韓国の教科書から

現在、韓国と日本の政府との間で、教科書問題が

両国間にかかわる重要な問題へと発展しています。

日本の教育現場に立つ者として、また一人の韓国好きとして

大変遺憾なことだと感じています。

韓国では教科書が国定であるので、日本の教科書問題は

日本の政府に問題があると考えるのも分かります。

しかし、日本の場合は言論の自由に基づいていくつかのグループが

教科書を編集しており、約20社から出版されています。

その中から教科書を選択するのは現場の教師の仕事であり、

問題となっている教科書に対して「ノー」と主張しています。

この問題が両国のあらゆる面で壁とならないことを心から祈ります。



ここでは、韓国で実際に使われている歴史の教科書を見ながら、

韓国の歴史、韓国で教えられている歴史を

見ていきたいと思います。

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序章

 日本では、小中学校、あるいは高校でも日本史を学ぶ。そしてその記述内容があたかも事実であるかのように受け止められてる。しかし実際問題には教科書問題が起こるように、そこには何を載せ何を載せないかの取捨選択が行われてしまう。また、当たり前のことだが、日本史の教科書は基本的に日本の視点で描かれている。歴史的事件も、見る人・記述する人によって肯定的にも否定的にも捉えることが可能となってしまう。そう思うと、いわゆる「国史」と言われている教科書には自然と、その国の特徴が現れてくることが分かる。

 もちろん、日本で使われている世界史の教科書も、やはり取捨選択が行われていることも分かるだろう。それは事件単位ではなく、どちらかというと書かれる地域、書かれない地域と言った温度差があるようだが(*1)

 具体的な例を見てみよう。ご存じの方もいるだろうが、韓国で最も高価な紙幣(1万ウォン札)にはセジョン(世宗)大王が描かれている。この人は李氏朝鮮の第4代大王であり(*2)訓民正音(現在のハングの元になる文字)を創製したり、国土を広げたりした人物である。韓国に行けばあちこちでこの名前を見かけるものだが、1回目の旅行のときには僕にはピンと来なかった。そこで日本に戻ってから、高校時代の世界史教科書を見たところ、セジョン大王の名前は載っていないのである(*3)。これは僕が使っていた教科書がたまたまそうだったわけではない(*4)。基本的に日本で普通教育を受けてきただけの人は、まずセジョンを知らないのである。

 前置きが長くなったが、これからはときどき韓国の歴史について書いていきたいと思っている。しかし、僕がこの場を借りて記述するにしても、やはり偏りができてしまうだろう。それが必ずしも事実かどうかさえ分からない。それなら韓国の方と交流する前提として、韓国側から見た韓国の歴史を知ることは意義もあるだろう。もちろん、せっかくなので日本の教科書とも比較しながら書くという手段をとりたい。それはそれでおもしろいのではないだろうか?

 そこで今回は少しだけ韓国の歴史教育事情を伝えたい。日本の教科書は文部省がチェックする検定教科書であるが、韓国では国定教科書が使われている(*5)。国定教科書は1種類しかないので、日本のような出版社による違いはありえない。韓国では国史(韓国史)は必修教科なので、基本的には韓国の方誰もが同じ内容の教育を受けているはずである(*6)。日本の高校では現在、世界史は必修科目であるが、日本史は選択科目に過ぎない。そのせいだろうか、僕の会った韓国の方は概して歴史に興味を持っているし、よく知っている。

 韓国の国定教科書は日本語に訳されているので、それをテキストにしたい。中学の教科書が『入門韓国の歴史』(明石書店)で、高校の教科書が『韓国の歴史』(明石書店)として出版されている。これはどちらもヨンサ(金泳三)前大統領期に出されたものである。もし興味があれば購入して欲しい。

 最後に。韓国の教科書では先ほどのセジョンはどう記述されているか?中学教科書では「わが国の歴史上たぐいまれな偉大な王として輝かしい業績を多く残した」(158頁)と書かれている。こうした認識のずれを埋めるため、みんなで韓国の歴史を見てみたい(*7)

☆解説☆

*1 例えば、日本での世界史教科書にはアフリカに関する記述が殆どない。もちろん、あまり分かっていないという現状があるんだろうが、それにしても偏りが大きい。

*2 1392年にイソンゲ(李成桂)が開いた王朝を日本では「李氏朝鮮」と呼んでいるが、韓国ではただ「朝鮮」と呼ばれている。ただこの場では一応日本での呼び方を採用したことを断っておく。

*3 ただし、訓民正音というもの自体は日本の教科書にも記述されている。

*4 『世界史用語集』(山川出版社)には、各用語ごとに、何冊の教科書に記述されているかを表す数字が書いてある。それによれば全17冊中わずか1冊だけに記述されているだけらしい。但し僕の手元にあるのは1992年発行のものなので、今は多少変わっているかも知れない。

*5 但し以前は民間で作られた検認定教科書を用いていた時期もあるようである。

*6 とはいうものの、日本と同様、順次記述内容が変更されるので、世代による違いはあるだろうが、同世代では教科書レベルではほぼ同じ教育内容と見ていいだろうと思う。

*7 前もって言い訳しておくと、この作業にはそれなりの時間がかかるので、ときどき載せる程度になると思う。気長に待っていて欲しい。

(1999 08/12 up)

1,古朝鮮の建国

 韓国の教科書における特徴の一つとして、まず挙げられることは歴史を学ぶ意義についてであろう。日本の歴史教科書はすぐに原始の叙述が始まるが、韓国の場合、特に中学では数ページを割いて歴史を学ぶ意義と韓国史の特性が記されている。そこでは声高らかに単一民族の歴史、民族自存の歴史が言われている(*1)。韓国の歴史教育が「民族教育」と言われるゆえんだろう。

 そしてその後、旧石器時代が始まり、紀元前6千年頃から新石器時代、紀元前10世紀頃からの青銅器時代と叙述が進んでいくが、やがて古朝鮮の建国へとつながっていく。

 古朝鮮は紀元前2333年に、タングンワンゴ(檀君王倹)が建国したとされている。この年次は13世紀に記された『三国遺事』に記されているもので、史実とは考えにくいが、中高の教科書ともその年次が史実だとは言及していない。このタングンワンゴとは特定の人物を指すものではなく、当時の支配者の称号であり、君長が治めるいくつかの部族を統合した国家の支配者であったと考えられている。地域としては現在の韓半島北部と考えられている。

 「古朝鮮」とは、朝鮮王朝(李氏朝鮮)と区別するための言葉であり、正確にはタングン(檀君)朝鮮キジャ(箕子)朝鮮ウィシ(衛氏)朝鮮の三王朝の総称である。それぞれタングンキジャ(*2)ウィマン(衛満)によって始められたと考えられている(*3)。今回は韓民族の始祖神話として伝えられているタングンについて詳しく書こう。

 天帝ワニン(桓因)の子ワヌン(桓雄)テベサン(太白山)に降天し、天下を治めようとしたとき、熊と虎がワヌンの許にやって来て、人間にしてほしいと願い出た。そこでワヌンはよもぎ一握りとにんにく20個を与え、百日間日光を見ないように命じた。虎は途中であきらめたが、熊はその命令に従い、みごと女性に姿を変えた。ワヌンは女性となったその熊と結婚し、二人の間に生まれたのが始祖タングンであった。

 このような話である(*4)。日本では始祖神話が日本史教科書に殆ど書かれておらず、イザナギ・イザナミの話を知らない人が多いかも知れないが、韓国や朝鮮民主主義人民共和国では比較的知られている話である。韓国ではこのタングンを祭る宗教であるテジョンギョがある。また現在の韓国には開天節という国慶日(祝日)があるが(*5)、これはタングンが朝鮮を建てた日を意味する。

 日本ではあまり神話を信じないので、この話に対して不思議な感情を抱く人がいるかもしれない。けれども日本だって同じ。神武天皇が即位した日を建国記念日という祝日にしているんだから。

☆解説☆

*1 ここで言う「韓民族」とは、満州一帯と韓半島に住む民族を指す。

*2 キジャは紀元前12世紀頃にタングンに代わって朝鮮を治めたと言われている。このキジャが朝鮮を開国したという話は早くに中国の『史記』『漢書』に見られる。キジャは中国の殷王朝の賢者である。

*3 ウィマンは中国の後漢の交代期頃に古朝鮮に来た移民とされている。ウィマンは王を追放して自ら王になったが、韓国の教科書では古朝鮮を継承したと見なされている。

*4 もちろん韓国ではこれを史実として伝えているわけではない。高校の教科書ではこの始祖神話を、「熊を崇拝する部族は通婚によりワヌン部族と連合し、虎を崇拝する部族は連合から排除された。こうしてワヌン部族と熊部族の連盟でタングンが出現した」(30頁)と説明している。

*5 元は陰暦10月3日であったが、現在は陽暦の10月3日を採用している。

(1999 08/14 up)

2,古朝鮮滅亡と高句麗誕生

 古朝鮮が終わりを告げたのは、紀元前108年のことである(*1)。韓半島に鉄器が伝わってきたのはだいたい紀元前4世紀のことと考えられるが(*2)衛氏朝鮮の頃には南部まで普及し、鉄器生産を通じて古朝鮮は農業的にも軍事的にも発展した。そのため、古朝鮮を脅威に感じた武帝が水陸両面から武力侵略を敢行したとのことである。

三国時代以前の半島

 その結果、古朝鮮は消滅し、漢による半島支配が始まったわけであるが、韓国の教科書ではその点に関する記述が殆どなされていない(*3)。このとき半島にナンナン(楽浪)郡など4つの郡を設置したが(*4)、半島支配は当初なかなかうまくいかず、一時はナンナン郡のみになった時期もあったが、313年にコグリョ(高句麗)に滅ぼされるまで約4世紀に渡り、中国の支配が続いたのである。

 その間半島の人たちは沈黙を続けていたわけではなく、さまざまな小国家が半島に誕生していった。現在の中国北東部にプヨ(扶余)、半島北部にコグリョが成長していく。プヨでは既に1世紀初頭から王号を使用していたらしい。コグリョはそのプヨから南下したチュモン(朱蒙)が紀元前37年に建国したとされる。このコグリョはのちの三国時代まで強大な勢力を誇るようになる。494年にはコグリョがプヨを編入してしまうが、今日はそこまで話を進めない。

 さて、前回に続いて今度はコグリョの建国神話について紹介したい。プヨにもコグリョにも建国神話は残っているが、韓国の教科書ではその存在を指摘してはいるものの、残念ながら中身については紹介されていない。ただ、半島の文化を理解する上で、神話を知っておくことも重要と思い、あえて付け足させていただく。

 コグリョを起こしたとされるチュモンは、プヨの王が救った河神の長女ユファ(柳花)から生まれた。ユファは救われたとき、日光を浴びることですでに天帝の孫を身ごもっており、大きな卵を生む。その卵から生まれたのがチュモンであり、彼はプヨから南下して、コグリョを建てた。

 ここでも日光が出てきている。僕は神話学に関してはろくに知識がないので、よくは分からないが、コグリョの建国神話は、北方系の日光感精型と南方系の卵生型の要素が見られるらしい。調子に乗って、次回から三国時代に登場する各国の建国神話も紹介しようと思っている。「韓国の教科書から」という主旨に反しているが、気長に待っていて欲しい。

☆解説☆

*1 余談だが、僕はこの年号を「前入れ歯(108)」と覚えた。僕は記憶に止める手段の一つとして、語呂合わせには賛成である。

*2 日本は韓半島からほぼ同時(弥生時代)に青銅器と鉄器が伝わっているが、世界史的に見れば時間的な開きがある。

*3 この間がすっぽり抜けているわけではない。ただ、漢による支配が殆ど記述されておらず、後述するような小国家の動きがクローズアップされている。

*4 上の解説の通り、中国の支配に関する記述はあまりなされていない。コグリョがナンナン郡を滅ぼしたことは知っていても、他にどんな郡があったかはあまり知られていないようだ。古朝鮮滅亡当初に置かれた郡はナンナン郡(ピョンヤン辺り)、チンボン(真番)郡(ナンナン郡の南、チュンチョンド《忠清道》・チョラド《全羅道》方面)、ドゥン(臨屯)郡(カンウォンド《江原道》またはハギョンナド《咸鏡南道》)、そしてヒョント(玄菟)郡(ハギョンナド)の4郡である。ただこれだけ見ても韓半島全部に支配が及んだ訳ではないことは分かるだろう。

 なお、日本の古代史に興味がある方なら、「楽浪」「帯方」という言葉はご存じかもしれない。

(1999 09/25 up)

3,三国時代の建国神話

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