自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役

|  HOME  | SL写真展 ( INJEX )  | 田辺のリンク集 |
(メールは上の  SL写真展 ( INJEX )  にある送付先へドウゾ。)

…………………………………………………………………………………………………

        ・欧州鉄道スナップ紀行(西ドイツ)

137.  三気筒 急客蒸気機関車 012型 (ハンブルグ中央駅)


〈0001:〉
ハンブルグ中央駅 01型S
〈0002:〉
ハンブルグ中央駅 01型SL発

…………………………………………………………………………………………………
〈紀行文〉
 私が欧州を訪ねた1969年と云えば、ホンダがクルマを造り始めてからまだ5年足らずの頃で、欧州では専らオートバイと耕耘機がセールスの中心であってクルマは手探りの段階であった。今は伝説の世界に入ってしまった赤いホンダスポーツ S800やモスグリーンの軽トラックのセールスが試みらレていた。そこにはクルマの数は少ないものの、再現が微妙なホンダ特有の色合いの赤が使われていたので、マーケットでの板金塗装や、日本から遠路西ドイツのハンブルグ港に輸出されたクルマの受け入れ時に発見されたダメージの新車補修塗装などを行っている塗装マイスター(親方)たちからの苦情を聞いて回るのが私の役目であった。当時の欧州ホンダの本拠は西ドイツのハンブルグにあったので、この辺辺で情報を集め回ったのだった。
このハンブルグは人口250万の市だが州の1つとして取り扱われているドイツ第二の大都会であって、エルベ川の支流・アルスター川との合流点ににあるドイツ最大の港湾都市でもあり、ドイツ北部における経済の中心地であるとのことだった。ハンブルグの名は、HAM= 湾、Burg = 城に由来する“湾の城”が示すように、湾のような巾広い北海に注ぐエルベ川口を約70kmも奥まった所に位置していた。そして中世以来の自由都市の立場を保っていると云う。所で、このエルベ河(die Elbe)はポーランドとチェッコの国境地帯のステーティ山地から起こり、その後チェコ北部に入り、 Labe河となり、この辺りでボヘミアの森から湧き出して流れ下ってプラハの町を二つに分けながら通り抜けているモルダウ河を合流させている。そしてドイツ東部に入るとエルベ河と名を変え、ドレスデンを通ってハンブルク付近で北海に注いでいる長さ 1,091kmに及ぶ大河なのであった。
 さてホンダの事務所で「鉄ちゃん」の存在を尋ねた所、運良くドイツ人のサービスマンがいることが判った。実はブッターパールで余り調べもせずにデュセルドルフ機関区を訪ねたところ全くSLの姿を見かけることが出来なかったことに懲りたからである。その時聞いたフランクフルトに行けば見られると聞いたが、公用で行く予定も無かったので、ハンブルグではどうだろうかと期待して「01型SLの牽く急行列車の発着を写真に撮りたい」と案内を頼んだのだった。それで国鉄に電話を掛けてもらって確かめた所、我々が塗装工場を訪ねる予定のハンブルグの街外れの中央駅に行けば、午後2時頃にブレーメン行きが見られると教えてもらった。
そして、出張報告をそこそこに終え、クルマの補修塗装工場の見学を済まして ハンブルク中央駅 (Hamburg Hauptbahnhof)に駆けつけた。
このところは花の咲き残る花壇にお似合いの小春日和が続いていのだったが、あいにく当日の早暁に寒波の襲来で理大雪となり、駅前通りは雪まみれになっていた。その雪が山となっている市電の停留所には鮮やかな黄色とブルーのツートーンカラーの車体を連接したタルゴ型路面電車(東急の玉川線のような)が忙しそうに行き交っていた。(ここの美しい色彩の路面電車は1978年に廃止されたと聞いた)。
 このハンブルグには大きな駅が4つあり、1898年に出来たアルトーナ駅 Hamburg-Altona)には車庫がある行き止まりの端頭駅であって、ハンブルク=アルトナ駅を始発/終着駅とする路線が多く設定されている。そこを発車して市街の中心部からやや東側の離れた位置にあるハンブルク中央駅は通り抜けの出来る貫通型の駅として毎日、おおよそ45万人の人々が利用する北ドイツ最大の駅であった。ここの線路は掘り割りのような形で通過しており、メインストリートの跨線橋の北側の橋詰めに、とんがり帽子のかわいい駅舎が出入り口であった。この駅は近郊電車のS-Bahnの番線が4本、インター シティ急行と国際長距離列車などのメイン ラインの番線が8本の合計6本のホームがあり、その地下にU-Bahnの地下鉄ホームが4本設けられているようだった。
 急いで一番手前のホームを北の方向へ駆け下りてホームの尖塔まで来て列車の入って来るのを待ち受けた。こちら側はガラス張りの大ドームから課なり外れて屋根なしのホームが続いていた。昨晩の降雪が山に積んであるコームは以外に明るかった。やがて、ブレーメン行きの急行列車が静かに入線、初めて見る01−10型の巨大な赤い動輪の迫力には驚きの一語に尽きると云っておこうか。赤い動輪の大きさと3気筒のシリンダーの蒸気の分配給排弁が日本の国鉄のシリンダ回りとは課なり異なっており、これがカム式のボールバルブであろうかなどと当時は思っていたのだが。このピストン回りのメカニズムを説明したいのだが、残念ながら私には無理なのでお許し頂きたい。そこで前ページと同様に、ドイツに造詣の深い「バンホフ」さまと海外鉄道研究会の永野晴樹さま、そして蒸気にくわしい鈴木光太郎さまからご教示を頂いた。
『これは花形機関車01型の3シリンダータイプです。軸配置はパシフィック(4−6−2)です。1037年に3シリンダーで流線形のカバーをつけた01型1000番台は55輌製造されました。戦後流線形のカバーを外されて普通の姿になりましたが、1953年からは次々にボイラーを更新し、半数以上が燃料も重油専燃式に改造されました。このグループが1968年の西独国鉄の番号整理で012型となりました。訪問されたのが1969年と言うことなので、すでに012型として整理された後ということになります。実際に正面のプレートに012077とはっきり写っています。』( 「ダンプロックホフ〜蒸気機関車がいる世界各地の風景〜」 さまより)
 『現在撮影された場所のプラットホームには、日本でも良く見かけるY字状の上屋根が設けられて、相当異なった雰囲気となっています。機関車は3シリンダーの01-10形を重油焚きに改造したもので、元番号01-1077→012-077です。重油焚きの012形は当時ハンブルク・ブレーメン間の優等列車牽引に用いられていたようです。この区間はほとんど一直線で1983年ごろには200キロ化工事が行われていますが、恐らく012形は目一杯の速度で疾走した事が想像されます。弁装置は篠原先生の「全盛時代のドイツ蒸気機関車」を参照いたしますと、ホイジンガー式独立中央弁装置となっています。いわゆるワルシャート式であります。』(永野晴樹さまより)
  機関車にばかり気を取られていたことにふと気がついて、列車の続く後方を眺めると、別れを惜しみ、再会を喜びあう人たちの姿がホームのあちこちに見られた。
やがて手信号と共に3気筒式特有のバランスの崩れた3拍子のドラフト音を残して列車は視界から遠ざかって行ったのだったが、そのドラフトは私の耳にはそれ程良くは聞き判け切れない初体験であった。
 さて、この駅は帝国主義の真っ只中、1900年に駅舎デザインが公募で決定されて1906年に建造されたもので、重厚な鋼鉄製の大きな高い天井のドームに覆われた堀割型のホームである。第二次大戦で爆撃され、一時は骨組みだけになってしまった。だから古いように見えても大部分は戦後の再建なのだと云う。ただ1つ、駅構内の花屋の天井と壁を覆う、イタリア製の輝くような緑と黄金色のタイルだけが往時を物語っていると云う。そして6本のホームヲ連絡するドーム内の跨線橋がハンブルグ中央駅のランドマークであると聞いたが、二階の商店街には多くのショップやカフェ、レストランがあり便利なことはこの上もない。今(2006年)のICE(インター・シテイ・エクスプレス)の主な行き先を列記してみると、ベルリン(Berlin)、フランクフルト(Frankfurt)、ストットガルト(Stuttgart)、約95km南西のブレーメン(Bremen)、ルール(Ruhr )地方経由してケルン(Cologne)、デンマークのコペンハーゲン(Copenhagen)、約80km北のキール(Kiel)、ハノーバー(Hannover)、ミュンヘン(Munchen)などの中央駅が挙げられた。
 ここからは、無い知恵を絞って、この012型急客用三シリンダー蒸気機関車にまつわる知見に触れてみたい。 先ず最初に自戒を含めてドイツの急客機 01型についての知見を転記しておきたい。この機関車の撮影記 「1989年、DBの蒸気機関車より、ユトラント半島を行く01-10型 永野 晴樹」と題するHPに述べられた言によると、『よくドイツで初めての「制式の急行用蒸気機関車」と云う2シリンダーの01型と3シリンダーの01-10形とを混同する向きもあるが、これらはお互いに全く別形式である。因みにDBの1968年に行われた新ナンバー制では、2シリンダーの01型は001型、3シリンダーの01−10型の石炭焚きは011型、重油焚きは012型となった。』とあった。
リンクURL:http://www.h5.dion.ne.jp/~irsj/hindenburgdamm.html

 それでは、ここでドイツ国鉄の急客用蒸気機関車の系譜の一端を一瞥してみたい。1924年に、ドイツ国有鉄道(DRG)が発足したが、1920年代の中頃を過ぎると世界第1次大戦の破壊と戦後倍賞などによる混乱も次第に終息しつつあり、そして新しい技術の導入などにより鉄道技術のレベルアップが急速に進みつつあった。例えば蒸気機関車では国鉄によって決められた規格に沿って製造すると云う「制式機関車)が定められ、数多くの蒸気機関車が製造された。
その第一陣となったのが急行用パシフィック(軸配置 42−6−2)の2気筒の01形と4気筒複式の02形で1925年に登場している。この両者はボイラーや軸配置は同じで、2気筒と4気筒複式の比較検討が行われた末に、平地の走行では構造が単純な01形に軍配があがった。そして、01形は1925年から1938年にかけて合計231両が製造され、最大運転速度は120km/hであり、その後に130km/hに引き上げられている。この形式はドイツにおける最高傑作との評価が高い機関車であった。
 やがて平和の時代が続いた1933年頃からドイツでは流線形、高速ディーゼル列車網が築かれつつあったが、一編成当りの定員は限られていた。そこで食堂車の連結も出来る流線形、大型高速蒸気機関車の必要性が叫ばれていた。やがて 05形の軽量特急列車専用として3シリンダー、流線型の姿で3輛が製造された。そしてベルリン〜ハンブルク間の特急列車牽引に用いられた。これは営業表定速度118q/Hと云う蒸機列車の世界記録を打ち立てたり、また05 022号機は1936年5月に、この区間の3/1000下り勾配で195dの4輛の客車を牽いて200.4km/hの速度記録を出している。この機関車自体の最高運転速度は175km/hであると云う。
しかし、高速を得るための直径 2.3mの大動輪を採用したために、ボイラーの容量が逆に小さくなってしまい、牽引力が下がってしまい、重量列車を高速で牽引することはできなかった。この形式は次世代への先駆け的な役割を果たとされている。
 次に求められた急客用蒸機の性能は、最高速度 150 km/h、500 dの列車を120 km/hで牽引、5 ‰勾配において350dの列車を 100 km/h で牽引するなどの能力であった。それに応えて1937年に流線形・3シリンダー式蒸気機関車 01−10型の試作機が現れた。これは05型の経験を活かしつつ、当時ドイツの制式急客用蒸機であった01型を高速タイプに改良する方策が採られた。そして、1939年に209両が発注されたが戦争の影響で55輛のみが、レール上400mmまで流線形ケーシングをまとった姿で納入されたが、残りはキャンセルとなった。戦争で1両が廃車、戦後54輛が西ドイツのドイツ連邦鉄道(DB)に引き継がれた。戦後、流線カバーは外され、全機が完全溶接燃焼室付きの新しいボイラーに交換され、主連棒、連結棒とクランクピンにローラーベアリングが装着された。さらに、このうち34両が重油焚き方式に改造された。これが1968年に行われたの新ナンバー制はで 012形となり、最強の急行用蒸気機関車として 150 km/h の高速度を発揮して各都市間で長い間活躍した。その終末期にはハンブルグ−アルツナ(Hamburg-Altona)ノ機関区に集中配置されていて、電化の完成まで活躍し続けたと云う。そして1975年に引退したのだったが、現在(2009年)数量が各地に保存されているとのことだ。
その012型の後にも試作機が試みられており、蒸気機関車への技術的チャレンジは続けラテいた。、例えば高速どを狙った各軸駆動式(空転再粘着が難しい)、連結動輪のマルチシリンダ式、ロータリーカム式ポペットバルブ弁装置、タービン機械式などが試みらレたが、時は既に遅かったのであった。
ここで012型の諸元データを転記しておく。
出展:DRG Class 01.10 - Wikipedia, the free encyclopedia 
〈http://en.wikipedia.org/wiki/〉

DRG Class 01.10
DB Class 011, 012
DRG 01 1001
Quantity: 55
Manufacturer: Schwartzkopff
Retired: 1975
Wheel arrangement: 4-6-2
Axle arrangement: 2'C1'
Axle arrangement: 2'C1' h3
Type: S 36.20
Gauge: 1.435 mm
Length over buffers: 24,130 mm
Axle load: 20 t
Top speed: fwds 150 km/h (as delivered)
140 km/h 
ruckw. 50 km/h
Indicated Power: 1,559 kW
1,728 kW (coal, with Austausch boiler)
1,817 kW (oil, with Austausch boiler)
Driving wheel diameter: 2.000 mm
Leading wheel diameter: 1,000 mm
Trailing wheel diameter: 1,250 mm
Valve gear: Walschaerts (Heusinger)
No. of cylinders: 3
Cylinder bore: 500 mm
Piston stroke: 660 mm
Boiler overpressure: max 16 bar
Tender: 2'3 T 38
Water capacity: 38,0 m3
Fuel: 10.0 t coal or
13.5 m3 heavy oil
Brakes: Knorr, single-chamber, compressed air brakes acting on both sides of coupled wheels + compressed air quick-acting brakes on driving and tender wheels
Auxiliary brake: yes
Parking brake: yes

撮影:1969年
発表:2009年、このHPが初公開

…………………………………………………………………………………………………
・欧州鉄道スナップ紀行リンク
085. 世界最古のモノレール:“Schwebebahn”・ドイツ/ブッパータル
135.ブッパータル機関区とDB 50型蒸気機関車
136. BR ヨーク駅で見た“ロケット号”(レプリカ) (イギリス)
42. ドーバー海峡旅情 (ロンドン〜ぱり) 140. 午サガリノパリ北駅界隈(かいわい) (フランス)