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説教題:「天地創造」

聖 書:創世記1章1〜31節

   2023年も今日で最後を迎える事が出来、一年間を振り返り自分なりの10台ニュースを思い出してみては如何でしょうか。

 私にとって一番大きな出来事は、11月14日に八十歳になったことです。

 詩篇90篇10節に「われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。」と記されています。

 ここをヘブル語の直訳では「私たちの年の日々は七十年、そして強壮の中で八十年、しかも彼らの誇りとするものは、労苦と災い。まことに私たちの時は素早く飛び去る。」と書かれているのです。

 日本人の平均寿命が男性81.49歳、女性が87.60歳で、全体の平均寿命は84.55歳なので、80歳という年齢は人生の大きな転機になることを実感しています。

 それで、詩篇には健やかに八十歳を過ごす事ができるということは、神様から預かっているこの身体の管理を十分にしてゆかなければならないことを思うのです。

 さて、年の最後の礼拝では、聖書の原点である、創世記1章が与えられ、天地創造のことから聞いてゆきたいと思います。

 ヘブル語聖書の最初に書かれている言葉は「ベレシート」(はじめに)であり、ユダヤ教では創世記のことを「ベレシート」と言っています。

 この初めに、神様が「天と地を創造された」と記されており、天とは「シャマイム」と言い、この言葉は旧約聖書に421回記さており、場所によっては「空」と訳しています。

詩篇11篇4節に「主はその聖なる宮にいまし、主のみくらは天にあり、その目は人の子らをみそなわし、そのまぶたは人の子らを調べられる。」また、詩篇14篇2節に「主は天から人の子らを見おろして、賢い者、神をたずね求める者があるかないかを見られた。」また詩篇8篇9節で「空の鳥と海の魚、海路を通うもの」と記されいるように、シャマイムとは神様がおられる所だと考えて良いと思います。

2節では「地はかたち無く中身の無い(神様の息が語源)状態であった。そして水の上は深淵の神の霊が飛び回っていた。」と記されているのです。

つまり、天地を創造された神様は、地球という天体について語られ始め、最初の地球は水で覆われ、神様の息(ルーアッハ)が地球全体を飛び回っていたのです。

次に神様は3節で「光よ、存在せよと言ったことで、光があるようになった」と記されているのです。

4節で「神はその光の存在を見て、良いといい、光を闇に分けた」5節で「そして神は光を昼と呼び、闇を夜と呼んだ。そして夕があり、朝があり一日があった。」と記されており、先ほどの光とは異なる光、つまり太陽と月を通して昼の光を太陽に、夜の光を月として光を与えられたのです。

「夕があり、朝があり」という言葉により、一日の始めが太陽が沈んだ時からになり、今でもイスラエルでは一日の初めが日没からであり、イスラム教もこの聖書の箇所から一日の始まりは日没からになっており、夕食は一日の最初の食事になるのです。

イエス様がお生まれになられたとき、羊飼い達が平野において放牧している羊の番をしていたとき、羊飼い達の周りを照らした光は、太陽の光ではなく、神様の栄光の光だったのです。

伝道の書1章6節に「風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。」と記されていますが、この「風」は神様の息である「ルーアッハ」と記されており、創世記1章2節の「神の霊」のことなのです。

神様がアダムをお造りになった時に、神様がアダムに神様の息を吹き込むことにより生きる者となったことから、民数記27章16節に「すべての肉なるものの命の神」と記されている「命の神」と訳されている言葉は神様の息である「ルーアッハ」と記されていることから、地球上に存在する動物は酸素を吸い、呼吸をすることで生きているのです。

呼吸をすることで生きる事が出来ているメカニズムは酸素を吸って、身体に不要になった二酸化炭素を出しているからであり、その酸素はどこで作られているかというと、植物の葉っぱで製造されているのです。

葉っぱが酸素を製造するには、太陽の光と水と二酸化炭素が必要なので、植物を植えることが最も重要な課題になるのです。

6節では「神は大空の真ん中の水と水を分けるものがあれと言った」と記されているのです。

これは、地上の水と空にある水つまり雲のことを言っていますが、飛行機に乗ると飛行機は1万メートルを飛行しますが、その機体の外はマイナス50℃ほどで、海や湖から蒸散した水が全て凍ってしまい、氷の塊が徐々に大きくなり引力により下に落ちてくると、地表が5℃程だと雪になり、それ以上だと雨になるのです。

9節で「天の下に水が集まれ、そして乾いた地が現れよと神が言った。そのようになった」とあり10節で「神は乾いた地を大地と呼び、水の集まった所を海と呼んだ」とありますが、これは地球全体に水と陸に分けられたのです。

ちなみに、世界最高峰と言われる8848.86bの標高があるエベレストには海に生息したアンモナイトが発見されており、このエベレストも以前は海の中にあったことが分かっているのです。

海と訳されているヘブル語は「マイム」という言葉であり、イザヤ書12章3節に「あなたがたは喜びをもって、救いの井戸から水を汲む」と記されていることから、マイムマイムというイスラエルの歌があるのです。

つまり、主イエス・キリストを信じるならば、救われるという内容なのです。

11節で「地は若草を生え、草になり種が出来、木を生えさせ木の実を作るように命じられたことで、人間の食料となるさまざまな野菜やさまざまな木の実を創造されているのです。

14節で「大空の中に晃者をもって、昼と夜とを分けられた。そして年と日々の為に季節をしるしとされた」と、日本は春夏秋冬とはっきりと季節が分けられていることを、主に感謝しましょう。

20節では、造られた地球の表面では「水は群がる者をむらがらせ、又地の上に鳥が飛ぶように創造された」と、造られた地上ではさまざまな鳥が飛び交い、海の中ではさまざまな魚が群で泳ぐさまを語っておられ、22節で「産めよ増えよ、地に満ちよ」、として24節で「値は魂をだすように、家畜の種類によって、這うものの種類に従って」と言われているのです。

そうです、地球上に生きているもの全てが神様によって造られ、そして神様が「産めよ増えよ地に満ちよ」と言われているのです。

人間が生きる条件を全て整えたことで26節「私たちは、私たちの像に人を造ろう」、神様が被造物の最後に人間を造ることにし27節で「男性と女性に創造した」のです。

大切な所なのでヘブル語で見てみますと「エロヒーム(神)・ナアセー(私たちは造ろう)・アダム(人)・ベツァルメーヌ(私たちの像に)」と記されています。

ここで、ナアセー(私たちは造ろう)という言葉ですが、この言葉は一人称複数形なのでユダヤ教としては、神は唯一の神であって、単数形になっていなければならないと不可解な言葉として捉えられているのです。

しかし、キリスト者は、全能の神様、御子イエス様、そして聖霊様と一人称であっても、一人称単数形の「われわれ」と言われていることに納得するものです。

ちなみに、メシアニックジューの人たちも、イエス様を御子と信じる事により、アセーという言葉の意味が理解できるそうです。

アダムからイヴが造られたことが、創世記2章22節「主なる神は、アダムから側面(あばら骨と訳されいる)をとり、女を造った」と記されているのです。

実は、旧約聖書に40箇所記されているツエラーというヘブル語はこの箇所だけが「あばら骨」と訳されており、38箇所は「側」と訳しているので、アダムの片側つまり、半分からイヴを造られたというと、医学的にも納得することが出来るのです。

28節には「そして、神は彼らを祝福した。神は産めよ増えよ地に満ちよ。そして海の魚、空の鳥、全ての生き物と地を這っている生き物とを治めよ」と言われたのです。

人間は、神様のかたちに似せて造られ、他の被造物すべてを治めるように、つまり管理するようにと命じられているのです。

天地創造とは物語ではなく、実際に神様が天地万物を創造されたお方であり、ベレシートという言葉が全ての最初であることが聖書を通して私たちに語って下さっているのです。    

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