北畠顕家奏状

 「北畠顕家奏状」は、「北畠顕家上奏文」、「北畠顕家諫奏文」などと書かれる事もありますが、顕家が建武5年(1338)5月15日、つまり死ぬ7日前に後醍醐天皇に宛てて書いた書状です。現存しているのは、醍醐寺三宝院に保存されている草案の写しのみで、顕家の直筆のものは残っていません。(醍醐寺文書とも呼ばれます。こちらが正式名称でしょうか?)
 この中で顕家は、七ヶ条に渡って後醍醐天皇の政治の欠陥を批判し、顕家の政治思想に基いた改善策を述べていますが、第一条の途中からしか残っていないので、これが第一条かどうかも不明です。
 私にとっての北畠顕家の魅力は、早世の天才とか、戦が強かったとか、一般に語られることの多い美少年説とか、いくつか挙げられますが、やはり、この上奏文にあるような気がします。
 ここでは、顕家の遺書とも言える上奏文の原文と読み下し文を載せています。原文は「北畠顕家生誕700年記念事業 平成30年度 伊達市歴史文化講演会 北畠顕家と霊山 −講演会資料集−」(2018年10月伊達市教育委員会)から、読み下し文は「日本中世史を見直す」(平凡社)からの引用です。

 訳文は、管理人 大錦号が、古語辞典・漢和辞典・国語辞典及び「日本中世史を見直す」の注釈を引っ張りまわして(笑)訳したものですので、直訳的な表現ですし、正確に訳しているとは、絶対に言えません。
 それでも、無断借用・転載は御遠慮下さい。万が一、こんな拙い訳でも引用したいということでしたら、ブログへ御一報下さい。

第一条 第二条 第三条 第四条
第五条 第六条 第七条 結びの言葉

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