自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・初夏のオホーツク海岸への探訪
246.  沙留(さるる)海岸、コムケ湖 ・名寄本線 /豊野〜沼の上

〈0002:33-101:沙留海岸〉
名寄本線/沙留→豊

〈0003:33-107:オムシャリ沼の岸辺にて」〉
名寄本船/渚滑→富

〈0001:コムケ湖畔を行くキュウロク貨物列車〉
水辺に影を残して、沼の上→小

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〈紀行文
 北海道は旭川市から北へ天塩山脈を塩狩峠で超えると天塩川の貫流する名寄盆地に出た。その中心にある名寄からは支流の名寄側に沿ってオコーツック海岸へ抜けるのが名寄本線であって、北見山脈を天北峠で越えるために前補機の付くキュウロク重連区間を集中して撮った。その興奮の余韻を抱きたまま今晩も海辺の興部の町に泊まった。この興部の語源となった二つの川 興部川と藻興部川が合流してオホーツクへ注ぐところに興部漁港があって、カラフト鱒の水揚げbPなのだとのお国自慢を聞きながら海の幸を味わった。
翌朝も改正が続いていたことに感謝した。オホーツク海沿いを走る名寄本線にあって唯一の波打ち際を疾走する区間に出会えることを楽しみに、紋別方へ向かッてオホーツク国道238号へ走り出た。海岸に沿った街並みからは残雪をまとった北見山地の最高峰の天塩岳に連なる標高千m級の山並みが程よい遠さで眺められ、その山麓は緑濃い針葉樹林が広がっていた。
興部駅を出た線路はオホーツク海へ向かって街並を抜けて、海沿いを南下して来た国道の跨線橋の手前で興浜南線を左に分岐して、自らは逆に右にゆるやかにカーブし、海から土手一つ隔てた泥炭層の草原の中を南下し始めた。間もなく坂にさしかかると右手にオホーツク海が間近に見えた。そして、藻興部川の河口に架けられた長いガーダーの鉄橋を渡り、続いて逆川の橋梁を渡ってしばらくすると、 いよいよオホーツク海の海辺に出たようで、やがて豊野駅となった。ここから次の沙留駅への4,7kmの区間は名寄本線のオホーツック海沿いのクライマックス区間であって、線路沿いには防風林がないので冬にはオホーツクの海風が常に吹きずさぶが、2月頃には流氷が現れるであろうし、この季節は海浜の草花が咲き乱れる沙留(さるる)海岸が続いているからである。そして沙留駅にちかずくと小さな沙留岬が海に突き出して海からの流氷を眺める絶好のポイントとなっている。また、線路の右側は小高い砂丘を隔てて国道が南下していたが、そこからは海は見えなかった。今まで遠くに見えていた小さな沙留岬を間近に過ぎると間もなく沙留駅となり、小さな港があった。
私は車を離れて砂丘に登ったり、波打ち際を歩いたりして撮影ポイントを探していたが、さぞかし厳冬の流氷の季節は素晴らしいことであろうと想像させた。子供たちも海浜の草花や、波打ち際での遊びに時を忘れていたようだった。
 ここを出ると線路は国道を乗り越して陸側に移り、沙留川を渡っていた。そして森を一気に抜けて、坂を登って国道右側に高い築堤を築いていた。その上に富丘駅があって、下の道路から雪囲いの付いた階段で築堤に上るようになっていた。ここからのオホーツクの眺めは雄大だ。さらに進むと、線路が国道と同じくらいの高さまで降りてくる。やがて右手に湿地の広がる「オムシャリ沼」があって、4スパンのガーダーの円野川橋梁が海へ通じている水面を渡った。近くには原生花園もあったので、待っていると何と逆向き補機の着いた貨物列車が上って行った。
やがて、その先では、国道も鉄道も築堤が弧を描いて一旦内陸へ入っているのは渚滑川の河口部が軟弱な砂地であったからであろうか。国道は古めかしいトラス橋だったが、名寄本線の13連のガーター橋は国道より300mほど内陸側に架けられていた。ここからは紋別市に入った。
この難しい「渚滑(しょこつ)と云うの川の名だが、この川の上留には滝がたくさんあり、その滝つぼを意味するアイヌ語の「ソー・コッ」(滝の窪)にちなんで付けられた川の名であった。渚滑川鉄橋を渡って築堤を下って行くと左から渚滑線の線路が寄り添ってきた。紋別から上川へ抜ける国道の跨線橋を過ぎるあたりから再び海岸沿いを目指してゆるやかにカーブして行くが、すぐに渚滑駅、そして紋別へと入って行く。実はこれらの市街を素通りしてしまったのは、この先の元紋別駅付近からオホーツク沿岸にコムケ湖などの湖沼が点在している地点を目指していたからである。そこで、渚滑線や紋別への訪問は別のサイトに独立させたのでご覧下さい。
  紋別を過ぎると、列車はオホーツク海から離れ、海岸沿いの丘陵地帯を縦断しながら進んでいた。一つ丘を越えて藻鼈川橋梁を渡るとまもなく、パルプ工場への引き込み線への貨車の出入りの忙しい元紋別駅があった。その先はオホーツクがかろうじて見えるだけの一直線の海辺を走る。やがて右手にオホーツク紋別空港の敷地が広がっていた。国道からやや離れて小向の集落の裏手をぬけた南よりに小向駅があった。この駅から次の沼の上駅のさきまでの約8kmのオホーツク海岸線には、お互いに結ばれた三つの沼からなる「コムケ湖」、その南東側には「シブノツナイ湖」があり、いずれも直線的な砂州で海と隔てられた海跡湖が連なる自然の豊かな湿原地帯がつづいていて、大正6年(1917年)に名寄本線を建設する際には「コムケ湖」の内陸の湖畔の一部を埋め立てて小向駅へ向かって築堤を築いて開通させたから大変に素晴らしい車窓が眺められるのであった。
小向駅からは小向橋を渡って、国道を挟んで「コムケ湖」に面するようになり、線路は湖に流れ込む小河をガーダー橋で渡りながら、遠望する湖面は海の色とほとんど変わりがないように見えた。
この湖の北西端に三日月状に曲がった部分があり、ここがアイヌ語で「コムケ・トー」(曲がっている・沼)と呼ばれたことから「コムケ湖」となったと言う。かっての湖はオホーツク海の入り江の入り口が8月頃になると漂砂によって閉じられたり、また融雪期や雨水の流入で水面があがって砂州が決壊して海へ流れ出するなどの自然のままであったようだが、今では北のはずれに水路が設けられて海水の出入りが自由となったことから、湖ではヌマガレイが漁獲されたり、カキの養殖も行われているし、オオハクチョウやヒドリガモなどのガン・カモ類の飛来する野鳥の楽園でもあり、湿地帯に咲く湿生植物の原生花園も見事である。それで重要湿地500に登録されているとのことだった。
実は、夕暮れ時、赤く染まった空と豊かな水をたたえる湖とが織りなす風景を待ちたいと云う気持ちを振り切って網走へ向かってしまったのだった。
 この先で国道脇から離れた線路は防風林の中を一直線に抜けて沼の上
駅へ。この先も大きな築堤が続き、シブノツナイ湖に流れ込む小河に架かるガーター橋を渡って行く。この先では、、もはやオホーツクの海を見ることはない。
そして、名寄本線で最長の湧別川橋梁を渡り右にカーブして行く。やがて湧別からの名寄本線の支線が左から、その奥から網走からの湧網線と合流して南下、中湧別駅へと続いていた。その先は蛇行した湧別川を再度渡った路線はこの後開盛駅を経て遠軽へと続いていた。

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・初夏のオホーツク海岸への探訪シリーズのリンク
245. 天北峠のキュウロク重連・名寄本線/一の橋−上興部
247. 渚滑川と紋別ゴールドラッシュの痕跡・渚滑線/渚滑付近
196. 夕暮れの網走川橋梁にて (湧網線・常呂駅&大曲仮乗降場)
197. 水芭蕉の咲く網走湖湿原 (石北本線・呼人−−女満別)
116. オホーツク海岸の初夏・百花繚乱(りょうらん) (釧網本線・原生花園)
・初夏のオホーツク探訪/番外編
058. 最長直線区間へ向かって白老発車・室蘭本線/白老→社台