言葉や童謡2

韓国を知る上で、韓国語を知ると言うことは

とても重要なことです。

それは単に言葉を勉強するだけでなく、

習慣や文化についても学ぶことになります。

また、韓国ではポップスが大変人気がありますが、

童謡は歌詞も短く、口ずさみやすく、

それ自体でも充分教材になります。

そんな言葉や童謡で気付いたことを

ここでは紹介していこうと思います。

それでは、お楽しみいただければ幸いです。

言葉と童謡へ

故郷の春

 「ふるさと」を聴いて日本の人が故郷を懐かしんで涙するように、韓国の人は「故郷の春(コヒャンエ ポ)」という曲に心を打たれると聞いた。友人が軍隊生活の思い出を語ったときに、である。新参者が先輩の厳しいしごきを受けて、「もう、ダメだっ!!」となってしまった状況で、周りの先輩方がわざとこの歌を口ずさむ。その瞬間、しごきのきつさを忘れ、止めどなく涙があふれるそうだ。

  僕の住んでいた故郷は 花咲く山里

  桃の花 杏の花 小さなつつじ

  色とりどりの花のお城のある村

  その中で遊んだ頃が 懐かしいです

  花の村 鳥の村 僕の昔の故郷

  青い野原の南の方から 風が吹けば

  川辺でしだれ柳が踊りを踊る村

  その中で住んでいた頃が 懐かしいです(*1)

 先日、「故郷の春」という題名の韓国映画を観た(*2)。オープニングと冒頭の小学校でのシーンと2回、この歌が流れて始まる映画である。僕が知っていた情報は、朝鮮戦争を舞台にした映画ということだけだったので(*3)、きっとつらい戦争シーンが続いて、BGMに「オッパ センガ」でも流れるのかなあという予想をして観に行った(*4)

 ところが、舞台は朝鮮戦争時の田舎という設定で、戦禍は全くない。戦争下での子供たちの姿を描いているものだった。ソンミンとチャンヒという仲のいい男の子がおり、隣同士に住んでいるがその生活は対照的だ。ソンミンの父は米軍と仲のいいソンミンの姉の紹介で米軍関係の仕事に就いている。自転車やラジオまで手に入れ、大きな家にも引っ越す。それに対してチャンヒは父が出兵中であり、母一人で生活をやりくりしているので、ハンボ(韓服)も一つだけしか持っていなかった。ソンミンの母はチャンヒの家族を疎ましく思っていたが、子供同士は仲がよかった。

 ある日、仲間同士で遊んでいると米軍のジープが見え、子供たちはそれを追いかけて村外れの廃屋に行った。そこは、韓国の人に斡旋された女性が米軍将校の相手をするところであり、早熟な子供たちは壁の割れ目からその様子を覗いている。そして米兵が帰っていくと、忘れ物はないか廃屋の中を探し回った。そんなある日、例によって二人で廃屋を覗いてみると、そこにはチャンヒの母親が。しかも斡旋したのは他ならぬソンミンの父。翌日、廃屋は放火され、チャンヒも行方不明になってしまう。

 万が一、この映画を観る人がいらっしゃるかもしれないので、紹介はこの程度にしておく。やはり衝撃的なのはチャンヒの母が売春するシーンだろう。貧困のせいとはいえ、チャンヒの小さな胸は複雑に締め付けられた。僕には想像しがたい感情だ。

 チャンヒの母もチョゴリのひもを結びながら、何を考えたのだろう。ソンミンの父のことをどう思ったのだろう。

☆解説☆

*1 一応僕が翻訳した。冒頭の「僕」という言葉はたぶん多くの場合「私」と訳されると思うのだが、堅苦しくない普段着の「私」を思い浮かべてもらうために、わざわざ「僕」と訳した。イウォンス作詞・ホンナンパ作曲。

*2 イグァンモ監督。98年韓国映画。韓国での題名は「新しい時代」だったと思う。日本での題名を聞くとだいぶ違った印象を抱いてしまう。

*3 「朝鮮戦争」を知らないことはないだろうと思うが、一応解説しておくと、1950〜53年に韓半島で繰り広げられた戦争で、キソン軍が南侵したことにより勃発。半島が南北に別れて戦われたが、構図としては北=ソ連共産主義、南=アメリカ民主主義との紛争。韓国では開戦日から「6・25戦争」と呼ばれている。話によると今でもそうらしいが、映画の中では激しいまでの反共教育が描かれていた。隣近所の人でも発覚し「アカを殺せ!」と村人が叫んでいるシーンが冒頭にあった。また、休戦が決定されてもなお、民族統一を果たすまでは戦い続けようという集会の様子が見られる。

*4 「オッパ センガについては韓国徒然草の同名のエッセイを参照。

(1999 10/22 up)

海を越えた日本語

 韓国映画『8月のクリスマス』を観たときのことだ(*1)。主人公の男性がスクーターに乗ってガソリンスタンドに行ったとき、店員が「満タン」と言ったのだ(*2)。もちろん日本語で、である。韓国の友人に知っている日本語を訊いたときも、「満タン」という単語が出てきた。

 韓国で日本語が使われていても別に不思議なことではない。しかし、この「満タン」を聞いた後で、あることを思い出した。

 それは韓国からの留学生と話をしていたときのことである。だいぶ前のことなので、どんな話をしていたかはよく覚えていない。たぶん、まずいお酒か何かの話をしていたんだと思う。そのときのやりとりはこんな感じだった。

 僕:「あのお酒、本当にまずいよお〜。一度飲んでみなよ」

 友:「いやだよお〜」

 僕:「そんなこと言わずに飲んでみなって」

 友:「やめてよ。私は『マルタ』じゃない!」

 このとき、僕は何を言われたかよく分からなかった。日本語?マルタ?僕はどういう意味なのか聞き返した。少なくとも「まるた」と聞いて僕が連想するのは薪などに使われる材木である。

 しかし、これはれっきとした日本語であることを説明された。

 皆さんは731(ななさんいち)部隊をご存じだろうか(*3)?第二次世界大戦に日本陸軍が創設した特殊部隊である関東軍防疫給水部の通称である。本部はハルビン近郊に置かれ、細菌の研究を行い、実際の戦争で細菌戦を遂行するために日夜実験を行っていた。その際、人体実験も行われており、その実験台になった人たちが「マルタ(丸太)」と呼ばれていたのである。実際に実験台となった人は多くが中国の人やロシアの捕虜兵であったそうだが、中には韓国の人も含まれていたようである。

 はたして戦争を主題にした本か、それともテレビドラマの影響で、この「マルタ」という言葉が使われるようになったかは分からない。しかし、友人の話だと高校生の時に普通の会話でも使っていたとのことである。

 日本では既に殆ど使われていない日本語が、韓国で今なお使われている現実。このことをしっかりと受け止めておかなければならないだろう。

☆解説☆

*1 『8月のクリスマス』は、ハンソッキュウナらが主演の映画で、日本でも上映され好評を博した。'98年製作。

*2 手許の韓国語の辞書を引くと、「満タン」は載っておらず、代わりに「マン(満)テンク」という単語があった。「満タン」とはタンクいっぱいという意味なので、タンクを「テンク」という韓国では「マンテンク」と呼ばれていても不思議ではない。しかし、映画の中や僕の友人が口にした言葉は確かに「満タン」の方だった。

*3 「731部隊」に関する記述は、手許に確かな資料がないため、大まかに覚えている範囲で記述した。この部隊による人体実験は従軍慰安婦や南京大虐殺と並んで、多くの犠牲者を出した戦時中の問題であり、中国の方が訴訟も起こしている。興味のある方は調べてみてほしい。

(1999 11/13 up)

手話でも通じ合える

 「アイ・ラブ・ユー」という映画が公開される。これは聴覚障害者を描いた映画であるが、その映画でデビューし、初主演となる忍足(おしだり)亜希子さんはNHK教育テレビ『みんなの手話』に出演しているので(*1)、僕は以前から見たことのある人だった。この番組はちょうど今年の韓国語講座の次に放送されるので、ときどきそのまま見てしまうことがある。

 僕がこの番組を少し見るきっかけを作ってくれたのは、何を隠そう、僕の妹なのだ。彼女は高校生だが、手話サークルに通って手話を勉強している最中だ。僕が妹に会って、訳の分からない韓国語を妹に向かって話すと、妹も負けじと手話で以て対抗する。

 さて、その妹と話していたときのことだ。「お兄ちゃん、韓国と日本ってすごく手話が似ているんだって。だから私が韓国に行っても話せるんだよ」と言ってきた。なるほどそうかもしれない。僕はそれなりに理由を考えてみた。もしかしたら日帝時代の落とし子なのかもしれない(*2)。でも、もしかしたら韓国と日本ではジェスチャーが似ているのではないだろうか(*3)

 そんなことを考えていたら、ふと韓国でのできごとを思い出した。2回目の韓国旅行では、韓国の学生と寝食を共にしたわけだが、ただでさえ身振り手振りの多い僕は、韓国語や英語に混じってジェスチャーを多用していた。そんなときである。

 あるジェスチャーをすごく面白がっていた。それは人に謝るとき、お願いするときに、片手だけで拝んでいるような姿勢である。彼らの貴重な時間を奪い、僕のわがままをたくさん叶えてもらっていたので、ただでさえ謝ることが多い僕は、このジェスチャーをかなり多用したようである。そしてときには両手を合わせて謝ったりお願いしたりもしていたようだ。

 それでも僕が韓国に行くまで、そんなにそのジェスチャーを指摘された記憶がない。その理由を考えてみると、仏に対する祈り方の違いに原因があるようだ。

 韓国に観光に行けば、一度くらいは仏教寺院に行くことがあるだろう。僕も彼らに案内されていくつか回ったが、明らかにお祈りの仕方が違っていた。文章で表すのは難しいが、僕の場合は両手を合わせて目を閉じるだけなのに対し、韓国では五体倒地をやや簡略化したような感じで、全身を使って祈りを捧げる。韓国の人が「日本の仏教はふまじめだ」といったような発言を聞くことがあるが、なるほど、こんなところに差が出ているのかも知れない。

 謝り方は通じなかったが、逆に言えばこれ以外のジェスチャーは指摘された記憶がない。やはり韓国と日本は似ているのだろう。

 なるほど、手話も通じるかもしれないな。そう思うと、手話も勉強し甲斐があるかもしれない。

☆解説☆

*1 NHK教育テレビで土曜の朝7:10〜7:35分まで放送している。ちなみに僕は手話がほぼできないも同然である。

*2 「日帝時代」とはご存じ第2次世界大戦まで続いた日本による36年間の韓国支配である。でも、もしこの時代からあったとすると、手話の歴史もなかなか長いということになる。どうなんだろう?

*3 ご存じの方も多いだろうが、手話というものはよく多用するジェスチャーや分かりやすいものの形などから生まれている。もしかしたら日本、あるいは韓国のどちらかが相手側の手話を模倣する形で導入したのかも知れないが、だとしてもジェスチャーが似ているから受け入れることができたことに変わりはないだろう。

(1999 12/02 up)

言葉と童謡へ

日本語トップへ