自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
SL写真展 ( INDEX )〜アメリカ保存 & 日本現役
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にある送付先へドウゾ。)
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・山陰本線に日本海沿岸を巡る V
363.
出雲の海岸を行く、小田・田儀海岸
・小田−田儀−波根
〈0001:bQ40623:小田の礫浜海岸〉
〈撮影メモ〉
〈撮影メモ〉
小田から田儀に掛けは、海を巡る観光船が出ているほど素晴らしい海岸美が続いている。この小田海岸では湾になった砂利の浜の西側に突き出した海食崖から撮影している。手前の汀(なぎさ)は小さな礫(れき、丸味を帯びた岩石)で埋め尽くされていた。この礫の中には、古代の貝の化石がはいっていて、白い三日月形の線の入っているものを見つけることができるそうだ。貨物列車が白煙を長く後ろへなびかせて通り過ぎた。その背後には少し離れて集落の家並みがならんでいて、近くの山へと続いている。
〈0002:bR10142:田儀−並み根〉
〈撮影メモ〉
少し高い所から田儀の集落の河原やねを入れて撮ってみた。これはさ山陰独特の石州瓦で葺いたやなみである。これは島根県西部の石見地方(江津・浜田・益田)で産する粘土瓦であって、焼成温度が1200℃以上と高いため凍害に強く、日本海側の豪雪地帯や北海道などの寒冷地方で好まれている。独特の赤褐色は出雲地方で産出される含鉄土石「来待石」を釉薬に使用しているからであると云うのだった。(カラースライドを探しています。)
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〈紀行文〉
この度も山陰本線を出雲市駅から西へ向かった。やがて左手に日本海を眺められるようになると列車は出雲の国の西の端となりその西は岩見となる。ここからの山陰本線は島根県の中ぶから、西部へと縦断する日本海の海岸線沿いの約115qを走り抜けて益田駅へと至っていた。このシリーズでは3回に分けて出雲海岸から石見海岸を訪ねることにした。
最初のサイトでは、出雲市駅から西へ4番目の小田駅から田儀駅を経て波根駅に至る出雲の国の最もにしの海岸を訪ねた。初の訪問である昭和44年の時は、午後の順光を期待して出雲市駅から下り列車に乗り込んだ。やがて市街を抜けると川幅の広い神戸川(かんどがわ)を渡った。その昔は、この川椙を斐伊川が日本海へ向かって流れ下っていた所で、全長 160mのデッキ型プレートガーダー 7連の鉄橋であった。現在は斐伊川放水路工事のため下流側に「ウインドスクリーンを設けたトラス橋」に架け替えられてしまっているようだ。この先の左窓前法には三瓶山火山群の山々が大きく見えていた。この辺りが出雲の国と西の石見の国の国境となっているようだ。この沿線の家並みでは、その多くの屋根が美しい赤瓦を載せていたのには目を奪われた。やがて到着した田儀駅に降り立って見ると、運悪く、この時には田木駅から東の小田駅へ掛けての築堤での土木工事の真っ最中だったのでお目当ての撮影を取りやめてしまった。その代りに西の波根駅に向かって歩いて、独特の赤褐色の屋根の美しい集落の“たたずまい”を前景に狙ってから引き上げた。
この赤い石州瓦(せきしゅうがわら)は島根県西部の江津市の都野津地区を中心に、大田市、浜田市、益田市などでも生産が行なわれている粘度瓦であって、三州瓦、淡路瓦と並ぶ日本三大瓦の一つで年産約2億枚を誇っているとは驚いた。この独特の赤褐色は出雲地方で産出される鉄分を含む来待石を釉薬(ゆうやく、うわぐすり)に使用て生み出した赤味なのであった。この瓦の焼成温度が1200℃以上と高いため凍害に強く、日本海側の豪雪地帯や北海道などの寒冷地方で強みを発揮しているとのことだった。
その後、昭和46年10月末に再び小田駅に降り立った。この駅は海までは約500mほど離れてはいるが、その先の穏やかな砂浜には季節柄か人影はなく寂しかった。そこを西へ向かった歩き始めたやがて、山が海岸まで迫り、荒々しい日本海の侵食作用により形成された海食崖が切り立っていた。その麓は礫(れき)から成る砂利の浜に代わった。足元の波打ち際近くはやや小さな5cm位の礫が多く、波打ち際から数m離れると直径10〜20cmの礫が見渡す限り広がっていたのには驚かされた。これらの礫は波の作用で常に形を変えつつありようだ。この礫は現世の堆積物で、礫岩の地層を持った海食崖からや、小田川が上流から運んで来たものと推定されていた。この礫の中には、時々黄褐色から灰色の石に細い三日月型の白い模様の混ざったものもあり、これは化石二枚貝の殻の断面とのことでした。
ここで礫の浜を前景に一枚撮ってから西隣の田儀海岸へ向かった。
田儀海岸には色々な形をした岩や断崖洞窟などが入り混じり、崖には松が生い茂っている。また、海には頭をのぞかせた小島が連なり、打ち寄せる白い波、青く透き通った海、松の緑のコントラストが美しく、ここから眺める夕日は最高であるとか。この田儀海岸には全長9.1qの田儀川が流れ込んでいた。この川の上流には国の史跡に指定されている「たたら製鉄跡」が無人の里となって保存さてていた。ここには、櫻井家の屋敷跡、鍛冶屋跡、従業員の集落跡、墓地や社寺で構成され、周辺に分散するたたら跡とあわせ、近世のたたら製鉄の一貫した工程をたどることができる。この「たたら製鉄」とは、土製の炉の中で木炭の燃料で砂鉄を溶かして鉄をつくる日本古来の製法である。中国地方では6世紀から盛んに行われた。出雲、石見地方は幕末から明治初頭にかけ、鉄生産量の9割を占めた。良質の砂鉄と炭になる森林資源が豊富だったからである。「たたら」とは炭に風を送る大型ふいごを意味する言葉であって、相撲や歌舞伎の「たたらを踏む」という所作はこのふいごを足で踏む動きに似ているところから名付けられたのであるとのことであった。
さて、田儀駅と波根駅の間は険しい海岸線を通るので日本海を背に、美しい棚田の中を走る列車を狙うことのできる撮影ポイントで知られていた。
撮影:昭和44年頃 & 昭和46年10月30〜31日。
『山陰本線に日本海沿岸を巡る T 〜E 』シリーズのリンク:
077. 冬の漁村と余部鉄橋・山陰本線/鎧-餘部
362.
斐伊川
(
ひいがわ)旅情
・
直江-出雲市
−神話・「やまたのおろち」の舞台-
364. 石見の海岸を行く T :琴ヶ浜海岸・仁万(みま−馬路
141. 岩見の海岸を行く U:小春日和の三隅海岸・折井−三保三隅
161. 惣郷川橋梁のある長門路へ ・須佐−宇田郷
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