雑感ノート4

もともとこのHPは、「韓国徒然草」という

僕の気ままな随筆(?)で構成されていました。

現在、それらをジャンル別に並び替えて

載せていますが、そのジャンルに規定できない

雑多な文章をここで紹介しようと思います。

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ワーキング・ホリデーはいかが?

 '99年から、韓国と日本の間でワーキング・ホリデーが始まったことをご存じだろうか。就労ビザなしで働きながら、最長1年間滞在でき、観光も語学学校へ通うこともできる。原則では25歳までなので、どちらかというと若者の特権といった感じだ。韓国のワーキング・ホリデーに関して少し紹介したい。

 僕が韓国好きなおかげで、友人からときどき韓国情報や質問をされることがある。ある日、友達が『毎日新聞』2000年1月19日夕刊の記事を渡してくれた。僕も韓国にワーキング・ホリデーで行けることは知っていたので、その記事を簡単に眺めて見、そして驚いた。

 韓国と日本の間では、年間1000人の受け入れを予定しているそうだ。'99年10月末段階で、韓国側は約2500人の希望者を選考し、960人に絞った。それに対して日本側からはたった33人だという。まだまだワーキング・ホリデーが始まったという事実の知名度が低いのかも知れないが、これは極端な数字である。同じ'99年にスタートしたフランスの場合、年間250人の枠に希望者だけでも約1400件('99年11月末段階)。しかもフランスから日本へワーキング・ホリデーに行くことを希望している人は日本側より少ないそうだ。日本における韓国・フランスへのイメージや憧憬が窺われる。

 一方、韓国から日本へ来ている方にも問題があるようだ。選考を経て日本に来たにもかかわらず、仕事がないという。不景気のせいもあるだろうが、「日本人でないとだめ」というところがほとんどであり、また、「ワーキング・ホリデーで来ました」と言っても、その制度を知らないという場面も多いという。

 僕にはニュージーランドから留学している友人がおり、彼はもともと大学で中国学を専攻していたが、19歳のときにワーキング・ホリデーで日本に来た。そのことがきっかけで日本に留学することになったという。彼の日本語は大学で習ったものではなく、労働を通じながらの学習である。いわゆる標準語ではない彼の言葉は、僕らに親近感を与えてくれる。

 韓国で働いても収入が見込めないという声を聞く。けれども、生活費を稼ぐというレベルではなく、1年間のモラトリアムで海外生活を経験できると思えば、お金は少しくらい脇に置いておいてもいいのではないだろうか。

 韓国の場合は、貯金残高証明25万円以上、原則25歳以下という条件がある。これに該当して、韓国での生活に少しでも興味がある人は、各地の韓国領事館から資料を取り寄せてみてはいかが?

(2000 03/23 up)

消された日の丸

 今年、オーストラリアのシドニーでオリンピックが開催された。日本は今回のオリンピックで、通算100個の金メダルに到達するかどうかが注目されていた。結局はその夢を次のオリンピックに持ち越すこととなったが、『毎日新聞』に載った「日本金メダルの軌跡」を見て、びっくりした。

 当然といえば当然だろうが、1936年ベルリンオリンピックの金メダリストの名をそこに見つけたのだ。男子マラソンの孫基禎(ソンギジョン)選手である。

孫基禎(『大阪毎日新聞』1936年8月10日) ご存じのように、1910年に日本は大韓民国を併合し、「日帝時代」と呼ばれる支配をした。その支配下であった時代、韓国出身で唯一オリンピックで金メダルを獲ったのがこの孫基禎である。そういう時代にあったので、その金メダリストは国際的に「日本人」として見られたのであるが、それがさまざまな問題を生んだ。今回は当時の新聞記事を参考にしながら、この選手について見ていきたい。

 この大会では、前大会の覇者・アルゼンチンのサバラ選手が優勝候補の筆頭として見られていた。1936年8月9日午後3時(ドイツ時間)、号砲と共に56名の選手がスタート地点を飛び出したが、早速先頭に立ったのは優勝候補のサバラ選手。8kmの地点では2位に1分の差を付ける快走。この段階で孫選手は4位。中間の折り返し地点に至ってもなお、サバラ選手の独走であったが、ここで孫選手はイギリスのハーパー選手に追いつき第2位に並ぶ。この段階で上位3人は圧倒的な差をつけはじめ、金メダルはこの3人に絞られてきた。

  前半の成績
   1位−サバラ(1時間11分9秒2)
   2位−孫基禎(1時間12分19秒)
   3位−ハーパー(1時間12分19秒)

 しかし、前半飛ばしすぎたことがたたり、サバラ選手は28km地点で発作に倒れる。ここで力を温存していた二人に「優勝」の二文字が見え始めたのだ。また、31km地点では南昇龍(ナスンリョン)が10位まで順位を上げてきた。この後南選手は上り坂で飛ばし続けて3位にまで食い込んできた。

 こうしてベルリンオリンピック男子マラソンは、

   1位−孫基禎(2時間29分19秒2)*オリンピック新記録
   2位−ハーバー(2時間31分29秒2)*オリンピック新記録
   3位−南昇龍(2時間31分42秒)

 という結果になった。表彰台に二人の選手を送り込んだ日本でも韓国でも、大変な盛り上がりであった。『大阪毎日新聞』8月10日夕刊では「感激・君が代の奏楽起り」と書かれ、『東京朝日新聞』8月10日には「世界に誇れ!孫選手 見事一着・日章旗輝く」という見出しが載せられた。当然であるが、「日本人」として日本では賞賛された。更に興味深いのは『東京朝日新聞』8月11日付けの記事である。

  オリムピックの陸上競技は、マラソンの優勝によつて、華々しき幕を
  閉ぢたのであるが、その日章旗の掲揚が、半島選手の健闘によつてな
  されたことは、意義深いと思ふ。

 という言葉で始まり、分析をしている。「半島の新人選手によつて、『日本』の頭上に載せられたことは、何といつても、特筆されてよい」と述べ、彼を見出したチームや先輩に勝因を求めている。結局、「半島」の人材を世界レベルまで高めた「日本人」に対する賞賛を求めているのだ。

 これに対して「半島」ではどう紹介されていたのか。孫選手と南選手の健闘を「“若い朝鮮”の世界制覇!」と紹介している(『東亜日報』8月23日)。民族の名誉としてこの二人を讃えたのだ。そして事件が起こる。

 『東亜日報』8月25日夕刊が二つ存在する。版の違いはない。一つは胸に日章旗を縫いつけた孫選手。もう一つは日の丸が消された孫選手。これはマラソンの優勝者が「日本人」ではなく、あくまで「韓国人」であるという主張のあらわれだった。

日の丸のある記事日の丸のない記事

 『東亜日報』は8月28日になんの前触れもなく休刊となる。民族意識に対する言論弾圧を加えたのだ(*1)

☆解説☆

*1 今回の記事は、『東京朝日新聞』『大阪毎日新聞』『東亜日報』のマイクロフィルムを参考に構成した。しかし、残念ながら『朝鮮日報』のマイクロを確認することはできなかった。新聞の記事は、できるだけその表記を尊重したが、『東亜日報』に関しては日本語訳させていただいたことを断っておく。更に付け加えるのならば、画像の大きさの関係で掲載できなかったが、上の記事の左側部分は空白になっている。たぶん検閲で文章を削除されたものと推測される。

 なお、孫基禎選手は現在でもご存命だそうだ(伝聞)。

(2000 11/11 up)

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