自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・中国山地に和鉄の道を訪ねて(伯備線/芸備線)
131.  新見庄米のふる里を登る 新見→ 布原 (信

〈0001:〉 
稲干し

〈24-8-2:6465貨レは逆向き補機付き重連だった〉
0002:伯備線・新見→布原

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〈紀行文〉
 伯備線の布原信号場を度々訪ねるようになると、あの名撮影地だった第23西川鉄橋に続く「苦ケ坂トンネル」の新見側の出口の様子はどのようになっているのか探索してみたくなっていた。そのうちに時間の都合を付けて2回ほどトンネル出口の近くまでたずねたことがあった。
新見からは狭い田舎道を地図を便りに谷を登り始めた。この谷も丁寧に棚田が開かれていて稲を干している最中のようであった。
ヤットたどり着いてみると、「苦ケ坂トンネル」を新見側に出た辺りがサミットになっているらしく、新見を出発した列車は次第に狭まる谷を25‰で登り詰めて、切り通しをを通ってトンネルの中へ吸い込まれて行った。
 枚目は秋も遅い頃のほうもんで、この時は家族と一緒で呉線に沿って西へ向かい、安芸の宮島を訪れてから帰途の途中で伯備線の布原へ立ち寄った時であった。この時は私はサウンドの録音を取るのに撮影ポイントから離れていて、ワイフにシャッターを切ってもらったことを思い出した。
狭い谷間をはい上るように耕された線路脇の棚田の一枚には、刈ったばかりの稲束を天日干しするための「はせ」の列が屏風(びょうぶ)のように一列をなしている光景を点景に勾配を登って来る貨物列車を撮った。幸いにも狭い谷間に秋の午後の陽が降り注いで黄金の壁が輝いて見えていた。
この稲の干し方は、私にとっては珍しい木を縦と横に組んで作り上げた「ハセ」が南北の方向に向けて建てられ、豊かに実った稲束が水平に、多段に架けられた立派な「はぜ掛け」が夕方の陽を浴びていたのだった。
これに対して、私の郷里の新潟では田んぼの畦(あぜ)に植えられた(はざ樹」に横棒を渡して「はぜ」を作っているのが普通だったし、東北では直立させた棒杭に稲束を挟んで積み上げてゆく「くいがけ」が多く見られるのだが、この新見盆地の谷筋は風通しが良くないのであろうか、日照を主とした「はざ」が用いられているのが特徴のように思われた。「ハセがけ」された稲は、雨や朝晩の露と、風や日光に繰り返し繰り返しさらされながら、少しずつ乾いて行き、干している間、稲は葉やくきに蓄えられた栄養分を速く実に送ろうとするので風味が一段と良くなると云うのであった。この谷の米も「新見庄(にいみのしょう)米」として味自慢となっているのであろうか。もともと、新見の辺りは平安の頃から和鉄・漆(うるし)・蝋(ろう)・和紙などを産する荘園で、鎌倉から戦国末までは京都の東寺の荘園として栄えていた。江戸時代になると稲作の技術が進んで棚田が開かれて来ており、そこで造られた米は、阿哲台からのミネラルの豊富な自然水で育まれ、それに昼夜の温度差の大きな谷あいの紀行が澱粉(デンプン)の貯蔵を良くすることから評判が良いのであるというのだった。そういえば、あの狭い谷間の布原信号場の周りにも水田が開かれて野々原と云う小集落が営まれているのも「新見庄米」が穫れるのであろう。
 二枚目は、正月休みに訪れた時の作品である。
年末年始にもかかわらず、岡山操車場発の、米子行きの 6465貨レは運休ではなかった。この貨物列車は新見から岡山/鳥取県境の谷田峠(たんだだわ、標高 514m)の下のトンネルを抜けた先の生山駅まで逆向き後補機のD51を従えて狭い谷間を白い煙を吹き上げながら“プッシュプル”で登って来た。
この新美→生山間ではD51重連の牽引定数は620トン出会ったから、結構編成は長かっただろうにと案じていたが、現れた画像は何とか格好が付いていたのには、つい笑みがこぼれたのを思い出した。ところで、後補機が逆向きになっているのは生山駅にD51用のターンテーブルがなかったためだと聞いた。
 それにしても、伯備線と芸備線が共同運用する新見と備中神代(びっちゅうこうじろ)の間の区間では、云わずとしれたD51三重連を初めとし、重連(前付き重連、後付け重連などのD51牽引の貨物列車、C58牽引の客れ、と貨物列車が次々とやってくるし、下り列車にはテンダを先頭に逆向きで牽引する機関車や、後部補機が逆向きで付く列車もあり、さらに単機回想もやって来ると云う多彩さであった。おまけに、新鋭のDC特急も花を添える。何と貴重な撮影ポイントなのであろうか。

撮影:昭和45〜46年末

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・中国山地に和鉄の道を尋ねて(伯備線/芸備線)
279. プロローグ:新見が十字路だった二つの鉄の道・新見機関区
313. 初めての布原D51三重連・新見−布原(信)
130. 布原D51三重連俯瞰(ふかん)・布原(信)−新見
248. 西川の阿哲峡をさかのぼる・布原(信)〜足立
 (付録:足立石灰工業とD51三じゅうれんとの関係)
314. 岡広鳥島の四県境を訪ねて・備中神代−備後落合−三井野原