自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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 ・シルバートン紀行・コロラド州

081.  コロラドの宝石箱、シルバートンへ登る処女列車


〈0001:〉
シルバートンへ登るミカド重

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〈紀行文〉
 この朝は“Durango & Silverton arrow Nauge GRailroad”(デュランゴ・アンド・シルバートン・ナローゲージ・レイルロード)としてのオープニングディであって、先頭のミカドには白地にブルーと赤の同心円を描いたお祝いの幔幕が飾られ、セレモニーが進んでいた。やがて、列車は伝統的な短い気笛の二声で出発、今日のオープニングは客車を増結した重連仕業であった。大勢の群衆が見送るナロゲージ通りを鐘を鳴らしながら次第に速度を上げ始めていった。すぐに町を外れるとアニマス川を渡って川岸いを北上する。わたしは川の向かい側の撮影地点を探してウロウロしていた。
この路線は片道47マイル、最大勾配2.5%で2768フィートを3時間余りで登りつめる。
デュランゴはデンバー起点451.5マイルポスト、ここから11マイルは氷河で削られた広いU字谷の底に当り、遠くに断崖が連なり、アニマス河は蛇行してゆったりと流れ下る田園地帯で、牧場や農園が両側を埋め尽くしていた。崖の上にはリゾートとしての別荘街が開発されて居るようで道路が付けられている。
やがてHermosa Creekを1914製と云う可愛い65フィート長のトラス鉄橋で渡ると、大きな木製の給水塔が左手に現れると、HERMOSA(はーもさ)である。ここには温泉が沸きだすリゾート地でもあるが、ここからは山が急に迫って来て、アニマス川はアニマス峡谷と呼ばれる深いV字状の谷を形成して流れ下って来て居る。このナローゲージのルートはアニマス渓谷に沿って遡ることになっているのだが、その入り口では、しばらくの間はしその後に開削された国道550号と併走しながら、アニマス河の支流のHOROMOSA CREEKに沿って高度を稼ぎつつ登って行くのだった。やがて、国道は跨線橋で線路を跨いで、相変わらず支流に沿って高度を稼ぎながら峠に向かって挑んで行くようだ。私は道草を食っていたので、列車にやっと追いつけたのは跨線橋の手前であった。可なりのクルマが駐車して混雑していたが撮影には支障はなく、手持ちのコニカプレスでお得意の速射を数ショットしてから、強烈な重連のドラフトを響かせつつ崖の向こうに去って行く列車を呆然と見送った。
撮ったフイルムはモノクロのみであった。ここでは HORMOSA CREEKの木材橋を通過する♯476と♯473の重連が牽く処女列車の通貨を余すところなく捕らえることが出来た。見慣れないナローミカドのアウトサイドのフレームには、いささか戸惑う思いであった。何しろ車輪が見えず、奇妙なバランスウェイトが踊っているのだけが目に付いた。この外台枠方式のお陰でナローゲージにもかかわらず、巾広い火室を設けられて強力な牽引力を発揮するのだとのことだった。
 そこで、ここからシルバートンが見えるまでの祖業はシルバートンのミヤゲモノ屋で買ったガイドブックから借用せざるを得ない。
この国道を潜ってからは本流の峡谷の断崖の中腹に出るための大きな切り同志をひたすら配上ってゆく。次の駅はRockwoodですがここにはデュランゴではみられないナローゲージならではの“Stub Switch”が分岐線にのこっているのはアメリカでも貴重だと紹介されていた。ここは先の難工事の建設拠点であったからで支線がのこされているのでしょう。また鉄道が開通してから山奥から馬車や馬で運ばれた金鉱がここから列車に積み込まれたと云う。このRockwood から次の駅の Tacomaの間の約3マイルでは、線路は“San Juan 国立森林公園内に入ると同時に、世界で最もスペクタクルな景観の場所に入ることになる。この区間の線路は地元の人も旅人も皆んなが、“Highline”と呼んでおり、線路に沿った崖はアニマス河の水面から約400フィートの高さがあるとのことだ。この最大の難工事であった場所に至るには30分ほど先に進まねばならない。線路の上の断崖は更に約100フィートはあるらしく、落石帽子の工事が連綿と続けられているところである。ここの景観を列車を入れて撮影した俯瞰写真はシルバートン・トレィンの代表的シーンとしてポスターやカレンダー、カタログに登場しているものであると云う。ここでは満員の旅人を乗せた列車は25パーミルの勾配を保った線路を慎重に進んで行く。そのドラフトの峡谷に反響するさまは想像に絶するようだ。私のような駆け足訪問ではとても寄りつける所ではなかった。是非公式写真をご覧になって下さい。
やがてトラス鉄橋で河を渡ると支流の合流点にあるTACOMA に到着した。
ここは1917年の大洪水ではシルバートンヘの上流沿いの22マイルが流失する、大被害を受けたと云われる。
谷この間の所々に拡がる僅かの平地にはアスペン(ポプラ),白樺が繁茂し、
秋の紅葉が遠くに見える山々に映える自然公園がある。この沿線ではキャンプや釣りなどを楽しむことが出来るので、そのような旅行者のための「フラッグ ストップ」のサービスも行われるとのことだ。
シルバートンから南へ22まいる程戻った所にCascade Creekとの合流点があって
少し河から離れた所にCascadeと呼ばれる駅があり、1982年の建設字には基地がおかれて、短い距離の支線が設けられていた。今は冬の列車やシルバートン往復の列車の転向に使われており、また石炭貯蔵庫、保線区が置かれています。ここも昔は駅馬車から列車への鉱石の積み替えが行われた所でもあり、また蒸気機関で動かした古い製材所も残っている。
この付近から先は昔の駅馬車の有料道路を買収したものと云われている。やがてELK PARK。行く手には金鉱山が開かれていたサルタン山が近づきつつあり、
振り返れば奇怪なスカイラインの峰々が見わたせる。ラッパ状に河原が広くなり BAKERS PARKと呼ばれる盆地に入る。光に映える雪をいただいた山々がシルバートンの街を守るかのように周囲を取り囲んで並び、針葉樹林がまばらに美しいパターンを作り出している。
このアニマス渓谷の往復90マイルの運行では機関車は約40トン弱の水、約6トンの石炭を消費するので、給水は途中で2回ほど線路脇に設けられた高架水槽からおこなわれるし、時にはボイラー缶水のブローダウンが見られることもあるようだ。
さて、重連を取り終わってクルマに戻ると、もう処女列車が深い谷間の奥へ交錯するドラフトのこだまを残して消えて行くところであった。そこで私も一目散に“百万どるハイウエー”と呼ばれる山岳道路の峠越えに取りかかった。
この道路はデュランゴ、シルバートンを経由して西南コロラドを南北に結び、西の大陸分水嶺、北のSan Juan( サン・ファン)山脈を幾つもの標高3000mを超す峠で通過している国道 550(U.S. 550)であった。ここは1920年代に開削され、その一部は昔の鉱山への交通を担っていた有料馬車道路が使われているとのことである。
その勾配の道路は約25 milesであり、特に“Silverton〜Ouray”は“San Juan Skyway Scenic Byway”の一部となっている。
Durango〜Silverton間はほぼナローゲージ鉄道経路である峡谷にほぼ沿っている“Skyway”であり、全行程は“Million Dollar Highway”と呼ばれる。
特にRed Mountain越えの峠に至る12milesは他と比較できない程の難路で、峡谷の険しい崖と、鋭ヘアーピンカーブと急坂の連続というのであった。この名前の由来には諸説あるようで、"そのコストがマイル当たり百万ドル"と云うのがあり、他には“1920年代の金の価格で換算して、土盛りした土石の中に含まれる金が百万どる”だと云うのであった。
 それにしても国道を間違えたのではないかと心配する位何もない山岳道路だったが、ただ一つだけT字の交差点があり、峡谷の方おめざしていたので、ちょっと寄り道をしたいとの衝動にかられたが、思い直して先ずシルバートンを目指して急いだ。やがて峠を越えると、国道は目もくらむような高さで盆地を見下ろしながら下ってゆくのであった。

撮影:1982年
発表:「レイル」誌・

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・シルバートン紀行・1〜7(コロラド州)
094. デュランゴ&シルバートン・ナローゲージ鉄道の開幕
078. ナローゲージのキャピトル“デュランゴ”・コロラド州
096. シルバートンを目指した人々の歴史・コロラド州
075. 処女列車のシルバートン到着風景・シルバートンの街中
026. デンバー&リオグランデ ウエスタン鉄道・シルバートン駅
079. さらば、しるばーとん、永遠なれ・コロラド州