路脇)に溢れでて、またたく間に、ちに三つか四つの種類のグループに色分けされて行動し始めるのであった。
それは先ず、オミヤゲ物ツアーに精を出すグループ、その近辺に演奏の場を見つけて音楽アクションの準備に向かうグループ、そして最も多人数のSLを取り巻いて離れないグループ、それに年齢を問わない恋人達とでも云うところであろうか。
 このSL好きのグループの人々は、流れてくる自慢のライブ・ミュージックを聞き流しながら、石炭の臭いと、高温高圧の過熱蒸気によって分解した潤滑油の焼ける強烈な脂の臭いに酔いしれながら、この日の機関士や助手を買って出ている人建ちの力強い自慢話を楽しそうに聞くのである。時折、禁じられている汽笛を鳴らして、イタズラっぽく頬をふくらます少年たちなども現れて、楽しい時間はあっと云う間に過ぎてしまうのだった。
今日のツアーはオハイオ州の南端のシンシナティからB&O鉄道線を北上して、昔かってのアメリカ第二のSL製造都市であったと云う歴史をもつリマと云う田舎町が目的地とする折り返しの旅であった。あいにく終日、小雨のけむる寒い初夏の休日であったが、白い蒸気の乱舞には好都合で幸とだと思うのはカメラマンだけだろうか。
既に、複雑な迂回路を選んで転向を済ました列車は鉄道線路の十字路として知られるリマ駅の近くの貨物ヤードで憩いのひとときを迎えた。
SLはこの展覧会でおなじみのC&O鉄道の♯614のグリーンぶらいやー“”で、客車から切り離されて広々としたトラックサイド(線路脇)のある場所にお出ましとなり、溢れるばかりの大勢の人々に取り囲まれると云う人気絶頂のさなかであった。
 さて、先に鉄道の十字路と行ったが文字通り平面的に鉄道線路がが交差している重要な地点なのである。ここで交差する鉄道は先ず、東西に元PRR(ペンシルバニア鉄道)のCR(こん・れいる)のニューヨーク・シカゴ間を結ぶ大陸横断ルートであるダブルトラック幹線である。そしてそれに直角に南北方向に交わる第一は、今日の♯614が走って来たB&O(ボルチモア・アンド・オハイオ)鉄道が属するChessie System(チェシー・しすてむ)の運用するシンシナティ・トリド間を結ぶ亜幹線である。そして、それにやや並行して居るのが元NKP(ニッケル・プレート・ロードの後身である石炭間輸送の雄であるNW(ノーフォーク・ウエスタン」鉄道のしせんである。そしして最後が、南オハイオの製鉄地帯から鋳物部品などを輸送するためにフォード自動車会社の傘下で運営されているDT&I(デトロイト・トリド・アンド・アイロントン)鉄道があって、合計四社の五本の線路が交差しているのである。特に、1995年までは往年の伝統的な大陸横断列車の代表であった“Broadway”を引き継いだニューヨーク・シカゴ間をを走るAMTRAK(アメリカ旅客輸送公社)の列車がリマ駅にも発着していたのであった。このような重要幹線に三社の線路が平面交差すると云う交通の要所であったことからであろうか、世界大戦、朝鮮動乱・ベトナム戦争の間には軍隊の輸送列車がリマで停車して地元のボランテアー団体の接待を受ける場所として知られていたのであったと云う。このような時は、故郷に帰りを急ぐ帰還兵士や戦地に赴く兵士たちでこの広いヤードも溢れていたことであろうが、有り難い平和の時代の今日、喜びに満ち足りた顔をほころばせた鉄道ファンで賑わっているのは地元の人々にも嬉しいことだろう。
実は、東西に走るPRRの線路は幹線にふさわしい堂々たる複線であり、これに対して直角に南北に平面交差する三本の単線はローカル線といえども頻繁に貨物が通過しており、この平面交差点を管理する信号塔が交差点の脇に高くそびえているのは時代離れしている。
 それとリマにはアメリカ第二の近代的新鋭SL製造メーカーであったりま機関車会社の工場があり、多くの近代的SLがここから誕生して行ったのであった。じつは、今日のホスト役のC&O ♯614は正しく、このリマ機関車会社の最終期の建造であり、里帰りの一日でもあったのだったが、実家の、あの巨大な工場はすでに荒れ地と化していたのは悲しい。
 また、森林鉄道専用のシェイ型SLを発明して製造していたたシェイ機関車社もここにあったから、リマは正に、SL製造工業の都と云えるだろうが、今はすっかり田舎町に舞い戻ってしまっている。僅かな自由時間を利用して、この町自慢のリマ郡歴史博物館に保存されているSLを訪ねた。それは大きなガラスウインドウ内にに飾られたシェイ型SLの実物にはいささか驚かされたことを強く印象に留めている。

撮影:1981年
発表:「塗装技術」誌・1991年1月号表紙

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・蒸気旅客列車 “CHESSIE SEFTY EXPRESS” を追って」S・CSX鉄道網
003. Sandpatch峠を登るC&O 614号・メリーランド州
004. 南オハイオを快走するC&O 614号・オハイオ州
005. 早暁のコロンバス機関区のC&O 614号・オハイオ州

070. 朝のカンバーランド駅出発のC&O 614号・メリーランド州

97. アメリカのスモール タウン“Flora”でのC&O♯614・イリノイ州
021.“Sefty・Express”のSLとDL(アメリカ・C&O鉄道)
    (自己主張とコーポレートカラー)