北畠顕家奏状
第一条
| 原文 | 読み下し文 | 訳文 |
| (前欠) 鎮将各領知其分域、政令之出在於五方、因准之処似弁故実、元弘一統之後、此法未周備、東奥之境纔靡 皇化、是乃最初置鎮之効也、於西府者更無其人、逆徒敗走之日擅履彼地、押領諸軍再陥 帝都、利害之間以此可観、凡諸方鼎而猶有滞於聴断、若於一所決断四方者、万機紛紜争救患難乎、分出而封候者、三代以往之良策也、置鎮而治民者、隋唐以還之権機也、本朝之昔補八人観察使、定諸道之節度使、承前之例不与漢家異、方今乱後之天下民心輙難和、速撰其人、発信西府及東関、若有遅留者、必有噬臍悔歟、兼於山陽北陸等各置一人之藩鎮、令領便近之国、宜備非常之虞、当時之急無先自此矣、 |
(前欠) 鎮将、各々その分域を領知し、政令の出ずるや、五方に在り。因准(いんじゅん)のところ、故実を弁(わきま)うるに似たり。元弘一統の後、この法いまだ周備せず。東奥の境、纔(わずか)に皇化に靡(なび)く。これすなわち最初鎮を置くの効(しるし)なり。西府に於ては、更にその人なし。逆徒敗走の日、擅(ほしいまま)にかの地を履(ふ)み、諸軍を押領して、再び帝都を陥(おとしい)る。利害の間、これを以って観るべし。およそ諸方鼎(かなえ)のごとくに立ちて、なお聴断に滞(とどこお)りあり。もし一所に於て四方を決断せば、万機紛紜(ふんうん)していかでか患難を救わんや。分かち出して侯に封ずるは、三代以往の良策なり。鎮を置きて民を治るは、隋唐以還(いかん)の権機なり。本朝の昔、八人の観察使を補し、諸道の節度使を定む。承前の例、漢家と異ならず。方今乱後の天下、民の心輙(たやす)く和しがたし。速かにその人を撰びて、西府および東関に発遣せよ。もし遅留あらば、必ず噬臍(ぜいせい)の悔あらんか。兼て山陽・北陸等に各一人の藩鎮を置きて、便近の国を領せしめ、よろしく非常の虞(おそれ)に備うべし。当時の急にすべきこと、これより先はなし。 |
鎌倉幕府では、奥州惣奉行、六波羅、長門、鎮西の各探題及び幕府の5つの組織を作り、これらの地方機関を通じて政令を下達していた。 先例を調べることは、故実を理解することに似ている。 建武の新政以後、このような地方別の政治・軍事の組織は、まだ周備されていない。 奥州がわずかに皇化されたのは、新政開始後すぐに親王を奉じて陸奥に下向し、諸機構を整備した効果の表れである。しかし、西国には全くそのような人物の派遣は行われなかった。 建武3年2月に足利軍が朝廷軍に敗れ、着の身着のままで九州へ逃れたが、すぐに諸軍を指揮・統率し、5月には再び都を占領した。 ここに、鎮守府を設置した奥州と、不設置の西国との差を見ることが出来る。 たとえ、奥羽・関東・西国の三方で中央政府を支えたとしても裁定は滞ってしまう。もし、中央政府だけですべてを裁定すれば、政治のすべてが混乱する。政治が混乱した状態で、どうして国の患難を救えるというのだろう。 諸侯に分割して領地を与えることは、中国古代王朝の夏・殷・周からの良策である。鎮守府を置いて民を治めるのは、隋・唐以来の便宜的な方法である。 平安時代、諸国の国司・郡司の施政を査察するために六道及び畿内にそれぞれ令外官を任命した。また、奈良時代には四道・三道に臨時の軍事指揮官を任命した。 前述の例は、中国と同じである。 現在、国は戦のため乱れており、民心は簡単には穏やかになりにくい。 早急に有能な人材を選出し、九州及び関東へ派遣すること。もし、遅れれば、必ず、臍をかむ思いの後悔をするであろう。併せて、山陽・北陸などに藩鎮を置いて、その周辺を統治させ、反乱に備えるべきである。当面、早急にすべきことは、これ以外に何もない。 |
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