医王寺の枯山水の庭園は、江戸時代初期の元和年間(1620頃)に造園されたようです。客殿の西側と南側を合わせて約1,000平方メートルになります。
 作者は、小堀遠州(こぼりえんしゅう)とも、本山京都智積院化主猊下第7世運敞僧正(うんしょうそうじょう)とも言われ、残念ながら寺伝等に記されているものは見付かっておりません。しかし、石組みや作風など、小堀遠州の作庭する庭とよく似ています。
 また、小堀遠州の旅行記が医王寺に残っていることから見ても、何らかの関係があったことは確かです。
 
 植栽はサツキ、ツツジを中心とした刈り込みものでまとめてあり、その中のソテツが唯一の高木になっています。客殿と庭園の石組みの間には一面スギ苔で覆われていて、枯瀧(かれたき)より海に至る様子がよく表現されています。

ライトアップした庭園の南側 背景の暗闇が庭園を浮かび上がらせます ライトアップした庭園の西側

 また以下の写真は枯山水の庭園をライトアップしたときの様子です。写真はお檀家さまの鶴谷さんより提供頂きました。
 暗闇に浮かび上がる庭園では木々の緑が際立って見えます。
 また写真は大晦日のライトアップでしたので寒さで木々が冬眠状態であると感じます。

雪化粧した枯山水の庭園 雪化粧した庭園はまた違う雰囲気 上から見た真っ白の庭園

 以下の写真は平成23年1月17日に静岡県西部地方に積雪があったときの写真です。実に17年ぶりの積雪だったと記憶しております。
 静岡県西部は全国的に見ても大変温暖で年間通して雪が降ること自体珍しい地域です。

 医王寺の枯山水の庭園も雪化粧をするとまた全然違う雰囲気になります。

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医王寺 枯山水の庭園アルバム

 庭園の南側は、一面のスギゴ苔の海の中に石組があるような、おとなしい構成です。
 西側の築山部分を動的とするならば、こちらの北側は静の庭であり、対比をなしています。

  医王寺の枯山水の庭園で主石となる、三尊石です。

 庭園全体に目を向けてみますと、五群に分けられた石組は、それぞれが表情を示しております。
 石組に使用されている石は、地元天竜産の青石をはじめとして、紀州石の名石も多く使われています。

 石のほとんどが建てて組まれていて、静岡県のこの地方に多く残っている、小堀遠州作の庭と同じ造りです。

 サツキが咲き終わった5月下旬には、植木の刈込みを行うため、庭園がもっとも整った姿をご覧頂けます。

主石 三尊石
主石 三尊石(5月下旬)

 庭園の西から北にかけて築山として、写真の正面より左の一番高いところに、三尊石組を据えています。
 その下に枯瀧石組をし、枯流れ護岸石組にして深山の渓谷を表しています。

枯山水の庭園 客殿西側
枯山水の庭園 客殿西側(5月下旬)

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医王寺 枯山水の庭園アルバム

枯山水の庭園  小堀遠州、運敞僧正造園

枯山水の庭園 客殿南側
枯山水の庭園 客殿南側(5月下旬)
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昭和初期の枯山水の庭園 客殿西側