自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役
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SL写真展 ( INJEX )
にある送付先へドウゾ。)
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・阿武隈高地を行く磐越東線
311.
夏井川渓谷 T :江田信号上あたり
・小川郷-江田(信)間
〈0001:2242:高崎桟道橋梁を望む〉
279.0002:
〈シャシンノ撮影メモ
小川郷駅から江田駅に向かって2つ目の大久保トンネルを抜けたすぐ先の県道41号線の斜め上の断崖に架けられた高崎桟道橋梁である。これは、長さが64m、プレトガーダー桁5連で石積みの橋脚に架かっていた。見上げるような高い所にある高崎桟道橋へとやって来たD60は歯切れの良いブラストを山峡に響かせて通り過ぎて行った。これを撮るには県道を走って、対岸の急斜面を下る水圧鉄管が見えて来たところで、夏井川に架かる木造の勇人橋を渡って夏井川第三発電所の敷地まで行かねばならなかった。
〈0002〉列車交換の江田信号場
典拠:
「SL Photo Library」
http://www.frg.co.jp/~furuya/index.html
〈banto 磐越東線(江田)〉のサイトのなかの「phto 009」の写真です。
この転載を許諾された管理人の古矢さまに厚く御礼を申し上げます。
〈0003:bP20333:726レ重連旅客列車進入〉
〈撮影メモ〉昭和43-2-25.撮影。
D60 78号機が前補機として付いていた。
列車の背後に短いプラットホームの仮乗降場があるはずだ。
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〈紀行文〉
今回と次回に分けて、いよいよ浜通りの海沿いの平野からサミットの標高 445mの阿武隈高地へと登りつめて行く夏井川渓谷沿いの山岳路線を訪ねることになった。
そこで先ず、この横断すべき阿武隈高地の地形を述べておこう。ここは私が地理を習った頃は「阿武隈山脈」であったはずなのだが、今はもっぱら“阿武隈高地”と呼ばれているのは地質学の進歩によって山の正体が明らかになったからであろうか。
この高地は非火山性の大山塊であって、阿武隈川の流れに沿った盆地の連なる「中通り」と太平洋沿岸沿いの丘陵と平地が交互に現れる「浜通り」との間にいちしていて、その広さは東西60q、南北200qの紡錘形をしていた。その成員は、海底で堆積した大変古い地層が隆起して陸地となったものであり、初めは日本アルプスのような大山脈だったと考えられるが、その後の長年の浸食作用で中西武は老年期のなだらかな地形となっており、その侵食に対して残った硬い地質の独立峰が各地に散在していて、一番高い山でも標高 1000m程度で、平均すると500〜600m程度のなだらかな山々と、その間に僅かな平地が点在すると云う高地トナッテイル。また、つその東部はさらに隆起した阿武隈山系の花崗岩(かこうがん)が再び夏井川などに浸食されて渓谷を作って流れ下っている。
このような阿武隈高地を東西に通りている「磐城街道(今の県道41号の小野四っ倉線)」が断層に沿った断崖状の壁面の急勾配を下っていたから、その後に建設された磐越東線も同じルートを採用して通り抜けることになった。この夏井川は阿武隈高地の南部の中央部に位置する主峰の大滝根山(標高1192.5m)の南斜面に源を発して西流して、小野町で右から十石川を合流し、小野町夏井地区で南東に向きを変える。この小野町といわき市との境では流れが急峻となり、約15qにわたる“夏井川渓谷”が約400mの標高差を流れ下っている。谷を出た所に谷口集落の小川町があり、ここからはいわき市の北部を横断し常磐線の下を草野駅の南で東へ流れ藤間にて太平洋に注ぐ全長67qの大河である。
さて、この磐越東線の建設は、平郡西線の郡山〜小野新町間と平郡東線の平〜小川郷間がも共に大正4年に開通したが、残った小川郷〜小野新町間は夏井川の渓谷に沿っているため最も難工事の区間であった。
この区間は29.8qでその両端の標高差は約400m弱と云う
20‰連続のの急勾配区間であって、夏井川渓谷の断崖をトンネルで抜け、夏井川を何度も横断するという難路であった。そして、
着工から5年4ヶ月を掛けた大正6年(1917年)10月に全線開通し、平郡線は磐越東線と改められた。そのけわしさを具体的に数えてみよう。この小川郷と小野新町の間の磐越東線は狭い峡谷を流れ下る夏井川と砂利道の県道41号小野四倉線とが平行して走っている。小川郷を過ぎると、16もの県道との踏切があって、その幾つかの踏切ではトンネルが間近に迫っていて、腰を石住、天井を煉瓦で積んだトンネル内部を見ることができた。全線で25箇所のトンネルの内、17箇所がこの区間に集まっていた。それに、蛇行する夏井川本流を渡る鉄橋は10か所を数え、夏井川に流れ落ちる支流を渡る鉄橋(長さ 40m内外)が6か所を数えると云う多さである。それらのトンネルや橋梁の橋脚や橋台は煉瓦や石積のものがほとんどで、磐越東線開業当時から使い続けられており、いずれも沿線で産出する石材で築かれていると云う。
大正6年(1917年)10月の開業時には、小川郷駅から16q登った地点に川前駅が設けられ、蒸気機関車への給水のための施設も準備された。その先には夏井駅を設けて小野野新町駅に達した。
その後の戦後、開業から約30年も経過した昭和23年(1948年)になって、小川郷駅と川前駅のほぼ中間地点の江田に長さ 10mくらいのホームだけの仮 乗降場が設けられた。この"仮 乗降場”とは運賃計算上の「キロ程」設定がなく、各鉄道管理局独自の判断によって、沿線の小集落の近くに、地元の要請によって通学生や病院通いのお年寄りなどの交通の便を供するために設けられた駅の一種であった。しかし、ここは近くにある夏井川渓谷や支流の江田川渓谷を訪れる人々にも利用されるようになった。ここで乗降する人は切符が設けられていないからいずれも隣の川前や小川郷までの運賃をはらわなければならなかったとうだ。その後、昭和38年(1963年)には列車本数の増加に対応するため信号上への昇格が行われ、仮乗降場の役割も続けられた。そしてJR化の際に江田駅へ昇格している。
そこでこのサイトでは小川郷から江田信号上までの夏井川渓谷の前半を訪ねることにした。
小川郷駅からの鉄路は次第に山間部に入り、夏井川と山の斜面の間を県道41号線とからむ合いながらうねるように渓谷の絶壁を登って行く。一方、クルマでの撮影行の私は夏井川と磐越東線に挟まれた、狭くて曲がりくねった砂利道の山坂道の県道を慎重に周りの地形を見ながらたどって行った。私は小川町から小野新町の県道は江戸時代の“磐城街道”だとばかり思っていたら、実はおがわから江田の間には高崎坂や地獄坂などの急坂があったため、小川からは夏井川岸をさかのぼるルートヲ避けて、国道399号(いわき市-小野新町-川内村-福島市-山形県南陽市)に入って坂を登って横川集落で国道から分かれて、山を越えて夏井沿いの谷間のの江田へ下る経路が使われていたのだった。今の県道は明治に入ってから土木県令で知られる三島通庸(みしま みちつねが開いた「磐城街道」だったことをしった。
さて、およそ2.5qほど走って最初の坂を上り切った所で1本の水圧鉄管が見えて来た。この県道からは小道が分かれていて、夏井川を狭い木橋で渡った上流の先の夏井川第3発電所へ通じていた。この辺りは桜とアカヤシオ(イワツツジ)の咲く絶好のポイントだそうだが、鉄道写真にも絶好の場所であった。
この木橋のうえからの上流を眺めると、左に昭和2年に完成した発電所が、右岸にへばりつくように明治生まれの県道が、その情報の絶壁の上を大正6年に開通した磐越東線がはい登って居ると云う三世代の構築物が勢ぞろいしていた。
そこで橋の辺りから上流を見ると県道の先の上方に緑色に塗られた鉄道の桟橋が見えるようだ 。これは小川郷駅から江田信号上に向かって二つ目の大久保トンネルを抜けたすぐ先の県道の斜め上の断崖に架けられた高崎桟道橋梁であった。何と長さが64m、プレトガーダー桁5連で石積みの橋脚に架かっていた。驚くようなすごい所に鉄道を通したものだ。
この発電所の用水取り入れ堰堤は上流約0.8q地点にあって、取り入れ口は左岸(発電所の対岸)にあるから、夏井川に架かる水管つり橋を経て発電所に向かうのだが、有効落差は30mほどて、常時出力は1050kWだそうだ。
さて、県道に戻ってしばらく走ると踏切に出た。それから少し走ると道路が高くなり展望が開けた。
この県道より低い位置に大正5年に完成した夏井川第1発電所があって、県道からは吊り橋で対岸に渡ることになる。当時は最新技術であったコンクリート建ての発電所上屋は近代化土木遺産 ランクA の認定を受けるほど歴史的な建造物であると云う。それに付近からは磐越東線の長い鉄橋を真正面から列車を捉えることのデキル絶好の撮影ポイントであるとされていた。
再びび踏み切りを渡って、しばらくすると今度は夏井川が間に入るようになった。この小川郷から江田(信)までの間に夏井川本流には下江田鉄橋(91m)、夏井川鉄橋(91m)、江田鉄橋(72m)のプレートガーター形式の鉄橋が架かっていた。やがて、谷が少し開けると県道脇に小さな江田信号上入り口の小さな看板があって、ここを山側に入ると、高低差約10mもある階段を登り切った所に江田信号上の仮乗降場ホームに出た。ここは山に挟まれた渓谷沿いの信号上で、周囲に民家はあまりなく、商店が1軒あるのみであった。普段は人気も少ないが、初夏や秋の紅葉のシーズンには夏井川渓谷や背戸峨廊(せとがろう)を訪れる人々で賑わうとのことである。
ここでは、平方に向かって左手に山すそを巻くようにして、本線から平坦な引き上げ線(待避線)が1本だけ設けたスイッチバック式の信号場であった。信号場になっても旅客の乗降の取扱いは続けられていた。貨物列車の本数が増加したことから、昭和42年頃の完成予定で勾配を15‰に緩和した全長400m程の行き違い可能な形式に改良する予定が建てられていたようだったが、実現しなかった。
県道で江田信号場前を過ぎ、夏井川支流の江田川に架かる磐越東線の青色に塗られた江田川橋梁(橋長: 40m)をくぐり、左岸を10文さかのぼると「背戸峨廊(せとがろう)の案内板がある。この背戸峨廊と云う渓谷があるのだが、これは小川町出身の「蛙の詩人」 草野心平(1903-198)による命名で、「背戸」は方言で隠れた場所、「峨廊」は美しい岩壁の意味のようである。
〈参考資料〉:磐城街道について
「磐城蘭土紀行: 岩の上の馬頭尊」
http://iwakiland.blogspot.jp/2010/03/blog-post_05.html
・「阿武隈高地を行く磐越東線」シリーズのリンク
308. 磐越東線への「いざない」-プロローグ
309. 好間(よしま)川鉄橋を行く朝の通勤列車・磐越東線/平―赤井間
−常磐炭鉱(好間・赤井の炭鉱)の栄枯衰勢-
310. 豊かな耐火粘土と粘土山・磐越東線/赤井 & 小川郷駅
220. 夏井川渓谷 U :川前駅辺り・江田(信)-川前
312. 夏井川渓谷 V:夏井川に架かる棚木鉄橋・川前−夏井
193. 早春の沿線風景「三春」・磐越東線/春−要田−船引間