韓国旅行記3

韓国旅行記は僕の韓国旅行の体験を綴った文章です。

当時つけていた日記をそのまま起こしたものですので、

分かりにくい表現や間違っていることには解説をつけました。

また、地名や大切な言葉は太字にしています。

都市の場所が分からない方はここをクリックして下さい。

韓国の地図を用意しています。

それでは、お楽しみいただければ幸いです。

韓国旅行記3 序章
韓国旅行記3−1
韓国旅行記3−2
韓国旅行記3−3
韓国旅行記3−4

韓国旅行記1へ

韓国旅行記2へ

韓国旅行記2 番外編へ

みなみの韓国旅行記へ

韓国旅行記3 序章

'02.12.27

 久しぶりの訪韓。就職(?)してからと言うもの、思うようなまとまった休みを取れず、このHPも開店休業状態にあったが、やっと韓国に行くことができる!今年の年末年始は土日がいいところにはまり、9連休が可能となった。さらに12月27日に休暇を取り、花の10連休!!!そんな最高な状態で韓国に行くになろうとは(笑)。

 そこで、27日に佐渡を発って大阪入りし、28日からプサンに向けて出発という予定。しか〜し・・・。

 昨夜から新潟県は、この冬最大の大寒波がやってきて、波浪警報が越佐海峡を襲った。

 そう、その通り。なんで大阪にいるはずの僕がこうして佐渡でHPを更新しているかというと、船も飛行機も欠航状態でこの孤島から出られなくなったからなのである。いやあ、佐渡に生まれてから数十年経つけど、こんなにタイミング悪く嵐に襲われたのは初めてのことである。

 ということで、明日韓国にいるかどうかは微妙である。いや、希望薄かもしれない。今回の相方みなみくんは意地でも韓国に行きたいというので、28日がダメでもキャンセルして飛び立てる日に発ちたいという。さあて、どうなることやら。

 ちなみに、予定通り明日プサンに行くには、まず5時30分のフェリーが出た上で、遅れることなく7時50分に新潟港に着く。その後、タクシーで新潟空港に向かい、9時10分発で大阪(伊丹)空港に10時20分に着く。さらにシャトルバスに飛び乗り、関西空港に行き、あわててチケットを交換する。こうやって書いてみるとまだまだ大丈夫と思うかもしれないが、この最初のフェリーと新潟発の飛行機が危ない。波浪警報は27日夜8時過ぎに解除されたが、翌5時半発のフェリーが予定通り出るかどうか、遅れずに着くかどうかが危険である。さらに新潟空港には大雪。もう泣きっ面に蜂状態。

 今の僕の願いは、明日の夜、無事日本にいないことである。波乱の多い旅行になる前に波乱の幕開け(すらないかもしれない)。果たしてこの「韓国旅行記3」が更新されるか否か!?乞うご期待。

(2002 12/27 up)

韓国旅行記3−1

'02.12.28

 今回は何よりも関西空港にたどり着くことが問題だった。にもかかわらず、とんとん拍子に乗り継ぎに成功し、晴れてプサン行きのアシアナ航空の飛行機へと乗り込んだ。

 耳がじんじんと痛くなり、気持ちはどんどんマイナス思考へ。3年前に比べれば韓国語は衰えているだろうから(*1)、今回の旅で楽しくない思いをして、韓国が嫌いになったらどうしよう。そんなことを考えながら暗くなっていたにもかかわらず、窓際の席ではみなみくんが「あんまり空を飛んでいる気がしない」と余裕でぼやいていた。

 キメ(金海)空港に着き、無事(?)入国審査を済ませると、プサンに行くためのバス乗り場を探した。タクシーの運転手が日本語で声をかけてくるが無視して通り過ぎる。何事も最初が肝心。韓国語でバス停を探さねば。しかし、家族でいる人たちに話しかけると日本語で返ってくるのが哀しかった。やっとの思いで乗り込んだのはリムジンバス(*2)。行き先はプサンの有名なホテル。乗ってしまった以上しょうがないのでぜいたくなイスに腰かけながらプサンへと向かった。

 とりあえずプサン駅で降りて観光案内所へ行く。宿を探すためだ。しかしいっぱいあるから自分で探せと言われ、新しく建設中の駅舎を出た。年末のせいか僧侶や聖歌隊(?)が広場で説法したり歌ってたりした。

 最初に入ったモーテル(*3)は25,000ウォンと書かれているのに一泊30,000ウォン。年末価格だそうな。そこで次のモーテルに行くと25,000ウォンなのでここにしようと決める。いざ部屋に着くと1つのベッドに枕が2つ。さすがに男2人はイヤなので2部屋借りることにした。

 部屋で荷物を置いたが特に目的もない。ノートとメモ帳を買ってポドン(南浦洞)でもぶらつこうかと思っていたら、みなみくんが部屋をノックする。出てみると捨てられた仔猫みたいな目で僕を見ながら横を指さす。そこにはなんと軍人さんがいた!?

 話によると彼は軍隊の休暇を利用してプサンに来たが、一人っきりなので一緒に行動したいとのこと。少しためらったが悪い人ではなさそうなのでOKした。

「反米ローソク集会」ストロボたいてません(見づらい) 10分後に待ち合わせて地下鉄でソミョン(西面)へ。みなみくんが普通のものを食べたいと言ったので、ギョを食べることに。ソジュ(焼酎)を酌み交わしながらいろいろ語らった。名はホン(洪)くん。79年生まれ。ソウ出身で大学合格後に陸軍に入隊し、1月には除隊とのこと。我々が年上だとわかった以上、みなみくんのおごり(*4)。店を出てからもバッティングセンターやマクド、バーなどへ行った。途中、反米デモのローソク集会を見たり(*5)「Be The Reds!!」のTシャツを買ったりしながらぶらぶらした(*6)。ちなみに彼の彼女はかわいかった。軍隊生活で別れなかったんだから2人の絆は深いんだろう。

 12時前にモーテルに帰り、小さな風呂へ入って寝た。毎度のことだが初日にいい出会いが待っているジンクスがあるらしい。これが僕を韓国好きにさせる理由なんだろう。明日からの出会いも楽しみだ。

☆解説☆

*1 就職して2年目になるが、佐渡に来て以来、韓国語を勉強している人や韓国語を話せる人もおらず、また忙しさもあってほとんど勉強しない状況。当然、しばらく離れていれば忘れるのも仕方ない。というか、環境などにせいにして勉強しなかった僕が悪い。この旅を機会にもう一度がんばろう!

*2 空港からはプサン市内行きの普通バスが出ているのだが、間違って豪華なリムジンバスに乗ってしまった。当然、値段も高いに違いない(?)。

*3 僕は今回、少しでも安くあげるため&日本語の通じないところに泊まるために「旅館」を探して泊まることにしていた。しかし、あちこちで「旅館」という看板を見つけて近づくと「モーテ」と書いてある。確かに安いのだ。男性が一人で泊まるようだが、日本ではモーテル=ラブホテル。それでは、韓国では??(答えはあとの日記で)

*4 詳しくは「ヒョンと呼べ」参照。ちなみにこれはみなみくんが気づいたことだが、ホンくんは右利きにもかかわらず、左手でたばこを吸う。その理由を尋ねたところ、親の前でたばこを吸うとき、親から少しでも煙を遠ざけるために左手でたばこを持つことにしたという。さすが儒教社会。

*5 これもこのHPに来るくらいの人ならご存じだろうが、02年6月13日に在韓米軍第2師団の装甲車が韓国の女子中学生2名をひき殺したために、韓国に根強く存在する反米感情が大々的に表面化し、韓国各地でローソク集会が開かれている。しかし、最近はこれを抑制しようと言う雰囲気らしい。どうせなら僕も見るだけでなく参加すればよかった・・・。

*6 このHPに来る人なら当然ご存じかと思うが、サッカー韓国代表を応援するサポーターたちが着ている赤いTシャツ。02年のときに僕は韓国代表のユニフォームを買って応援したが、あのTシャツは持っていなかったので大変嬉しかった(^^)。

(2003 1/11 up)

韓国旅行記3−2

'02.12.29

 昨晩三人で打ち合わせをして朝食を一緒にということに。朝9〜10時の間に行こうと決めたので、9時に起床した。準備をして9時半に隣の部屋に行くとみなみくんは「ん?寝直して今起きた」。・・・。

 そこでみなみくんの準備を待って10時前にホンくんのところへ。昨夜、モーテルに戻ってからコンビニに行こうとしたところ、ホンくんは一人で出かけていった。「どこへ?」と訊くとゲーセンへ。さすが軍人さん、寝なくても元気やなあと感心したのに・・・。「ん?今起きた。着替えます」とパンツ一丁で出てきた。

 何はともあれ三人で朝食をとり、僕とみなみくんはたまたま持っていた日本製品をおみやげとしてホンくんに渡し、プサン駅へ向かった。今日は今回の旅の目的地の一つ・プヨ(扶餘)へ行く日。プヨはチェ(百済)の都の一つで国立博物館がある。韓国内の国立博物館を全部回るのが将来も含めての僕の目標なのだ。

 ホンくんがセマウの券を購入してくれた。11時30分発なので一時間くらい余裕がある。駅舎を出て話をしながら時間つぶししていたところ便意が。そこでホンくんにみなみくんをまかせてトイレまで行った。「西洋式」「東洋式」とあったが、僕は実家が洋式なので西洋式を待っていると、女性がやってきて東洋式トイレに!?ここ男子便所やで!心でそう叫んだが、そのおばちゃんの個室から煙が上がった。たぶん人目を避けて喫煙したかったんではないだろうか。もちろん真意は分からない(*1)

 二人の元へ戻ると、なんとか会話をしている様子。昨晩は僕を中心に会話し、ホンくんとみなみくんは直接会話をしていなかったので、わざと二人っきりにしたのが功を奏したと思った。戻ってみたところ、みなみくんが日本語を教えたり韓国語を習っていた様子。みなみくんが嬉しそうに、「みっちゃんはファジャンシって言うんやな」と言っていた。おいおい、僕はトイレちゃうっちゅうねん(*2)

 ホンくんに見送られてセマウ号に乗り込む。先頭車両だった。車内販売の男性が僕らを見つけると嬉しそうに日本語で話しかけてくる。なんでも日本語を勉強しているらしい。僕はあえて韓国語で返す(*3)

 約1時間半かけてテジョン(大田)へ。初めて来たところだが、残念ながらここは中継地点。昼時も過ぎたので駅前で昼食タイム。料理屋さんに入ったが、軒先でまんじゅうを蒸していたのでみなみくんが食べたいと言い出す。好奇心旺盛(^^)。当然会話は僕が担当なので食事の他に1人前頼んだら餃子が来た・・・(*4)。ごめんなさい。

 昼食後、駅の観光案内所に寄って、プヨ行きのバス乗り場を確認する。テジョン駅から少し歩いて言われたバス停に行くと、初老の夫婦がいる。「プヨ行きのバス停はここですか?」と韓国語で尋ねると、やはり日本語で「違います」と答えられる。どうやらそこからバスに乗り市内のバスターミナルに移動したあと、市外バスに乗り換えるとのこと。男性の方は何度か日本に行ったことがあるらしい。無事(?)市外バス乗り場に着き、プヨ行きのバスに乗り込んだ。

 どんどん田舎に行き、道の脇に古墳も見えてくる。もうすぐ着くらしい。そして、約1時間でプヨに着く。この時点で夕方。みなみくんはとりあえず宿を探したいということなので、観光案内所を探すことに。しかし、観光案内所がない?!ほんとにここは観光地??仕方がないのでぐるぐる重い荷物を持ちながら今日の宿を探す。当てもなく探すのもなんなので露天商のアジュンマたちに尋ねたが、どうしてもホテルばかり教えてくれる。とても親切にホテルの前まで連れて行ってくれるが、安くて日本語の通じないところが目標。結局連れて行ってくれたアジュンマが見えなくなったあと、近くのモーテルに入った。

 結局日が暮れてしまい、今日もどこにも行かず終わってしまう。一応スーパーに行って並んでいる商品を見ながら韓国文化を見学。モーテルへの帰り道にいいにおいの屋台を覗くと、おじさんがおごってくれる。これもなかなか楽しい。夕食はタッカ。相変わらず辛いがおいしい。しかし、夕食の時間が遅すぎてお店の客は僕ら2人きり。「明日はもっと韓国の人がいる店に行こうな」。そうみなみくんがお願いしてきた。がんばらねば。

☆解説☆

*1 真意は分からないが、韓国では女性は屋根のないところで喫煙することを法律で禁じられているらしい。関係あるようなないような。

*2 ホンくんがみなみくんに「みっちゃんはトイレに行った」と言おうとしたみたいなのだが、それをみなみくんはみっちゃん=トイレ(つまりファジャンシ(化粧室))と思いこんだらしい。

*3 この旅を通じていつもそうだったが、僕にいつも「どのくらい韓国語を勉強していますか?どうやって勉強していますか?」と聞かれる。考えてみると韓国語を勉強し始めてから約4年経っているが、2年近く全く勉強していないので「テレビ番組で独学です。約2年です」といつも嘘を付いた。

*4 「まんじゅう」は漢字で「饅頭」と書き、中国から日本に入ったのでこの漢字を単純に「マンドゥー」と韓国読みをして頼んだのだが、残念ながら「マンドゥー」とは餃子のこと・・・。

(2003 2/9 up)

韓国旅行記3−3

'02.12.30

チョンニムサジの石仏 3回目の韓国旅行3日目。しかし実のところ今日まで観光をしていない。みなみくんは「移動ばっかりでおもんない」と言う。僕の場合は3回目なので行ったことのないところへ行く車中もどきどきなのだが、確かに初めてのみなみくんにとってはつまらないものだろう。ついに今日は初めての観光をする。

 そもそもプヨに来た最大の理由はプヨ国立博物館。しかし今日は月曜日。国立博物館は定休日なのだ?!普通の旅行客ならそういったところを抜かりなく調べるのだろうから、いかに僕の旅行は適当だということを自分で感じてしまった。まあ、プヨの国立博物館は次の機会にしよう。

 とりあえず朝一番にチョンニサジ(定林寺址)に行く。ここはチェ時代を代表する寺院なのだが、残念ながら今は廃寺となって五重の石塔と金堂の石仏しかない。しかもこの石仏自体はコリョ(高麗)時代のものらしい。白い息を吐きながらこんなところに来てみなみくんにはおもしろくないかもしれないが、僕には僕なりの楽しみ方が。城跡や寺院跡に行ったら必ず瓦の表採を拾うのだ。今回も比較的形が残っているものを一枚広いリュックのポケットにしまった。

レプリカの壁画 お次はヌンサンリコブングン(陵山里古墳群)。少し離れているのでタクシーをつかまえる。郊外へと進みながら昨日バスの車窓から見えた古墳へと向かった。(新羅)もそうだが、韓国では円墳が多い。いわゆる群集墳と言った方が日本では分かりやすいかもしれない。横穴式石室になっており、石室内には玄武・朱雀などの四神が描かれている装飾古墳。もちろん本物に入るわけにはいかないのだが、幸い復原した模型の古墳があり、その中を覗くことができる。羨道の奥にある壁画は日本にも伝わっており、やはり日本は半島から多くの文化をもらったのだと実感できた。

 古墳群入り口の売店に入り、タクシーを呼びたいと言うと、バスが来るからと行ってバス停まで連れて行ってくれた。「ここがバス停よ」で済まないのはさすが韓国。バスが来るまでハモニは待っていてくれて、運転手に「この日本人をプソサンソン(扶蘇山城)まで乗っけて」と言ってくれた。

 プソサンソンに着いた。ここはペチェ時代の王宮跡と言われ、山全体が城跡になっている。1周するとずいぶん時間がかかるそうだが、昼食にも中途半端な時間なので登ろうかどうしようか悩んでいたところ、入り口の左脇に観光案内所があった。そこに入るとハンボらしき服装の女性が三人。真ん中の女性が一番好みだったのでとりあえず話しかける。幸か不幸か日本語が話せたので、山登りにどれくらい時間がかかるか聞いてみた。2〜3時間くらいはかかるらしいが、少し遅めの昼食を取ることにして案内所を後にした。

 すると、案内所の左横にさらに小さな建物がある。そこには「無料体験」の文字が!貧乏生活のせいで無料という言葉に弱い僕はみなみくんを誘って早速建物の中に入った。ペチェ時代の土+專(せん・つちへんに専の旧字体)の拓本ができるらしい。そこのアガシが日本語で説明しようとするがうまくいかず、結局模範を示し、日本語で書かれたプリントをくれた。ちなみに僕は史学専攻なので拓本実習は経験済み。僕の右横ではやはり史学専攻だったはずのみなみくんが人生初の拓本に見事失敗していた(*1)

 先に拓本を済ませた僕は建物の中をぐるっと見渡す。すると、さらに衣装を着る体験までできることが分かった。「無料」かどうかを確認した後、さっそく試着(^^)。ペチェ時代の王の服装という説明だった。当然レプリカなので重みもないし簡単に着られるが、ぜひ写真におさめて授業のネタにしなければ。外に出てみなみくんに撮影してもらうことにした。しかし一人で撮影してもおもしろくない。そこで先ほどの観光案内所の女性と一緒に写真を撮りたいと言い、2ショットに持ち込もうとしたが「私だけだと恥ずかしい」ということで、もう一人の女性との3ショットになった。それを見ていたみなみくん、「やっぱりおれも着る」とその気になる。さらに「どうせ着るなら同じものを着てもおもんないから、王妃の服装にするわ。ネタになるやろ?」

一緒にトゥホをやった子どもたち みなみくんが着替えている間、僕は建物の外で待っていた。すると、近所の子どもだろうか、3〜4歳くらいの男女の子が表にいた。幼いといえども僕より韓国語が話せることは確か。ここはぜひ話しかけなければ。「こんにちは^^」。さわりは成功!さすがに僕の韓国語を変だと言うが、会話ができないほどではない。案内所の横にトゥホ(投壺)が置いてあったので一緒にやろうと誘う。鼻水のたれた男の子がやってみる。2〜3回で成功。次は僕。「シペ(失敗)、シペ〜!」と投げるたびに言われてしまう。結局何回も投げて1回しか成功しなかった。

 そうこうしているうちにみなみくんが着替えを終えて出てくる。その格好が女性の格好と分かったのか、2人の子どもは大笑いしていた。それでも、「写真撮っていい?」と僕が聞いて、恥ずかしがりながらもみなみくんと一緒に写真を撮った。これも授業のネタにしよう。

ナクヮアムから見下ろすペンマガン 子どもたちの親が現れる気配はなかったが、たぶん近所の子だろう。バイバイしてやっとこさプソサンソンに登り始める。右側からゆっくりハイキング気分で登っていくがとにかく大きい。有名なナクヮアム(落花岩)からペンマガン(白馬江)を見下ろし、息は白いのに体は汗だくでポカポカになりながら結局一周した(*2)

 その後、もうお昼はとっくに過ぎているのでフライドチキン屋で昼食。テレビで芸能人の歌当てイントロクイズなどの特番をやっているのを見て、改めて年末なんだと感じた。昨日の夜は「王中王」といって高校生クイズの年間チャンピオン決定戦のようなものをやっていた。なんか自分たちだけ年越しに取り残されそうな気になってしまったが、ソウで年を越すカウントダウンも心の中で始めた。

 プヨから再び高速バスに乗る。次の目的地はチョナン(天安)。田舎道を揺られながら向かったその先はびっくりするほどの都会だった。当初ここで泊まる予定だったが、バスの中ですぐ近くにオニャン(温陽)温泉があることを発見したのでそこで泊まることにする。チョナンに降りてみてびっくり!かなりの大都会。歩いて国鉄の駅に向かうがもう暗くなり始めていたし、着いたら着いたで電車がない。そこでしょうがなく駅前でタクシーを拾うことにした。

 タクシーは嫌いだ。おとなしく指示した通りの行き先をめざして走ればいいのに、運転技師はしつこくしゃべりかける。何でこんな時期に日本人が韓国にいるの?仕事は?日本のどこから来たの?泊まるところは?えっ、今から探す?旅館?だめだめ、日本人だったらちゃんとしたホテルに泊まらなきゃ。私がいいところを知っているからそこに連れて行くよ。え、安いところを自分で探す?いいって、遠慮するな、安くなるように私が交渉するから。こんな感じで道中ずうっと聞き取りにくい韓国語で話しかけられっぱなしだった。この日はただでさえ移動&観光で疲れていたのに。途中、ぴらみさんから僕の携帯に電話が着て安心したが(*3)、この時間はとてもつらかった。

 タクシーの運転技師に別れを告げて、勝手に宿泊先を捜そうと密かに考えていたが、結局ホテルの玄関先に止められ、運転技師がホテルの人と交渉を開始した。日本人が2人いるんだが、旅館に泊まりたいなんて言っているんだ。だからおれが説得してここへ連れてきたんだ。だから安くしてくれないとおれが困る。だいたいこんな感じの会話が聞こえたが、タクシーの中で話した僕らのプロフィールまで交えながらの紹介だったもんだからもう恥ずかしくてしょうがない。よっぽど親切にされたと思うことにして、そのホテルにチェックインした。フロントのお姉さんがきれいだったから「ここでもいいな」と単純に思った。

 オニャン温泉はさほど広くないが、外をうろうろしながらなぜかウナギを食べに行く。天然物との話だし、第一疲れすぎたような気がしたからだ。2人でお店に入り、ビールとウナギを頼む。ウナギはやっぱり辛かったが、それ以上に尋常じゃなく多かった。目の前でまるまる3匹を焼きはじめ、味付けをしてはさみで切り分けるんだが、とにかく大きい(*4)。満足したおなかを抱えながら、ほろ酔い気分でホテルに戻った(*5)。ついに明日は大晦日である。

☆解説☆

*1 拓本とは、土器や瓦などの上に濡れた紙を乗せ、タンポンに墨を付けて上からたたいていき、表面の凹凸や模様をきれいに出すもの。出っ張っているところは黒く、へこんでいるところははっきり白く見せるところがポイントである。

*2 とにかくこのときにハイキングをしている人が多かった。しかも、外国の人は数人しかいない。日本ではこんな年末に山登りというのはおかしいことだろう。でも、韓国では旧暦の正月(ソ)の方が盛り上がるんだろうから、普通に天気のいい日のハイキングを楽しんでいるんだろう。親子やカップルが多かった。

*3 今回の旅行中、韓国で友人と会うために携帯電話をレンタルした。結局、携帯が鳴っていることに気づかないことばかりでなかなか役に立たなかったが、このときは携帯を持っていたことに心から感謝した。

*4 この日食べたウナギが旅行中でもっとも高額の食べ物だった。しかも、お店のアガシは僕を高校生、みなみくんを中学生だと思ったらしい?!未成年がビール片手に高級ウナギを頼んだんだからさぞかしお店の人は驚いたろう。ちなみに僕らはれっきとした20代後半である。

*5 ホテルに戻った時間が遅かった。せっかく温泉に来たのに、2人で温泉につかっていたら、浴室の掃除がはじまり、どんどんお湯が抜かれていく。僕はのぼせやすいので元々風呂が短いからいいが、みなみくんは困ったに違いない。ちなみに、今年亡くなった有名人としてソンギジョン(孫基禎)がテレビで紹介されていた。

(2003 4/26 up)

韓国旅行記3−4

'02.12.31

 今日はついに海外で迎える初の大晦日。にもかかわらず少し寝坊をした。忙しい一日を後悔なく過ごすため、少しリッチに温陽(オニャン)民俗博物館までタクシーを飛ばした。

 大晦日にこんなところに来る人なんていない、というせいなのかどうかは定かではないが、びっくりするくらい誰もいなかった。この民俗博物館は館内には朝鮮時代の韓国の生活や文化、風習などを人形を使って見せてくれる。それだけでもかなり内容が豊富なのだが、庭園にも多くの展示物があった(*1)。朝寝坊をして時間にゆとりがないということを自覚することもなく、ぼくらはゆっくり中も外も見学した。閑散としていたが、外の庭で一組の家族がいた。ビデオのバッテリーを交換したいがやり方が分からないと言うことで僕らに話しかけてきた。

 さてさて、次は旅行の目玉第一弾とも言うべき独立記念館にタクシーで向かう。この記念館は1987年の光復節に、韓国国民の寄付金によって建設されたところ。ソウから少し足を伸ばせば行ける距離で、国内では修学旅行生がよく訪れる場所だと以前留学生から聞いていた。しかし、車窓からその建物が見えるにつれ少したじろいでしまった。写真などで見たことはあったが、そもそもこんな時期に日本人二人がこんな場所に行っていいのだろうかという気がしてきたのだ。時間節約のためご飯抜きも考えたが、気持ちを落ち着けるため(?)、まずお昼を食べ、腹を満たすことで安心感を得ようとした。

 そして僕らは小型の汽車に揺られ、建物の周囲を廻ったところで入り口へ到着。びっくりするくらいの建物の大きさだった。「同胞の家」と呼ばれるその建物には独立闘争のレリーフが飾られ、そのおごそかな雰囲気にまたまたたじろぐ。展示館は7つあり、僕ら二人は順番にその建物を見学した。

 第1展示館は駆け足で朝鮮時代までの歴史を振り返るもので、それほどの感動はなかったが、第2展示館からは大韓帝国の歴史。一つひとつ展示館を廻っていくたびに気持ちが沈んでいく。観覧者もまあまあ多く、その殆どは韓国の人たちだと思った。そして僕ら二人の日本人はその空間で「日本語」を話してはいけないようなプレッシャーを感じ、殆ど話すこともなく、たまに話をしたとしてもかなり小声だった。もちろん誰かが「日本語を使うな!」と強制したわけではないが、とにかく僕らは沈黙を保つことがこの場での正しい見学方法だとでも言わんばかりに、ゆっくり各建物を廻っていった。

 展示館を出てバス停に向かう時の僕らも、必要最低限の会話だけしながら歩いていった。バス停に着くと、ちょうどバスが行ったばかりでだいぶ時間がある。しかし、展示内容について語り合うことなく、何かまぬけな話ばかりしながら時間をつぶした。すると無精ひげを生やした男性が僕らに近付いて話しかけてきた。なんと日本人だった。会社の休みを利用して韓国旅行をしているそうで、韓国語はほぼ分からないが、一人旅をしているということだった。よくよく考えればこの日まで僕らは殆ど自分たち以外の日本人と話す機会がなかったことに気づいた。バスでチョナン駅に向かい、電車の時間を調べる。大晦日のせいか切符売り場には行列ができている。僕はみなみくんに場所取りをしてもらい、用を足しにトイレに向かった。戻ってみると、またも迷子になった子どものように心細い表情をしてみなみくんが待っていた。ごめんごめん。

 ムグンファ号に乗り、ソウへ向かう。所要時間は約1時間。当然座る席はない。さすがに旅行疲れでまいっていた僕らに更に追い打ちをかけるように酔っぱらいがからんできた。しかもその酔っぱらいは韓国語が全く分からないみなみくんに執拗にどなりつける。なだめようにも僕の語学力では逆効果になりかねない。周囲の人たちも助け船を出してくれない。酔っぱらいは足をもつれさせながらただひたすら罵り続けた。今回の旅行で一番イヤな時間だったが、最も辛かったのはみなみくんだろう。ごめんなさい。

 しかしソウに着いた僕らを実に心強い助っ人が待っていた。日本人のぴらみさんだ(*2)。僕が韓国関係のHPを立ち上げた当初からの知り合いである。とはいえ、お互いに顔を知らない。携帯電話で話ながらどうにか落ち合おうとするが、共に気づかないまま擦れ違ってしまいあたふたしたが、どうにか出会うことができた(*3)。優しい人に違いないという確信はあったが、会ってみると予想よりも若くびっくりした。初めて会ったにもかかわらず、僕らはすぐにうち解けることができた。ミョンドン(明洞)で宿を取り(*4)、荷物を置いた後焼き肉屋に連れて行ったもらった。韓国生活が長いぴらみさんは韓国語が上手で(←当たり前ですね^^;)、僕らをぐいぐいとリードしてくれる。更に移動して落ち着いた雰囲気のスナックに移動し、これまでの旅行話やその他の話で大いに盛り上がることができた。

 そして最も大事な時間が近付いてきた。そう、新年を迎えるカウントダウンである。僕らは市庁目指して移動をしていった。地下街でもライヴをやっているし、地上に出るとたくさんの警察官が警備している。市庁前は歩行者天国になっており、とてもとてもたくさんの人たちが群れ集っていた。僕らは手に持つ打ち上げ花火を買ってもらい、その瞬間を期待に胸膨らませながら待ち続けた。

 「シ!クー!パ!チ!」とカウントダウンが始まる。大きな街頭テレビに数字があらわれ、一つひとつ減っていく。僕らは腹の底から大きな声で叫んだ。「サ!イー!イ!」そして辺りから一斉に花火が上がった。ワールドカップ2002のとき、市庁前に集まったソウル市民に加わったような興奮だ。僕らはお互いに新年の挨拶をし、余韻に浸った。

☆解説☆

*1 オニャン民俗博物館の庭園にはなんと!!黄金に輝くタングン(檀君)座像があったのだ。タングンとはもちろん、古朝鮮を建国したと言われるタングンワンゴのことである。

*2 日本語による個人の韓国情報サイトとして超有名なソウ在住のぴらみさんのこと。

*3 人混みの中でお互いの顔も知らないまま会うんだから、「口に紅い薔薇をくわえています」とかなんとか目印を考えればよかった。考えてみればオレンジ色のバックパックという特徴的な出で立ちをしっかり説明すればよかった。ちなみに勘のいいみなみくんは、擦れ違うぴらみさんを見て、「あの人日本人ちゃうかなぁ?」と思ったらしいが、あまりにも僕が気付かずにずんずん進むので人違いと思ったらしい。すごいぞ!みなみくん。

*4 ぴらみさんに「今までどこに泊まったの?」と訊かれ、「オニャン以外はモーテルです」と答えると、「そんなとこに泊まったの!?」と驚かれてしまった。やはりモーテルは韓国でもそういうホテルのことらしい・・・。

(2004 9/ up)

韓国旅行記1へ

韓国旅行記2へ

韓国旅行記2 番外編へ

みなみの韓国旅行記へ

日本語トップへ