、自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・瀬戸内の呉線に急客蒸機 C59、C62を訪ねて V
366  瀬戸内の浜路を走る・呉線のどこかで

〈0001:m蒼S時代063-01.jpg:C62 23快走〉

〈撮影メモ:1968.12.撮影〉
「ゆうづる」牽引で勇名を馳せた平機関区のエース
C62 23が、ダイナミックに驀進する。常磐線電化を機に3輌のC62が糸崎区に転じた。 

〈0002:m蒼S時代063-02.jpg:「のりひび」の杭の並ぶ瀬戸内の湾〉



〈撮影メモ:1969.1.3.撮影〉
海苔(のり)の養殖のための「のりひび」の棒杭がの浮かぶ浜辺を、糸崎行き普通列車を牽いたC62が駆け抜ける。 忠海?安芸幸崎 間。

〈0003:国鉄時代068-01.jtp:みかん畑から〉

〈撮影メモ:1969.1.3.撮影〉
みかん畑の向こうには波穏やかな入り江。のどかな瀬戸の風光の中、C62牽引の糸崎行き普通列車が小松原トンネルへの勾配を登る。 安浦?風早 間。


〈0004:国鉄時代067-01.jpg:夕陽を浴びて〉


〈撮影メモ:1969.1.3.撮影〉
C62に牽かれた荷物列車が白煙をたなびかせ糸崎に向かって走り去る。心に染みる瀬戸の夕景。 安芸幸崎-須波 間。

〈0005:bP90122:大乗の内海をバックに・大乗−忠海〉

〈撮影メモ:昭和41年1月2日撮影〉
引き潮の大乗内湾をバックにD51が牽引する貨物列車がやって来た。
丁度そのとき、雲間か陽光がもれ出て海面を一瞬、明るく照らした。


〈0006:bQ20323:柿の稔頃〉

〈撮影メモ:昭和45年1月3日撮影〉
確かな撮影場所は判然としなかったが、前後にヘッドマークを付けた急行 安芸 が写っているこまがあったので、南九州から帰る途中で呉線に沿って撮影したことが判った。機関車もD51であった。
日没も近い冬の夕暮れである。画面に頭を出しかけたSLの前後には、真に多くの風物詩が歌を奏でていた。
沢山の柿の実、湾の海面に頭を出した“のりひび”の棒杭、一隻の序線などなど。



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〈紀行文〉
 近年になって、広島・三原の間を結ぶ呉線の西端に当たる広島大都市圏に入る海田市〜廣までを除いて、残りの東寄りの廣駅から三原駅までのルートを“瀬戸内さざなみ線”とのニックネームを付けて呼ぶようになっている。この区間では湖のように静かな波と沢山の島々が横たわる、瀬戸内海らしい光景が旅人の旅情を誘っているからである。特に、三原から須波−安芸幸崎(あきさいざき)−忠海を経て安芸長浜までの約20qの区間は瀬戸内海に沿っており、海にすぐ近くまで山が迫る所も多く、最も海岸線に忠実に沿って走っている場所と云えるであろう。
先ず三原駅を出て沼田川橋梁を渡って海岸に沿いに出れば山側のみかん畑から瀬戸内海と共に行き交う列車が望めるし、須波〜安芸幸崎では山側にある国道に対して、後の昭和6〜7年(1931〜2年)に建設された呉線は海側に石積みの堤防を築いて海に直面して急カーブを描いて走っている。そして安芸幸崎から忠海に掛けては海岸ぎりぎりに岬を回るので,刻々方角が変わり,景色も変化に富んでいる。この辺りは砂浜の渚(なぎさ)が線路に迫っており、海側から列車を狙える希有のポイントであった。
この先で、瀬戸内の小京都よ呼ばれる竹原市街を経由するため内陸へ回り込むが、やがて南下して再び入り江の奥に面した古いの港町、安芸津へ出た。その次の風早の海岸では逆光に輝く瀬戸をバックに下り列車のシルエットを「みかん畑の広がる丘から撮った。やがて今は呉市となった安浦に入った。ここは年間4000トンの出荷量を誇る広島カキの一端を担っている入り江に面している。この対岸は大きく海に突き出した幅が8qもある丘陵がよこたわっていた。これは標高 839mを最高点とする野呂山高原(のろさんこうげん)
から南へ延びるた尾根が瀬戸内海に迫っていたのである。そこで国道も呉線も尾根の鞍部を選ぶように内陸へ回り込んで「安登越え」の山越えに向かっていた。そして、呉線は船内での最高地点とされる標高 
46.9mの安登駅を通り抜けて、坂を下り切れば筆づくりの町で知られる 安芸川尻に到着する。この西側にそびえる呉市との境界にある休み山丘陵との間の幅広い入り江には中國山地から流れ下って来た黒瀬側が流れ込んでいて、この川が育んで来た沖積平野には広の街並みが広がっていた。ここは既に大広島市都市圏の東端であった。

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◆『瀬戸内の呉線に急客蒸機 C59、C62を訪ねて T 〜 Z 』のリンク
191. プロローグ:海辺を疾走するC59・須波-安芸幸崎 間  
128. 冬の沼田(ぬた)川堤防から須波海岸へ・三原-須波−安芸幸崎
365. 安登越えの急行「安芸」・安浦−安登−安芸川尻
129.  夕暮れの寝台急行( 安芸 」 ・ 忠海〜安芸幸崎  間
202.  通りすがりのC59 ・広−安芸阿賀 間 & 天応−吉浦 間
113. 昼下がりと夜の糸崎機関区にて 」  
−スナップに添えて、ゴイラー用水とその管理-