雑感ノート3
もともとこのHPは、「韓国徒然草」という
僕の気ままな随筆(?)で構成されていました。
現在、それらをジャンル別に並び替えて
載せていますが、そのジャンルに規定できない
雑多な文章をここで紹介しようと思います。
韓国の年齢重視に関して書いたついでに、気を付けなければならないマナーについて書いておこう。
僕は左利きである。大概の左利きの人は意識すれば右手も使えるように教育されているだろうが、全く気に留めないときには自然と左手を使ってしまうことがある。「キョンジュのハルモニ」で書いたように、僕は同じ年齢のジョと後輩のMくんの3人で夕食をとっていた。夜だったこともあり、僕らはマッコルリを飲みながら、盛り上がっていたのである。
そこにその食堂のハルモニがやってきて、僕らとさまざまな話をしたことは以前に書いたとおりだが、そのとき僕は再三にわたってジョから敬語に関する忠告を受けた。韓国語が母国語でない僕にとっては、丁寧語や親しみのある言い回し、友達言葉すべてを覚えたり使いこなせたりすることができない。僕がジョに英語で説明して、彼がそれをハルモニに通訳してくれればよかったのだが、そんな回りくどい方法を採らず、僕は自分の言葉で話したかったのだ。
しかし僕の言葉はとてもぞんざいで、ジョと話す分には問題なく、逆に丁寧過ぎる場合もあったが、人生経験豊富なハルモニを前にして話すには余りにも砕けすぎていた(*1)。
多少酔いが回っていることを言い逃れにすることもできず、頭の中でできるだけ丁寧な表現を選ぼうとしたが、僕はNHKテレビでの独学で韓国語を勉強していたため、やや砕けた会話表現ばかり身に付いていた(*2)。
それでも僕はできるかぎり注意しながら会話をしていた。するとハルモニが僕にマッコルリをお酌してくれる場面がやってきた。僕は何も考えず、左手に器を持ってハルモニの前に差し出した。
「だめっ!!」
と言うようなジョの注意。そうなのだ。年上の人にお酌してもらうときには右手に容器を持たなければいけないのだ(*3)。しかも、器の下に左手を添えるようにして差し出さなければならない。
その上、年上の人にビールを注ぐときも同じように、両手で丁寧に注がなければならない。たとえ酒の席でも先生を相手にするのであれば、このくらいのことは念頭に置くが、韓国ではより適用範囲が広い。更に、お酒を飲む姿を堂々と見せてもいけず、やや背中を相手に向けるような形で飲まなければいけないのだ(*4)。
「韓国に溶け込むにはハンディが大きいなあ」。左利きの僕は大きなため息をついた。
☆解説☆
*1 最近日本では敬語を知らない人が増えたと言われている。僕も高校生にタメ口をたたかれたときにはさすがにむっとしたものだ。日本語もそうだが、韓国語は丁寧な言葉遣いを知っておく必要がある。怖いので僕は初対面の人に対しては必要以上に丁寧な言葉を使ってみる。そして相手が「タメ口でいいよ」と言ってくれるのを待つ。本当はこんなことをしなくても、相手の年齢を確認した段階で切り替えればいいのかもしれないが、若干臆病になってしまった。
*2 韓国語を知らない方には分かりにくいだろうが、テレビで習う会話表現はどちらかというと丁寧ではなく、更に女性言葉のような表現が多い気がする。最近の韓国では若い男性が使っても問題がさほどないとは聞いているが、まだまだ未熟な僕にはよく分からない。
*3 「ヒョンと呼べ!」に登場した先輩と酒席でご一緒したときにもやはり注意されてしまった。もちろん、「ここは日本ですからあ」と僕は逃げてしまったが・・・。ちょっとずつ訓練した方がいいのかもしれないなあ。
ついでに書いておくと、最近ではそうでもないが、本来女性が男性にお酌するのもよくないことらしい。
*4 更に書いておくと、韓国は男性の喫煙率が極端に高いにもかかわらず、大学構内では殆ど煙草を吸わない。これも年上の人に対する礼儀の一つだが、例えば酒の席で先生がOKしてくれれば吸ってもいいらしい。しかし、両親・祖父母の前では絶対に吸ってはいけないらしく、ジョの説明では「それが理由で殺されてもしょうがない」くらいだ。韓国の男性には徴兵制があり、制限の多い軍隊社会の中でも煙草に関しては配給されるそうで、僕の聞いた範囲ではそこで煙草を覚えたという人が殆どだ。兵役が終わったあとできっと苦労することも多いだろう。
(1999 10/10 up)
新聞を見てびっくりした。永住外国人に地方選挙権を与える法案の成立が次の通常国会に引き延ばされてしまったのである。与野党共に賛成していただけに信じられないニュースだった。新聞では「自民党内での根強い反対」が理由として書かれている。
'98年12月末段階で、日本に永住資格を持つ外国人は62万6760人で、うち在日コリアンは55万4875人と圧倒的多数を占める。そのため、従来から永住外国人への地方参政権付与は在日問題と絡めて論じられてきた。新聞にはある自民党議員の次のような発言が載せられている(*1)。
「永住外国人に地方選挙権を与えようと考える人たちは、日本が朝鮮半島を植民地にしてひどいことをやったという加害意識から言っている。(中略)彼ら(在日コリアン)には祖国への忠誠心が基本にある。民団や朝鮮総連の考え方に忠実である限り(*2)、選挙権を与えて日本人と同じ扱いにはなり得ない」とし、外国に忠誠心を誓う人の選挙権付与は「危険なこと」と続けている。また「選挙権が欲しければ帰化すればいい」との発言まで見られる。
そもそも外国人に参政権を与えようという動きは贖罪意識から起こっていることなのだろうか。外国に忠誠心を持つ者の選挙への参加はそれほど問題になるのだろうか。
僕は現在京都に住んでいるが、大学に来るまでは新潟県民として育ち、本籍地も新潟である。それでも現在は住民票を京都に移しているので、今までに何度か京都の地方選挙で投票をしてきた。京都から見れば「いちげんさん」に過ぎない僕がほんの6ヶ月以上住民票を移していれば投票権が得られるのに、日本で生まれ育ち、永住を認められている在日の人が参加できないのは不思議でしょうがない。それほど国籍とは重要なのだろうか?また永住外国人は何も在日コリアンだけではない。植民地政策に対する贖罪意識だけで括ることはできない問題だろう。
それに日本国籍を有する人の中でも、趣味や性格、信仰など千差万別である。日本に忠誠を誓おうとは毛頭思わない人もいるだろう。それでもその人が「日本人」であれば投票権を有することができるのである。しかも今回論じられているのはあくまで地方参政権である。自分の住む地方の行政をよりよくしようという気持ちは住人だったら抱いて当然だ。一体どんな危険を想定しているのであろう。
今までは「相互主義」という名の下に地方選挙権を与えてこなかった(*3)。しかし政府が対象として考えている韓国は、2002年から5年以上在韓する外国人に地方選挙権を既に表明している。言い訳の材料は既に一つ消えているのである。
以前、一度だけ在日の方々の研究会に参加したことがある。そのとき一番驚いた話はある人の体験談だった。
ある日、彼が財布を拾って警察に届けに行ったとき、住所と氏名を求められ、そのときに在日であることがばれた。すると警察は彼に「外国人登録証明書」の提示を求めてきた。それは常時必携を求められているものであるが、たまたま携帯していなかったため、逆に警察に説教されてしまったそうである(*4)。「財布なんて拾うんじゃなかった」。このように日々「日本人」には分からない苦労を強いられているのによりよい生活を求めることもできないのか(*5)。
☆解説☆
*1 以下、引用している部分は僕が購読している『毎日新聞』から得ている情報である。
*2 「民団」とは在日本大韓民国民団、「朝鮮総連」とは在日本朝鮮人総連合会のこと。名前からも分かるだろうが、民団は在日韓国系で朝鮮総連が在日朝鮮系(「在日北朝鮮」ではない)である。民団は選挙権要求運動を行っているが、朝鮮総連は「日本社会への同化に利用される」として反対している。ちなみに在日コリアンの人すべてがどちらかの団体に属しているというわけではない。なお、余談であるが、日帝時代には植民地の人も日本国籍を有していたので、一定の条件を満たすことで選挙権・被選挙権を与えられていた。
*3 「相互主義」とはA国でB国籍の人に選挙権を与えれば、B国でも同様にA国籍の人に選挙権を与えるという考え方であるようだ。ここでは韓国と日本との関係で語られている。
*4 「外国人登録証明書」を常時必携することは「外国人登録法」によって決められているが、その法律を犯した場合、「一年以下の懲役若しくは禁錮又は20万円以下の罰金」に処せられる。これは過失致死よりも重い罰則だそうである。
*5 この法案は現時点でも可決されていないが、与党案では「現存する国の国籍を有する者」に地方参政権を与えることと規定している。つまり、「朝鮮籍」である在日朝鮮系の人には参政権を与えない方針である。これもどうしたものか?(2000 10/10 加筆)
(1999 12/07 up)
1月22日に日本中で一斉公開された「シュリ(原題:Swiri)」が話題となっている。雑誌や新聞でも取り上げられ、かなり盛り上がっているようだ。それだけではない。新聞にも韓国に関するさまざまな情報がたくさん載せられ、びっくりしてしまう。ワールドカップ共同開催のおかげか、はたまたキムデジュン(金大中)大統領の文化開放政策のおかげかは分からないが、確実に韓国情報がここ1年間で急激に日本へと入ってきている。
「こんなに情報が入ってきていたら、うちのホームページも存在価値がなくなるなあ」なんて、笑えない話も。
いずれにせよ、韓国が日本にとってどんどん身近な存在になるのは嬉しいので、細々ながら僕も韓国情報を発信していきたい。
さて、日本でも名前が知られるようになった「シュリ」主演のハンソッキュが、やはり主演していた映画を観たときの話。その映画は「接続」(*1)と言う映画で、あるレコードがきっかけとなり、PC通信で心が結ばれた二人の小さな恋愛を描いた映画である。その映画の終わりの方で、こんな場面があった。
二人はお互いの顔を知らないが、偶然にも同じ地下鉄に乗り合わせる。すると二人のいる車両に突然男の人が入ってきて大声で叫びはじめるのだ。男は大声で自己紹介を始め、自分はあがり症なので彼女に告白するために、ここで練習をしているとみんなの前で話し始めた・・・。
韓国映画を観ても、現代の姿を描く映画を観ている場合は、さほど違和感を感じるシーンは少ない。けれども、ときどき「おっ?」と驚くような場面を観ては、ちょっとした韓国と日本との違いを感じ、楽しくなってしまう。
このシーンもその一つで、きっと韓国に行かれた方は最低でも一度くらいは目撃したことのあるシーンだろう。
韓国では電車、特に地下鉄の中で、突然大声を出して商売を始めてしまう人がいる。取り扱っている商品も僕が見ただけでも、ウォークマン、ベルト、電子ゲーム、新聞など。大きなカバンに商品を入れては1両ずつ売りに来るのだ。初めてその光景を見たときには、「酔っぱらい?」と思ってしまったくらいだが、周囲の人たちは注目したり無視して新聞を読んだり。しかもその賞品はちゃんと売れていくのである。もちろんこの人たちは国鉄職員ではないだろう。ただ、そこを商売の場としているのだ。残念ながら何を言っているのか、僕には殆ど分からなかったが、車両の前後どちらからもその商売人が来て、僕のいる車両で鉢合わせになったときにはさすがにおもしろかった。後から来た人の方が、相手の話が終わって移動してから自分の商品宣伝をはじめたのである。
プサンの繁華街ナムポドン(南浦洞)は、いつも市場でにぎわっていたが、あるときにはすごい人だかりができていた。「有名人でもいるのかな?」と近付いていくと、そこでは「テレビショッピング」さながらの風景が。台の上に乗った男性が万能穴あき包丁を持ちながら、大根から板まで何でもすぱすぱ切っていた。
以前何かの本で「韓国は市場大国だ!」と書いてあった。繁華街だけでなく地下鉄の駅など至る所で並ぶ露天商。その雰囲気を楽しむことも韓国を満喫するいい方法ではないだろうか。
☆解説☆
*1 日本での題名は「ザ・コンタクト」。チャンユニョン監督の97年韓国映画。監督は、コンピュータ通信の会社で働いた経験を生かし、シナリオを執筆。この作品で大鐘賞新人賞を受賞。
(2000 02/03 up)
「我らの歪んだ英雄」という韓国映画がある(*1)。主人公の予備校教師が30年ほど前の小学生時代を思い出し、その挫折の日々を描くというものだ。そこで、主人公の少年がクラスメイトのした悪さの濡れ衣を着せられ、若い女性の先生にしかられる場面があった。その先生はムチを取り出し、彼は掌を前に出して、手を打たせたのだ。苦痛ににじんだその顔も当然のことのように、先生は彼の掌をたたき続ける。同じ映画の後半でも、若い男性の先生がクラス全員の掌をたたくシーンがあった。
同じようなシーンは、「故郷の春」という映画でも観た(*2)。やはり若い女性の先生が生徒を説教するときにムチで掌をたたいていた。たたかれている少年が非常に痛そうな顔付きをしていたのが印象深い。
「我らの歪んだ英雄」は30年前の話、「故郷の春」も朝鮮戦争時代を描いた映画である。どちらもやや昔の話なので、現代韓国の小学校も同様であるとは言えない。そこで留学生に尋ねてみたところ、「たぶん今でもムチでたたいている」という返事が返ってきた。
こんなことを書くと、「韓国は乱暴だ」とか「体罰はいけない」という意見が聞こえてくるかもしれない。しかし、韓国と日本とでは、少なくとも先生の威厳というものに違いがあるのではないだろうか(*3)。
韓国には「先生の日」というものがあり、「チマパラム(スカートの風)」という親から先生への付け届けも存在する(*4)。
もちろん付け届けを肯定するつもりではない。ただ、韓国社会では今なお先生が尊敬の対象となっていることは確かだ。
僕が中学生くらいまでは体罰らしきものが存在した。日本で体罰が問題化されるようになって、まだ10年も経っていないだろう。親が子供に対して過保護になったため、それに代わって「力」を発揮する先生がやり玉の対象になったのではないだろうか。もちろん「力」というものを発揮しなくても、生徒を説得する方法はいくつもあるだろう。できれば先生が「力」を押し出すことがなくなる方がいいとは思う。
「体罰」を議論することは大変難しい問題なので、簡単なことを言うことはできないが、少なくとも僕が小中学生の頃は、先生が大きくて怖い存在だった。もちろん親も同様であるが、悪いことは悪いと教えてくれる人がどこへ行ってもいる。そんな環境がなくなりつつある日本に住む僕の目には、この映画のシーンがとても印象的だった。
☆解説☆
*1 92年韓国映画。監督パクチョンウォン。
*2 98年韓国映画。詳しくは「故郷の春」参照。
*3 韓国では先生を「先生さま」と呼んでいる。
*4 韓国社会でもこの「チマパラム」は社会問題とされ、先生の日が変わるという話を聞いた。
(2000 02/06 up)