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      ・シルバートン紀行・コロラド州

094. デユランゴ&シルバートン ・ナローゲージ鉄道の開幕


〈0001:〉
D&SNGRR ♯473 デュラン

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〈紀行文〉
 ナローゲージの話ともなれば、大抵のアメリカ人はコロラド高原の奥地に生き残る、あの二つの保存鉄道のことを脳裏に思い浮べるに違いない。ナローゲージを狭軌と書くと詩的な味わいも何のイメージも涌かないから、言葉とは不思議なものである。
1981年の“Trains”誌のニュースによれば,コロラドの山の中にある D&RGW の最後のナローゲージ“SILVERTON TRAIN"が運行を停止していたのだったが、遂に廃止されるのかと思われていた所、買収されて観光鉄道として再開との明るいニュースが付け加えられていたのだった。今年(1982年)のシーズンのオープニングを待ち兼ねるように訪ねたのは5月23日,祝日のメモリアルデイを含む 3連休の週末であった。駐在していたオハイオ州のコロンバスから夕方にシカゴに出て、夜行便でコロラド州のコロラドスプリングス空港に夜半に到着した。すぐにレンタカーを駆って、ハイウエーではないが、二車線の国道を走り出した。あの独特の枯れた草がまりのようになって転がっている半砂漠の地帯や小さい峠を何回か越えて、ひたすらデュランゴに向けて走り続けた。この国道に入ると、夜半なのに四輪駆動車にキャンプ道具を積んだ若者( ?)のグループを見かけるようになったそう云えば、バカンス旅行で、コロラドのロッキー山脈の自然や風土に親しむ人々が年々増加していると云われている。西部に開拓時代をもたらした金銀採掘の話と共に、一万フィートを越える山中に散在している、今はゴーストタウンと化した鉱山町やナローゲージ鉄道の廃線跡を巡礼するグループも四輪駆動車でやって来る時代となっていたのだった。後で知ったのだが、今は道路や線路跡も人の踏み跡も消えかかっている自然に近い地形を辿って、樹木の少ない岩山の一角の狭い平地に、鉱石積出場とおぼしき構築物や、立ち入れないように閉された坑口、何となく鉄道くさい雰囲気のある痕跡などをを発見することができるのみなのであろう。恐らく、松の一種であろうか、丸太造りの板囲いなどは18世紀の面影を偲ばせるに充分なものがある。気温が低く、湿度の低いこの高原では、木材だけでなく鉄そのものも腐食が遅れることから、先人の活動の遺構を眺めてその栄華の昔を夢想して楽しめるのであろうか。このゴースト・タウンの持つ雰囲気が日本の鉱山跡に比べて妙に明るく感じられるのはどうしてであろうか。日本の鉱山跡にはつれて来られた無宿人の悲話話がつきまとうが、このゴールド・ラッシュを目指して、各地から自分の意志と信念に基づいて、この厳しい自然の中に挑戦した開拓時代の力強いアメリカ人のスピリットを感じ取るからであろうか。いずれにせよ昨今のゴーストタウン巡礼は益々盛んになっているようであるとのことだった。
 やがて夜明け前のデュランゴの町に付いたので、駅にそう遠くないホリデイインに入って、しばらく仮眠することができた。そして日光の光が山肌を照らしはじめた早朝に、機関区へ出掛けて見ると、入れ替え準備に忙しいナローゲージ・ミカド♯473のテンダーのサイドには、既に、あの風邪を切って走るスタイルの特徴のあるD&RGWのレタリングは消え去っており、誕生したばかりの“Durango & Silverton Narrow Gauge Railroad
”と書き替えられていた。
聞くところによればフロリダ州でオレンジ農園の事業で成功したB氏が50万どるで買収し、保存観光鉄道として D&S NG RR 
INC.を創立,秋の運転期間の延長,線路や橋をグレードアップして大型蒸機の導入などの計画を明らかにして、積極的運営を始めるとのことである。
起点であるデュランゴは、かつてナローゲージ・ファンのパラダイスであったと云われて来た。それは大きな機関庫、修理工場、給水塔、石炭タワー、停車場、それに所狭しと復雑に配線されたヤード、四方向に発着する旅客列車や砿石列車などで賑っていたのであったと云うのだが、1967年には歴史的な停車場の建物とその正面にある古い街並の“OLD WEST DURANGO”を保存整備すると同時に、ヤードは最小限の施設を残して整理され、SILVER TRAINの転向線が敷かれ、淋しい限りとなってしまっているというのだが、私には、そのような感傷を感じるような愛着は持ち合わせては居なかった。そして年間12万人を越える乗客(必ずしも鉄道ファンばかりではない)の集まる人気列車であることから、ヤード内への立入は制限され、よく安全が保たれているのはよいのだが、鉄道ファンには物足りないのであった。ここは観光鉄道として徹底した経営をすることをモットーとし、セキュリテイも厳しくなって、デュランゴの基地は金網を張り巡らしているのであった。
私が訪れた1982年には、中断していた運転が観光鉄道として蘇った最初のオープニングの日であったこともあったのだろうか、機関区への立ち入りは全く拒否されたのだった。それでも怒鳴られながらも、何とか早暁の陽光に照らされた異様なはげ山を背景にやっと撮ったのがこの一枚である。この構内に隣接した右手に見える奇妙な高い屋根を持った建物はマックのハンバーガーショップで、ここの線路側の席で入れ替えの汽車をみながら食べるモーニング・セットの味はまた格別だろう。
蛇足だが、一見 足尾銅山の禿げ山を思い出させるアニマス河の向こう側にそびえる岩山の異様さはちょっと気味が悪かった。その後この山の名前を調べている内にこんな事が判って慄然とした。
この山の麓には鉱石を溶解して精錬して貴重な金属を抽出する工場が昔からあって、東隣の貨物ヤードに鉱山から送られてくる鉱石が持ち込まれていたのである。しかし1920年代には操業が衰退したが、金銀に替わって、1940年代から1960年までウラニウム鉱石の処理が秘密裏に行われたと云う。これが第二次世界大戦中にニューメキキコ州で試された最初の原子爆弾と、その後に使われた二発に深く関係しているとのことだった。その鉱石列車の先頭には武器を構えたガードマンたちが添乗しているのがみられたであろう。1990年になると精錬所は閉鎖になり、敷地は放射性物質による汚染地域として指定され、浄化作業が行われた。そして今もこの岩山には人の立ち入りは認められて居ないとのことだとWEBは述べていた。こんな所でコロラド高原の負の遺産の一端に触れたことには驚くばかりであったし、デュランゴを中心とするプラザ郡(銀の郡)の美しい響きにばかり浸って居られないような気がしたのだった。
 そうは云っても、この線の両端の町は、いずれも19世紀の栄華の風情を残しており、特にシルバートンの雄大な山岳風景の中で、くり拡げられるナローゲージ鉄道の情景は、デュランゴの立入禁止とは打って変って楽しい限りであるのは嬉しい。又、沿線は歴史好きな、また鉱物好きの鉄道ファンに取って興味の尽きない所であろう。
 さて、今の列車ダイヤは1900年頃のものとほとんど変っていない.ただ他の線との接続の無くなった今は、乗客の便を考えて、8:30発の461レと、増発は1時間遅れの463レが設定されていた。昨シーズンまでは観光列車とは云っても、れっきとしたD&RGWの混合列車であった。貨物用には有蓋車二輛が小貝板に“Rio Grande Gold” と書かれ、黄色の SILVERTON COLOR に良く似合っていたと云う。そして、まれに貨物扱のため停車することがあったとか。運転は第一級鉄道並であって、機関車の煙突の左右に白い小旗、最後尾の車輌のサイドにはマーカーランフを点灯している。
長いドライブの末、夕刻にやっとデュランゴに到着した訪問者は運がよいと、462レか464レが鐘と気笛を鳴らしながら裏通りに当たる“Narrow Gauge Avenue”(ナローゲージ通り)をゆっくり駅に進入して来るのに出遭うであろう。
古い1800年代の客車の他に、1964年に夏のシルバートンを訪問する人の増加に対して、古い青図を基にして造られた客車があり、側板は木材の替りにHOの模型のように鋼板で木材肌にプレスされた設計であった。建設当初の30ポンドレールはほとんど取り替えられてしまい、ナローゲージ名物のstub分岐も既に消えてしまっている。(この分岐の現存写真はアメリカ・ショートラインの中の〈43.東部のナローゲージ王国:EBT炭坑鉄道・2〉の写真に写っています。またこのデュランゴから三つめの駅 Rockwood に唯一の異物が設置されているとのことです。)
しかし、客車の隅には大きな鋳物製の石炭ストーブが寒い夏の朝にも使用されている。1950年頃は僅かの乗客を車掌車に乗せていたのに、十数輛の客車が満員になる賑わいは昔日の感があるとのことだ。
朝6時ともなれば人が続々とつめかけ、整備に忙しいロコを写そうとしてガードマンに叱られる人も出る有様である。普通一列車には400人弱なので、予約がない人は前日の午後6時に出札に並び、キャンセルを待つしかない。ツアーバスもあり列車の到着前30分位早く着き、帰りを列車で帰ることも出来る様である。
この写真を含めて7枚はオープニングの処女列車を車で追い掛けた記録です。それぞれに

撮影:1982年
発表:発公開

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・シルバートン紀行・1〜7(コロラド州)
078. ナローゲージのキャピトル“デュランゴ”・コロラド州
081. コロラドの宝石箱 シルバートンへ登る処女列車
096. シルバートンを目指した人々の歴史・コロラド州
075. 処女列車のシルバートン到着風景・シルバートンの街中
026. デンバー&リオグランデ ウエスタン鉄道・シルバートン駅
079. さらば、しるばーとん、永遠なれ・コロラド州