自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・女川・万石浦紀行

215. 万石浦 俯瞰(ふかん)・石巻線( 沢田 浦宿)


〈0004:万石浦俯瞰(カラースライド)〉
:万石浦を走るC1

〈0005:30−66:〉
万石浦の入り江を走

〈0006:〉
30-50:「かき」養殖の万石浦の漁村風

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〈紀行文〉
 石巻線の景色のハイライトは何と云っても石巻〜女川間の万石浦の景色と云ってよいだろう。それは沢田駅から次の浦宿駅までの4.1kmの右手に万石浦の美しい海面が展開するからである。私もその付近の高台の一角に店を開いているドライブインで一息入れるのが楽しみであった。ここからは牡鹿半島の低い山並みと逆光にきらめく万石浦をバックに午前中の下り列車を俯瞰(ふかん)できたからである。
 石巻駅を出て旧北上川を渡って、川向こうに横たわる山並みを大和田トンネルで抜けた。その先は石巻湾から万石浦の入り江への入り口に面した港の町である渡波(わたのは)である。そこの駅を出ると、いよいよ万石浦の水辺が見えて、潮風が肌で感じられる区間が現れると云う期待が高まってくる。しかし、駅を出ると女川へ通じる県道(県道6号石巻女川線、1982年に国道398号に格上げ)ニ沿うように並走して、住宅の散在する中を抜けて行くのだった。最近は「万石浦」と云う素晴らしい名前の駅が開業したのはうれしいのだが、ここでは車窓からは未だ海は見えないのだ。やがて、左手の山に沿うように右カーブする。相変わらず右側には民家が、左側には山が続くが、間もなく県路をアンダークロスして左にカーブを切って進むと、程なく沢田駅となり、列車の右てには海が現れていた。
そして駅周辺に集まっていた集落を過ぎると、線路は万石浦の渚(なぎさ)に面して走るようになる。左側は県道、その先は低い山が迫り高台が見えることから、格好のお立ち台になるのであろう。この間の線路は万石浦の岸に沿うように左や右にカーブを描いながら続いていて、ところどころにある集落には「かき」の養殖に従事しているのであろうか、北の海辺から送られてきた「かき」の種付けに使われると云う針金に通した「ほたて貝の貝殻の束」が山と積まれており、「かきがら)の砕けた白い渚が続いていた。海には小さな桟橋が突き出していたり、「かき」養殖筏(いかだ、が浮いていたり、「種がき」用の棚が海面から上端をのぞかせていたりしてにぎやかであった。 そして場所によっては鉄道線路の先に遠浅の渚があって、干潮時には潮干狩りに興ずる子供たちと一緒に三脚を立ててSLの通過を待っていたことが思い出された。また浦宿海岸では水鏡をねらって無風の早朝に出かけた時の写真がアルバムに残っていた。
そして万石浦のすぐそばを列車が走る時には、入り江の方の車窓から爽やかな磯の香りが強く飛び込んでくるのであった。
やがて海が途切れると浦宿駅である。その先は勾配を登りながら進むが、両側には民家が散在して続いたまま、やがて昔からの女川の町並みが近づいて来たようだ。
 ところで、牡鹿半島の山すそから万石浦の対岸を走る列車を巻山に続く低い山並みをバックに俯瞰できるのが超有名お立ち台である 「針浜(はりのはま)」であり、遠く対岸の田沢駅から浦宿駅を発車して行くのまで見渡せると云うのである。ここへは浦宿駅の踏切を渡り南へ約10分ほど行くと、水田や畑の開けた針浜の里山が眼に入ってくる。ここは万石浦の最奥部であり、牡鹿半島の付け根にそびえる大六天山(標高 440m)の山すそに当たっていて、川の南岸の山の上からの俯瞰風景が素晴らしいとのことである。
 この万石浦は牡鹿半島の付け根に穴をあけたような形をした海の入り江が湖のようになったもので、水深は最大 5.3 mと浅いため潮の干満による水位差が大きく、石巻湾の海水が湖に流出入しているからである。そのため栄養分に富んだ湖となり、湖内には「アマモ場」が発達し、カレイ類やメバルを初めとする石巻湾の漁業を支える水産資源の保育場となっているとのことである。古くから「奥の海」と呼ばれる景勝地として知られ、県立硯上山万石浦自然公園」となっている。万石浦の名は、仙台二代藩主である伊達忠宗の言葉である『干拓すれば、優に一万石の米が穫れる』に由来していると云う。古くは、製塩業が発達していたようで、塩田跡地も一部残されているとのことだ。
明治の末から大正の始めに掛けて万石浦で「カキ」の養殖法が開発され、その「種かきとしての稚貝」は国内はもとより海外へも輸出されたと云う。特にいまから数十年前に起こったフランスや北アメリカへのビールスによる「かき」の全滅被害を救うために、万石浦から「種かき」の稚貝が急送されている。それ故に、今や世界の「食用かき」の80%が石巻の万石浦にルーツを持つと言っても過言でないと地誌は自慢しているのである。そこで、この「種がき」の生産法について触れておこう。
 6月から8月にかけて、「かき」の産卵が行われ、受精卵は潮流にのって拡散し、夏、卵からかえったかきの幼生は約2週間、浮遊生活を送りその後、海水中の固着物に付着する性質があらわれる。そして、7月中旬頃から9月中旬頃に場所と期間を選んで、72枚の「ホタテ」の貝殻を針金に吊した採種連を海中に吊して、一枚の貝殻にかき幼生(約0.3mm)を約100個付着させる。次に、採苗したかきの種は、採苗連のまま沿岸に干潮時に海中から外に出るように設けられた抑制棚に移しますと、付着した採かきは数週間で目視できるほどの数cmの貝となってくる。このように水中につかっている時間を少なくすることは、「かき」を大きくしないことと、環境の変化に強い抵抗力を付けさせるために行われるもので、会わせてこの過程で弱いものは除かれ、優秀な強い「かき」のみがとだって、「種がき」となって「かき」の養殖地へと旅だって行くのである。 この石巻線は1974年にDL化されて、SLの煙は消えてしまったが、33年振りに“SLホエール号”と呼ばれるイベント列車がC11の牽引で復活しているのはうれしい限りである。

撮影:1968〜73年

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・女川・万石浦紀行シリーズのリンク
103.C11〜旧北上川橋梁を行く・石巻線(石巻−陸前稲井)
090. 渡波(わたのは)の里山の四季・石巻線/陸前稲井-渡波
114. 女川港俯瞰(ふかん)・石巻線(女川-女川港)
091. 女川港界隈(かいわい)・石巻線/女川−女川港