自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展〜田辺幸男のhp
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・女川・万石浦紀行

0 90. 渡波(わたのは) の里山の 四季 ・石巻線/ 陸前稲井 -渡波


〈0001:〉
石巻線・渡波のC1

〈0002:〉
石巻線 ひがんば

〈0003:30−76:稲束干しの風景〉
「ほにお」のある風景 石巻線・陸前稲井戸-渡

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〈紀行文〉
石巻駅を出た女川に向かう列車は町並みを抜け築堤を登って旧北上川を長い鉄橋で渡り、水田の広がる中の陸前稲井駅を過ぎると、低い山越えに取り掛かった。カーブと20パーミルの勾配に続いて、大和田トンネルを抜けて緩やかな築堤を下り始めると、キラキラと光る石巻湾を手前に牡鹿半島の低い山並みが逆光の中に浮かんで見えて来た。大きな左カーブを画いて渡波駅(わたのはえき)に近づいた。ここは列車交換駅であり、近くのセメント事業所への引き込み線への貨車の入れ替え風景が見られることもあるようだ。この駅は石巻湾の水産業の中心である渡波港や市街から少少離れており、渡波駅を出ると左カーブの線路に女川に向かう県道6号 石巻女川線(国道398号)が寄り沿って来て、やがて万石浦の穏やかな水面が右手に現れると女川は近い。
私は女川からの帰りの午後には、必ず大和田トンネルから渡波駅に至る間の田園の中を下ってくる築堤の見える四季の里山風景を前景にして、石巻へ戻る上り列車を好んで撮ったものだった。なぜか、女川駅構内には手押しのターンテーブルがあったはずなのに、女川からのSLはバック運転で戻って来ることも多かった。
 ここでの一枚目は、春4月に黄色に咲き誇る「れんぎょう」の大群落を発見した時の作品である。この植物は繁殖力が強いらしく、よくもこんなに大きく繁った群落を作ったものだ。株全体が黄色の花で埋まっていたのには驚いた。近寄って見ると、立ち伸びてなびく枝、しだれ下がる枝などに、葉に先立って鮮やかな黄色いかわいい花が咲き連なり、辺りを明るく彩っていたのだった。その名の「れんぎょう」は“連翹”の訓読みで、「連は長い茎に花が連続して並んで咲く様を、「翹」は鳥の尾羽のように、茎が高く直立していることを表したとされ、古くから渡来したといわれ、花言葉は「希望」のようで春先にふさわしく感じられたのだった。
二枚目は9月中旬に大和田トンネルから平野部へ下って来たところで稲田の縁に沿ったあぜ道で燃えるような深紅の花を咲かせている「ひがんばな(彼岸花)」の列を見付けた。
何と云っても奇妙な植物で、季節が来ると高さ30 - 50cmの枝も葉も節もない花茎が地上に突出し、その先端に5から7個前後の花が着く。それは短い柄があって横を向いて開き、全体としてはすべての花が輪生状に外向きに並んでいてそれぞれは6枚の細い花弁が放射状に大きく反り返っていると云う不思議な形である。それでいて、葉は植物の生育しない冬に出て生育し、花のみを秋に咲かせ、球根から株分けの形で増えて行く。そして
全草が中枢神経の麻痺(まひ)を起こす有毒性がある。そこであぜ道などでは「ねズミ・モグラ・虫」など田を荒らす動物がその毒を嫌らう性質を利用して植えられたのだと云う。
最後は、宮城県北部地方特有の田園にみられる秋の風物詩、「ホニオ(穂荷負」掛けを前景に撮った。これは稲束の天日乾燥法のひとつだが、一本の棒に刈り取った稲穂を積んで天日にさらしてで乾燥させるやり方だが、夜に見ると、ギョとするくらいの不気味な光景だ。こんな田園風景はもう見れなくなってしまったであろうか。
 さてここで、この付近の地形について触れておこうと思う。東北の太平洋岸は三陸海岸と云われるように、北から陸奥(むつ:青森)・陸中(岩手)・陸前(宮城)と続いており、陸中の宮古湾以南の陸前牡鹿半島にかけての海岸は典型的なリアス式海岸(沈水・溺れ谷海岸)である。この石巻/女川の辺りは北方から北上山脈が延びて南下しており、女川の石投山(456m)、石巻の牧山(250m)を経て、日和山(56.4m)で旧北上河河口に達している。一方、女川付近から山並みは分かれて太平洋に東南に突き出して牡鹿半島を形つくっている。従って、石巻湾に沿った山並みと牡鹿半島との山並みに抱かれた深い入り江が湖のような万石浦であって、この奥深い入り江と石巻湾との間の水道の根本に位置する港町が渡波であり、対岸には石巻湾に突き出した牡鹿半島が太平洋の荒い風浪を防いでくれており、その先端には鯨漁で知られた鮎川港があって、瀬戸を隔てた先には島全体が金華山(標高 445m)の絶景が遠望できよう。
一方、女川へは奥深く女川湾が入り込んでおり、その湾口の沖合には江島列島と呼ばれる島々が点在して波浪の侵入を防いでくれている。これらのリヤス式海岸の典型的地形を余すところなく見ることができるのが、ここの特徴だと云えるだろうか。
 所で、私はいつもクルマで石巻を訪れるのが常だったので、石巻市内から県道6号 石巻女川線(1982年に国道398号に格上げ)を探してから、北上川大橋を渡って、眼前をさえぎる牧山などの山々の下を牧山トンネルで抜けて、一気に石巻湾岸の明るい風景が眼に飛び込んでくるのが大好きであった。この旧北上河の河口から北の石巻湾は対岸の牡鹿半島に抱かれた内海であり、更にその奥に湖のような万石浦と云う入り江が続いていることは先にも述べた。この石巻湾岸は昔から経済的に恵まれていたようで、南から旧北上河河口左岸の石巻湊、中心的漁港の渡波(わたのは)、万石浦に面した漁村集落たち、最奥の女川町、そして最北の女川湾の最奥にある女川港などの各浜を結んでいるのが女川街道(石巻北街道、後に県道6号 石巻女川線)であった。特に仙台から石巻街道で石巻へ、明治初期に北上川に架けられた内海(うつみ)橋を渡って、渡波から右に分かれる金華山街道(県道2号、鮎川まで28km)を通って牡鹿半島の南端から金華山を訪れる人々が多く利用したことであった。その起点でもある石巻湊は江戸時代から湊村と呼ばれ、背後にある竜巻山に西国から白山神社を勧進し、石龍像を祭っていたことから、この山が石巻山と呼ばれるようになり、村の名も石巻湊となったとされる。この地が世に知られたのは、新田次郎著の(アラスカ物語」の主人公 フランク 安田さんの出身地であることからで、金鉱で財をなした彼が鯨の乱獲で生活の地盤を失って困窮していたエスキモーたちの村を導いた人類愛の実践は、今は石巻とアラスカの村との国際交流の間柄に発展しているとのことだった。
この街道筋に鉄道の便をもたらしたのは、1915(大正4)年に石巻湊〜渡波町間に開業した軌間762mmの馬車牽引の軽便鉄道 牡鹿軌道であって、さらに女川への延長を目指していた。しかし、その後の経営は苦しかったようだ。そして、1924年(大正13年)に新設会社の金華山軌道へと経営が引きつがれ、1926年に 渡波〜女川間を建設して、女川〜石巻湊間の13.9kmの全船の運転を始めた。その際には、牡鹿軌道の経営不振の原因が自動車の発達に負けたことであると考えて、従来の馬力から最新技術を駆使したガソリン内燃式機関車を導入することになり、コッペル製のS10型やプリムス製などの4輌が輸入された。これらの牽引する旅客列車は石巻湊〜女川間を約1時間で、一日六往復で連絡した。この時の終点の女川駅は今のように女川湾に面しているのではなく、昔の町のちゅうしんである「鷲ノ神地区」にあったものと云われている。その後、石巻〜女川間に今の石巻線が鉄道省主導で建設される際には金華山軌道の渡波〜小屋浦間が利用されることになり、金華山軌道は補償を受けて1940年に廃止となったと云う。ちょっと思いついたのだが、この石巻線は奇しくも両端の、小牛田〜石巻、渡波〜女川は何れも軌間762mmの軽便鉄道が前身であったと云うのも興味深い話ではないか。
 私が石巻から女川に至る万石浦沿いの石巻線を特に好んで取りに訪れるようになった理由のひとつには、長部日出雄著の「密使 支倉常長(はせくらつねなが)」を読んでからのことであった。それに出てくる慶長遣欧使節に使われた日本初の外洋帆船「サン・ファン・バウティスタ号」を建造した地が石巻線の渡波から12km足らずの距離にある山ばかりの牡鹿半島の懐に抱かれて、ひっそりとたたずんででいる小さな湾と小さな浜、「月の浦」であると云う説があったからである。
建造地には異説もあるが、ここでスペイン人の指導の下で、江戸と仙台の船大工たちにより建造が始まり、船鍛冶が使ったと伝えられている「金気の井戸(南蛮井戸)」が残っていることから月の浦説が有力だとか。それに加えて、慶長18年(1613)に この月の浦港からメキキコへ出帆して行ったことも、それを裏付けているとも云う。
このような史実についての興味は尽きない。
この壮挙は伊達政宗の命令により支倉常長が実行したが、船の建造を波の静かな石巻湾、しかも その奥まったの港町の中心であった「渡波」付近が選ばれたのであろう。もっとも、この慶長の当時は未だ東北最大の石巻港は生まれていなかったからでもあろうか。
この渡波港は石巻湾に東南に突きだした牡鹿半島の西のつけ根に当たり、万石浦と云う奥深く入り込んだ湖のような入り江からの石巻湾への出入り口に位置していた。
そのような訳で、支倉常長遣欧の380周年を記念して復元された遣欧船は、船の全長55.35m、最大幅11.25m、メインマスト32.43mのガレオン船であり、高い船尾楼と三本のマストを持っている。そして、この遣欧船は渡波に設けられた万石浦に臨んだ広大な「サン・ファン・バウティスタ・パーク」の中にある宮城県慶長使節船ミュージアム
(愛称:サン・ファン館)のドックに保存展示されているとのことだ。

参考URL:
・宮城県慶長使節船ミュージアム(愛称:サン・ファン館)
http://www.santjuan.or.jp/

撮影:1972年
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・女川・万石浦紀行シリーズのリンク
103.C11〜旧北上川橋梁を行く・石巻線(石巻−陸前稲井)
215.万石浦俯瞰(ふかん)・石巻線(沢田−浦宿)
114. 女川港俯瞰(ふかん)・石巻線(女川-女川港)
091. 女川港界隈(かいわい)・石巻線/女川−女川港