s
| 12月1日 | 12月8日 | 12月15日 | 12月22日 | 12月29日 |
|---|
説教題:「あなたの主が来られる」聖 書:マタイによる福音書21章1〜9節今日から、アドベントで、イエス様がお生まれになられるまでの4週間の最初の週が始まったのです。アドベントとは、ラテン語の「到来、訪れ」という意味のアドベンタスという言葉から来ていますが、日本語では待降節とも言っています。 今朝与えられた聖書の箇所は、イエス様がエルサレムに入城する前の話しであり、ベテパゲに着いた時二人の弟子に子供のロバを連れてくるように命じているのです。 ベテパゲは、未熟のいちじくの家という意味のアラム語からの地名で、エルサレムから東の方にあるオリーヴ山の南にあった町です。 ベテパゲという町は、ベタニヤからエルサレム神殿に詣でるために通る所であり、イエス様がナザレから約130`離れたエルサレム神殿に一週間ほどかかる旅をして、エルサレムに近いこの町で宿泊したりしていたのではないかと思うので、イエス様と顔見知りの住人もいたことでしょう。 イエス様は、弟子二人に21章2節で「向こうの村へ行きなさい」と命じていますが、原文を見ると「向かい側の村」となっていますので、ベテパゲから少し離れた村のことになります。 イエス様は弟子たちに2節後半で「子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。」と命じているのです。 イエス様は「向かい側の村に行って、ロバの子供が繋いであるから、綱を解いて連れてきなさい」と言っていることで、そのロバを飼っている人に断ってから連れてきなさいと言っていない、つまり黙って連れてきなさいと言っているのです。 しかし、3節を見ると原文で「そして、誰かが、あなた方に何かを言うならば、主がそれらの必要を持つと言え、するとすぐにそれらを彼は渡してくれる」と記されているのです。 「主がそれらを必要としている」と言わせていますが、「主」とはギリシァ語でクリオスと記されていますが、アドナイという言葉をギリシァ語に訳すときに、クリオスとしたことから、主とはアドナイのことなので、弟子たちにとってイエス様が、神が必要としているからロバを連れてこいと言われていることに戸惑いを覚えたことと思うのです。 余談ですが、ローマ皇帝ネロは自分をクリオスと呼ばせていたことから、キリスト者たちが、自分たちはクリオスであるイエスを主としているという立場には、ネロ皇帝からの逆鱗に触れ、紀元64年ローマで大火事が起ったことをキリスト教徒の仕業と断定しキリスト教徒を殺害していったのです。 暴君と言われたネロも悪行を重ねた上、31歳で自殺していますが、世界中でネロの名前は、キリスト者たちを残虐な方法で殺害したというレッテルを剥がすことが出来ないのです。 本題に戻りますが、イエス様が弟子たちに命じたことは21章4節で「預言者によって言われたことが、成就するためである。」と弟子たちに言ったのです。 ゼカリヤ書9章9節に「シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。シオンの娘よ、大いに喜べ、エルサレムの娘よ、呼ばわれ。見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。」という箇所をイエス様が預言の成就としてこの箇所を引用されているのです。 「シオンの娘」とは、エルサレムとイスラエルの民のことで、「あなたの王」とは主イエス・キリストのことです。 つまり、あなたがたが待ち望んでいる、救い主であるイエス・キリストは、子供のロバにのってエルサレムへ入城すると言われているのです。 そして主イエス・キリストは「柔和なおかた」と記されていますが、柔和なというギリシァ語はヘブル語の背景から読み解くと「高ぶることなく柔和の中に包み」と新共同訳聖書のゼカリヤ書9章9節の訳が、その時の状況を表しておられる事が分かります。 ルカによる福音書11章2節では「まだだれも乗ったことのない子ろば」と記されているのです。 ロバは人を乗せたり、荷物を載せて運んだりする動物ですが、イエス様を乗せることが子供のロバの最初の仕事ということになります。 この御言葉からも、私たちが背中に背負っているのは主イエス・キリストであること、つまり自分の生涯はイエス様が中心におられるということを指していると聖霊さまから聞く事が出来たのです。 マルコ福音書11章3節で「『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」とイエス様が「すぐここにお返しになります」と弟子たちに言わせているのです。 マルコ福音書11章6節で「二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。」と記されているのです。 恐らく、ロバを飼っていた人も、イエス様が多くの奇跡を起こし、33歳と若いけれども周辺の人々にはユダヤ教のラビとして知られた存在なので、イエス様の弟子たちの申し出を快く受けて、子供のロバを弟子たちに託してくれたのでしょう。 マタイ福音書21章6節7節では「そして、弟子らは行って、イエスが彼らに命じたように、ろばとロバの子を連れて来た。またそれらの上に衣をかけたそしてそれらの上に彼は乗った。」と記されているのです。 興味深いのは、イエス様が乗る子供のロバと大人のロバの二頭を連れて来たと記されている事ですが、荷物を運ぶために大人のロバも必要としたのでしょうか。 口語訳聖書においては「自分たちの衣」と訳されていますが、原文には「自分たちの」という言葉はなく、「衣」の複数形が用いられている事から、「自分たちの」と付加したものと思われます。 8節は「そして、多くの群衆は、自分らの衣を道に敷いた。また他の者らは、樹木 から枝を切り離した。そして道に敷いていた。」と記されているのです。 ヨハネ福音書12章13節に「なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。『ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。』」と記されているように、樹木はなつめやしであり、その枝を敷いたことが分かります。 ナツメヤシは、日本にあるシュロと似ていていますが、ナツメヤシの実は甘くて糖度が70〜80パーセントありますが、シュロにの実は食べることができません。 21章9節を見ると、群衆の熱狂ぶりが記されています「また、彼の前に行きそして後ろに従うところの群衆が、叫んでいた、言うのには「ダビデの子にホサナ、主のなにおいて来る者は祝福されている。最も高いところにホサナ」と原文で読むことが出来ます。 ホサナとは、ヘブライ語のホシア・ナ「救って下さい」の意味です。 ユダヤ人たち群衆は、ローマ帝国により迫害されている状況からイスラエル民族を救ってくださるメシア、救い主がイエス様という偉大な預言者だと言う事を確信して大声で叫んでいましたが、イエス様が全能の神様の一人子であると思っていたわけではなく、神様の救いは御国への凱旋であることは、その時には分からなかったのです。 主イエス・キリストは、全能の神様によってあなたの為にこの世に来られ、あなたを救うために十字架に掛かられ、復活を通してあなたが永遠の命を得させるためだったのです。 |