自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ & 日本現役

|  HOME  | SL写真展 ( INJEX )  | 田辺のリンク集 |
(メールは上の  SL写真展 ( INJEX )  にある送付先へドウゾ。)

…………………………………………………………………………………………………

・中国山地に和鉄の道を訪ねて(伯備線/芸備線)
314.  岡広鳥島の四県境を訪ねて ・備中神代−備後落合−三井野原

ここでは現在フイルムの所在を探索中の芸備線と木次線の画像に先行して紀行文だけを記載してあります。

〈紀行文〉
 この「岡広鳥島」とは岡山県(備中)、広島県備後)鳥取県伯耆)、島根県出雲)」の4地域が境を接している芸備線の東部と木次線の難無を訪ねるたびであって、これは和鉄の里の遺構を訪ねる旅でもあった。
芸備線で云えば起点の備中交じろから備後落合まで、そして木次線の南端の備後落合までの約40q、木次線は南端の備後落合から三井野原までの12
qを訪ねることにした。
まず、現れるのは、絶好のスキー場で人気の高い道後山(標高 1,269M)のなだらかな頂稜である。ここは吉備高原を貫通して流れる高梁川の大支流の一つである成羽川の上流である東城河や、広島県の三次を経て日本海へ注ぐ江の川の源流の西城河などを育てている屈指の高所にある。因みに、JR西日本での高所の第一位が木次線の三井野原駅(727m)、第二位が芸備線の道後山駅(612m)で、第三位・第四位が木次線の油木駅・出雲坂根駅、第五位が芸備線の小奴可(おぬか)駅となっているのである。
 さて、備中神代駅に芸備線のゼロ キロポストがあり、西に向かって東城、庄原と中国山地を横断して三次を経て遠路広島に至る全長159.1kmのローカル線であり、かっては陽陰連絡の急行も運航されていたルートであった。
 前ページから おなじみの国道182号は備中神代で西川の谷に別れを告げて、その支流の神代川に沿った狭い谷間の細長い土地に水田がこぢんまりと続いているのを眺めながら僅かな登りに掛かって行く。やがて峠らしくない二本松峠(標高400m)で岡山/広島県境を越えると水系は同じ高梁川水系ではあるが支流の傾倒の異なる東城河の流域に入ることになる。この川は下って、あの奇景で有名な帝釈峡を作った帝釈河を合わせて岡山県に入ると、成羽河と名を変えて高梁市で高梁川に合流することになる。それに、旧道の峠には若山牧水の歌碑、「幾山河 こえさりゆかば さびしさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく」があるとガソリンスタンドに標識があった。
この広島県北東の山中の中心地 東城の地は、戦国時代にこの辺りを治めた領主・宮氏は東に五本竹城とを、西に大富山城を築き、前者を東城、後者を西城と呼んだことに因んでおり、昔から和鉄の道の交わる交通の要所で、ここを通って日本海から瀬戸内海に至る陰陽連絡ルートとしての街道が数多くかぞえられ、それは東城往来とか雲集街道と呼ばれ、現在の国道314・182・183号など、そしてJR木次線、芸備線、伯備線などがそれに相当することになるだろうか。
芸備線の線路は左手に東城の街並みと東城川を見ながら田園地帯を上流へ向かい、鉄橋を何度か渡り、トンネルを抜けると 間もなく備後八幡駅となる。この地方は近世のたたら製鉄に深くかかわって来ており、大正から昭和30年代後半まで河を挟んだ向こう側に当地の砂鉄を使って木炭製鉄が営まれていた。そして、1935(昭和10)年に芸備線の前身である三神線の東城〜小奴可駅間が開通し、備後八幡駅が開設されて、その帝国製鉄竹森工場の原料・製品の輸送取扱駅として栄えたと旧東城町史は語っていた。しかし戦後の本格的な産業経済の復興と共にその役割を果たして姿を消し、現在は貨物引き込み線廃線跡が鉄橋跡と共に目残っており、廃線リストには必ず顔を出している知る人ぞ知る名所であるとか。今では、製鉄所跡地には金属加工工場があり、駅周辺にも小さな集落が残るだけとなってしまった。
線路はやがて山と山の間を流れる東城川を右に左にと渡りながら遡り、田んぼの広がる盆地を走るようになると、まもなく小奴可(おぬか)駅のある小盆地に到着するはずである。
ここは平安時代から戦国時代まで支配していた豪族や武将たちの亀山城のあった所で賑やかな駅前をみせていた。この先で東城川の本流に別れを告げ、盆地を抜けると地形は険しくなり、速度制限を示す標識が「20(雨15)」とあった。雨の日は特に時速15キロまで減速しなければならないと云うのは、いつ落石が起きても不思議ではないと云うことか。次第に樹林の間を走るようになり、ちょっとした山越えをすると最高地点の道後山駅に到着した。そして、この先は勾配を緩和するため山の北側をぐるりと回りこみ、しばらく深い森の中を走るようだ。急な勾配を登り切りトンネルを抜けると、眼下に川が見えて来た。これは日本海に注ぐ江の川の源流となる西城川の更に上流の小鳥原河(ひとはらかわ)である。その細い流れを背の高いコンクリートの橋脚に支えられた鉄橋が第1小鳥原河橋梁で、それを渡り、樹木の茂る山の中腹を走り、更に 宮ノ脇橋梁→第二小鳥原川橋梁と渡って間もなく木次線とのジャンクションである備後落合駅にすべり込む筈である。この間、芸備線の最高点の道後山駅(標高612m)から6.8km走って、約160mほど下ると云う急勾配がつづいており、その間に渡った橋梁は昭和初期の最高技術を使って造られているとか。
一方、道路は東城で福山へ向かう国道182号と分かれ、木次線に沿って島根県から備後落合を経て東城、そして福山へ向かう国道314号に乗り換えて、備後落合を目指すことになる。少し走って子奴可(おぬか)を過ぎてから鳥取県境から来て広島へ向かう国道183号と合流した。やがて峠を降ると突然、下から上を見上げるとまるで天に掛かる橋が現れてギョットさせられた。昭和のはじめに作られたこの第一小鳥原川橋梁は西日本第二位、高さ30mで見る者を圧倒する。
(ちなみに1位はあの餘部鉄橋だ。)
早速、備後落合駅の改札口を覗くと、既に転転向を済ませたC56がトップライトを浴びて、昼休みの最中のようであった。この駅も、広島から松江への直通急行や三井野原へのスキー列車が発着していた頃は賑わっていたのであろうが、今は芸備線と木次線のローカル列車が発着するのみで、芸備線にいたっては全線を通して走る列車も設定されていなくなった。
所で、この備後落合駅から北東へ約4.5kmの所にある「小鳥原砂鉄製錬場跡(大谷山たたら)」があり、ここは鳥取県境に近い西城川最上流域の山間部にあり、小鳥原川に注ぐ谷川の出口に開けた南向きの場所で、本製錬場跡として各種の工程の遺構がある製錬場、それに北西約500mにある大鍛冶場跡から成っている。この製錬場は「天秤(てんびん)ふいご」から「水車ふいご」に進化した「たたら」が営まれて銑鉄が作られていた。大鍛冶場では銑鉄を半溶融状で鍛錬して和鉄(包丁鉄)に仕上げていた。これらは大正11年(1922年)頃まで操業していたと云う貴重な産業遺産なのである。探せば、この沿線に鉄の話題に事欠かないことを知った旅であった。
そして、時間を惜しんで西城川の最上流を遡るように木次線に並行した国道314号を三井野原駅を目指して走り出した。その途中に、油木と云う町があり、東城を経て山陽へ向かう昔の雲集街道の宿場のようで、その県道への分岐点を通り抜けた。間もなく難のへんてつもな島根県境を越えて谷の開けた高原に走り出た。右手の斜面にスキー場のゲレンデがあり、それに続いて駅舎となっている。この三井野原駅の愛称が「高天原(たかまがはら)」となっていただけあって、確かに広々と開けた高原であった。今回はショット先にある分水嶺の標識を眺めてから帰途についた。
実は、この時にのどかな高原風に見えた三井野原は驚いたことに、国土地理院の選定している典型地形の中でも激しい地形変動として知られる「河川争奪」の舞台の好例であることがわかったことだった。確かに木次線のハイライトは出雲坂根駅と三井野原駅の間の標高差162mを雄大なΩ(おめが)ループと三段スィッチバックによって6.4 kmの距離を稼いで、やっと25ハーミルの勾配を確保しながら上下していることは、もとより承知はしていたのだったが。
ここは出雲市で日本海に注ぐ斐伊川の支流である室原川が、同じく日本海に注いでいる江の川の支流西城川を争奪してできた地形だと云うのだが、
斐伊川の支流である室原川の方が河床勾配、流量などが大きく、河川の浸食力が著しく強いことから生まれた現象であるという。これによりお互いの分水嶺を後退させた結果山陰側の室原川側に急峻な地形が現れ標高差160mと云う急傾斜となり、その分水嶺を越えると直ちに西城川側は高原のような地形、正になだらかな山頂の風情をのこしているものと説明されている。ナルホド、広島と島ねとの県境を過ぎれば再び西城川の険しい谷沿いにもどってしまうのもなっとくで、県境の位置が分水嶺でないのもこの地形に関係があるのかもしれないと思ったりしたのだった。
一方、その頃の国道314号は険しく細い山道を経由する難所が五万分の一の地形図に描かれていたのであったが、1992年4月に日本最大規模の奥出雲おろちループ橋が完成して解決した。
最近は、木次線に木次〜備後落合間に、春から秋にかけての週末・祝日・連休にトロッコ列車が一往復運行されるようになり、その途中では、出雲坂根駅構内では湧泉群があり、「延命水」としてしられているし、また列車からは国道314号の「奥出雲おろちループ橋」の高所からの眺望がたのしめる。それに加えて急勾配を前進後、退を繰り返して登っていく三段スイッチバックや、オメガループ線などがあり、神話の舞台となった奥出雲の風を感じながら走るほとで好評であると云う。

…………………………………………………………………………………………………



…………………………………………………………………………………………………

・中国山地に和鉄の道を尋ねて(伯備線/芸備線)
279. プロローグ:新見が十字路だった二つの鉄の道・新見機関区
313. 初めての布原D51三重連・新見−布原(信)
130. 布原D51三重連俯瞰(ふかん)・布原(信)−新見
248. 西川の阿哲峡をさかのぼる・布原(信)〜足立
 (付録:足立石灰工業とD51三じゅうれんとの関係)
131. 新見庄米のふる里を登る・新見→布原(信)