自動車塗装の自分史 とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のHP
SL蒸気機関車写真展〜アメリカ & 日本現役

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        ・欧州鉄道スナップ紀行(フランス)   

140.  午さがりのパリ北駅界隈(かいわい)

〈0003:〉
パリ北駅正

〈0001:31−22−4:パリ北駅〉
パリ北駅入れ替え風景(1969)

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〈紀行文〉
 私の訪ねるヨーロッ
パ駐在のサービスマネージャーの席のある フランスホンダははパリ郊外の田園地域にあった。市内とシムカの自動車組み立て工場の周辺にあるクルマの補修塗装工場の視察を終わって午後2時頃には無罪放免となった。そこで早速パリ北駅界隈(かいわい)へ出かけることにした。気を使って案内してくれたのは、パリ北駅のガラス張りの大ドームが見下ろせる跨線橋の大通りに面した東詰めの角にある「北ホテル」と云うムードのある名前の3階建のホテルであった。荷物を預けて、直ぐに脇の小路のダラダラ坂を広大な駅の構内の東側に沿って下って行くと、柔らかなSLの気笛が出迎えて呉れるように響いて来た。金曜日の午さがり、初めて北駅の周りを散歩する機械が訪れたのだった。
この頃の私は鉄道趣味への駆け出しの時代で、ヨーロッパの鉄道事情は無知と云って良いほどで、ただイギリスのロンドン行きの国際豪華特急列車「Golden Arrow(金の矢)号」の出発駅がパリ北駅であり、しかもパリにある多くのターミナルが近代化される中で、昔の風格を保っている唯一の駅だと云うことと、この駅はで東京の上野駅のイメージがぴッタリだとのことを、何かで読んだ記憶が蘇って来ていただけであった。
 その長いホームノ南端にある駅の本屋は、決して広くはない大通りに面していた。その大理石の女神たちの彫像を軒(のき)に載せた風格のある建築物をしばし見上げていた。
 このパリの北に位置する「ガール・デュ・ノール」(北駅)は1846年に建設された北部鉄道会社のパリのターミナル駅であった。この会社はパリからフランス北部、カレー、だんけるくやベルギー国境方面、すなわち鉱山地帯であるイリリスのグレートブリテン島やベルギーとの交通のために1845年に創立された鉄道会社であって、その計画はパリからリール、ヴァランシエンヌを通り、ダンケルク・カレー方面への分岐点を経てベルギー国境までであった。1846年にパリからリールまで開通した。その開業間もなく、手狭となったので、1860年には駅舎の一部を壊して敷地を拡張した。1861年にフランスの著名な建築家であるジャック・イトルフ(Jacques I Hittorff:1792〜1867)の設計による現駅舎の建設が始まり、1864年には一部工事中のまま使用が開始され、1865年に完成した。彼は新しい建築構造材料、例えば 高価な「cast iron(鋳鋼)」などを採用しながら、大理石材を用いたアーチ形式(triumphal arch )の古典様式を展開した。この建物の正面の軒を飾っている彫像は、この鉄道の沿線の諸都市を象徴している23の女神像を配したもので、特に建物の冠に当たる軒を飾る女神像は、ひときわ大きなパリとこの駅を起点とする国際列車の行き先の都市、すなわち イギリスのLondon、ドイツのBerlin、ポーランドのWarsaw、オランダのAmsterdam、オーストリアのVienna、enna、ベルギーのBrusselsを象徴していた。そして、建物の主要な支持梁には炭素を2%含んでいる“Cast iron”(鋳鋼)が採用されているという。
 この建物の内部に続いて、20番線を超えるホームを覆う高い大屋根があり、そこには蒸気機関車の煙抜き窓がしつらえてあり、また北向きの空はガラス張りとなっており、大ターミナルの風格を残している大アーチが多数の線路を跨いでいた。これを支える柱も鋳鋼製であり、その臺石に据えられる根本部分には素晴らしい浮き彫り模様が施されていた。この柱は余りにも巨体であったことからスコットランドでしか鋳造できなかったと云う。そして、1938年に、この北部鉄道は国営鉄道と、その他4社と合併してフランス国鉄(SNCF)となり、パリ北駅もSNCFのターミナル駅の一つとなっていた。
私の訪ねた頃にも、嬉しいことに未だ僅かだが近距離用の通勤列車にタンク式蒸気機関車の牽引が見られるとのことだった。午さがりの時間帯は長距離列車の発着も無く閑散としている中で、夕方の通勤列車の発車準備であろうか、小さなSLは構内を走り回って客車の入れ替えに余念がない。
東側には新しい電車のホームが増設され、これから週末を、どこかで過ごすのであろうか、若いカップル達の飾り立てた賑やかさに満ちあふれた風情が見え隠れする。やがて、長距離列車が到着して、二輛の荷物車からサイクリングの一段がゾロゾロとホームに降り出した。そして口笛を吹きながら三々五々とホームを立ち去って行った。一方の私と云えば、北向きの天窓からの軟らかい光が屋根を支える支柱の土台部分に施されたゴシック風模様を浮き上がらせていた見事さに見とれていた。そして、それを前景に入れて、時々現れるタンクSLを135oレンズで撮ろうとしてじっと待ち続けていた。この北駅は改札がなく、出入りが自由でまったくゆったりとした気配の漂うターミナルであった。この旅のフィナーレにはロンドンから特急列車で出発し、ドーバー海峡を連絡船でカリーに渡り、そしてパリに列車の旅をする事を心に決めてドイツ、ベルギーに向かうことにして別れを告げた。


撮影:1969年秋
発表:「塗装技術」誌、「東西自動車塗装スケッチ 自分史への試み」)第4部連載(1990)

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・欧州鉄道スナップ紀行リンク
085. 世界最古のモノレール:“Schwebebahn”・ドイツ/ブッパータル
135.ブッパータル機関区とDB 50型蒸気機関車
137. 3気筒 急客蒸気機関車 012型 (ハンブルグ中央駅・ドイツ)
136. BR ヨーク駅で見た“ロケット号”(レプリカ) (イギリス)
008. 再びパリ北駅へ・フランス国鉄(SNCF)
142. ドーバー海峡旅情 (ロンドン〜ぱり)