言葉や童謡
韓国を知る上で、韓国語を知ると言うことは
とても重要なことです。
それは単に言葉を勉強するだけでなく、
習慣や文化についても学ぶことになります。
また、韓国ではポップスが大変人気がありますが、
童謡は歌詞も短く、口ずさみやすく、
それ自体でも充分教材になります。
そんな言葉や童謡で気付いたことを
ここでは紹介していこうと思います。
それでは、お楽しみいただければ幸いです。
昨日までは、「韓国旅行記1」を連載(?)していたが、既に書いたように当時の日記は4日目で終わっている。もちろん、思い出し思い出し書くという方法もあるが、それでは当時の僕の気持ちが反映されない。というのも、僕はこの体験の後、自分があまり話せなかったことをすごく残念に思い、韓国語を勉強することを決意した。その結果、1回目の旅行では殆ど知識のなかった韓国に関して、これまでそこそこ勉強してきたのだ。もし、今の状態で日記の続きを綴っても、一瞬一瞬の気持ちは嘘になってしまう。ごくごく一部の期待を裏切ることになるが、いずれ「韓国旅行記2」を載せるまで、我慢してほしい。
さて、日本に戻った後、僕が韓国語を勉強する際のテキスト及びペースメーカーにしたのが、NHKテレビハングル講座である(*1)。'98年度のハングル講座では、沢知恵さんによる「韓国の歌」のコーナーがあった(*2)。他の言語の歌を歌うのは大変難しいだろうが、語学を勉強したくなるとっかかりとしてはちょうどいいだろう。毎月歌が変わり、1年間で12曲紹介してもらったわけだが、僕がそらで歌えるようになったのは「オッパ センガク(兄さんを想う)」だけである。短い童謡で、メロディーラインもわりと簡単で、歌詞にもすごく親しみやすかった。日本語に訳した歌詞を紹介したい(*3)。
トゥムプク トゥムプク くいなは田で鳴き
ポックク ポックク かっこうが森で鳴く頃
うちのお兄さん 馬に乗ってソウルに行けば
絹の靴を買ってくるって言ったのに
キロック キロック 雁(かり)は北から来て
クィトゥル クィトゥル こおろぎは悲しく鳴くだけ
ソウルに行ったお兄さん たよりもなく
木の葉ばかり ぱらぱら落ちます
1曲とはいえ、韓国語で歌を歌えるようになった僕は、留学生の友人に自慢げにその歌を歌うと、申し訳なさそうに「日本人の人が歌わないで」と言われた。
そうは言われたものの、この歌がめちゃくちゃ気に入った僕は、いつでも口ずさみ、2回目に韓国に行ったときには、絶対にこの歌の入っているCDを買おうとあちこちのお店で探した。僕が「『オッパ センガク』の入ったCDありますか?」と韓国語で訊くと、必ずと言っていいほど店員の人が口ずさむ。韓国民俗村でもお土産屋のおばさん・おねえさんと合唱し、歌い終わってみんなで拍手をした後、何も買わずに逃げてきた(*4)。
しかし、ある晩にテレビをつけていると、白黒映画が流れ出した。どうやら朝鮮戦争を描いたものらしいが、目の前で母親が死んだ子が泣きじゃくっているシーンで、それは悲しい調子でゆったりとしたリズムのこの歌が流れた。そのとき友人が言った言葉の意味が分かったような気がした。
この歌はきっと日帝時代(日韓併合体制の時代)、戦争か何かのためにソウルに行った兄が帰ってこない妹(あるいは恋人?)(*5)の気持ちを綴り、あどけない少女の言葉を借りて、暗に反戦を歌ったのだろう。この解釈が当たっているのかどうか未だに分からないが、韓国の人と交流するためにはやはり日帝時代のことをもっと知るべきなんだろうと感じた。
☆解説☆
*1 正確な番組名は「アンニョンハシムニカ?ハングル講座」。NHK教育で、本放送は土曜朝6:40から、再放送は金曜(木曜深夜)0:20から30分放送している。残念ながら今年は沢知恵さんが出ていない。
*2 父が日本人、母が韓国人で、生まれは日本だが韓国やアメリカでも生活したことがある歌手。僕はこの人の歌も好きだ。日本にHPがあるので、興味ある方は覗いてみて下さいね。
*3 引用は禁じ手かもしれないが、一応ここではNHK出版の出したこの番組のテキスト98年10・11月号から転載しています。
*4 「韓国旅行記2−5」参照。結局韓国で合計6人くらいの人と合唱した。この歌を歌うのは失礼なのかもしれないが、国際交流をしているという気分にさせてくれた思い出の一コマだ。
*5 「オッパ」は「お兄さん」という意味だが、学生らの間では(女性から見て)年上の親しい男性を呼ぶときに一般的に使う。歌詞の中の「ウリ オッパ(私のお兄さん)」と言う表現があるが、恋人にもこう使うのだ。
(1999 07/02 up)
今日は7月7日。七夕の日である。韓国でもチルソク(七夕)という節句があるが、残念ながらどんな行事があるのか僕は分からない。それはそれとして、今回は七夕にちなんだ話を書きたい。
かささぎの 渡せる橋に 置く霜の
白きを見れば 夜ぞ更けにける
これは『小倉百人一首』にも含まれている和歌で、中納言家持、すなわち大伴家持の和歌として知られる。この歌の中の「かささぎの渡せる橋」が何を指しているかは諸説あるらしいが、基本的には七夕と結び付くものである。
七夕はご存じのように、牽牛と織女が年に一度天の川を越えて逢える日であるが、この日には天の川にかささぎの群が現れて二人の間に橋を架けるという伝説が古くから中国にあった。何を隠そう、このかささぎが韓国の国鳥なのである。
かささぎはカラス科の鳥で、カラスよりも一回り小さい。お腹全体と背中の一部などが白く、他は黒い色をしている鳥である。日本では北九州にしか生息しないようなので、韓国に行くまで僕は生まれてから一度もこの鳥を見たことがなかった。僕の中では、上の和歌の「かささぎ」と「白き」の印象が強いため、かささぎはてっきり真っ白い鳥だと信じていた。
そしていざ韓国に行ったわけだが、韓国では、かささぎは探すまでもなくどこら中にいる。町中でも電柱や街路樹の上に巣を作る。ソウルやキョンジュなどで観光地を回っても、必ずと言っていいほど、巡り会うだろう。鳴き声は「カシャカシャ」という感じで、日本で「かささぎ」と呼ばれるのはこの鳴き声の為ではないかと思った。
さあ、このかささぎであるが、僕にとっては思い出深い鳥となっている。というのも、この鳥の韓国での呼び名に関係がある。
2回目の韓国旅行の際に、キョンジュのコブンゴンウォン(古墳公園)でこの鳥を見た僕は、「かささぎだ!」と日本語で叫んだ後、現地で案内をしてくれた韓国の友達に「あの鳥の名前は?」と尋ねた。彼はさっと「ッカッチ」と言ったので、僕も真似して発音したところ、彼は違う違うとケチをつける。僕は何度も試してみたが、彼がいつまで経っても合格点をくれないので、ハングルでどう表記するか訊いてみた。すると「ッカッチ」とのこと。気を取り直して再び発音するが全くダメ。なかなか彼はOKしてくれない。そうなのだ。韓国語には濃音という音があり、テキストには「息を出さないようにして、やや声を高く発音する」というような表現がされているが(*1)、なんのことか分からない。日本語で言えば、「7時きっかり」の「っか」という音が濃音に近いそうだ。
しかし何度言ってもうまくいかない。語頭に「っ」を入れるという感覚は、日本語になれている人には難しいのではないだろうか。僕が繰り返し言っても「それは『一緒に』だ」と言われてしまう。「一緒に」という韓国語は「カッチ」と発音する。結局僕はコブンゴンウォンをひたすら「カッチ」「カッチ」言いながら回り続けた。
今でも僕の「ッカッチ」の発音は正しいかどうか分からない。ただ結果として、この名前は死んでも忘れられない名前になってしまった。また韓国に行くことがあれば今度こそうまく発音してみせる。いつもそう願っている。そしてまた思うのは、この韓国語の「ッカッチ」も、鳴き声から来た言葉かも知れない、ということである。あんまり適当なことを言っていたら学者から起こられるかも知れないが、もし正解だとするとやっぱり韓国と日本は近いなと思ってしまう。
ついでであるが、このかささぎは別名「かちがらす」とも言うそうだ。もしかしたらこの「ッカッチ」という音を受け継いだのかも知れない。ただ、日本の古語と同様、韓国でも昔と今の発音は違うだろう。所詮推測である。
さらにもう一つ。かささぎは学名を「Pica pica」と言う。これまたなかなか忘れられない愛嬌のある名前だと思う。
僕の住んでいる京都は今夜も晴れている。織女と牽牛はまた「ッカッチ」の背中を渡って短い逢瀬を楽しむのだろう。ついでに韓国と日本とをつなぐ鳥にもなってくれないだろうか。
☆解説☆
*1 この文章は、『韓国語をモノにするためのカタログ2000年度版』(アルク、1999年)の107頁より引用。
(1999 07/07 up)
早速ではあるが、当時僕は2日目以降、しばらく日記をつけなかった(*1)。ここで、当時を思い返して新たに日記をつけたなら、嘘になってしまうので、今更日記の穴埋めはしない。しかし、途中あった大きな出来事もあるので、ここでその話を挿入したい。
2回目の韓国旅行の2日目。僕は日本に留学している友達の友人にあった。彼女は現在初等学校(小学校)の先生をしている(*2)。その人と会う約束をしたが、どういうわけかジョがついてきてくれた。彼なりに僕らの韓国語の未熟さを心配してくれたのだろうが、彼自身日本語が話せるわけではないので、状況的には何ら変わらない。しかし、彼は僕らの語学力を見抜いて、いち早く僕らに分かりやすく話す方法を身につけてくれた(*3)。そう言う意味では彼の参加は有効であった。
その女性とは、プサンの繁華街の焼き肉屋で一緒に話をした。初めは簡単に韓国に来た感想や韓日との違い。そんな話だったと思う。ところが、酒も入っていないのに、いつの間にか話は深いところに突入していった。
その話とは、日本人が韓国の人に対して、なぜ「朝鮮人」と呼ぶかということことについてだった。僕は彼女の口から、明瞭な日本語で「朝鮮人」と言われたとき、驚きを覚えたが、その次になぜ彼女がそれを差別用語として受け止めているかを不思議に思った(*4)。彼女は言う。韓国の人は日本の人から「朝鮮人」「朝鮮人」と言われてバカにされてきた。もちろん、これは現在ではなく、日帝時代の話であるが、この「朝鮮人」とは一体どういう意味か。そういうことであった。
この文章を読んでいる日本の人も、なぜそんなに気にするか分からないだろう。僕は「それは単に『朝鮮の人』という意味です」と説明した。「ですから、僕らが仮に「朝鮮人」ということを言っても、そこに差別の意識は含まれていません」と必死で伝えた。それではなぜ韓国の人はこの言葉に被差別意識を覚えるかという話になった。僕は不勉強で、充分な回答をした自信はないが、一つには日本人が韓半島に住む人自体に差別意識を持っていたのではないかということを率直に伝えた(*5)。僕はMくんに対して会話の節々で「韓国人」という言葉をはさむ。それは差別語にならないが、「朝鮮人」は差別語になる。このことには大変不思議な気持ちになった。
その翌日僕らはキョンジュに行った。もちろんジョも同行した。その日はキョンジュに一泊し、朝5時半くらいに起きて、山登りをし、日の出を見ようというジョの申し出に従い、真っ暗闇の中を登っていった。そこはキョンジュでも特に有名なソックラム(石窟庵)のあるところで、その山にだいたい7時前後に到着した。日の出は海から上がるもので、それを見るために朝早くからたくさんの方であふれていたが、そこでMくんが「日本海からの日の出は初めてだ」と日本語で言った。その言葉を聞くやいなや、ジョは僕らをジュースの自動販売機まで連れていき、「韓国では『日本海』とは言ってはいけない」と厳しい顔で説明した。僕は前もって本で読んでいたので、ずっと「トンヘ(東海)」と呼んでいたが、Mくんは知らない。
ジョはすごく優しく、人一倍僕らに気を使ってくれる(*6)。彼は常に悪意ではなく、僕らのことを心配して忠告してくれる。しかし、そのことはときとして僕に彼が違う国の人だということを再確認させる。
日帝36年の残した爪跡は、当然と言えば当然であるが、現在においてもなお深々と刻まれている。僕らにとって何気なく発する言葉にも注意が必要になる。一番注意しなければならないのは、僕らが日本語はどうせ通じないと思って気軽に発してしまう言葉だ。「朝鮮人」は「チョソニン」、「日本海」は「イルボネ」というように韓国では発音するだろう。そうした場合に韓国の方が感じる被差別意識はそれほど大きくないような気がする。むしろ日本語でそれらの言葉を発することにより、受け取る側には「被差別」という意識が急に発生するのだ。このことに注意しなければならない。もちろん、そんなこと面倒くさいと思うかも知れないが、そうした面倒な規制を設けるに至った理由を作ったのは、他でもなく「日本人」だ。そのことを気にしなければいけない(*7)。
なぜここまで気を使わなければいけないのか、日本人は日本での呼び方で言えばいいではないかと言う声があるだろう。しかし、誰かと会話する際、あなたは相手の傷つく言葉を使い続けるだろうか。他に言い換えることができればできるだけその言葉を使わないようにするのではないだろうか。相手が不快感を覚えると知っていながら率先してその言葉を使おうとはしないだろう。中国は19世紀に「支那」と呼ばれた。しかし現在ではこの言葉に中国の人は不快感を覚える。確かにその言葉が使われていた時代や事例もあるだろうが、相手が嫌がるのなら使わない。それがマナーだろう。
☆解説☆
*1 「日記をつけなかった」と言えばまるで僕が怠惰だったような感じがするが、多少言い訳させてもらえば、「つけなかった」のではなく、「つける暇がないくらい充実していた」ということになるだろう。今回の旅行の半分は韓国東南部にいたが、その間僕は常に韓国の大学生と接していた。寝る間も惜しんで(?)である。
*2 初等学校(小学校)の先生なので、彼女は公務員である。彼女は日本にぜひ行きたいと言っていたが、しばらくは無理だとも言った。なぜなら、当時韓国は経済危機の中、IMFの管理下にある。そのため、公務員は率先して国民の模範になるため、海外旅行が禁止されていたそうだ。彼女は日本に来られるようになったのだろうか。
*3 ある程度韓国語のヒヤリングができると自分で思ったら、「チョンチョニ マーレ ジュセヨ」と言えば、相手は聞き取りやすいように話してくれるだろう。「ゆっくり話して下さい」という意味だ。僕も今日までいったい何十回このセリフを言ったか分からない。早くこう言わずに聞き取れる日が来ることを願う。
*4 このHPで差別用語を濫用するのは気が引ける。この文章を読んで言わないように気を付けてくれると信じて書くが、僕の知っている韓国の人に対する差別用語と言えば「バカでもチョンでも」である。この「チョン」は「朝鮮人」を意味する。しかし意外なことに、この言葉は知らなくても「朝鮮人」は知っている人は多かった。絶対に気を付けてほしい。
*5 「韓半島(ハンバンド)」とは僕らの言うところの「朝鮮半島」を意味する。逆に北朝鮮(朝鮮民主主義共和国)では「朝鮮半島(チョソンバンド)」と呼ぶ。「韓」も「朝鮮」も民族を意識させる言葉ではあるが、南北で使い分けがなされている。
*6 ジョに関するエピソードの一つを。僕らは観光の移動手段として主にバスを使った。場合によっては長距離移動になる。その場合、ジョは必ず「眠っていいよ。僕が起こすから」と言う。しかし率先して眠るのは決まってジョだった。彼は昼間は僕らに気を使いまくり、夜は寮で勉強するという生活を続けていた。彼の優しさに感謝している。
*7 他の禁句として有名なものに、「竹島」がある。新聞でも取り上げられていて知っている人も多いと思うが、韓国ではこの島を「トクト(独島)」と呼ぶ。
(1999 07/28 up)
韓国ではとても年齢にこだわる。初対面の人でもすぐに年齢、あるいは生まれた年を尋ねるのは普通だ(*1)。僕は実年齢よりも若く見られるので、年齢に関する質問に答えるたびに相手の反応が楽しい。
比較的よく知られているだろうが、韓国では年上の男性・女性に対する呼び方がある。
(男性)−ヒョン(男性) (女性)−オッパ(男性)
−ヌーナ(女性) −オンニ(女性)
例えば、僕の場合男なので、年上の女性を「ヌーナ」と呼ぶし、男の後輩からは「ヒョン」と呼ばれるわけである。聞くところによると男性アイドルなどもファンの女性から「オッパーッ!!」と呼ばれているそうだ。会話の中で相手の年が分かると、急にこうした言葉で呼ばれるようになる。僕の友人が韓日の間で通訳をしたとき、韓国側の方が「ヒョンと呼べ!」と言ったときには、どう訳すべきか悩んだそうだ。これらの言葉は日本語では「お兄さん」「お姉さん」と訳されるが、日本語のそれよりもはるかに適用範囲が広い。僕も試しに「ヒョン!」と呼ばれたことがあるが、血縁者でなくとも違和感はないし、逆に嬉しくなってしまった。
友人の話によると、日本では社会的地位や学年、肩書きによって相手の呼称が変化するが、韓国語ではまず年齢が優先されるらしい。こんな言葉どこで使うんだと思われるかもしれないが、僕の先輩で韓国からの留学生の方にお酒の席で「ヒョン!」と呼ぶと、喜んで2次会に連れていっておごってあげると言う(*2)。効果はバッチリある。僕が2回目の韓国旅行に行ったとき、夕食を5人で食べた。僕とMくん(後輩)、そして僕と同じ年齢の3人の韓国男性。このときは5人が初めて顔を合わせたときでもあったが、5人で仲良くキムチッチゲを食べて、ちょうど1万ウォン。彼らは歓迎の意味を込めて、一人3千ウォンずつ、そして僕に千ウォン出せと言う。ここでも年齢の論理が働いたのだ。ちなみに韓国では日本のような綺麗な割り勘はしない。
大学のキャンパスでよくカップルを見かけるが(*3)、韓国では男性に3年弱の兵役があるので、同じ学年でも男性の方が年上になるケースが多い。やはり彼氏に対して「オッパ!」と呼んでいるんだろうか。
☆解説☆
*1 生まれた年で答えるときには西暦の下二桁で答えることが普通。
*2 ただし、この日先輩は持ち合わせが少なく、「次の機会に」ということになった。一体いつなんだろう。ドキドキ。
*3 「CC」という言葉をご存じだろうか?これは「キャンパス・カップル」の略だが、比較的よく聞くので覚えておいてもいいだろう。
(1999 10/07 up)