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説教題:「主に寄り頼む」

聖 書:詩篇118篇1〜9節

新しい年を迎えることができ、主に感謝致すると共に、今年一年主の見守りの中で一日一日を過ごすことが出来るように祈ってゆきたいと思います。

 今年最初に与えられた御言葉が詩篇118篇で、1節に「主に感謝せよ、何故なら主の慈しみは永遠に良い」と記され、先ずは主に感謝せよと命じられている事です。

 ヘブル語では「何故なら良い」(キー・トヴ)という言葉は「まことに主は良い、主に感謝することは良い、主が行った業は良い」と記されている事から、自分の人生に起るさまざまな事に対しても、主は慈しみをもって見ていて下さるので、主に対する感謝を忘れることが無いようにすることが大切なのです。

 2節で「イスラエルは、主の慈しみは永遠にと言うように」、3節で「アロンの家は家、主の慈しみは永遠にというように」4節で「主を恐れる者は、主の慈しみは永遠に家」と三度にわたり命じられているのです。

三度も繰り返し命じておられる事は、選民イスラエル民族のみならず、主イエス・キリストを信じた者に対しても、主の慈しみは永遠にと言おうと言われているので、主の慈しみは選民イスラエル民族だけではなく、主イエス・キリストを信じた事で、一人の人間として主に選ばれたからなのです。

 5節で「私は苦難の中から主を呼んだ。主は私に広いところで答えた」と記されているのです。

 人は悩み多き者であり、悩みが無い人はこの世に存在していないことは、神様がご存じなのです。

 悩みは自分の心の内にしまっておくのではなく、神様に具体的にその悩みを聞いて貰う為に訴えることによって、広いところつまり天において聞いてくださるのです。

 6節で「主が私に、人が自分に何を言うおうが恐れなくして下さる」と言われているのです。

 私は、自己中心という言葉の意味を広辞苑でみると「自分を中心に物事を考える事、他人の都合を考えないこと」と書いており、良い意味では使われない言葉です。  けれども、聖書は神様が一人一人を異なるものにお造りになられていることから、神様が造った自分は他には絶対に存在しないので、物事の全てを自分を中心にして思うことは御心にかなったことなのです。

 だからこそ、イエス様がマタイによる福音書19章19節で「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」つまり、自己中心である自分が一番自分を大事にしているので、その思いをもって、隣人を大事に思えと言われていることから、広辞苑の「他人の都合を考えないこと」は、御言葉に反する事なのです。

 7節では「主が、私を助ける者たちを起こし、私を憎む者達を見極めさせる」と記されているのです。

 主なる神様は、信仰者を助け、信仰者に敵対する人を見極めさせて下さると言っておられるのです。

 8節で「人を信頼するよりも、主の中に逃げ込むことは良い」9節で「貴族達に信頼するよりも、主に逃げ込むことは良い」と記されていますが、私たち信仰者は、得てして人を信頼してしまうものなのです。

なぜ、神様は人を信頼するなと言っておられるかと言うと、信頼されたその人も実は悩み多き人であるかもしれないからなのです。

今は永遠の眠りについておられる、加来国生という有名な牧師がおられましたが、その先生が「私は人を信じる事をしない」と語ったときに、私はそれを聞いてビックリしたものです。

 しかし、加来国生先生の次の言葉「人が信じられるのは、神様だけだ」と言われたことに納得したのです。

 人を信じても裏切られることがありますが、神様は絶対に裏切ることをしないお方であることを肝に銘じておきましょう。

 10節「全ての国々は私を囲む。私は主の名によって彼らを断ち切る」と記されているのです。

 主イエス・キリストを信じている信仰者と、主イエス・キリストを信じていない人の間には、超えることが出来ない壁があり、親子でも兄弟でも壁があるのです。

 私は、親族の中で唯一人の牧師の存在なので、10節の御言葉に納得するものです。

 少しずつ、親族の中に主イエス・キリストを信じる人の存在が増えて来ていることを思い、主に感謝をしているのです。

 14節に「主は、私の力と讃美、そして主は私の為の救い主」と記されているのです。

 新しい年も、主に寄り頼んで日々と過ごす事が出来るように祈ってゆきましょう。    

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