自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・蒸気旅客列車 “CHESSIE SEFTY EXPRESS” を追って」S・CSX鉄道網
003.   Sandpatch峠を登る C&O 614号 メリーランド州

〈0001:〉
サンドパッチ

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〈紀行文〉
 山地の多い国々では、その主なる街道筋には必ずと云ってよいほど名だたる峠路があり、旅の苦難のドラマの舞台にもなり、詩情豊かに描かれてもいる。 時代が人間の足や馬から鉄道やクルマに移っても、峠路の難儀さはちっとも変ってはいない。
それは、古くは鉄路を通すために、そのルートを探して深い 谷や山に入る踏査隊の人々から始まって、その厳しい地形に挑むように行われる鉄道建設の苦労話が続く。そして、蒸気機関車(の峠越えは、運転する人々にとっても、旅する人にとっても一つの試練を与えているのである。運転するエンジニア(機関士)にとっては、限られた蒸気エネルギーを、最大限、効率良く運動エネルギーに転換するための腕の見せどころでもあり、空転(スリップ)でもすれは、総てが水の泡になりかねないのであるし、限られた時間内に、如何に多くの石炭を効率良く燃焼させ、水を蒸気に変えるかがファイアマン(助手)の正念場(しょうねんば)でもあるのだ。一歩間違うと、トンネル内で失速して、機関士,助士が窒息しかけることは良く知られている。一方、旅人にとっても、硫黄くさい煙と煤(すす)が窓のわずかな隙間(すきま)から侵入して来て、息をつまらせるのに耐えなければならない。
 このサンドパッチ峠は、アメリカの東海岸に平行に横たわるアパラチャン山脈の一角、アレゲニー山地にある。首府ワシントンの夜桜で知られるポトマック河の上流から、山脈の西側に当るミシシッピー河の大支流のオハイオ河の上流であるモノンゲヘラ河の流域へと抜ける鉄道ルートであり、標高2,258フィートのサミット(峠の頂上)はトンネルによって通過しており、東から西にサミットに至る登りは18マイルの1.94%の急勾配と急カーブの連続で構成された復線区間である。その昔、1820年代から陸軍の測量隊によってルートの踏査と設計が行われ、B&O(ボルチモア・アンド・オハイオ)鉄道の意向によって可能な限り勾配を小さくする努力がなされたと云う。そのために谷を渡る大きな馬蹄形の築堤も敢えて建設されている。
 1980年の初夏,そのある朝の10時、やっと深い谷間に遅い陽射(ひざ)しがやって来たばかりなのだろうか、レールは夜露に濡れている。
何年ぶりかのSLのサンドパッチ峠越えは、メガロポリスの鉄道ファンの拍手喝采で迎えられていた大イベントでもある。
 この地点にやっとたどり付いた時には、地元の皆さんに混じって、スイスから来た人もおり、3 〜40人ほどにふくれあがった。やがて、深い谷間にこだまして、ドラフト(シリンダーでつかいおわった排蒸気を煙突の下から吹き出す音)が近づいて来て、長い編成の黄色の客車を引いた C&O ♯614が、小雨のようなシンダー(石炭の燃え残り粒)をバラバラと降り注ぎながらやって来た。それは吠えるような轟音(ごうおん)のドラフトと共に通り過ぎて行った。その一瞬、一斉にシャッターが切られた。
所で、アメリカの鉄道の発達には、
それぞれが私企業であったと云うことだけでなく、発足当初から激しい競争の中で発展して来たことが指摘される。それは東海岸にあった有力な貿易港を持つ、それぞれの州は西部の開拓が進行するに従って、アパラチャン山脈を越えた西側への交通路を求めるようになったからである。
 今までのメキシコ湾を経て、ミシシッピ河をさかのぼる海運ルートに対して、ニューヨーク市では運河の方が有利であるとして、五大湖へ通じるエリー運河の完成に力を入れた。
これに対して、ボルチモア港は鉄道馬車を選んで、山越えに挑んだのである。そのためには勾配の緩やかなルートの発見のためにアメリカ陸軍の力を借りて進めていた。
一方、フィラデルフィア市では、運河と峠越えをインクラインと馬車軌道でで結ぶことで対抗したのであった。
そのような激しい競争にも鉄道が勝ち残り、その鉄道も各貿易港を起点とする鉄道相互の競争で、名実共に進展し磨き抜かれて来たのであった。
 そのような意味で、このB&O鉄道の“サンドパッチ峠”はPRR(ペンシルバアニア鉄道)の“ホースシュウ・カーブ”(馬の蹄鉄形のカーブ)に匹敵する横綱級の峠であり、東部とシカゴを結ぶ大陸横断ルートの難所なのである。

撮影:1980年
発表:「塗装技術」誌・ 1990年4月号表紙、「レールガイ」誌

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・蒸気旅客列車 “CHESSIE SEFTY EXPRESS” を追って」S・CSX鉄道網
004. 南オハイオを快走するC&O 614号・オハイオ州
005. 早暁のコロンバス機関区のC&O 614号・オハイオ州
015. リマ駅での楽しいひとときのC&O 614号・オハイオ州

070. 朝のカンバーランド駅出発のC&O 614号・メリーランド州

97. アメリカのスモール タウン“Flora”でのC&O♯614・イリノイ州
021.“Sefty・Express”のSLとDL(アメリカ・C&O鉄道)
    (自己主張とコーポレートカラー)