10月6日 10月13日 10月20日 10月27日

説教題:「主イエスのまねき」

聖書:マタイによる福音書4章12〜25節

 今朝は、四つの福音書の中の最初のマタイによる福音書から御言葉を聞いて参ります。

 知識として知っておくことが大切なことなので、少し聖書の成り立ちについて見てみることにします。

現在私たちが手にしている聖書は、旧約聖書と新約聖書が一冊になったものですが、実は聖書が66巻にまとめられるには、長い年月がかかっているのです。

その発端は、神様が選ばれたイスラエル民族のために紀元前13世紀ごろ、モーセが創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記という所謂モーセ五書が基礎となり、紀元前4世紀頃に源左の39巻がユダヤ教の正典として確立したのです。

 そして、新約聖書が27巻にまとめられたのは、393年のヒッポ会議(現在のアルジェリア)とカルタゴ会議(チュニジア)において正典として認定され、現在の66巻の聖書になっているのです。

 所で、聖書は巻物を表す「巻」という言葉が使われますが、白くなめした羊の皮に御言葉が記されていたからで、聖書を書き写す人はマソラ学者といい、その人たちは生涯聖書を書き写すことをしていたそうです。

 日本語の口語訳聖書が完成したのは、1955年で私が小学5年生の時だったので、現在では、文語訳聖書、口語訳聖書、新共同訳聖書、新改訳聖書、リビングバイブルなど、簡単に手にすることができるようになっていますが、旧約聖書はヘブル語で書かれており、新約聖書はギリシァ語で書かれていることは、決して変ることがない言語なのです。

 また、聖書は神様のみ教えにも関わらず、紀元前2世紀のマカバイ戦争の時セレウコス朝のアンテオコス4世のエピファネスがエルサレム神殿を冒涜し、聖書としても巻物を焼き捨てたり、1239年にフランスのパリでは、ユダヤ教のタルムードにキリスト教に対する冒涜とみなされている箇所があるとの見解でグレゴリウス9世がタルムードを焼却することを命じたのです。

 本題に入りますが、今朝の箇所は、いよいよイエス様が公に神の国の福音を伝えるために動き出した時のことですが、まずは4章1節に「イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである。」と記されているのです。

 「御霊」とはギリシァ語のプニューマですが、これはヘブル語のルーアッハを翻訳したもので、イエス様が父なる神様の息により、デアボロスに試されるために荒野に導かれたと記されているのです。

 「荒野」とは文字通り人の住んでいない場所の意味ですが、孤独という意味もあることから「イエス様が孤独な状況に置かれた」と解釈できるのです。

 確かに、私たち信仰者は、神様の自分の一対一の関係であり、自分は自分以外にないことから孤独な存在なのです。

 人間関係という言葉がありますが、孤独な自分が自分以外に関係を持つことであり、孤独な自分には変わりがないことを、神様が教えておられるのではないかと思うのです。

 4章11節に「悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕えた。」と記されていますが、孤独な自分が頼ることができるのは、神様だけだと悟るときに、デアボロスは去って行き、詩篇91篇11節「主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道で、あなたを守らせられるからである。」と記されているように、主が天使たちを遣わされるのです。

 イエス様は、試練の後に4章12節で「イエスはヨハネが捕えられたと聞いて、ガリラヤへ退かれた。」と記されており、イエス様は従兄弟のヨハネがローマ帝国に捕らえられたと聞き、危険を察知しユダヤ地方からガリラヤに退かれ、ガリラヤでの伝道活動を本格的に始めたのです。

 イエス様は、4章13節に「海べの町カペナウムに住まわれた」と記されています。

 海とはガリラヤ湖のことでカペナウムはガリラヤ湖の北西の岸部にある町で、イエス様が神の国の福音を語ったとされるシナゴーグ跡を見るとが出来ます。

 16節には「暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」と記されているのです。

 「暗闇」とは「光が届いていない、神から切断された世界」の意味から、光なるイエス様が来られたことで、死ぬべき人間に永遠の命が与えられるようになったと解釈出来るのです。

 イエス様は、17節において「悔い改めよ、天国は近づいた」と言われているのです。

 「悔い改め」とはギリシァ語でメタノウ、意味的には「心を変える、人生における考え方の根本を変える」ですが、ヘブル語のシューヴから来ておりイエス様は人々に対してシューヴつまり「神に立ち戻れ」と言われているのです。

 ですから、この17節は「今与えられている自分という者の人生を、神の意志を受けいれ、主イエス・キリストを自分の全生活の主として受けいれるようにしなさい」との主イエス様のまねきでもあるのです。

 その理由が「天国は近づいた」からと言われているのです。

 「天国」とはギリシァ語でウラノスといいますが、新約聖書には273回も記されている言葉であり、マタイによる福音書4章10節でイエス様が「あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。」と言われているように、天のお父様がおられる所であり、マタイによる福音書26章64節で「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」と言われている父なる神様、御子イエス様、聖霊様、として神様に仕えている天使たちがいる所なのです。

 テトスへの手紙3章7節で、主イエス・キリストを信じることのより「わたしたちが、キリストの恵みによって義とされ、永遠のいのちを望むことによって、御国をつぐ者となるためである。」と語られているのです。

 イエス様は、神の国の福音を伝えるためには、助け人が必要だったので、ガリラヤ湖で漁師をしていたペテロとアンデレに19節で「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」と招いたのです。

 ギリシァ語の原文では「そして、彼らに彼は言う『私の後についてこい、そうしたら、あなた方を人間の漁師に私がしよう』」と、強い命令口調で言っていることが分かります。

 ペテロとアンデレも、いっぱしの漁師で生計を立てているイエス様より年上の人に対して30歳のイエス様の口調は強いものであったことが分かります。

 イエス様は、強い口調でまねいていることが分かるように、神様が招く口調はマタイによる福音書3章2節に「悔い改めよ、天国は近づいた」と記されている通りなのです。

 二人だけでは福音宣教は足らないので、ヤコブとヨハネを追従させ、23節「イエスはガリラヤの全地を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。」と、ユダヤ教の会堂、シナゴーグにおいて力強く、悔い改めを迫り、それだけではなくあらゆる病気、わずらいを癒されたので、おびただしい群衆がイエス様に従ったのです。

 イエス様のまねきは、世界中が混沌としていても、強い口調で「悔い改めよ、天国が近づいた」と言われているのです。

 イエス様のまねきに応じることが出来るような者となれるようになりましょう。    

 

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