自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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にある送付先へドウゾ。)
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・欧州鉄道スナップ紀行(ドイツ)
135.
ブッパータル機関区とDB 50型蒸気機関車
〈ドイツ国鉄
〈0001:DBのブッパタル機関区俯瞰〉
〈0002:ブッパータル市内でのスナップ〉
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〈紀行文〉
欧州視察旅行の初めは、奇しくも世界最古の懸垂式モノレール発祥の地であるブッパタールとなったことは全くの奇遇ではあったが、その週末をヴッパタールで過ごせるようにスケジュールを作っていたことが幸運をもたらした。
訪問したウルフィング塗料会社の研究所の屋上からは、黒煙と鋭い気笛が時々聞こえてきたりして、蒸気機関車のたむろす機関区の存在が近いことをを臭わせる雰囲気が伝わって来るのであった。そこで、思い切ってウルフィングの人に尋ねると、私の持っていた市内の地図に印を付け道順を教えてくれた。これが考えてもいなかった蒸気機関車の多くたむろしているブッターパール機関区を眺める幸運に巡り会うことになるのである。先ず、朝 翌朝の最初の行動はモノレールの往復全線乗り鐵であった。そこでモノレール中央駅に向かうと、赤い電車は3分おひで続行運転していた。 そして東の終点でモノレールを下車、地図を頼りに町並みを20文ほど歩くと、もう街並みは丘陵に消えるところであった。やがて右手の少し高まった所に鉄道の複線が現れて来ると同時に、遠くから気ぜわしいドラフトの音が反響するようにきこえてきて、黒煙をなびかせた5軸の貨物蒸気機関車にひかれた貨物列車が通り過ぎて行った。赤く塗られた動輪の鮮やかさに気を取られて呆然としていた。その足回りの赤い塗色の動輪は車体の濃い青緑色との微妙なコントラストを感じさせ、そしてメルクリンのOH模型にそっくりなのは当然のことであるものの新鮮な印象である。そう云えば、このドイツの赤い塗装は、黒いオイルを塗った時に傷を発見し易いという実用性があるという話をどこかで聞いたことを思い出していた。
やがて跨線橋があらわれたのでうせつして丘を越えると幸にも機関区の裏手の崖の上に出た。丘の斜面に登りの道から扇形庫を見下す所に腰を下ろしてしばらく見物と決めた。遠くの市街には高い尖塔のある教会がひときわ高く威厳を示す他はゆったりとした田舎町である、このこじんまりした機関区には13両余りのSLがいたし、蒸気機関車が転写台に乗るのを待っていた小1時間の間にも3輛の出入りが見られた。こんなに中央駅から離れた場所に機関区があるとは意外であったが、手狭な谷間のことだからであろうか。谷を下って機関区の事務所に伺い、手まねで写真を撮らせて欲しいことを願ったが、機関区の入り口付近で30分程待つてデュッセルドルフ行のSLの発車を見送って退散した。
翌日は、昨日仕入れた情報を頼りにして大きな機関区がある デュッセルドルフへ普通列車2乗っての2時間の小さな旅に出けた。駅前でタクシーの運ちゃんにカメラを見せて、「“Dampf-Lokomotive”(蒸気機関車)のあるところへ行ってくれ」と依頼した。ところが話は“Lokomotive”(機関車)だけが通じたらしく駅の裏の電気機関車の群れの中に連れて行かれたのにはいささか驚いた。運ちゃんは親切にも機関区の事務所へ連れて行ってくれた、そのお陰でご自慢の新形の電気機関車を撮影させられる羽目になった、そしてやっと急客用SLの01型を持ち出してから、やっと意味が通じたようであった。01型の通るのはフランクフルトの郊外だとの情報を聞いて満足して退散した。この親切な運ちゃんには通訳代を加えたチップを払うのを忘れなかった。
これらの写真は、今度のHP制作で必要となったブッターパールのモノレールの写真を探していた時に、奇遇にも再会したのであった。しかし私のドイツの蒸気機関車に付いての知識では、ここに撮られているSLが52型なのか、はたまた50型なのか全く判別出できずに放置していたのだった。
そこで、このHPのリンクで相互リンクをさせて頂いたドイツに造詣の深い「バンホフ」さまから次のように教えてもらったので披露させてもらおう。
『先ず最初の貨物列車を牽いているのは50型の走行写真です。次に、機関区のターンテーブルの周りの線路に放射状に並ぶ機関車の姿ですが、手前に止まっている後ろ向のカマと、ターンテーブルに乗っているカマは、いずれも50型という多勢 3159輌も製造された貨物用機関車です。軸配置は動輪5軸(2−10−0)です。これだけの数が製造されたのですから、性能も良かったのでしょう。』
そこで、私も DB 50型蒸気機関車についてwebから知り得た基本的な知見を付記しておきたい。
ドイツ国鉄の「制式機」(Einheitsloks) と呼ばれる標準型機関車として、国鉄によって決められた規格に沿って製造された50型は、一軸の先導林、それに5軸の動輪を設けた最も成功した貨物用蒸気機関車であった。世界二時大戦後の1948年まで増備が続けられ、総勢 3、000ロ輛余りが世に送り出された。
最高速度は80 km/hで、大型にもかかわらず軸重15トンと軽いために支線区間でも使うことができたから全ドイツの路線で活躍した。
この50型の優秀さを証明するように、次いでやって来た戦時体制の中でコピーを含めて一万輛を超えて作られた戦時型の52型の原型機関車として知られていたことである。
下に50型機関車の諸元をそのまま転機しておく。
・DRB Class 50
(1968年の改番により、DB 050型となった)
標準機関車、貨物用
aD: 50 001〜50 3171
uantity: 3164
製造年: 1939〜59年、引退は1987年
軸配置: 1'E h2(2−10−0)
Type: G 56.15
Gauge: 1,435 mm
Length over buffers: 22,940 mm
Height: 4,500 mm
Overall wheelbase: 9,200 mm
Service weight: 86.9 t
Adhesive weight: 75.3 t
Axle load: 15.2 t
Top speed: 80 km/h (both directions)
Indicated Power: 1,625 PSi
Coupled wheel diameter: 1,400 mm
Driving wheel diameter: 1,400 mm
Leading wheel diameter: 850 mm
Valve gear: Walschaerts with lifting links
No. of cylinders: 2
Cylinder bore: 600 mm
Piston stroke: 660 mm
Boiler overpressure: 16 bar
No. of heating tubes: 113
No. of smoke tubes: 35
Heating tube length: 5,200 mm
Grate area: 3.89 m2
Superheater area: 68.94 m2
Evaporative heating area: 177.83 m2
Tender: 2'2' T 26; 2'2' T 30
Train heating: Steam
注記:世界第2次大戦後に東欧に残ったドイツの50型の数機種の機関車は現地の鉄道当局に買い取られたりしたし、またルーマニア鉄道では50型のコピーをを1947〜1959年に掛けて282輛も新造し手いるほどに好評であった。
最後に1848年に開業した歴史のあるブッパータール中央駅について少しのべておこう。ドイツ初の鉄道が開業して数年後の1841年と云う速い時期に、昔から刀剣などの刃物のゾーリンゲンや、谷の商業的中心のエルバーフルトの栄える Wupper Valley(ブッター渓谷)へとDusseldorf-Elberfelder 鉄道会社の路線が到達し、直ぐにルール工業地帯の中心であるDortmund(ドルトムント)へと延伸された。これによりデギュッセルドルフからケルン、Elberfeldを経てドルトムントに至る幹線ができあがった。同じ頃に、Remscheid(レムシャイト)〜Solingen〜Elberfeld(Wuppertal)の間も開通した。この鉄道はドイツにおける蒸気機関車の実用に先鞭を付けた事でも知られると云う。
撮影:1969年
発表:2009年、このシリーズ。
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・欧州鉄道スナップ紀行
085. 世界最古のモノレール:“Schwebebahn”・ドイツ/ブッパータル
137. 3気筒 急客蒸気機関車 012型 (ハンブルグ中央駅・ドイツ)
136. BR ヨーク駅で見た“ロケット号”(レプリカ) (イギリス)
140. 午サガリノパリ北駅界隈(かいわい) (フランス)